第18話 人間の魔王
クラヴィツは自分が生きている事を確かめるように、全身を触っていく。
そして、生きている事を確かめるとようやくロレッタへと向き直った。(腰は抜かしたままであるが)
「貴方は何を言ったのか理解しているのか!? 人間が魔王の座に座り、魔王の娘、しかも竜種の血を引く者と結婚するだと!? 先代魔王……貴方の父が吸血鬼の娘を娶った時でさえ、大騒ぎになったというのに。正気とは思えん!」
「ほう、私の気が触れているとでも?」
「客観的に見て言っているだけだ! 私以外にも他の部族の者達、それにトカゲ共や竜種、吸血鬼を始めとした不死者達も認めないだろうよ!」
「そんな事は知ったことか。不満の声を上げるのなら、実力で黙らせていく。認めないのなら認めさせる。それが私達のやり方だろう! 忘れたのか?」
そう言ってロレッタは笑う。いや、笑っているのは口元だけだ。目は座ったまま。
おっかねえ。間違いなく旦那を尻に敷くタイプだ。そしてこのままだと俺は尻に敷かれる。
「狂ってる! た、頼むニシェク、この女を止めてくれ!」
「私にはどうする事も出来ません」
ニシェクは縋り付くクラヴィツを突き放す様に言った。彼としても、ロレッタの逆鱗に触れる事だけは避けたいのだろう。
盟友にすら見捨てられたクラヴィツは今や廃墟と化した自らの家の柱に縋るようにしてなんとか立ち上がりながら、言う。
「きっ、貴様ら、何をしたのかわかっているのか、私はモントラ族の族長だぞ、魔軍の創設から付き従っている名門中の名門だ、そんな我々にこの様な事をしたのが分かれば、どうなっても知らんぞ!」
「まだ、分かっていないようだな。それ以上喋るなら今度は身体で分からせる事になるぞ」
「まあまあ、その辺でやめとけよ」
見かねた俺が仲裁に入る。これ以上こいつを虐めても何にもならないだろう。
「ダメだ、グリン、ここで決着を付けておかなくては」
「そう言うなよ、ここでこいつを虐めて何の利益になるってんだ?」
「そ、そうだ。私を殺してみろ! 我が部族の者たちが貴様らを生かして返さないぞ!」
クラヴィツは俺の影に隠れながらロレッタに野次を飛ばす。先程まで侮蔑していた相手に対する態度とは思えない。全く都合の良い奴だ。
溜息を突きながら、俺はクラヴィツを突き飛ばす。
「こんなクズ、お前の手を汚すまでの事も無い」
「な……な……」
「……そうだな、グリン。君の言う通りだ」
そう言ってロレッタは腕を元に戻していく。その様子を見たクラヴィツは叫ぶように言った。
「そもそも、貴様が本当にニル・ヴァンの娘である証拠などあるのか!? それ自体嘘で、我々魔族を貶める罠なんだろう!」
最早何が言いたいのかすらも分からない。俺とロレッタだけでなく、ニシェクですらも呆れた様子でクラヴィツを哀れそうに見ている。
「クラヴィツ、随分と変わってしまったのだな。以前の貴様はそこまで凝り固まった頭をしていなかったろうに。ロレッタ様のこの立ち振舞いや翼、声色だけであのお方の血を引いている事は確かだろう。お前は一体何を見てきたのだ?」
ニシェクの表情には哀しみの色が濃く、変わってしまった友を見る目は赤い。
「見ろ、私の部族の者たちが集まってきたぞ!」
見れば、広場の方からダークエルフ達の一団が塊となってこちらへと向かってきている。
手には弓や剣と言った武器を手にしている。友好的で無いのは明らかだ。
「族長、一体何があったのです!」
彼らは俺たちを遠巻きに取り囲む。一気呵成に攻め込んでこないのは族長がこちら側に居るからだろう。
一団から歩み出て、クラヴィツに声を掛けたのはナディラだ。
「魔王を騙る愚かな者たちに襲われたのだ!」
その言葉によって、ダークエルフ達の間にざわめきが引き起こされる。
「魔王を騙る……?」
「だが、あのニシェク殿がそんな事を」
「それにあの少女、ニル・ヴァン様と同じ竜種ではないか」
彼らはニシェクとロレッタの姿から、クラヴィツの言葉を完全に信じきれずに戸惑っている様子を受ける。
そんな彼らの前に歩み出たのは、ロレッタだった。
「聞け! モントラ族の者達よ! 私は先代魔王、ニル・ヴァンの娘、ロレッタ・グラティスである!」
再び、ダークエルフ達の間にざわめきが小波の様に起きる。
「確かに、面影がある」
「あの方が次代の魔王となられるお方なのか?」
それを聞いて満足そうな表情をしたロレッタは、有無を言わさず俺の手を引いて並び立つ。
「そして私の隣に並び立つ男こそ、我が父を討ち果たした人間の英雄にして、私が魔王の遺児として次代魔王と取り決めたグリン・ジレクラエスだ! 我ら三人は彼が次代魔王として立った際、諸君らモントラ族に前代魔王の時と変わらぬ助力を得るべくこの里へと訪れた!」
ロレッタからそれを聞いた途端に、群衆の空気が一変する。
彼らの目に浮かんでいたのは、恐れと戸惑い、そして僅かばかりの怒りだった。
俺は記憶の中で、ダークエルフと戦った経験を思い出す。魔王軍の中でも有力な一派であるダークエルフとは数多く戦いを繰り広げてきた。恨みを買っていてもおかしくはない。
それに、族長がこんな扱いを受けているのだ。怒らない方がおかしいだろう。
「しかしこの男、クラヴィツは私を侮蔑し、あろうことか彼を繰り返し侮辱した! 諸君らが彼と同じく、次代魔王への協力を拒むというのなら、諸君らも魔軍の戦の対象となる! 手始めに私が相手をしよう!」
そう言って彼女は翼を広げ、変化した両腕を突き出す。それで終わりだった。
ロレッタの気迫に根負けしたダークエルフ達は、剣を取り落とし、弓を投げ捨て、これ以上争うつもりが無い事を示した。