第28話 再開の時
――二週間後、ベルトラン公国・“大海の都”の境界線、トゥランの丘――
Side:グリン
トゥランの丘。遂にここまでやってきた。
数十年ほど前、“大海の都”が独立を勝ち取る為に領土を接しているベルトラン公国と最後の決戦を行った地であるトゥランの丘は、前に俺が訪れた時と同じように石碑だけが古戦場としての名残を残している静かな場所だった。
俺は前と同じように潮風の匂いを嗅ぎながら“大海の都”ティ・クェナ・ルゥを見下ろす。その形状は当たり前の事だが、以前と何一つとして変わっては居ない。
扇形の市街地は海側を除いた全ての部分を城壁が覆い、しかもその発展に伴って段階的に陸地側に発展して行った事が良く分かる形状となっている。
扇の一番外側が商業施設を中心とした真新しい建物が並ぶ新市街地である『フランドスティール地区』、中央部分の住宅が密集している区域の『ダッチフロント地区』、そして最も歴史ある地区で、公共施設や数多くの商会の建物が立ち並ぶ『クリーンポート地区』。
この大都市にようやく辿り着く事が出来た。
旅が順調に進んだのは、僅か二日目までだった。
それ以降は、昼夜を問わず追跡を行ってくるベルトラン公国の兵士たちとの戦闘が行われ、幾多もの血で血を洗う戦いの末にこの場所へと辿り着いた。
「私だけならば、どうにでもなったのだがな」とは、ロレッタの言葉だ。
そう。世界的な有名人である俺の顔はあまりにも広まりすぎている。誤魔化しようがなかったのだ。
ロレッタは一番目立つ部位であろうその背に生えた翼を器用に折りたたみ、旅人が好んで使用するマントの下に隠していたのだが、俺の顔は隠しようがない。
俺のせいで何回検問で引っかかり、強行突破を行う羽目になったか。
もちろん悪い事ばかりではない。ベルトラン公国兵から馬や食料を始めとする備蓄物資を拝借する事も出来、そのおかげである程度時間の短縮になった事は否めない。
しかし、街道を避けるルートを取るという事は、それだけ険しいルートを選ぶという事でもある。深い沢や足場もまともに無い谷間超え、沼地に放棄された洞窟とかつての冒険の旅を思い起こすような道程を、敵に追いかけられながらまともに休む事すら出来ずに駆け抜けたというのは、おっさんと化した俺の身体には流石に堪えた。
しかし、“大海の都”を見下ろす俺の眼に入ってきたのは、最後の難関と成り得る光景だった。
「教会騎士団に、ベルトラン公国の精鋭『白狼団』の旗印。ここまでしっかり守りを固めてるとはなあ」
「まるでこの街が包囲下にあるようね、まだ橋は“大海の都”側の手にあるようだけど」
やろうと思えば、強行突破は行えるだろう。
だが、それを行ってしまえば間違いなく大騒ぎとなる。
魔物との協定を表沙汰にしたくないであろう“大海の都”側も、教会とベルトラン公国両方を敵に回す覚悟は無いだろう。これだけの兵力を見せつけられている現状ならば、なおさら。
どうにかして忍び込む方法を探さねばならない。陸側からは無理、となると。
「外側、海路か」
「そうだな。だが、公国も同じことを考え、付近の港町には網を張って待っている筈だ」
じゃあどうするんだ、と言いかけた所でロレッタが取り出したのは、一つの封筒だった。
「内部の者を呼びつければ良い。手引する人間を派遣してもらえば、闇夜に乗じてあの街の中に入りこめるという訳だ。という訳で私はこれを道行く人に渡してもらえるように頼んでくる」
ロレッタが丘から下っていくと、丁度“大海の都”へと向かうのであろう商人のキャラバンが通りかかった。
俺は身を隠しながら近づいていき、草むらから会話を聞き取る。
「すみません、商人さんですか?」
「ん、そうだが」
ロレッタの顔を見て商人はキャラバンを止めた。声を掛けられた商人の顔にはにやけた笑いが隠せない。それもその筈だ。背に隠し持つ翼を除けば、中々の美少女である彼女に呼び止められれば思わず足を止めてしまうというのは男の悲しい性だろう。
「これからあの街に行かれるのですか?」
「ああ、そうだが、どうしたんだい? 乗ってくかい?」
「いえ、丁度検問に引っ掛かってしまい、門前払いを受けてしまいました。皆様に迷惑が掛かってしまうと行けませんので……」
「検問、ああ。教会の連中が大橋の前でやってるねえ。鬱陶しい。で、どうしたんだい?」
「これをあの街の商人の方にお渡し頂けると、非常に助かるのですが」
そう言ってロレッタは蝋で封がされた封筒を懐から取り出す。傍目で見ても豪華な彩りが施されたその封筒を見た途端、商人のロレッタを見る目が変わる。
当たり前であろう。こんな物を持っているのが普通の少女である筈もない。
ロレッタは更に、小さな袋に詰まった貨幣をこっそりと商人に渡す。
「マルチノ商会のユアン氏にお渡し下さい。当然、彼からもお礼が差し上げられるかと」
「あ、ああ、分かった」
どう考えても怪しい少女の怪しいお願いではあるのだが、彼は何の疑念も抱くこと無く首を縦に振っている。
「軽い魅了を使った。これで大丈夫だろう」
「そんなに上手くいくもんかねえ」
「ああ、彼らが検問に引っかからなければ、無事に渡してくれるだろう。何の疑問も抱くこと無くな。そういう暗示を掛けた」
相変わらずさらっとえげつない事を行う娘だ。
俺たちは後は待つしか無かった。小高い丘の上で、周囲に警戒しながらひたすらに待つ。
「そろそろ夕暮れ時か、そろそろ来てくれないと困るな」
雨風を凌げる場所は周囲には無いが、かと言ってこの場を離れれば迎えが来た時に分からない。火を起こせばたちまち公国兵が押し寄せてくるだろうし、前述の通り何もない場所なので、ゆっくりと眠ることすら出来やしないだろう。
「その心配は無用だ、見ろ」
ロレッタが指差したのは、丘をゆっくりと登ってくる二人組みの女性だ。
片方は黒のジャケットにズボン姿の女性で、理知的かつ冷徹そうな目つきをしている。
もう一人は、どこか見覚えのある顔をしている少女で、ウェーブがかった金色の髪をした藍色の目をした少女。コートを着込んでは居るが、随分と豪勢な姿をしている。この場に居合わせるような少女ではないだろう。
その少女は、俺と目が合うと駆け出し始めた。
ジャケット姿の女性が何やら少女を止めようと言っているが、少女はそれに耳を貸す様子はない。
少女はどんどん近づいてくる。俺に近づき、近づき、そしてそのまま俺の胸の中へと飛び込んできた。