表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

69/126

破顔一笑 辰丸の元服①

◇◇

永禄3年(1560年)4月19日ーー



 宇佐美定勝の目の前に、ようやく平林城が見えてきた。


 それは行きよりも一日だけ長くかかってしまった帰り道であった。


 それも仕方のないことだろう。


 ほぼ不眠不休でまる三日も走り通しだった川中島までの道のり。

 同じ道を休まずに引き返したのだから……


 道中、腰につけた兵糧も尽き、民家を尋ねては、食料を恵んでもらったことも影響していないと言えば嘘になる。


 もっとも当の本人は、既に時間の感覚を感じる余裕なんて微塵も残されていない。



 ただひたすら前へ……



 その一心だったのである。



ーーどうやら、見回りはいねえようだな……



 わずかに残された理性を、前に進む為の警戒へ働かせる。



ーーまあ、一度春日山の方に戻った奴が再び戻ってくるなんて、そんな馬鹿な事を考えもしないだろうからな……



 定勝は微かに笑みを漏らす。



ーー人に惚れるってのは、どうも人を馬鹿にするらしいな。



 足元を確かめる。


 まだ足は動く。


 意識もはっきりしている。



ーーよしっ! もう少しだ。待ってろよ、俺の惚れた男!



 そう腹に力をこめたその時だったーー




ーーダダダダダン!!




 凄まじい破裂音が空を震わせたのは……



 草むらで一休みしていた鳥たちが、驚きのあまり一斉に飛び立つ。



 その地面に彼らと入れ替わりにやって来たのは……



ーードサッ……



 宇佐美定勝の大きな体だった……



 それは平林城から放たれた十丁の鉄砲の射撃音。

 その城から竹俣重綱は、冷たい視線を送ってつぶやいた。



「十丁で当たったのは一発か……鉄砲など使い物にならんな。武士は弓があれば十分である」



「重綱様、かの者はいかがいたしましょう」



「捨て置け。そのうちからすが食うであろう」




………

……

ーーああ……痛えな、ちくしょう……



 仰向けになって倒れたままの定勝は、薄れゆく意識の中で、愚痴を漏らした。


 見れば腹に一発、銃弾が撃ち抜かれている。

 鮮血が着物を赤く染め、手足はおろか、全身の力が急速に抜けていくのが分かった。



ーー悪いな……どうやらここまでのようだ



 思えばこの七日間、自分でもよく頑張ったものだと、あらためて感心する。

 家老から降ろされたあの日から、死んだような毎日を送ってきたのだ。



 このまま何も残すこともなく、ただひたすらその身が朽ちるのを待つ日々。



 それでも嘆くこともなく、

 後悔することもなく、

 早くその日が来ればよい、そんな風に思っていた。



 そして期せずしてその瞬間が訪れただけのことだ……



 それなのに……!



 それなのに……!




 なぜ涙が止まらないのだ!!?




ーーちくしょう……死にたくねえよ……




 まだ見ていないのだ。

 辰丸という男の名が天下を轟かせるその時を。


 まだ見ていないのだ。

 辰丸が長尾景虎と共に、強敵をなぎ倒すその勇姿を。


 まだ見ていないのだ。

 愛する一人娘と辰丸が幸せそうに肩を並べる瞬間を。



 まだまだ見たい景色は、山ほどある。


 まだまだ叶えていない夢は、海ほどに広い。


 それなのに……


 それなのに、自分の体が自分のものでなくなっていく。




「そんなの許せるかよぉぉぉ!! 」



ーーダンッ!!



 定勝は渾身の力を込めて立ち上がった……



 血を流し過ぎたせいだろうか。

 頭はぐるぐると掻き回されているかのようだ。

 そしてただ立ち上がっただけなのに、息が上がる。



 それでも彼は……



 一歩、また一歩……



 鉛のように重くなった体を引きずりながら……



 辰丸の元へ……



 『惚れた友』の元へ……



 『愛する息子』の元へーー




………

……

永禄3年(1560年)4月21日昼 本庄城ーー



「定勝どのぉぉぉぉぉ!! 」



 辰丸の取り乱した声が城門から入ってすぐのところで響き渡った。


 それもそのはずだろう。



 宇佐美定勝が腹に穴を開けた状態で、城内に運び込まれたのだから……



 ほとんど意識を失った状態で歩き続けた彼は、なんと平林城から二日かけて、本庄城の近くまでたどり着いた。

 そこで見回りをしていた兵に見つかると、名を名乗り「本庄繁長殿に長尾景虎様の意向を伝えたい」と言い、城に担ぎ込まれたのだった。


 完全に意識を失った定勝に詰め寄る辰丸。

 それを制したのは鮎川清長であった。



「辰丸殿! 今はとにかく傷を塞ぐことに専念せねばなりませぬ! 」


「しかし……! 」


「この者を死なせたくはないのでしょう! ならば、今は! 」



 鮎川清長の言葉が辰丸の心に突き刺さる。


 辰丸は唇を噛みしめると、清長の言葉に従って一歩後ろに退いた。



 涙で定勝の姿がかすむ。



 それでも涙を拭くことはなく、ただ定勝が運ばれていくのを見つめていたのだったーー



………

……

 その日の夜ーー



 本庄繁長、鮎川清長そして辰丸の三人は、城主の間に顔を揃えていた。


 辰丸は表情こそ平静を保っているが、泣き腫らした目を見れば、彼の悲痛な心持ちが痛いほどに伝わってくる。


 しかし無情とも言われるかもしれないが、本庄繁長にして見れば、宇佐美定勝の身よりも、彼が自分に伝えたいという長尾景虎の意向の方が気になって仕方なかった。


 今こうして三人が集まっているのも、その事について話し合う為だ。


 もちろん彼の口から明確に聞かされない限りは、はっきりとした事は誰も言えない。


 しかし、「もし長尾景虎が本庄城を攻め込むつもりでいる」としたなら、わざわざ彼は命を懸けてまでここまでやって来るだろうか……

 そうなれば辰丸はそのまま人質として扱われる事になるのは、火を見るより明らかだ。


 つまり「長尾景虎は本庄城を攻め込むのを止めた」事を伝えにきた。そして、辰丸の身の安全を確かなものにしに来たのではないか……


 そう考えるのが普通と言えよう。

 


「強い絆……か……」



 本庄繁長がボソリとつぶやく。

 その言葉に鮎川清長と辰丸の二人は、ちらりと彼の顔を覗いた。


 彼らの視線に、繁長は気恥ずかしそうに顔を赤らめた。



「いや、すまぬ。ただの独り言だ」



 そんな彼の様子に、ふぅと大きく息を吐いた鮎川清長は、落ち着いた口調で言った。



「もはや、事態は一つに決まったのではありませんか? 

長尾景虎殿はここには攻め込んでこない……ということに」



「うむ……どうやらそう考えるより他あるまい」



 繁長は大きく頷きながら、そう答えた。



 ……と、その時だった。

 城の小姓が飛び込んできたのは……



「申し上げます! 宇佐美定勝殿が目を覚まされました!! 殿と辰丸殿をお呼びでございます!! 」



 その言葉が終わらぬうちに、辰丸と本庄繁長は部屋を飛びしていたのだったーー





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ