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虎穴虎子! 本庄繁長の乱⑤

永禄3年(1560年)4月12日――



 周囲を警戒しながら夜通し進軍を敢行した辰丸率いる長尾軍は、この日の昼過ぎになってようやくとある場所へ到着した。

 

 その場所とは、平林城。

 

 言わずもがな、討死した色部勝長の居城であり、今回の戦における長尾軍の拠点でもある。

 辰丸は一度その城に引き返して兵を休めると共に、善後策を練る事としたのであった。

 

 

 ところが……

 

 城門の前に待ち構えていたのは、

 先に引き返した揚北衆の軍勢であった。

 

 

 馬にまたがった竹俣重綱がその軍勢の先頭までやってくると、辰丸に対して大声を上げた。

 そしてその内容に、その場の全員が顔面蒼白になったのだった。

 

 

「こたびの本庄繁長の夜襲の件、お主に内通の疑いがかけられておる!!」



 

――辰丸に内通の疑い……

 


 その言葉の瞬間に、定勝や弥太郎だけではなく兵たち全員が動揺したのは言うまでもない。

 しかし彼らは一様に辰丸が内通などするはずもないのは重々承知している。

 なぜなら彼もまた命を狙われていたうちの一人であり、そして一人でも多くの兵たちを助けようと必死に指揮をしていたのを目の当たりにしていたからである。


 つまりいわれのない疑いをかけられてしまった……


 その場の全員がこの事実に愕然とし、そして次の瞬間にははらわたが煮えくり返るような思いに駆られたのであった。

 

 そしてそんな彼らをよそに重綱は、辰丸に対して見下した視線を向けて続けたのだった。

 

 

「かような状況では、お主を城に入れることも、これ以上春日山へ近づける事も出来ぬ!!

もしお主が潔白を主張するなら、その証を示してみせよ!! 」



 この言葉に宇佐美定勝が歯ぎしりをして言い返した。

 

 

「潔白の証など示せるはずもなかろう!! 潔白であるからこそ、何もないのだからな!! 」



 突然現れた定勝の方へ冷たい視線を浴びせた重綱は、吐き捨てるようにして言った。

 

 

「ふん、誰かと思えば『長尾家一うだつの上がらぬ男』であるか……お主の屁理屈など聞く耳を持たん」



「なんだとぉ!! 」



 いきり立つ定勝を辰丸が無言で制する。

 

 その様子を鼻を鳴らして苦笑いする重綱。

 

 一方の辰丸は口を真一文字に引き締めて、じっと重綱を見つめていた。

 その視線を受けた重綱は見下ろすような視線を辰丸に向ける。

 

 

 しばらく二人の無言の睨み合いが続くと、みるみるうちに平林城前の空気は張り詰めていった。

 

 

 もし誰かが少しでも動けば、壮絶な衝突が始まりそうなほどに――

 

 

 その場の全員が額に玉のような汗を浮かべ、唾をゴクリと飲み込む。

 この状況で喉の渇きを覚えぬ者はよほど腹の据わった者と言えよう。

 春の穏やかな陽射しの下であったが、そこにいる者たちにしてみれば煮え立つ地獄の釜の目の前に立っているような心地であったのだった。

 

 

 どれほど経っただろうか……

 

 

 先に視線を逸らしたのは竹俣重綱の方だった。

 

 

 ふっと口元を緩めた彼は冷たい口調で言い放った。

 

 

「本来であればこの場で捕縛して牢へとぶち込んでやりたいくらいだが、まだ我が方にもお主が内通したという確たる証がない。

その状況でお主を牢に入れたとなれば、いらぬ軋轢を生むであろう。

しかしその一方で『裏切者には容赦をするな』と政景殿はお達しになられている。

ついてはお主の疑いの是非が決まるまでは、野に放っておいてやろう。

幸いにして疑いが晴れれば、その時は城の中へ入れてやろうではないか!

もっとも落ち武者をつけ狙う野伏のぶしから無事に逃れる事が出来ればの話だがな!

せいぜい背中には気を付けるがよい! はははっ!! 」



 重綱は高らかに大笑いをしながら、その場を後にすると平林城の中へと姿を消していったのだった。

 

 

 何という酷い仕打ちであろうか。

 何という無礼な物言いであろうか。

 

 味方でありながら生還を喜ぶのではなく、内通を疑うその姿勢に長尾軍の全員が怒りに拳を固めていた。

 

 しかしそんな中にあって、辰丸だけは一人泰然としていたのである。

 彼は怒りに我を忘れることもなく、平常心で状況を整理していたのだった。

 

 

 恐らくこの仕打ちも全て長尾政景の差し金であろう。

 

 

「行く宛てもなく路頭に迷わせれば、いつしか暴走する。

それを待つということですか……」



 辰丸は壁のように並んだ揚北衆の兵たちを見て、大きなため息を一つくと、馬の首を返した。

 そして兵たちに向けて大きな声で号令をかけたのだった。

 

「皆の者、ここを一旦離れることとする」

 

 

 こうして平林城に入ることもかなわなかった長尾軍は、疲れた体に鞭を打ってその場からぞろぞろと立ち去っていく。


 そして本庄城と平林城の二つの城から少し離れた場所にようやく腰を落ち着けると、そこで陣を張ることにしたのだった。




………

……

「ちっくしょうめ! なんだい、あの嫌味ったらしい奴は!! 

あんな奴、おいらの槍で一突きしてやらあ!! 」



 小島弥太郎は本陣に入ってくるなり、頬を真っ赤に染めて口を尖らせた。

 どうやら竹俣重綱の無礼な態度に対して怒り心頭らしい。

 

 そんな彼をたしなめたのは、先に本陣に入っていた宇佐美定勝であった。

 彼はいつも通りの眠たそうな目を弥太郎に向けながら、淡々とした口調で言った。

 

 

「そうかっかするでない。そんな様子では若いうちから顔が皺だらけになっちまうぞ」


「なんだい、それ!? そんな事言うおっちゃんだって、さっきは怒りに燃えてたじゃねえか! 」



 眉間に皺を寄せた弥太郎に対して、定勝は口元に微笑を浮かべると、変わらぬ口調で続けたのだった。

 


「今は俺の事はどうでもいいんだよ。それよりもどうするよ? 辰丸」



 定勝は巧みに弥太郎をかわすと、辰丸に本題を投げかけた。

 

 すると、それまでじっと考え込んでいた辰丸は、静かに口を開いたのだった。

 

 

「こうなった以上、もう二つの道しかございません」



「徹底的に歯向かうか…… それとも、大人しく奴らの言葉に従うか……」



 定勝は辰丸の気持ちを推し測るように呟く。

 辰丸は定勝の言葉にコクリと頷くと、言葉を続けた。

 

 

「しかし今彼らに歯向かったところで、それこそ『反逆者』扱いされてしまうのは明らかなことです」



「だが、一方で奴らの言葉に従っていたら、いつまでここで待たされるか知れたものではないぞ。

そもそも兵站は平林城。そこが乗っ取られていたのでは、兵糧がないに等しい。

腰兵糧こしびょうろう(腰につけた臨時の食料のこと)だけでは、三日もてばいい方だぜ」



「ええ、おっしゃる通りかと存じます」



「じゃあ、いかがするのだ? こればかりは二者択一とはいかねえんじゃねえか」



 定勝と弥太郎の二人は、期待を込めて辰丸の顔を覗き込む。

 

 まさに窮途末路きゅうとまつろといった状況にあって、もはや頼みの綱と言えるのは辰丸の神算鬼謀の策より他ないのだ。

 

 しかし辰丸の口から出てきた言葉は、そんな彼らの期待を裏切るものだった。

 

 

「……ここは竹俣殿の言葉に従うより他ありません」



 定勝はがくりと肩を落とすと、ため息交じりで問いかけた。

 

 

「しかし、いつまで待つつもりだ? むしろいくら待てども奴らが辰丸の疑いを晴らすとは、どうにも思えんがな」


「おいらもおっちゃんと同じ意見だぜ……辰丸はいつまで待つつもりなんだい? 」



 その問いに対して、辰丸は口元を微かに緩めながら首を横に振った。

 

 定勝と弥太郎は目を丸くする。

 一体辰丸が何を考えているのか、彼らにはてんで見当もつかなかったからだ。

 

 そして辰丸は彼らの疑問に答えるように、口を開いたのだった。

 

 

「待つつもりなどありません」



「どういうことだよ? あやつらが辰丸の疑いを晴らすのを手伝うってことかい? 」



「いえ、そうではありません」



「じゃあ、どういうことだよ? 」



 そのように弥太郎が眉をひそめながら問いかけた瞬間のことであった……

 

 定勝は何かに気付いたように、大きく目を見開いたのである。

 

 

「まさか…… 辰丸……」



 口を半開きにしながら何かを問いかけようとする定勝。

 しかしその問いが彼の口から発せられるその前に、辰丸は凛とした声で告げたのだった。

 

 

 

「私は自分の潔白を自らの手で明かしてみせます」



「な……なんだって!? しかし、そんなことどうやったら……」



 驚愕のあまり言葉を失う弥太郎と定勝。

 

 辰丸は顎を引くと、一層引き締まった表情となって続けた。

 

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ず……」



「ば、馬鹿な……辰丸、お主まさか……」




 そして辰丸は力強い言葉で締めくくったのだった。

 

 


「私は本庄繁長殿に降伏いたします」

 

 

 

 と――



 

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