第47話 少女は青空を望んだ
「鍵はここにある。だが、渡す前に聞かせて貰おう。どうして俺を裏切った?」
俺は単刀直入に言った。回りくどい方法など、取るつもりは無いからだ。俺はただ、その為にここに居る。
リリィは微笑む。俺の苛立ちをあざ笑うかのように。その言葉も、俺の単刀直入な言葉とは正反対の、謎掛けの様な言葉だった。
「グリン。貴方には空が見えていますか?」
「あ? 見えてるよ。少しばかり薄暗くなってきた。もうすぐ夕暮れだ」
「そうですか。きっと、とても美しい光景なのでしょうね」
俺は顔を顰める。何が言いたいのか、さっぱり分からなかったからだ。
なんで空の話なんてしなきゃならない? 何を求めているんだ?
「何が言いたいんだ、ハッキリと答えろ」
「その、竹を割ったような性格。何一つとして変わっていないのですね、あの拷問を経ても」
「……お前の指示、だったか」
あの忌々しい日々を思い返させる一言に、俺の苛立ちは益々募っていく。
ダメだ、これもまた彼女の策略。乗っては行けない。そう頭では分かっているのだが。
「“私”の指示ではありません。“私達”が決め、審問官に伝えただけの事です」
「私達、と来たか。丁度いい、テメエら五人が何故裏切ったのかずっと聞きたかったんだ。答えてもらおうか」
「裏切った、ですか」
「それ以外に何かお前らの所業を表す言葉があるか?」
「……いえ、ありませんね。確かに私達は、貴方を裏切りました。貴方を裏切り、全てを奪い去り、名誉を傷付け、大逆者としての道を歩ませました」
事も無げにリリィはそう言った。拍子抜けするほど、あっさりと認めたのだ。
怒りが限界を越えて、笑いが出てきそうだ。時間を稼ぐという目的が無ければ、既に襲いかかっている。
逸る右手を押さえつけるだけで一苦労だ。
「“私達”が何故貴方を裏切ったのか? 一言で言えば、貴方が答えなかったからです。貴方が全てを持っていたからです。貴方が、全てを手に出来る力を持っていたにも関わらず、安寧とした堕落に身を落とそうとしていたからです」
「何を、言っている?」
「だから、貴方には聞こえなかったのです、この『声』が」
そう、リリィが言った時だった。
世界がぐらつく様な、目眩を覚えた。音が自分へと収束するかのような、異様な感覚。
リリィの攻撃か? だが、体には何の衝撃も、ダメージも有りはしない。
しばらくすると目眩は収まった。だが、音は聞こえ続けている。金切り声の様な高音と地響きの様な低音が。
それらが一体となって、俺の耳の中で鳴り響き続ける。その音は海の彼方から聞こえる。“ソーン”と呼ばれている長大な建築物からだ。
「声、だと?」
こんな物が声である筈がない。意味のない雑音に過ぎない。
「“私達”は『声』を聞きました。助けを呼び求める『声』を」
リリィは、もう俺を見ていない。
話しているのは、俺に対してではない。誰に対してでもない。
まるで、信仰告白の様に、彼女は言葉を紡ぎ上げ続ける。
「『声』よ、おお、『声』よ! 貴方は、“私達”を嘆かれました。“私達”の姿を、自らの姿に重ね合わせて、まるで自分の事であるかのように、嘆きの涙を流されました」
リリィの表情は、恍惚としている。その手からは杖が離され、乾いた音を立てて甲板の上に転がる。
彼女は自らで自らを抱きしめ、恍惚とした表情で、身もだえている。
理解に苦しむ。何がしたいのだ?
俺の怒りは何処かへと消え失せ、戸惑いの感情が強くなっていく。
「『声』は、告げました。“私達”の望む物を与える代わりに、私を苦しみから救って欲しいと。“私達”は、それを快諾し、それによって祝福を授けられたのです」
リリィは涙を流しながら、膝から崩れ落ちる。一種のトランス状態に陥っているのだろう。
何が起きているのだ? 何がしたいのだ?
「美しいものを、私は見たかった。美しい世界を、私は見たかった」
リリィの頬を伝う幾筋もの涙。
閉ざされた目から涙が溢れ出し続ける。
「盲である事を悔いた事など、リリィには一度もありませんでした。生まれ落ちた日からの宿命だと悟っていたからです。ですが、私は“視たかった”」
突然、彼女は立ち上がる。弾かれたように、あまりにも唐突に。
その声の調子は、先程までのトランス状態のそれではない。冷徹な、抑揚のないいつものリリィの声。
だが、先程までと一つ異なっている点があった。
「グリン。貴方には、望むものがありますか?」
リリィは、俺を見据える。
――人の、眼が存在しなければならない場所に朧げな形で存在している眼が。
――まるで明かりのない夜闇のようなドス黒い眼が。
――俺を、視た。