三軍暴骨……関東進出戦⑤
◇◇
永禄4年(1561年)5月19日――
数日前から止まぬ小雨が降りしきる中、雨雲を突き抜けるような本庄実乃の大声が響き渡った。
「突撃じゃぁぁぁぁ!! このじじいに遅れるな! こわっぱどもぉぉぉ!! 」
――オオオオオッ!!
彼の周囲の兵たちもまた彼に負けじと大きな声で雄たけびを上げると、一斉に一点に向けて駆け出していく。
そして……
――ドゴォォォォン!!
という凄まじい轟音と共に、堅牢な城門にひびが走った――
場所は上野国、沼田城。
北条綱成の次男、北条氏秀が守るその城に、総勢二万の上杉軍がまさに今、襲いかかり始めたのだ。
守備兵たちも弓や石で必死に防戦をするが、屈強な越後兵たちが怯む様子など全くない。
それに加えて、『謙信公の師匠』とも呼ばれている本庄実乃の巧みな戦術……
それはまさに鬼に金棒と表現するに相応しい強さであった。
上杉軍は、あっという間に大手門を突き破ると、一気に三の丸から二の丸へと兵たちが流れ込んでいく。
それは水が高いところから低いところへ流れていくように、一点の狂いもない鮮やかな攻城。
高見から見物すれば、血生臭い戦場にも関わらず、思わず「美しい」と漏らしてしまうのだろうが、
いざ守っている側からすれば歯ぎしりをするより他にしようがない。
もちろん守将の北条氏秀も違うことはなかった。
彼は悔しそうに顔を真っ赤にすると、
「くっ……! ここは退く!! 皆の者! 遅れを取るな! 退けっ! 退けぇぇぇぇ!! 」
と、切歯咬牙しながら、大声で退却を指示したのであった。
その声に素早く反応した守備兵たちは、攻め口とは逆にある裏口へと逃げ込んでいく。
そうして城の中から北条の兵たちが誰一人いなくなったところで、勝負は決した。
「皆の者!! 勝ち鬨を上げよ!! 」
――エイッ! エイッ! オーッ!!
さも勝つ事が当たり前の事かのように、疲れた顔を一つ見せずに、天に向かって叫ぶ上杉軍の兵たち。
その様子を見ながら宇佐美定龍はあらためてこう感じていた。
――強い!
と……
いつの間にか雨は止み、雲間から薄日が漏れている。
すると出陣前に抱えていた定龍の不安もまた晴れていくような気がしてならなかった――
………
……
同日 夕方 沼田城――
素早く戦後処理を済ませた後、上杉謙信は重臣たちを集めて評定を開いた。
そこで発表された事は、翌日から進軍を再開すること。
加えて、沼田城には副大将の本庄実乃を二千の兵とともに留守居役に命じるということだ。
その命令を受けた直後、本庄実乃が顔を真っ赤にして異論を唱えたは言うまでもないだろう。
なぜならまだ北条との戦いは始まったばかりであり、この城の守将となる事は、最前線から離脱する事を意味するのだから……
しかし、沼田城は越後と上野をつなぐ場所にあり、これから上野を抜け武蔵まで攻め込もうとする上杉軍にとっては、最重要とも言える城。その事を裏付けるように、総勢の一割もの兵を防御にあて、物資の補給拠点とする事も決まっている。
言わば扇の要にあたる城なのだ。
すなわち、その守将は相応の実力がなければ務まるはずもないのである。
もし隙の大きな者が守将となったならば、たちまち周辺国の大名たちにつけいれられてしまう事だろう。
万が一調略でもされて北条に寝返ったなら、それこそ一大事なのだ。
そう考えると、謙信が最も信頼を置く者が適任と言える。
自ずと答えは、筆頭家老の本庄実乃に導かれた……という訳だ。
その事を実乃本人も正しく理解している。
しかしそれでもくすぶり続ける闘志は、自分の意志ではどうする事も出来なかったのだ。
そんな実乃に対して、定龍をはじめ周囲の人々は懸命に火消しをするように説得に回ると、
日が暮れた頃になって、ようやく彼は渋々それを受け入れたのであった。
そして……
翌日の事も考慮し、ささやかな勝利の宴が催された後のこと――
宇佐美定龍は、本庄実乃に誘われて、二人でちびちびと盃を交わしていた。
戦場では、まるで猛牛のように猛々しかった実乃であったが、今はどこにでもいる陽気な老人だ。
彼の大きな包容力が作りだす暖かな雰囲気に、定龍はしばしの間、戦の事を忘れて酒に興じたのだった。
そんな定龍の事を目を細めながら、優しい視線を向ける実乃。
その視線そのままに穏やかな口調で話し始めた。
「実はのう、定龍。お主と儂の倅が同い年なのじゃよ」
「さようでしたか! それは初耳でございました」
ほんのりと頬を桃色に染めた定龍は、目を丸くした。
既に六十を超えた実乃の息子が、今年で十七になる自分と同じ歳である事に、定龍は驚きを禁じ得なかったのだ。
するとにんまりと笑顔になった実乃は声を大きくして続けた。
「その倅に来月、初めての子が生まれそうでのう。
儂にとっては初孫じゃ! 」
「それは、それは! おめでとうございます! 」
嬉しそうに話す実乃に対し、定龍も喜びを露わにしてお祝いの言葉を述べる。
実乃は頭をちょこんと下げる定龍を見て、愉快そうに大笑いした。
「がははっ! 今をときめく『軍師殿』にお祝いの言葉を頂くとは、まっことありがたいのう! 」
「実乃殿! あまりからかわないでくだされ! 」
少しだけ顔を赤くして、恨めしそうに実乃を見つめる定龍。
実乃はそんな彼の頭をぐわしと撫でた。
「がはは! 少しくらいからかわせてくれても罰は当たるまい!
それほどに儂はお主が羨ましくて仕方ないのじゃ! 」
「羨ましい? 私の事が? 」
思わず定龍が声を高くして問いかけると、実乃は大きな手を定龍の頭に置いたまま、口元を引き締めた。
「そうじゃ。儂は羨ましい。お主のその才、そして若さが。
儂が持っていないものを、お主は仰山持っておるからのう」
「それを仰るなら、実乃殿の方が私よりも多くのものをお持ちでしょう。
武勇も、人望も……」
定龍の言葉に実乃は、優しく彼の頭を撫でる。
「その分、失ったものも多い……」
思いの外しんみりとした実乃の口調に、定龍はハッとして彼を見上げた。
その表情は先ほどまでの上機嫌なものから、どこか寂しげなものに変わっている。
そして彼はその表情の理由を話したのだった。
「長く生きておると、色々な人の死に直面する。そこからは誰も逃れられない。
特に今は乱世。当家も多分に漏れず、醜い争いが後を絶たんかったからのう……
その間に多くの仲間を失ってしもうた……
色部勝長殿、宇佐美定満殿……
儂と同じ時代を生きた者たちは、次々とこの世を去っていった……」
定龍は言葉を失っていた。
世が乱れる事は、すなわち人が天寿を全うする事を『是』としない……
きっと明日も多くの命が、儚くも歴史の渦に巻き込まれて消えていくのだ……
そんな無常感が、実乃の言葉と手の温もりから感じられた。
しばらく沈黙が流れる……
そして優しく定龍の頭を撫でていた実乃は、その手をゆっくりと盃に戻すと、くいっと中の酒を飲みほした。
「そろそろ床につこうかのう。明日も朝は早い」
そう呟くように告げた実乃は、重い腰を上げる。
と、その時……
定龍の口にようやく言葉が届いたのであった――
「……去っていった命があったからこそ、この『国』に新たな命が芽吹くのではないでしょうか」
実乃は立ちかけたまま、静かに問いかけた。
「どういうことかのう……? 」
定龍はきゅっと口元を引き締めて、言葉を続けた。
「道半ばにして去っていった方々がいたからこそ、新たな命を育むことが出来る『国』がある……
そのように考えれば、彼らの魂も浮かばれるというものではないでしょうか」
「なるほどのう…… 彼らの命を懸けた働きが『国』を守った。
それゆえ、儂の倅のように新たな子をもうける事が叶った……
そう言いたいのじゃな? 」
静かに頷く定龍。
口を真一文字に結んだその顔は、『軍師』という渾名に相応しく、精悍なものだ。
実乃は、口元を緩めると、再び定龍の頭をごしごしと撫でた。
「ではこの戦が終わった後、その新たな命をこの腕で有り難く抱くとしようかのう!
そして死んでいった者たちの目にも入るように、高々と掲げてやるのだ!
お主らが作った命であるぞ、と!
がははっ!! 」
実乃に笑顔が戻った事で、定龍の表情も自然と緩む。
すると実乃は、少しだけ意地悪そうに言ったのだった。
「では、次はお主の順番だのう!
定満殿や定勝にも早く見せてやろうではないか。
お主とお勝のお子を! 」
その言葉の瞬間に、定龍の顔が林檎のように真っ赤に染まると、頭から湯気が出る程に顔中に熱がこもった。
「がははっ! よい、よい! 」
益々上機嫌になった実乃は、ゆっくりと立ち上がると、恥ずかしさのあまりに固まってしまっている定龍を残して部屋を後にしようとした。
一歩足を前に踏み出す実乃……
しかし二本目を出すその前に、
定龍に言葉を送った。
「お屋形様のこと……よろしく頼んだぞ。
これからもお主の前には様々な敵が現れよう。
しかし、決して目の前に囚われるでないぞ。
天下泰平の大義を果たすまでは、時には小事を捨てねばならぬという事は、よく肝に銘じておくがよい」
定龍はその重い言葉に目を丸くしたのも束の間、次の瞬間には低く頭を下げて、礼を述べた。
「ありがとうございます」
そして実乃は振り返ることなく、その場を立ち去っていったのだった。
定龍はその背中を忘れることはないだろう。
それほどに暖かくて……
大きな背中だったーー




