第17話 ロレッタの怒り
「一体何を考えていたのですか! 上手く行ったから良かったものの!」
ニシェクは相変わらず怒り狂っているが、俺もロレッタも最早相手にしていない。ここまで来ると少し可哀想ではあるが、下手に相手をしても仕方がない(火に油を注ぐ事に成り兼ねない)
「無駄な話をするな!」
「す、すまない」
娘ほどの歳が離れた相手に一喝されて引き下がるニシェクの姿には哀愁が漂っていた。
モントラ族の娘の名前はナディラと言った。そのナディラは先程から非常に不機嫌な姿を見せ、時たま当たり散らしている。
案内をするという事を承諾させた物の。オークや人間、そして他のダークエルフ達は入り口で留守番だ。
俺とロレッタ、そしてニシェクの三人だけがお目通しを許されたという訳だ。
「この私とした事が……!」
「無駄口は良い。さっさと歩け」
ロレッタは先程からナディラを煽るように急き立てる。そのおかげでどんどん彼女の機嫌は悪くなっていく。
沈黙が続く。痛々しい沈黙だ。ニシェクとナディラから熱い視線を受けながら、俺は遂にダークエルフの里へと足を踏み入れた。
突然開けた場所に出たと思いきや、あっという間に里の中心地と思われる広場へと辿り着く。
商店などが立ち並ぶ広場には、多くのダークエルフの女性達が集っていた。彼らの目は俺たち四人へと向けられる。人間だろうがダークエルフだろうが、女子という物は噂話が大好物である事に変わりはないようだ。
「おい……」
「あれは人間じゃない」
「なんで、人間がここに?」
人々の視線は俺に注がれている。明らかに敵意の混じった視線だ。慣れているとは言え流石に心地よいとは言えない。
「大人気じゃないか」
「俺は悪目立ちする星の元に生まれついた男だからな」
そう言うと、ロレッタは吹き出した。
「本当に君は……、旅の間もそんな様子だったのか?」
「そうだな、本当に休まる時なんて無かった、騒がしい旅だったよ」
かつての旅路を思い出しながら進んでいくと、広場から伸びた路の終端に一本の巨大な樹が見えた。
「あれが族長の家です」
そう言ってナディラが指し示したのは樹ではなく、その根本付近にこっそりと建つ家だ。
樹齢が何年あるのかも分からない程に巨大な樹の側に寄り添うように建てられた家、そこが族長の家だと言うのだ。
「族長! 客人が訪ねてきて居ます!」
ナディラは大声で呼び付けると、そのまま踵を返して広場の方へと行ってしまう。
「済まなかったな、助かったよ」
「礼など要らん、覚えておけよ」
そう言い残してナディラは駆けていく。
「すっかり嫌われたようだな」
そう言ったロレッタはどこか楽しげだった。
しばらく待つと、家の中から一人の初老の男が姿を表す。ダークエルフである事を示す褐色の肌に、立派に蓄えられた白い顎髭が対照的な男だった。豊かに彩られたゆったりとしたローブを身に纏った姿は威厳があり、彼が族長である事は一目で分かる。
「おお! ニシェク。久しいな!」
「会いたかったぞ、クラヴィツ! 」
二人は固く抱きしめあう。爺さん二人が抱き合う姿はあまり嬉しいものではない。
そして、クラヴィツはロレッタの姿を認めると深々と頭を下げる。
「おお、貴方がかのニル・ヴァンの子女、ロレッタ様ですか。私めはクラヴィツ。このモントラ族の族長です」
「突然訪れて済まない、モントラ族のクラヴィツよ」
「いえいえ! 私達モントラ族はニル・ヴァン様に多大なる恩義があります。迷惑などと仰られないで下さい!」
「そう言ってもらえると助かる」
クラヴィツは破顔してロレッタに応対している。どうやら、これなら話は上手くいきそうだ。
しかし、クラヴィツは俺を見て目を細め、指を指す。
「んん、奇妙な存在が居るようだが、これはなんだ? ロレッタ様、貴方の奴隷かなにかでしょうか。まさか人間がこの里に入り込むとは。失礼ですが、このような輩はこの場には相応しく無い!」
クラヴィツは鼻元を抑える仕草をする。それが何を意味しているのかは馬鹿でも分かるだろう。
あまりの言われように詰め寄ろうとした俺をロレッタが手で制した。
その姿を見たクラヴィツは勝ち誇ったような笑顔で俺を見下しながら言った。
「どこの馬の骨か知らぬが、この私に暴力を振るおうとするとはやはりこの場には相応しく無いな、人間! ロレッタ様、奴隷は奴隷、いや、クズはクズらしくきちんと躾を……」
クラヴィツが最後まで言う事は無かった。
ロレッタが彼の喉元を掴み上げたからだ。彼女の腕は、純白の鱗に覆われた龍の腕と化している。彼女の表情は引き攣り、怒りに震えているのが一目で分かる。
「その下らぬ喋りを止めろ、クラヴィツ。」
「が……アッ……」
「お止め下さい! ロレッタ様!」
半狂乱となったニシェクが間に入ろうとするが、ロレッタは何も言うこと無くニシェクを睨みつけ、それだけで彼はおずおずと引き下がった。
クラヴィツは何が起きているのか全く理解出来ていない様子だ。
もがきながら必死に首を縦に動かし、声を出そうとするが思うように行かない。その表情は怯えの色が浮かび、哀れな姿と成りつつある。
「貴様は大きな間違いを三つ犯した。まず一つ。お前が今嘲った人間はどこの誰とも知らぬ馬の骨等ではない。かの英雄にして我が父を討ち果たしたグリン・ジレクラエスだ」
そう言いながら、ロレッタはようやくクラヴィツを離した。そのまま地面に尻餅を付いたクラヴィツは、何度か荒い呼吸を繰り返した後に俺とロレッタの姿を何度も見比べる。
「グリン・ジレクラエスだと!? な、何故その男がここに居るのだ! 貴方様の父上を殺した仇ではありませんか!」
ロレッタはクラヴィツの言葉を無視しながら続ける。
「二つ目。このグリン・ジレクラエスこそが我らの次代魔王となるお方だ」
そうまで言った途端、クラヴィツの顔面は蒼白となる。
「な、な、何故」
やはり、ロレッタは彼の言葉に答える事はない。
「三つ目。そして、彼は私の夫となる男だ」
ロレッタはまるで、判事が罪人に判決を言い渡すかのような口ぶりで、冷たく突き放すように言った。
「貴様は英雄に敬意を払わず、魔王に敬意を払わなかった」
彼女は腕を大きく振りかぶる。それを見たクラヴィツは震えながら手で頭を覆い隠す。まるで打たれる子供の様に。
「そして何より、私の夫に対してのその言動、他の何よりも許し難い!」
ロレッタの放った一撃は、哀れなクラヴィツの家を一撃で吹き飛ばした。