07 聖アリシア教 Adherents
「おいおいおいおい!待てって言ったろ!」
先程まで海の方を見ていた赤毛の男が首にかけていたゴーグルを上げながら振り返り言った。
この世界の人間であればこの男が規格外の魔力を有していることに気付く。
今ゴーグルにより覆われた真っ赤な目には特に尋常ならざる魔力を帯びている。
彼は『赤眼のラズ』と呼ばれる勇者である。
ユニークスキル『神眼』の能力の一つ、『千里眼』で海の向こうの様子を伺っていた。
振り返った先には大勢の人がいた。
白いローブを羽織った者、白い鎧に身を包んだ者。
全員が白に統一されていた。
皆、鹿がデザインされたワッペンが肩や胸の前面に施されている。
銀色の鹿を聖獣とする聖アリシア教の紋章である。
「すでに発動段階に入っていた。
あの段階では最早止めることはかなわん。」
白い鎧と対照的な黒い髪の女性が怪訝そうに返した。
彼女の名はノーラ・ソルトウォート。
聖アリシア教に十二ある騎士団の団長の一人である。
彼女もまた赤眼のラズと遜色のない魔力を有している。
「まぁ、そうだよな。タイミングが悪すぎた。」
「何なのだ、一体?」
勿体ぶるラズに対して若干の苛立ちを隠しつつノーラが問う。
「来ちゃったんだよな。最悪のタイミングで。」
「何が来たというのだ!」
気の短いノーラは苛立ちを隠すことをやめた。
ラズはノーラの性格を把握した上でこう言った言い回しをしていた。
「魔王。」
ラズがそう言うや否や、遥か遠方より二つの影が飛来し、彼らの上空で静止した。
あまりの速度故、この影の接近に気付いたのは1000人の内のほんの数名であった。
飛来したのは二人の女性であった。
二人とも額に短い触覚、背中には一対のステンドグラスのような羽を有していた。
「いっぱいいるね、フィーリア。」
二人のうち緑色の髪をした女性がもう一人に話しかけた。
「何人いようが関係ない。
ベル様に危害を加えたのだ。
一人残らず滅殺する。」
フィーリアと呼ばれた白髪に褐色の肌の女性が地上の白い集団を冷たく睥睨する。
「攻撃範囲に入ってしまった魔王はベルゼブブとマモン。
見た感じこいつらはベルゼブブの従者のようだな。」
ラズが二人を見上げながら言った。
魔王の従者に対する恐怖よりも強者とやり合う期待により思わず不敵な笑みがこぼれてしまう。
ノーラも二人から感じられる魔力から実力を推し量る。
さすがに魔王の従者というところか。
魔王の従者とは魔王が作り出した生命体である。
魔王に準じる身体能力、魔力、特殊能力を有しており、魔族と呼ばれている。
一介の信者では足元にも及ばないであろう。
こちらは先程の集団範囲攻撃魔法『ディバイン・パニシュメント』を使用するために集めた優秀な人材たちだ。魔法発動直後で魔力的には疲弊しているが、勇者、あるいはそれに準じる実力者が数名はいる。
地上に下ろすことが出来さえすれば勝機はある。
「じゃあ、アイリ―やっちゃうね!
みぃんな、アイリ―の虜になっちゃえー!
魅惑の旋転!ファシネイト!」
緑色の髪の女性はそう言うと空中で回転を始めた。
宙を舞う彼女の体からは無数の光の粒子が発せられ、地上へと降り注がれた。
ファシネイト。
対象を魅了し、術者の虜にしてしまう精神操作系の魔法である。
「へっへー。みぃんなアイリ―の下僕ちゃんだね。」
先程までの無邪気な表情が禍々しい邪気を帯びた恍惚の表情となっている。
「さぁ、パーティーの始まりだよ!みぃんなで殺しあっちゃえー!」
「あっけないな。さて、私の相手は残るであろうかな。」
アイリ―の号令により始まる聖アリシア教徒達の殺し合い。
・・・のはずだった。
教徒達が取った行動は魔法による光弾の一斉照射。
全ての光弾は一直線に空中の二人に注がれた。
合図もなしに同時に放たれた光弾に虚を突かれた二人ではあったが、さすが魔王の従者と言うべきか、その全てをことごとくかわしていく。
「あらあら、アイリ―の魅力はそんなものだったのかな?」
フィーリアが嫌味っぽく言う。
「誰もかかんないとかありえないし!」
アイリ―がむくれる。
「おいっ!アイリ―!」
フィーリアが地上から放たれた魔法に気付きアイリ―に促す。
「気付いてるよ。ほい。」
先程までの光弾とは桁違いの高密度の攻撃魔法。
投槍のようなその魔法はかわしにくい体制を狙ってピンポイントで射出されていた。
余程の手練れによるものだ。
しかし、アイリ―は事も無げに手の甲で弾いてみせた。
おそらく触れただけでそれなりの威力のある魔法であろうが、彼女の体表には魔法によるダメージを軽減する効果のある魔法防護被膜が常時展開されており、その被膜を剥がしただけであった。
「結構な威力だったね。まともに当たってたらやばかったかも。
って、あれ?あれ?」
アイリ―は空中での姿勢を保てなくなったかと思うと、そのまま墜落していった。
「油断しすぎだ。愚か者め。
今の魔法には魔力操作を撹乱する効果が付与されていたな。」
背中に羽はあるが、彼女達の飛行能力はこの羽に魔力を通すことにより実現している。
「仕方がない。助けてやろうか。
魔界の蛆虫どもよ。我が召喚に応えその満たされぬ飢餓を・・・。」
フィーリアが発動させようとした魔法は巨大な蛆虫を大量に召喚する魔法であった。
彼女の魔力であれば数百匹を召喚することができる。
単体であれば一介の冒険者であっても脅威とはならない。
だが、数百匹ともなれば場は混乱を極める。
しかし、魔法を中断せざるをえなかった。
飛行能力の無い人間に対して空中というアドバンテージを得ていたはずの彼女の背後に何者かの気配を察知したからだ。
「させませんよ。」
ノーラであった。
両手に持った二剣による電閃。
振り返りざま反射的に両腕でガードしたフィーリアであったが、その両手首を切り落とされてしまった。
「くっ!」
攻撃を受けたフィーリアもまた、空中でのコントロールを失い墜落していった。
先に墜落したアイリ―の元には一人の口ひげを蓄えた中年の男性が歩み寄っていた。
長槍を携えたこの男性は騎士団長の一人、アンセル・バーム。
「お嬢さん、悪く思わないでくださいね。
私はノーラのようには飛べませんので。」
「あら、素敵なおじさま。
あの程度ではアイリ―のハートは射抜けなくてよ。」
そう言いながら立ち上がったアイリ―には最早笑顔はなかった。
その瞳からは禍々しい程の殺気が放たれていた。
アンセルはその身の丈の二倍程もある長槍を片手で易々と振り上げ一閃振り払った。
アイリ―はそれをバックステップでかわし、すぐさま距離を詰めようとした。
槍はそのリーチにアドバンテージがあるが、近接戦闘となれば圧倒的に不利となる。
だが、アイリ―は直前でその行動を制止した。
「おやおや、ちょっと見え見えすぎましたかね。」
アンセルの左手からは魔法の光弾が発動される準備が既に出来上がっていた。
うかつに飛び込めばカウンターで直撃していただろう。
「意外に曲者だね、おじさま。」
「お互い様ですよ。」
アンセルは鋭い突きを連続で繰り出す。
アイリ―はそれを全てかわす。
アイリ―の身体能力であればこの程度の突きであれば難なくかわせる。
しかし、アイリ―は決してアンセルを見縊ってはいなかった。
意図的にかわせるように攻撃している。
他にも何かトラップがあるはずだ。
そう考えていた。
「んー。考えてもしょうがないか。」
アイリ―は暫く様子を伺っていたが、何かしないことには事は進まないという結論に至った。
アンセルがカウンターを狙っているのは明白。
ならば、賢しい思惑などまるで無力と言わんばかりの圧倒的な力で屠ってやろう。
アイリ―は距離を取ると魔力を練った。
一瞬でアイリ―の前方に握り拳大の3つの光球が出現する。
聖アリシア教徒が放った光弾と比較すると一回り小さいが、その数十倍の魔力が凝縮されている。
人間がまともに受ければ跡形も残らないであろう。
「へっへー。めんどくさいからみぃんな吹き飛んじゃえ!」
ジャキン!!
突然の金属音。
アイリ―は白く輝く鎖に自由を奪われていた。
鎖はアイリ―の上半身を幾重にも縛っており、そこから8方向に伸びた鎖の先は地面につながっていた。
「うにゃ!?」
「お嬢さん、悪く思わないでくださいね。
集団捕縛魔法、聖なる鎖『ホーリーチェーン』です。
あなたは最早体を動かすことはできませんし、魔法も使えません。
『ディバイン・パニシュメント』の直後でしたので、なかなかに時間が掛かってしまいました。」
「いつの間にこんな!?」
「お嬢さん、あなたが墜落してから皆でしっかり魔力を練っていましたよ。
あなたは墜落直後に私の幻惑魔法に掛かっていたのです。
私と闘っている幻覚を見せてあげていました。
その間、実際のあなたはずっと茫然自失に立ち尽くしていたのです。」
「そんな!人間が魔族の精神に干渉するなんて。」
「さすがの私でも魔族に方に幻惑魔法を成功することは難しいでしょう。
ですから、事前に隙を作らせていただきました。」
アイリ―がハッと気付く。
「あの投槍!」
「ご名答。魔力を撹乱したのは地上に下ろすためだけではなく、幻惑の成功率を上げるためだったのです。」
「くっ、くっそーーーーっ!」
アイリ―が絶叫する。
「では、神の名の下にあなたを滅します。
悪く思わないでくださいね。」
一方、フィーリアは手首を切り落とされた状態でノーラと交戦していた。
フィーリアは墜落から逃れようと飛行を試みたが体が思うように動かなかった。
魔力を撹乱されてたわけではない。
単純に体が重くなっていた。
フィーリアは対抗手段が思いつかないまま地面へと激突した。
魔法防護被膜のおかげでダメージは大したことがなかった。
しかし、体は重いままであった。
もともと魔族はその圧倒的な身体能力のため、身を守る手段に頓着がない。
窮地に陥る前に圧倒的な破壊力でねじ伏せる。
魔族は総じてその傾向が強い。
その性格故、強力な攻撃魔法、破壊的な効果の魔法ばかりを重視し、防御魔法、補助的な効果の魔法などは習得している者が少ない。
落下速度を緩和する『フォーリング・コントロール』や空気の緩衝材を作り出す『エア・クッション』等の魔法を習得していれば地面に激突することはなかったがフィーリアはそういった魔法は持ち合わせていなかった。
魔族は高い再生能力を有している。
切り落とされた手首など、負傷箇所に魔力を送り込めばものの数秒で再生していた。
しかし、今はいくら魔力を練っても一向に再生する気配がない。
これはまずいことになった。
フィーリアは現状を冷静に分析する。
この体の重さはおそらく重力を操作するユニークスキルによるもの。
それはこの女が飛行していたことからも推察できる。
そして魔族特有の再生能力が無効化されている。
これはおそらく、この女が使用している武器が『神器』であると思われる。
神器とは魔王や魔族の再生能力を封じることができる、神が作成したとされる武具。
神器によってつけられた魔族の傷は自らの再生能力では治癒することはできない。
さらにこの女の戦闘能力。
手首を失っているとはいえ、魔族である私に引けを取らない体裁き。
神器を扱っているとはいえ、私の手首を切り落としたその技量。本当に人間か?
二刀による間髪入れない剣撃は魔力を練る間を与えてくれない。
アイリ―も捕まってしまっている。
ノーラはフィーリアが仲間の方に意識を向けた一瞬を見逃さなかった。
一閃。
これまでの速度を凌駕したノーラの刃はフィーリアの肩口から脇腹までを切り裂いた。
それまでも神速とも言える剣裁きではあったが、本気ではなかった。
一瞬の隙に斬り込むため速度を調節していたのだ。
「しまっ・・・!」
フィーリアは崩れ落ち両膝を地面についた。
そのまま後ろの倒れこむ。
再生能力が無効化されているフィーリアには決定的なダメージとなってしまった。
「おいおいおいおい!俺の出番無しかよぉぉぉ!」
ラズが大いに悔しがりながらやってきた。
魔族が現れた時、最もやる気満々であった彼であったが、いかんせん位置が悪かった。
「ん?あれは?」
ラズは上空に黒い球体が浮かんでいることに気付いた。
ゴーグルを外し神眼で確認する。
高密度の闇属性の魔力の結晶であった。
「まずい!
おい!気を付けろ!上にまだ何かあるぞ!」
ラズが言いきるまでにその結晶は弾けた。
結晶からは闇が放射状に広がり空を覆いつくした。
辺りは漆黒の闇に包まれ完全に視界は遮られた。
光り輝いていたホーリーチェーンの光までもが闇に包まれてしまっている。
僅かな光の侵入も許さないこの空間では互いの位置も分からない。
ラズにおいては神眼の能力の一つ『暗視』により暗闇でも人や物の位置を視認できる。
ホーリーチェーンの光までもが抑え込まれていることを考えると照明魔法も機能しないであろう。
「なんて規模の結界なの!?」
ノーラが驚くのも無理はない。
視界を遮る暗黒結界の魔法は人間の魔術師の間でも伝わっている。
卓越した術者であっても半径10数mが限界といったところだ。
しかし、この結界の広がり方は軽く半径100mを超えていた。
そんな中、唯一視認できる人影が上空に現れた。
「やあやあ、皆様方。わたくしは奇術師グレイア。
楽しんでおられますか?」
グレイアと名乗ったその者は道化師の恰好をしていた。
薄紫色の髪の毛。左目の下には星形のタトゥー。
声から察するに女性のようである。
「騙されるな!そいつは幻影だ!魔素感知を展開しろ!」
「さすがは赤眼のラズ様。しかしながら少しばかり判断が遅かったようで。」
その場にいた誰もが慌てて魔素感知を発動させた。
「しまった!」
ホーリーチェーンで拘束していたはずのアイリ―、重傷を負ったフィーリアがその場から消え失せていた。
「申し訳ありませんが、可愛い妹達は返していただきました。
ベル様より撤退の指示がでておりますのでこれでお暇させていただきますね。
ではまたご縁がございましたらお逢いしましょう。」
そう言うと道化師はポンっという音と共に煙を発し姿を消した。
暗黒の結界も解除され元の青空が広がっていた。
「なんて奴だ。
神眼でも本体の位置が分からなかった。
気配も魔素も完璧に隠蔽してやがった。」
ラズが奥歯を噛みしめた。
「いやはや面目ありません。
突然の闇に対応が遅れてしまいました。」
アンセルが申し訳なさそうに言った。
「私としたことが完全に気を抜いてしまっていた。」
ノーラが自らの詰めの甘さを悔いている。
そしてラズが鼻血を噴出しながらパタリと倒れた。
「どうなされた!ラズ殿!」
アンセルが駆け寄る。
心配そうにノーラも覗き込む。
実はラズには誰にも言えない神眼の能力を有していた。
昨年突然発現したその能力は『透視』。
無機物を半透明に透過して見ることができる。
この能力は本人の意思に関係なく常時発動してしまう。
それまで修行一筋であった彼にとってこの能力は刺激的すぎた。
故に彼は特殊な魔石製レンズのゴーグルによりその能力を抑えていた。
神眼の全ての能力が抑制されてしまうが、人と接するときにはこのゴーグルは必須であった。
ラズは今、迂闊にもゴーグルを外した状態でノーラを真正面から見てしまった。
「いや、なに、不完全燃焼で頭に上った血が噴き出してきてしまったとかなんとかな気がするな、うん、そうだ、そうに違いない。」
ゴーグルを装着し直しながらラズはそう言った。




