【幕間】勝姫と定龍の鬼退治①
二話ほど幕間として、宇佐美屋敷の日常を書きたいと思います。
プロットを作らず、心のままに綴りました。
どうぞ今日と明日は、肩の力を抜いてご一読願います。
◇◇
永禄4年(1561年)5月1日ーー
上杉家の重臣たちが御館で、評定をしているその頃……
「こらぁ!! 弥太郎に仙吉!!
また盗み食いしたなぁぁ!!
今日という今日は許さないわ!! 覚悟なさい!! 」
春の麗らかな陽射しのもと、今日も春日山の宇佐美屋敷に、勝姫の怒鳴り声が響き渡っていた。
すると頬をいっぱいに膨らませた二人の少年が屋敷から弾けるように飛び出してきたのである。
一人は『上杉家一の無双』と称される程の人物で、今は宇佐美定龍の与力として活躍する小島弥太郎。
そしてもう一人は、宇佐美定龍が抱える足軽隊百人のうち、十人を率いる足軽隊長の枇杷島仙吉なる人物だ。
彼は定龍や弥太郎と同じ歳で、永禄四年(1561年)の今年は十七になる。元は越後の農民の出で、定龍が見出して取り立てた。
彼は弥太郎と比べると大きな体の持ち主で怪力が自慢だが、心根は優しい男で、猫や犬などをよく可愛がっている。
仙吉は弥太郎の武勇に憧れており、その事に気分を良くした弥太郎は、仙吉をさながら彼の子分のように従えているのだ。
この日の二人は、弥太郎の発案で、出来立ての惣菜を『味見』しにきた訳だが、勘の良い勝姫に見つかり、こうして追い立てられているという訳である。
屋敷の玄関先まで転がるようにして逃げ込んできた二人。その顔は青ざめ、まさに必死の形相であった。
そしてようやく落ち着いた弥太郎は、ゴクッと口の中のものを飲み込むと、屋敷の方へ向き直った。
「やいっ! 食べ物ってのは食べる為にあるんだろ!
それをなんだいっ! 美味しく頂いてやったというのに、鬼のような顔しやがって!
そのうち本当の鬼になっても知らねえからな! 」
屋敷から勝姫が出てこないとみるなり、言いたい放題に言う弥太郎。
そんな彼を仙吉は、相変わらず顔を青くしたままたしなめた。
「弥太郎さまぁ……そんな事を聞かれたら、お勝様にとっちめられちゃうよぉ。
この間だって、弥太郎様は拳骨を食らってのびてしまったではありませんか」
「やい、やいっ! 仙吉!
誰がのびていたって!?
違うやい! ああやって仰向けに倒れて油断させていただけだいっ! 」
顔を真っ赤にしながら抗議する弥太郎に、おどおどしながら必死になだめる仙吉。
しかし弥太郎は益々熱くなると、仙吉に詰め寄りながら言い放った。
「おいらがその気になれば、あんな鬼嫁の一人や二人、けちょんけちょんに出来るんだからな! 」
……と、その時……
仙吉が何かに怯えるように口をパクパクさせた。
「弥太郎様……まずいですって……」
「へんっ! 仙吉は臆病な奴だな!
今だってお勝は、鬼小島と呼ばれたおいらの事をびびって、屋敷を出てきやしねえじゃねえか!
あの鬼嫁も、所詮はおなごだったということだ! はははっ! 」
「へえ……何かい? あんたはお勝の事をおなごだと思っちゃいなかった……こう言いたいのかい? 」
明らかに仙吉の口からでない、弥太郎の背後からの言葉……
しかし弥太郎は背後を振り返る事もなく、上機嫌に続けた。
「はははっ! 鬼におなごも男もあるものか、と思っていたが、それはおいらの誤りだったようだな!
お勝は鬼だが、おなごの鬼らしい! はははっ! 」
「ふーん……お勝は鬼のおなご……と……」
何やら怨念のこもった低い声が背中から聞こえることに、苛つきを覚えた弥太郎は、
「さっきから何だいっ!? しつこいな! 」
と、振り返った……
しかし……
目の前の光景に「げっ!! 」という言葉と共に、固まってしまったのである。
それは……
「……あんた……余程この世に未練がないようね……」
薙刀を弥太郎の首元に突き付けた勝姫の姿であった……
「ちょ、ちょ、ちょっと待て! そ、そんなもん振り回したら危ねえだろ!? 」
顔を青ざめさせながら、勝姫をなだめようと必死になる弥太郎だが、鬼神のような形相の勝姫に通じるはずもない。
腹の内から凍えるような低い声で言った。
「仙吉……」
「ひゃ、ひゃいっ!! 」
思わず声が上ずる仙吉は、びしっと手足をそろえて直立した。
「よぉく見ておきなさい。
これが薙刀の使い方です!! 」
「ちょ、ちょ、ちょっと待てぇぇぇ! 」
「問答無用!! 覚悟なさい!! えいっ!! 」
勝姫の鋭い一撃が弥太郎を襲う。
その一撃は弥太郎の首筋を寸分の狂いなく真っ直ぐに狙い撃たれていた。
ーービュンッ!!
「のわぁぁぁっ! 」
それをすんでのところで避けた弥太郎は一歩勝姫から離れた。
「や、やいっ!! 今の一撃は本気じゃねえか!!
お、おいらの首が飛ぶところだっただろう! 」
「あら? 鬼小島弥太郎のともあろうお方が、たかだかおなごの一撃で首を飛ばしてしまうほどに、弱っちいのですか? 」
「く、くっそぉ! この鬼め! 」
「次は外さないわよ! 覚悟なさい!! 」
勝姫は見事な手さばきで薙刀を頭上でブンブンと振り回すと、大きく振りかぶった。
ただならぬ殺気に引き腰の弥太郎。
「ぐぬぬぅ……このままではおいらの命がいくらあっても足りねえ……」
「ど、ど、どうするんですかぁ? 弥太郎さまぁ! 」
「やいっ! 仙吉!! 気持ちで負けちゃあ、武士の名折れよ!
しっかりしろやい! 」
「でもぉ……」
「よしっ! こうなりゃおいらも辰丸に負けず劣らず策士である事を見せるしかねえってもんだ!
いいか、仙吉! こいつが策ってもんだ!! 」
何やら覚悟を決めた弥太郎は、ぐっと腹に力を入れた。
「あら? いよいよ腹を決めたようね! では行くわよ!!
もし、『今後二度と悪さをしない』と頭を下げるなら、許してあげてもいいのよ! 」
「へんっ! なんで悪さをしてないおいらが頭を下げなきゃなんねえんだ!
旨そうな匂いを外に漂わせていれば、『食べてください』って言っているのも同じじゃねえか! 」
「むぅ!! その悪い口を塞いであげるわ!! 覚悟なさい!! 」
そしていよいよ勝姫が鬼の形相のまま、薙刀を振り下ろさんとしたその時だった……
弥太郎がはっとした顔になって、叫んだのだ。
「あっ!! 辰丸じゃねえか!! おぅい! 辰丸ぅぅ!! 」
「えっ!? 嘘!? さ、定龍様がここに!? 」
急にしおらしくなった勝姫は、振り上げていた薙刀を即座に下ろす。そしてその表情も乙女のように柔らかなものに変えて、頬を赤らめた。
しかし……
「かかったな!! 行くぞ、仙吉!! 」
ーーダッ!!
なんと勝姫が恥じらう間に、弥太郎は仙吉の腕を引っ張ってその場を逃げ出したのである。
その様子に勝姫は、キリッと表情を引き締めると大声を上げた。
「あっ! 騙したわね!! 待ちなさい!! 」
「へんっ! 三十六計逃げるに如かず、ってもんだ! あははっ!! 」
風のように走り去っていく弥太郎。
その姿はあっという間に見えなくなってしまったのだった。
「むむぅ! 覚えてなさい! いつかギャフンと言わせてあげるんだから! 」
勝姫は頬を膨らませながら、そう地団駄を踏むことしか出来ないのだった。
……と、そこに、
「おや? お勝? こんな所で、かように頬を膨らませて、いかがしたのだい? 」
と、不思議そうな顔をした定龍が屋敷に戻ってきたのである。
勝姫は目を大きくすると、すぐさま薙刀を地面に置いて、姿勢を正した。
「さ、定龍様! 申し訳ありません! はしたない姿を見せてしまいました」
「いやいや、いいのだ。しかし、誰ぞに大層怒っていたようだが……」
「いえ……実は……」
こうして定龍の言葉に押されるようにして、勝姫はポツリポツリと話し始めたのだったーー
………
……
「なるほど……それでは毎日のように弥太郎殿は盗み食いをしにくるのですね……? 」
屋敷に戻った定龍は、勝姫の話を聞き終えると、腕を組んだ。
一方の勝姫は、定龍の問いかけにコクリと頷く。
「そこで薙刀で脅せば、もう悪さをしないのではないか……そう思った訳ですね? 」
勝姫は恥ずかしさのあまり、目に涙を浮かべて、再びコクリと頷いている。
そんな彼女に対して、定龍はニコリと微笑みかけると、優しく彼女の頭を撫でた。
「それはお勝に気苦労をかけてしまいましたね」
「定龍さまぁ……」
勝姫は定龍の優しさに甘えた声を出す。
定龍は柔らかな視線を勝姫に向けたまま話しかけた。
「では、共にやりましょうか」
「何をでしょう? 」
眉をひそめる勝姫に対して、定龍は柔らかな笑顔のまま答えたのだった。
「もちろん鬼退治ですよ」
とーー




