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三軍暴骨……関東進出戦⑦

◇◇

「辰丸! 辰丸ではないか!! はははっ! 久しいのう!! 」



 上野国平井城まで軍を進めてきた上杉軍。


 そこで待っていたのは、佐野昌綱率いる佐野軍と、宇都宮広綱率いる宇都宮軍であった。

 両軍合わせて六千が城の周囲をぐるりと囲っている。

 一方の城を守る北条軍は、ここでも城に篭って防御を固めているようだ。


 槍と槍のぶつかり合う音こそしないものの、一触即発の雰囲気は、兵たちの緊張の面持ちを見れば一目瞭然のこと。

 そんな緊迫した空気の中にあって、佐野昌綱が大笑いする声が周囲に響き渡った。


 彼が喜色満面で腕を組んでいる相手は、言わずもがな宇佐美定龍であった。



「昌綱様もお元気そうでよかったです! 」



 昌綱の勢いに若干押され気味の彼であったが、それでも彼もまた久しぶりの再会に、自然と表情は緩んだ。



「そう言えば、お主も今や宇佐美定龍という立派な名前があると聞いたぞ!

しかも今や上杉家の宿老だそうだな!

はははっ! 友として俺も鼻が高い! 」


「私ごときの事が昌綱様のお耳にも届いておられましたか……」


「当たり前だ! 上杉家の宿老ともなれば、その名は天下に知れ渡っていてもおかしくはない。

もっと胸を張れ! 俺などは酒の場がある度に、お主との事しか話さぬからな! はははっ! 」



 定龍は身が引き締まる思いであった。

 なぜならあまり彼には出世した実感がないからだ。

 確かに当主である上杉謙信の側にいる事が増えた事は実感している。

 しかし彼にとっての宿老の地位は、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 それがまさか他国にまで自分の名前が知れ渡っているとは……



「そうだ! 嫁も取ったらしいじゃねえか! この幸せ者め! あははっ! ひとまず、おめでとうとだけ言わせてくれ! そのうち、越後に行く事があれば、お主の屋敷にも顔を出したいものだ! それとも何か!? 新婚夫婦には邪魔者となってしまうか!? 」


「い、いえ! そんなことは! 」


「はははっ! 冗談だ! では、そろそろ俺は持ち場に戻る! 全てが終わったら、共に酒を酌み交わそうぞ! 」


「はいっ! ではご武運を! 」


「おう! 互いにな! 」



 血生臭い戦場である事を忘れさせるような爽やかな昌綱の様子に、定龍はしばし心を奪われ、彼の背中を見送っていた。

 そして同時に心に浮かんできたことがあった。



ーー私とお勝殿の事も、他国に知れているのですか…… となれば、あのお方のお耳にも……



 彼の言う「あのお方」とは……



 黒姫……



 彼女の哀しげな横顔が胸の内に浮かぶと、ぎゅっと締め付けられるような痛みが走る。


 黒姫は自分たちの婚姻の事をどう思っておられるのだろうか……


 そんな事を考えても仕方のないのは、重々承知の事。

 それでも彼は彼女の心情を思わない訳にはいかなかったのだった。


 ……と、その時だった。



「おおい! 辰丸!! こんな所にいたのか!! お屋形様が探しておられるぞ! 早く本陣へ急げぇ! 」



 と、小島弥太郎の大きな声が定龍の心を元の場所に戻したのであった。



「あ、ありがとうございます! 」



 定龍もまた大きな声で礼を告げると、気を引き締めて謙信の待つ陣の中へと入っていったのだった。


 甘酸っぱい思い出を置き去りにしてーー



………

……

 所変わって武蔵国は江戸城ーー


 この辺りは水が豊富で、小高い山の上に建てられたこの城も、周囲を三層に囲み、深い堀には多くの水をたたえている。

 南には港を持ち航路では鎌倉や房総へ。そして陸路においても関東平野の中央へ続く道の拠点となっている。


 すなわち関東の交通の要所とも言える城だ。


 その城に北条氏康は居た。


 無論、江戸城が彼の居城という訳ではない。

 関東平野での戦況を見守り、臨機応変に指示を出すには、江戸城の立地がもってこいである、それだけの理由だ。


 そして彼は平井城を陥落させ、破竹の勢いで南下してくる上杉軍の動きを、余裕の笑みを浮かべながらつぶさに把握していた。



「いよいよ武蔵に入るか。ますます脂が乗ってきて、旨そうになってきたではないか。くくく……」



 『軍師』の顔を覗かせている氏康。


 部屋で一人考えを巡らせる時は、いつも彼は『軍師』の顔をする。

 今もまたそんな時であった。


 そして……


 彼の元に、二人の男がほぼ時を同じくしてやって来た。

 北条幻庵と松田憲秀まつだのりひでだ。

 


「二人とも首尾よくやってくれたようだな? 」


「カカカ! はじめはどうなることかと思っておったが、ことのほか上手くいきおったわい! どうやら『関東将軍』なる謙信の威光は、まだまだ薄日のようじゃのう」


「私の方もすんなりといきました」


「うむ、二人ともご苦労であった。では、仕上げと行くか」



 氏康がゆっくりと立ち上がる。

 幻庵が彼を見上げながら、驚きに満ちた声をかけた。

 

 

「おや!? 新九郎! お主が自らの足でどこぞへ行こうと言うのか!? 」


「はははっ! じじ殿! 二本の足が動くうちに動かしておかんと、いつかは腐ってしまうからのう! 」


「殿、軍勢の指揮はいかがなされるおつもりで? 」


「ふふ、憲秀よ。既に北条の軍の指揮は当主の氏政に委ねておるのだぞ。こたびの一戦も総大将はあくまで我がせがれよ」


「カカカ! お主は裏で糸を引く役割に徹するという訳か! しかしあまり遠くへ行ってしまうと、上杉謙信は江戸までやって来てしまうのではないか? 」



 暗に「どこへ行くつもりだ? 」と問いかけてくる幻庵の言葉に、氏康はニヤリと口角を上げた。

 そして二人に背を向けると、大きな声で行先を告げたのだった。

 

 

「なあに、そう遠くは行かん! ちと、甲斐まで行ってくるわい! はははっ! 」

 

 

 甲斐……

 

 言わずもがな武田信玄の本拠地だ。

 

 

 つまり……

 

 

 北条氏康と武田信玄が直接会談をする、という事を意味していたのだ。

 

 

 上杉謙信を完全に打ちのめす為にーー













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