第50話 旅立ちの日
戦の爪痕を色濃く残す波止場。リリィの魔法の余波で壊れた大小様々な船がただ浮かんだままとなっている。
その中に一隻、その姿を保ったままの船が存在していた『ストリレッツ』号。そのシンプルかつ無機質な外観とは裏腹に、ヴァン・ダイク商会が誇る最速の船である。
俺とロレッタは、その船に隠れるようにして乗り込む。市中が騒ぎの渦中にある内に、この“大海の都”を離れねばならない。
リリィとの決戦でロレッタが見せた龍としての姿は、市内のどこからでも見ることが出来ただろうし、その咆哮は市外にまで轟いていたと聞いた。
そして、俺が姿を表したという事はあっという間に広まり、市内は軽い恐慌状態に陥った。様々な流言が飛び交い警備隊も収拾の付けようがない状態となってしまった。
それに、アルカノーアが戦闘の末に教会兵に『アーケイン・アステール』へと連れ去られた姿を数多くの人間が見ているのが、混乱に拍車を掛けた。
あの龍の正体は? グリン・ジレクラエスは何をしに行ったのだ? アルカノーアの容態は?
結局、カロリーヌさんが軽い演説を行った事で、ようやく小康状態になったという訳だ。
「ははは、随分と凶悪に描かれているじゃないか、君」
「もう少し格好良く書いてくれたって良いだろうに」
俺は、渋い顔でロレッタが差し出して来た新聞の一面を眺める。
その見出しは『堕ちた英雄、龍と共に枢機卿を惨殺』『大逆者、魔物たちに新たな魔王として迎えられる』『狂気に満ちたかつての勇者、“大海の宮”に現れる』
三紙どれもに俺の凶悪な似顔絵が描かれている。伸び切った髭、むき出しの歯、鋭い目つき、ボサボサの頭。中でもゴシップ紙は俺の口元から血を滴らせ、善良な天使の様に描かれたリリィ枢機卿を喰い殺している戯画が描かれていた。
予想通り、ついに俺が魔物側に付いたという事が知れ渡ったという訳だ。
しかも、これらの新聞紙のどれもが全国紙という事もあり(新聞は転移魔法で原版が転送され、それぞれの都市で印刷される仕組みとなっている)、教会が“大海の都”に侵攻した事は何一つとして書かれていない。
それどころか、まるで俺が枢機卿を狙って襲撃したかのように記載されている。完全な悪役だ。
こんな事になってしまっては、これ以上俺たちはこの街に留まれない。
ただでさえ危険な立場にある『大海の都』が、“聖評議会”、つまりはロドリック達に格好の攻撃材料を与えてしまう。
そうなってしまえば、対策どころの話ではない。
「グリン様、準備が整いました。もうすぐ出港となります」
「ああ、ありがとう。鍵は本当に良いのか?」
「何も問題はない。むしろ、存在がバレていた時点で、もうここに置くわけには行かぬからのう」
随分とラフな格好をしたアルカノーアが言う。表向きは教会兵に襲われて重症という事になっているからだ。
まとめた髪に帽子、それに港湾作業者が履くようなパンツルックの彼女は黒い隈が残る目を擦りながら、港を見回す。
「……ひどいもんじゃの」
「俺達にも原因の一端がある。本当に済まなかった」
「グリン様が居なければ、今頃私は海の藻屑。感謝こそすれど、恨むはずが無いじゃろ」
カロリーヌさんは、そんなアルカノーアに耳打ちを一つする。
「アルカノーア様」
「おお、そうじゃの。そろそろ、時間か」
俺達が考えだした解決法、それは“大海の都”を襲った魔王と枢機卿には何一つとして関与していない。そして、そのどちらにも肩入れをすることはないという表面上の中立を保つ事だった。
世論はどうあれど、この街の少なくない人物は教会兵の暴虐、そして異形と化したリリィを見ている。
それに、ゲイツ司祭という駒を手に入れたのが効いた。
こちらから動かなければ、“聖評議会”も迂闊に動くわけには行かないだろうと言うわけだ。
「それじゃあ、アルカノーア、カロリーヌさん」
「また会いましょう」
船を波止場へと留め置く綱が解かれた。遂に船が岸を離れる。
俺たちはアルカノーアとカロリーヌさんに挨拶を行った。
だが、彼女達はこちらを見ようともしていない。それどころか、アルカノーアに至っては何故か屈伸運動を行っている。
そして、突然アルカノーアは駆け出し、船の方へと駆け寄り、飛んだ。
「アッハッハ! 着地成功じゃ!」
楽しそうに笑うアルカノーア。その姿を俺とロレッタは呆然と見ている。
「何変な顔をしておる。これからの旅、よろしく頼むぞ?」
何事も無いかのように言い放つ、アルカノーア。
俺はまだまだこの少女から逃れられないようだ。ロレッタのじっとりとした視線からも。




