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【第一部 終幕】 破邪顕正! 磐船の戦い④

 宇佐美定龍隊による一斉射撃の直後……



――ウオォォォォォォォ!!



 地鳴りのような雄たけびとともに、弥太郎と繁長の兵たちが竹俣隊に襲いかかった。

 

 

 先の鉄砲による一斉射撃で、完全に戦意を喪失した竹俣隊の兵たちは、文字通りに敵に背中を見せて逃げ出すより他の選択はなかった。


 

 しかし、そこに定龍の容赦ない一言が浴びせられる。

 

 

「情けなど無用! 蹂躙せよ!! 」



――オオオオオオッ!!



 それはこれまで平林城で屈辱的な扱いを受けていた長尾軍の兵たちにとっては、待ち望んでいた号令であった。

 

 

 まさに『蹂躙』という言葉が相応しい、無類の強さを見せつける弥太郎と繁長の兵たち。

 

 

 そんな中、小島弥太郎は竹俣重綱の姿を見つけると、一人で突っ込んでいった。

 

 

「やいっ!! 竹俣重綱!! 勝負しやがれ!! 」



 するとその声に応えるように、重綱は馬の首を弥太郎に向けた。

 

 

「お主、まさか一人か!! 」



「当たり前だ!! おっちゃんの仇討ちは、おいらが必ずやり遂げる!! 」



「はははっ!! こわっぱ一人がいきがるな!! それっ! 皆の者!! こやつを串刺しにしてしまえ!! 」



――オオッ!!



 重綱の号令とともに、彼の護衛にあたっていた五人の兵たちが一斉に弥太郎に飛びかかる。

 

 しかし弥太郎は怯むどころか、ますます闘志を剥き出しにして槍を握りしめた。

 

 

「ふんっ!! 雑魚に興味はない!! うらぁぁぁぁぁ!! 」




――グワンッ!!



 巨大な弥太郎の槍が横一閃に振られると、飛びかかってきた兵たちが思わず怯む。

 

 その隙を弥太郎は見逃さなかった。

 

 

「うおぉぉぉぉぉ!!! 」



 腹の底から声を発した弥太郎は、一直線に馬上の竹俣重綱目がけて駆け出した。

 

――カランッ!


 途中で槍を捨てた弥太郎の足はさらに加速していく。



 それはまるで疾風ーー

 

 

 こうなれば誰も彼を止められるはずもない……

 

 

「いっけええええええ!!! 」



 雄たけびとともに 地面に右足をめり込ませるように踏み込むと、



――バッ!!



 と、重綱に向かって跳躍した……

 

 

 まるで背中に翼を生やしたような弥太郎……

 

 

 重綱はただ驚愕の表情で、迫りくる彼の事を見つめるより他なかった――

 

 

――ガッ!!



 甲冑と甲冑がぶつかり合う鈍い音がすると……

 

 

 竹俣重綱が馬の上から消えた……

 

 

 

――ドンッ!!



 背中から地面に叩きつけられた重綱は、「ぐぬっ!! 」と、うめき声を上げる。

 兜をかぶってはいるが頭を打ったせいか、目の前が白くなった。

 

 しかしそれも一瞬のこと。

 

 重綱は即座に体を起こそうと上体に力を込めた。

 

 

 ところが……

 

 

 視界が戻った彼の目に飛び込んできたのは、弥太郎の鬼のような形相であった……

 

 

 こんなにも小さな体のどこから力が湧きあがっているのかと、疑ってしまう程の凄まじい力で抑えつけられている重綱は、全く身動きが取れない。

 

 

「はなせ……! 」



 口から漏れるわずかな言葉など、鬼気迫る顔の弥太郎に届くはずもなかった。

 

 

「てめえがおっちゃんのことを……おっちゃんの事を殺したのかぁぁぁぁ!!? 」



 耳ごと破壊するような咆哮で、重綱は生まれてこの方感じた事のない恐怖に襲われる。

 

 目、鼻、口からは液体が同時に漏れだし、

 

「助けて……助けてくれ……」


 と、情けない懇願が無意識のうちに発せられていた。

 

 

「おっちゃんを殺したのはてめえか、と聞いてるんだぁぁぁ!! 質問に答えろぉぉぉ!! 」



「ひぃっ! それがしではありません! あいつらだ! あいつらが鉄砲を撃ったんだ! 」



 重綱は周囲で茫然と立ちつくしている自分の兵たちを指差して泣き叫ぶ。

 

 

「てめえが撃てと命じたんだろうがぁぁぁ!! 」



「ひぃ! そ、そ、そうです! しかし、まさか当たるだなんて! 」



 どうにか弥太郎の怒りの矛先をそらそうと必死になる重綱であったが、彼の燃え盛る怒りの炎が収まる気配は毛頭なかった。

 

 

 腰からスラリと短刀を抜く弥太郎。


 

 それを大きく振りかぶると、彼もまた目に大粒の涙を浮かべながら言い放った。

 


「問答無用!! あの世でおっちゃんに詫びるんだな!! 」



――ドンッ!



 弥太郎が振り下ろした短刀は、重綱の喉に深々と突き刺さると、彼は大きく目を見開いたまま激しく痙攣した。

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁ!!! 」



 激しく感情をぶつけるように弥太郎は握りしめた刀に力をこめる。


 溢れだした鮮血は、弥太郎の全身を赤く染めていった。

 

 

 そして……

 

 

 竹俣重綱は、最期の言葉を発することすら許されぬまま、ピクリとも動かなくなったのだった。

 

 

 

――ゆらり……

 

 

 重綱の息の根が完全に止まった事を確認した弥太郎は、ふらふらと立ち上がる。

 

 

 重綱の返り血によって真っ赤に染まった彼の姿は……

 

 

 まさに赤鬼だった――

 

 

 そして蛇に睨まれた蛙のように、身動きが取れなくなった重綱の兵たちに向けて低い声で言ったのだった。

 

 

「次は…… てめえらの番だ…… 俺の友の命を奪ったこと…… 後悔しながら地獄へ落ちろ」

 

 

 と――

 

 

 

………

……

 竹俣重綱が討たれてもなお続く定龍の軍勢の蹂躙に、先ほどまでの長尾政景の威勢はすっかり影を潜めてしまった。

 

 馬上に居ては目立つと、馬を捨てさらに兜まで脱ぎ棄てた政景は、一目散に戦場を離れた。

 

 そしてようやく一息つくと、まだ無傷のまま後方に待機をしていた加地春綱隊の元へ駆けつけたのである。

 

 

「ぐぬっ…… かくなる上は撤退するより他あるまい!

わしの命を狙った事を後悔させてやる!! 覚えておけ!! 」


 

 相手に聞こえぬと分かっていながらも遠吠えをすると、近くで馬に乗っている春綱に対して高飛車に命じたのだった。

 

「春綱殿、お主の馬はわしが使おう。今は唇を噛んで退くこととする。

ついては、お主に殿しんがりの大任を任せようではないか! 」



 口元に笑みを浮かべながら、表向きは平静を保っている様を見せる政景は、春綱の元へと近づいていく。

 そして彼の馬に手をかけようとしたその時だった……

 

 

――ガッ!


 

 政景の広いひたいに、強い衝撃が走った……

 


――ドスッ……



 思わず尻もちをつく政景。

 

 一体何が起こったのか、自分でも良く分からなかった彼は、とにかく目を見開くより他なかった。

 

 すると、左足を蹴り上げたままの加地春綱が、政景の頭上から冷たい声を浴びせたのだった……

 

 

れ合いが過ぎますぞ政景殿。

そもそも我ら揚北衆は、お主の家臣でも何でもないではありませんか」



「し……しかし……では、なぜお主はここに兵を率いてやって来たのだ!? 」



「無論、政景殿が暴挙に出れば、それを背中より諌める為。

幸いにして、己の兵も率いる事もなく、戦局が不利となれば尻尾を巻いて逃げ出す『小物』だったので助かったぞ。

余計な労力を払う必要がなかったのでな」



「わしが……小物じゃと……」



「ええ…… それ以外何が当てはまるというのか……

では、もう余計なおしゃべりをしている暇などない。

それがしはこれより宇佐美定龍殿に頭を下げて、共に春日山を目指す事とする

今まで世話になった情けで命だけは助けてやるゆえ、一人で居城へと戻るがよい」



 春綱は、まるで野良犬でも追い返すように、しっしと手を振って政景を追い出す仕草をすると、定龍の方へと駆け出していった。

 もちろん彼の兵たちも、武器を下ろすと彼の背中を追って駆けていってしまったのだった。

 



………

……

 一人、平原に残された政景……

 

 

 

 茫然と立ちつくした彼が視線を向けたその先には、加地春綱が懸命に定龍に頭を下げている様子が映る。

 

 定龍は、なおも猛る弥太郎や繁長を抑えながら、笑顔で春綱を迎えていた。

 

 

「あああ…… わしの…… わしの全てが、この手からこぼれていく……」



 それまで積み上げてきた全てが音を立てて崩れていく様子を、ただ口を開けてみる事しか出来ない……

 

 

 そんな自分が、悔しく、そして恥ずかしくて、彼の目からは滂沱として涙が流れ落ちていった。

 

 

 もはや自分の全てを奪い去っていった宇佐美定龍という少年に、怒りや憎しみの感情すら湧く事もない。

 

 

 虚心坦懐きょしんたんかい――

 

 

 彼は今の自分の姿を、ありのまま受け入れていた。



ーーガクリ……

 

 

 まるで糸が切れたかのように地面に両膝と両手をつく政景。



 その姿は、さながら土下座をしているようであった……

 


 あまりの虚脱感に身動き一つ取れず、ただ涙を地面に落とす。



 そして、しばらく経った時だった……


 

ーーザッ……ザッ……



 乾いた土を蹴る音と共に、黒い影が政景の頭上を覆う。



 政景はハッとなって顔を上げた。



 するとそこには……



 宇佐美定龍の姿……



 政景の顔を覗き込むその顔は……



 表裏のない爽やかな笑顔ーー




「政景殿、皆で共に参りましょう。

皆で頭を下げれば、必ずやお屋形様はお許しになるでしょう。

私も共に頭を下げますゆえ……さぁ! 」




 まるで先ほどまでの事など、何もなかったかのように、優しく手を差し伸べているではないか……



「あああ……」




 その手はまさに以徳報怨いとくほうえん――



 ずたずたにされた政景の心は、その手を見た瞬間に癒されていく……


 肉体が傷を負う痛みよりも、遥かに重い心の傷の痛み……


 いっそのことこの世の者でなくなってしまえば、このような痛みを抱えずともよいのに……


 そんな風に考えていた矢先の、定龍の優しさに、政景は救われたのである。


 そして彼は顔を涙でぐちゃぐちゃにしたまま、定龍の手を取ろうと、少しずつ手を伸ばした……






 しかし……





 確かに定龍は満面の笑み……





 だが、しかし……



 その目は……



 不倶戴天ふぐたいてん――



 政景を突き刺すような、



 怨念に満ちたものだったのであるーー




「うわぁぁぁぁぁぁ!! 」



 政景は急いで手を引っ込めると、転がるように後ずさりした。



「ば、ば、ば、化け物め! ひぃぃ! こっちへ来るなぁぁ!! 」



 完全に錯乱した政景。


 一度救われかけた心は、奈落の底に突き落とされたかのように、粉々に砕け散った。



 そして彼は、顔面蒼白のまま泣き叫びながら、一人で彼方へと走り去ってしまったのだった……




 政景の背中をじっと見つめる定龍。


 その顔に既に笑顔はなかった。


 そしてボソリと呟いたのだった……



「言ったでしょう……完膚なきまで叩きのめす、と……」



 とーー



◇◇

 こうしておよそ二ヶ月にも及ぶ、本庄繁長の乱は、完全に決着した。


 長尾家にとっては、宿老、色部勝長という巨星を失った事は大きな打撃ではあった。


 しかしその反面、亡き色部勝長には悪いが、得られたもの方が遥かに大きかったと言えよう。


 無論、そのうちの一つが、『越後の鬼神』本庄繁長を完全に屈服させたことではある。


 だが、それよりも何よりも家中に大きな利をもたらせたのは……


 『上田派』の壊滅であったーー


 なおその『上田派』の大将とも言えた長尾政景は、命からがら居城の坂戸城に戻ることが出来た。

 しかし、完膚なきまで叩きのめされた彼の精神はついに癒えることは叶わなかったのである。

 何かに怯えるように、自室で震える日々を送っているという。

 そしてそんな彼に追い討ちをかけるように、長尾景虎より、所領の大幅な取り上げと、謹慎が言い渡されたのであった。



 そして忘れてはならない事がもう一つ……




「申し上げます!!

辰丸あらため宇佐美定龍様、本庄繁長殿および加地春綱殿ら揚北衆をことごとく引き連れ、春日山城に戻られました!!

今、御館おたてに向かっているとのこと!! 」




 今回の本庄繁長の乱を収め、家中の『膿』を吸い出した功績が認められて、宿老へと昇進した宇佐美定龍の誕生……



 彼はこれ以降、『脇大将わきだいしょう』の役職に就任する事となった。



 脇大将ーー



 その役割は、総大将を補佐し、軍務を行う。

 そして、軍事面での献策を行う役目も担う。


 総大将、副大将に次ぐ、軍事面での第三位の地位であり、常に総大将の脇にいることから、こう言っても過言ではないだろう……



 『軍師』とーー




 永禄3年(1560年)5月28日ーー



 突き抜けるような青空に、真っ赤な太陽が燃えるこの日……



 宇佐美定龍が御館にて、長尾景虎と対面した。



 その瞬間こそ……




 『軍師、宇佐美定龍』が誕生した瞬間だったーー




  第 一 部

  〜 完 〜






第一部はこれで終わりです。


ようやく…ようやく辰丸くんこと、定龍が景虎の軍師に就任しました。



第二部はいよいよ景虎と辰丸の二人が『天下』に乗り出します。


まずは関東と信濃…


すなわち北条氏康と武田信玄…


この二人との覇権争いに突入していくのですが…


どうぞこれからもよろしくお願いします。


(その前に何話か幕間を挟みます。そこで長尾政景のその後も語られます……)


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