第21話 夜の出来事
「もう少し詰めろよ」
「無理を言うな」
テントの真ん中に設えられた幾つものクッションによる柔らかな寝床にど真ん中にどっかりと転がったロレッタに弾き出されるように、俺は隅に転がっていた。
だが、悪くはない。長い旅暮らしの所為でどこでも寝れる身体になっている。テントも何もない状態で平原に寝転がって寝た事も、昼か夜かも分からないダンジョンの床で寝た事もある。
そんな状況に比べてば今の状態は楽園のような物だ。
俺は、マジマジとロレッタの姿を見つめる。
流れるような長い黒髪よりも、その年嵩に似合わない豊かな肉体よりも、俺の目を引いたのは彼女の背から生えた龍の翼。四枚に分かれた翼で身を覆い隠すように包み込んだその姿を、じっと見つめてしまう。
テントの隙間から、少しばかり差し込む月明かりと相まって、幻想的な姿となっていた。
俺は旅の途中で見た様々な光景や、美術品、古代の建築にもコレほどまでの感銘を受けた事は無かった。
だが、手を触れようとは思えなかった。荘厳な美しさと触れれば壊れてしまいそうな儚さが同居している。
「どうしたんだ、変な顔でこちらを見て」
気づけば、ロレッタと視線を交わしていた。
「いや、その」
答えられずにしどろもどろとなってしまう。まさか神秘的な姿に見惚れていたとは口には出せない。
気分を害してしまっては元も子もない。彼女が自身の翼をどう思っているのか、聞いたことも無いのだ。
「私の身体がそんなに面白いか?」
そう言ってロレッタは胸を寄せ、強調してくる。完全に勘違いされているようだ。そちらも嫌いではないのだが。
「そっちじゃない」
「?」
ロレッタは俺の言った言葉を上手く理解できていないようだ。
「俺が見てたのは、ロレッタの翼だ」
「翼?」
そう言ってロレッタは意外そうに身体を包み込んでいた翼を広げ、その下に隠されていたネグリジェ姿の身体を露わにする。
「そんなに面白いのか? これが」
そう言って、彼女は僅かばかり翼を揺らめかせて風を起こす。心地よい風だ。
「面白いとか、そういうんじゃなく……。綺麗だと思ったんだ」
俺がそう言った途端に彼女は吹き出して笑う。
「何を言うかと思えば。人間というのはよく分からない事を考えるものだな」
「美しいものを見て、見惚れるのは当たり前の事だろう」
「悪い気はしないな、だが、出来ればもう少し別の箇所を褒めて貰いたかったが。そんなだから今の歳になっても女の一人も捕まえる事が出来なかったんじゃないのか?」
辛辣な言葉に聞こえた。だが、彼女は自身の翼で口元を覆い隠している。照れているのだろうか。
可愛い所がある。というより可愛いと思った。いや可愛い。すごく良い。
「……悪かったな」
そう答えた後、俺はテントの隅に寝転んだ。
彼女に背を向けて寝転んでいたので彼女の表情を伺うことは出来ない。勿体無い事をした。今からでも寝返りを打とうかと思った時だった。
「ありがとう」
小さな小さな声だった。聞き間違いか、外に居る連中の声かと聞き間違えていたとしてもおかしくないような、小さな声だった。
どんな表情をしてるのか。彼女の顔が見たい。だが見ようとすれば何が起きるのか分からない。
いろんなことを自問自答する。その自問自答の間に、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
少女の視線を感じながら。
――海都、ティ・クェナ・ルゥ、ヴァン・ダイク商会――
Side:アルカノーア
目を覚まして最初に視界に入ってくるのは、何時もと変わらぬ海、何時もと変わらぬ空。
私はそれを見て胸を撫で下ろす。まどろみに身を委ねながら、しばらくの間心地よさに身を任せる。
海が荒れた日にはこんな事は行えない。何時もより早く準備を整えて商会へと向かわねばならない。
船が出せるか出せないかの判断とそれに伴う処理と共に、既に出ている船の心配もしなければならないからだ。
だから、この心地よさは何事もない日の特権だ。
だが、何時までも心地よさに身を任せておく訳にはいかない。
ベッドから身体を起こして祈りの後に身支度を始める。
鏡に映った私の姿は何時も通りの美しい姿。だが、少しばかり目元に影が差し込み始めている。
その理由は明らかだった。
「朝から考えたくもないな」
心労の原因から目を背け、髪の手入れへと段階を移す。時計を見れば、もう少しでカロリーヌが姿を見せる筈の時間となっていたからだ。
だが、今日もまた彼女は遅れてくる事であろう。
「お早うございます」
いつもよりも暗い顔をして、カロリーヌが部屋へと入ってくる。既に彼女がいつも来る時間より、数十分は遅れている。
それだけで何か起きた事を察する事ができる。
「ご報告です、二つほど」
「なんじゃ?」
「まず一つ目。中央平原に向かわせていた商会の者からですが、グリン・ジレクラエス様の生存とその逃走、そしてどこへ逃げたのか、という事が判明しました」
それこそが、聞きたかった事だ。
「勿体ぶるな、早う話せ」
「はい、彼は本当に魔王軍に与している様です。隠された情報ではありますが、明るみに出るのは時間の問題かと思われます」
「ははは! さすがはグリン様じゃ! 本当に寝返ってしまうとはのう! ははは!」
あの女、リリィが言っていた恐ろしい事態が現実になった訳だ。奴らの慌てた姿が目に浮かび、思わず笑いが出る。
だがそれよりも、私の脳裏に浮かんだのは異種族に傅かれたグリン様の姿。王たる威厳を身に纏い、全世界の者達が彼を見ては恐れ慄くその姿。そして、その横で彼の妻として付き従う私の姿だ。
「良い! 良い! 一刻も早く彼と接触せよ。魔王軍ならば、まだコネクションが生きておろう?」
「はい。その件でしたら何も問題はありません。商会の蜥蜴人達を通じて接触を図っています」
心が躍る。心が騒ぐ。もう一度彼に会えるのは何時になるのだろうか。
だが、喜びに浮かれる私とは裏腹に、カロリーヌの表情は暗く、重い。
「他に何かあるようじゃの」
「はい。非常に重要かつ内密な話です」
カロリーヌはそう言って、扉の方向に目配せをしながら、私が開け放した部屋の窓を締め切った。
そして、私の耳元に近づき、囁いた。
「リリィ・アルクティクムの周囲を探らせていた密偵、そしてこの街に留まっているゲイツ司祭を探らせていた者が、昨晩死体で見つかりました」
「……本当か?」
「はい。彼らはかの聖人の如く磔にされており、ある種のメッセージである事は間違いないかと」
そのメッセージが何であるか、というのは明らかだった。
これ以上我々を探るな、と。