第11話 北への逃避行
この少女が何を言っているのか、さっぱりと理解出来ない。
ツインテールに制服姿、小さなポシェット。どう考えても学校帰りと言った様子のこの少女は俺のファンだと言った。裏切り者の俺のファンだと。
小柄で可憐と言った言葉がよく似合う顔立ちの少女だ。そう言われて悪い気持ちはしないのだが……
悪? なんで? 俺そもそも悪い人間じゃないし……。 いや、魔王という肩書そのものが悪か。
そんな俺の動揺を更に深める存在が、森の奥から現れる。
「また人間が増えているな。これ以上魔王軍に人間が増やすのは止めて頂きたい」
「しかも、随分と可愛らしい少女と来た。勇者様は随分と好色な様子だ」
ニシェクとロレッタだ。
どちらの機嫌も良さそうではない。特に、ロレッタが不気味な笑顔を浮かべているのが気になる。
しかし、魔王軍という単語を聞いた途端に、クロエの顔色は更に一段と輝き出す。
「皆様、魔王軍なのですか!?」
「うむ、そうだが。何か問題があるのか、人間」
ニシェクは冷たく言い放つ。だが、クロエは全くそれを意識していないようで、彼の尖った耳に興味を向けている。
「……なんだ」彼の目の前に立ち、まじまじと観察するクロエに面食らうニシェク。
「本当にダークエルフなんだ……」
今にもスキップを初めそうなほどにご機嫌な様子となっているクロエは、向かい合っているニシェクの不機嫌さと対比になっていて、彼には悪いがとてもおもしろい。
「本当に皆様、魔王軍なのですね」
「そうだ。そして、そこに居る彼、グリン・ジレクラエスこそが我らの魔王である」
ロレッタがそう言った途端に、クロエは叫ぶように言った。
「でしたら、その、私を魔王軍の仲間に入れてください!」
ようやくロレッタもクロエが只者ではない少女だという事に気が付いたようで、俺に耳打ちしてくる。
「この娘は何を言っているのだ?」
「知らん、俺も聞きたい。 俺はさっきとびっきりの悪にしてほしいと言われた」
「訳が分からない…… なんだこの娘は」
それは俺の台詞だよ。そう言いたくなる気持ちを抑えて、俺はクロエに諭すように言う。
「あのなあ、君は多分魔法学校の生徒だろう? 悪いことは言わない。ここは子供の、それも人間の来るような場所じゃない。さっさと学校に戻るんだ」
「学校ですか? でしたら辞めてきました! やけっぱちです! 行く所とかありません! どうかここで働かせて下さい!」
「人間はここでは歓迎されないし、君はまだ若いだろう」
「グリンさんも人間じゃないですか、それに私は半分鬼人の血が混じっているので、その点は大丈夫です! それに、働く気があれば年齢は関係ないと思います!」
そう言ってクロエは被っていた帽子を外し、頭から小さく伸びた角を見せつける。
小指サイズの大きさでしかなく、髪の間に容易に隠れてしまう物である事は間違いないが、それは彼女が周縁種、つまり人間の姿に似た種族の一員である事を示す立派な証明だ。彼女の場合は鬼人、遥か東方の群島を故郷に持つ種族の一員なのである。
それを見せた途端にエルフ達にも、オーク達にもどよめきが起きる。
「どうか、お願いします。私を仲間に入れて下さい。もう行く所が無いんです」
そう言って、クロエは俺に対して深々と頭を下げる。
クロエが言っている事が本当であるなら、確かに帰る場所は無い。だが本当にこの娘を受け入れて良いのだろうか。
どうしたものかと頭を抱えていると、ロレッタが彼女の元へと向かい言った。
「何が出来る?」
「魔法に関する事でしたら、なんでも。召喚術も習得しています」
彼女の言葉に嘘は無さそうだ。なぜなら、彼女が身に纏っている制服、それもマントは結構な上級生の物であった筈だ。
「よし、では軍に加わって貰おう。グリン、構わないな?」
「あ、ああ」
俺は拒絶できるはずもなく、あっさりとクロエが仲間に加わってしまった。
「わーい! ありがとうございます! これから、一生懸命がんばりますので、どうかよろしくお願いします!」
クロエは大喜びで跳ね回り、最後に俺に飛びついてきた。
すぐに引き剥がしたものの、俺を見るロレッタの目線が痛い。とても痛い。
仕方なく俺は機嫌を探るようにロレッタに話しかける。
「驚いたな、君が認めるとは」
「ああしなければ、梃子でも動かない様子だったろう。その内出ていくだろう。それよりも先に進もう。随分と遅れてしまっている」
疑念を抱きながらも、俺は頷く事しか出来なかった。
――同時刻、更に北――
「魔王軍、だと?」
目の前の男は不機嫌そうに言った。顔は伺い知る事は出来ない。分厚いフルフェイスの兜の下に隠されているからだ。
男は弄んでいた戦鎚を地面に叩きつける。乾いた音と共に、地面が揺れたような錯覚がした。
「は、はい。リミカ村から逃げ出してきた連中が、口を揃えてそう言ってるんでさ」
「魔王軍なんざ、ここに居るわけねえだろうが。お前、この俺、馬鹿にしているのか?」
「とんでもございません! 奴らと、そしてあのグリンが一緒に居たというのは、紛れもない事実かと。そして、既にリミカ村を抜けて北へと向かいつつある事も、また事実で」
目の前の男こそ、瘴気団の団長、エプトム。
手にしている戦鎚には乾いた血がこびりつき、既に振るわれた事を示している。
この戦鎚は敵だけでなく、味方にも容易に振るわれる。それを防ぐためには徹底してへりくだる。それが数年この男について回って学んだ事である。
「まあ良い。俺が直々に聞くとしよう。本当ならすぐに追うぞ、準備をしておけ。しかしあのグリンが生きているとはな。奴の首を上げれば、少しは運が巡ってくる。そうは思わないか?」
「その通りでさ」
そう言って、エプトムはテントを出ていった。
俺は、あの戦鎚が振り下ろされなかったことにほっと胸を撫で下ろした。
グリンや魔王軍なんかよりも、あの男の方がよほど怖い。瘴気団の者たちは皆そう考えている筈だ。