第26話 魔王との過去
――北方連邦、北部――
Side:グリン
俺は、ロレッタと並んで歩き続けている。
「しかし、思えばこうして旅をするのは久々だ。黒騎士として魔軍に居た頃は、良く大陸中を縦横無尽に駆け巡った物だが」
「俺もまた旅をする事になるとは夢にも思わなかったよ。それもかつての宿敵と二人きりで」
俺の言葉を受けたロレッタは嬉しそうに笑った。
「あの頃はこんな事になるなど、夢にも思わなかった。まさか君があんな事になるとは」
あんな事。俺が全てを奪われ、投獄された事を言っているのだろう。
……そうだな、そろそろロレッタには言っておかねばならない。どう受け取られるかは別として、彼女が俺の伴侶となるのなら、尚更。
俺は決心し、一人で頷く。
「どうせ、長い道のりになる。おっさんの昔話に付き合って貰ってもいいか?」
「昔話か。私で良ければ喜んで」
そして俺は語り始める。魔王にトドメを刺した、あの瞬間へと戻り――
――一年半前、魔王城(旧ヴイランディア城)最上部――
俺の剣が、遂に魔王へと突き刺さった。
必殺の一撃だった。聖剣に持てる全ての力を注ぎ込み、普通の武器では傷一つ付けられぬであろう魔力を身に纏った皮膚を切り裂き、心の臓を貫いた。
俺の傍らには、魔王の使っていた魔剣が転がっている。彼の凄まじい体格からすれば小枝のように細くか弱く見えるが、この剣によって俺の聖鎧は今やその形を留めて居ない。
仲間たちと遮断された空間での、一対一の決着。
奴がそれを望んだのだ。武人としての誇りか、王としての勤めか。
「見……事……!」
血を吐きながら、魔王が告げる。
「これで終わりだ、魔王ニル・ヴァン。お前の野望も、お前の作り上げた軍も、騒乱も。全てが終わり、元に戻る」
凄まじい疲れと、痛みに従って腰を下ろしながら、俺は魔王へと告げる。
トドメを刺しに行くつもりにはなれなかった。彼の身から流れる夥しい量の血が最早手遅れである事を告げている。
それに魔鎧を打ち砕き、臓腑を守るオリハルコン製の防具を破壊した上で心臓を貫いたのだ。この状態から復活されたのなら、最早為す術はない。
「グリン……ジレクラエス! 見事、見事……成! 我を打ち倒したその力、よくぞここまで……磨き上げた!」
「あんがとよ、お前を倒すためだけに鍛え上げてきたんだ」
俺がそう言うと、魔王は口から血泡を吐き出しながら、愉快そうに笑う。
「……何がおかしい」
「お主は、自分の力に……自信があるか?」
「当たり前だ。幾多の苦難を乗り越え、幾多の名の有る魔物を倒し、幾多の城を落とした。この力こそが俺の全てだ。その為に人生を捧げた」
俺がそう答えると、魔王は再び笑う。何が可笑しい? 何故笑う? 死の間際だと言うのに。
「お主は、まだ気付いておらんようだな」
「何にだよ」
「お主の持つ力の……身の丈を超えた強大さに。……我を倒したその力……これからお主は……どう使う?」
「何も使わないさ。故郷に帰って、後は剣でも教えながらノンビリ暮らすさ。出来れば美人の嫁さんでも貰ってな」
女運が悪く、相手にも恵まれなかったこれまでの旅路を思い返しながら、俺は言う。
子供には良く懐かれたが、子供にモテても何の意味も無い。出来れば年上のグラマラスでミステリアスな女性が……などと言っている内に三十路になってしまった。
その事は良くロドリックとヴィルカにも馬鹿にされる上に、フィルには手酷く言われる。
フィルは兄の俺が言うのもなんだが、ああ見えて器量良し、体つき以外の容姿良し、家事の腕前も問題なしと来た。剣以外何の取り柄も無い俺と違って、嫁に取りたいという相手は幾らでも居るだろう。
「成る程! 成る程! それは結構! だがな……」
そう言って、魔王は一度心臓の辺りに手を当て、流れ続ける血を見つめている。
「だがな、お主のその夢は、叶わぬぞ」
「はあ?」
「お主が変わらなくても、回りは違う。全てが変わっていくのだ。否応なしにな」
死にかけの男の言うことだ。無視しても構わなかった。だが、その時の俺はそうするつもりにはなれなかった。
「力を持つ者は……、望むか望まぬかに関わらず……、争いへと巻き込まれる……」
俺は、何も言うことなく、この男の顔を黙って見据える。
それを良しとしたのか、彼は更に語り始める。
「我を倒す程に……、強大な力を持った者が、平穏無事に、暮らせると思うのか? ……お主がそう思っていても、他の者は、違う、だろうな」
息も絶え絶えに、彼は語る。俺には彼が何故こんな事を、死の間際に言っているのか分からなかった。
命乞いでも無ければ、呪詛の言葉でも無い。家族に向けての言葉でも無ければ、死への恐れの言葉でも無い。
まるで、俺を諭すように彼は何かを言おうとしている。その理由が分からなかった。
「お主の行く末、あの世からゆっくりと観させて貰おう」
そう言って、彼は肩を落とす。そしてそのまま動かなくなり、彼の魔力によって隔絶された空間は開かれていく。
「は、下らねえ」
俺は、彼の言った事を信じた訳ではない。だが、どこか心に引っ掛かっていた。
本当に、平穏無事な生活に戻れるのか?
魔王が居なくなった。世界は平和になった。
……それは、本当なのか?
俺は、奴を倒せば全てが終わると信じていた。それは本当なのか?
「止めだ、止め。俺がこんな頭を働かせるような事をしても、無駄無駄。出たとこ勝負が人生の常だ。何も問題なし!」
そう言って、俺は立ち上がろうとする。
だが、力が入らない。気が抜けたように俺の腕は、足は力が抜け、指一つ動かす事が出来ない。
瓦礫と化した玉座の間、その向こう側に仲間たちの姿が見えた。
俺は彼らを呼び止めようとする。
だが、声を発する前に、俺は炎に焼かれた。
それが俺の旅路の終わりで、もう一つの始まりだったのだと後になってから分かった。