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虎穴虎子! 本庄繁長の乱④

ーー色部勝長、討死……



 宇佐美定勝のその言葉は、辰丸の脳内を巨大な槌で殴りつけたかのように、凄まじい衝撃を与えた。


 何も考えられず、意識が遠のいていく……


 しかし定勝は、そんな辰丸を叱咤した。



「しっかりしろ!! てめえの指示が遅れれば、それだけ命を散らす味方が増えていくんだ!! 」


「しかし……私はどうしたら……? 」



 とにかく突然の事で、何から考え出せばよいのか、それさえも見当がつかない。


 すると定勝は強い目で辰丸を見つめた。



「いいか!! 難しい場面だからこそ、物事は単純に考えろ!! 」


「それは……」


「単純でいいんだよ!! 『抗戦』か『撤退』か!

どっちにするんだ!? 今はそれだけでいい! 」


「撤退です! 今はとにかく撤退しましょう! 」



 それは咄嗟の判断であった。

 もはや『勘』と言ってもよいだろう。


 辰丸は「撤退」を定勝に告げると、

 定勝は大きく一つ頷くと、


「よし! じゃあ、俺は全軍に告げてくる!

いいか! 次の事を考えておけよ! それも単純にな! 」



 と言い残して本陣を飛び出していった。



 一人になると少しずつ冷静さを取り戻していく。


 

 すると五感も機能を戻していったのだった。



ーーガシャッ! ガンッ!


ーーうおおおおおおっ!!



 金属同士がぶつかり合う音や、兵たちの雄叫びがすぐ近くに聞こえる。


 それでも辰丸は冷静に、次の行動について頭を巡らせようとしていたのである。


 その時だった。



「辰丸!! 辰丸はまだいるかい!? 」



 と、今度は大きな槍を手にした小島弥太郎が本陣に飛び込んできた。



「弥太郎殿! いかがしたのです!? 」


「いかがしたのです、じゃねえよ! もうすぐここに敵がやって来るぜ! ここはおいらに任せて、早く退くんだ! 」


「しかしそれでは弥太郎殿が……」


「へんっ! 鬼と呼ばれたおいらをなめるなってもんだ!

いいから辰丸は早く退いて、陣を立て直せ!

それに辰丸を無事に帰さねえと、おいらがお勝殿に殺されちまうからな! 」



 辰丸は弥太郎の事を目を丸くして見つめた。

 しかし弥太郎はその視線が恥ずかしかったのか、プイッと顔を逸らして「早く行けよ! 」と、辰丸を突き放した。



「弥太郎殿、ありがとうございます! 」



 辰丸は一つ頭を下げると、本陣を後にしたのだった。



 その直後のことである。



 複数の本庄軍の兵たちが辰丸のいた本陣に殺到したのは……



 しかしそこで彼らを待ち受けていたのは、長尾家一の無双であったーー



「おいらの名は小島弥太郎!!

人呼んで鬼小島弥太郎とはおいらのことだい!

死にてえ奴からかかってきやがれ!!

うらぁぁぁぁぁ!! 」





………

……

 本陣を出た辰丸は、既に乱戦模様を呈している状況を見て大きな声を上げた。

 

 

「皆の者!! ひけ!! 一旦退いて、加地殿らと合流するのだ!! 」



 大きな音も立てずに奇襲出来たのは、攻撃隊がごくわずかな人数であるからだと、辰丸は考えていた。

 もしその考えが正しければ、少し離れた所で陣を張っている味方の軍勢と合流した後に逆襲することも可能であろう。

 もちろん相手もそれを理解しているはず。

 つまり、辰丸の軍が退却すれば深追いしてくることはないと辰丸は踏んでいた。

 

 

「とにかく丘を抜けるんだ! 早く!! 」



 辰丸は自軍の兵たちに向けて懸命に声を上げながら、奇襲を受けて混乱している者たちの元を回る。

 暗闇の中にあって前後左右全てに遠くまでは視界が効かないが、それでも金属と金属が激しくぶつかり合う音で、敵と味方がどこで戦っているのかは容易に分かった。

 

 

「辰丸!! まだこんなところにいたのか!! 早く丘を下りるんだ!!

ここは俺たちに任せろ!! 辰丸は丘の下にいる兵たちを率いて反撃の準備を整えるのだ!! 」



 ふと背中の方を見れば、すぐ近くに顔を泥で汚した宇佐美定勝の姿があった。

 彼は辰丸に向けて大きな声で怒鳴っている。

 

 辰丸は彼に対して小さく頷くと、木々の間を駆け抜けていったのだった。

 

 

 

………

……

 辰丸が陣を張っていた場所はそれほど大きな丘の上ではない為、そこから脱出すればすぐに麓の平原にたどり着く。

 

 しかしそのわずかな間であっても、辰丸は頭の中の整理に集中していたのである。

 

 まず彼が考えを巡らせたのは、

 

 

――夜通しの警備を潜り抜けて、奇襲攻撃が成し得た理由とは……?

 

 

 ということであった。

 しかし、その答えはただ一つしかない。

 

 

――軍中に本庄繁長と通じている者があったということか……



 ふと長尾政景の顔が頭に浮かぶ。

 しかしこの時点ではまだ、今回の奇襲と長尾政景を繋ぐ糸が見当たらないのだ。

 

 

 そして、どうしても腑に落ちない事がある。

 

 

――なぜ本庄繁長は色部勝長と自分を亡き者にしようと襲撃してきたのか……



 もし本庄繁長が長尾軍の誰かと通じており、奇襲の出来る状況であったとしても、果たしてこの奇襲にどれほどの『利』があるだろうか。

 なぜならここで長尾軍に痛手を与えたとしても、情勢が大きく変わることはないと思われるからだ。

 

 

――むしろ景虎様が本庄城を攻め込む理由を与えてしまうだけではないか……

 

 

 そこまで考えが及んだ瞬間……

 

 

 辰丸の中に雷が落ちたような衝撃が走った。

 

 

 

「そうか……! それが目的であったか……! 」




 それはすなわち……

 

 

 

――『軍神』長尾景虎が本庄繁長を討ち果たす大義名分を作ること……これが目的か!!




 ということだった。


 つまり、本庄繁長は今回の奇襲を裏で手引きをした者に、『められた』ということだ。

 恐らく本庄繁長には「辰丸と色部勝長に不穏な動きがあるので、彼らの首を手土産に降伏すれば、長尾家で手厚くもてなされることだろう」と、奇襲をけしかけたに違いない。


 そしてその言葉に乗せられた彼は、今回の奇襲を決行した。


 それが彼を陥れる大きな落とし穴とも知らずに……

 

 

 しかし、そこでもまだ疑問は浮かぶ。

 

 

――ではなぜ本庄繁長は討ち果たされねばならない存在なのだろうか……



 彼は越後北部の一国衆に過ぎない。

 もっとも本庄繁長という個人だけに焦点を当てれば、その勇猛さは特筆すべき点であることは確かだ。

 だが果たして、繁長の有能さがそのまま彼を誅殺するに至る要因と成りえようか……

 

 

――いや、それは違う。もし彼を誅殺せねばならない理由があるとするなら……



 本庄繁長が家老になること……

 

 

 では、なぜ本庄繁長が家老に列することが要因と成りうるのか。

 

 

――もしや……派閥か……


 

 もし本庄繁長が家老となれば、属する派閥は『景虎派揚北衆』であろう。

 なぜなら本領安堵に春日山に屋敷まで与えられるのだから、ここまでされて恩義を感じぬ者などいないはずだからだ。

 

 そして本庄繁長という男は、揚北衆の中でも頭一つ抜けて存在感の大きい人物と言える。

 それは彼が幼少期に体験した事と、彼の挙げた功績を考えれば当然のことだ。

 

 つまり彼の動向は、そのまま他の揚北衆に大きな影響を与える事は、火を見るより明らかなことであった。

 

 

 そのように考えれば、自ずと結果は見えるというもの……

 

 

 すなわち本庄繁長が『景虎派』の家老として就任すれば、

 未だ『上田派』と『景虎派』の両派閥の間で揺れている多くの揚北衆にとって『景虎派』へと流れるきっかけになるということ――

 

 

 

 それすなわち『上田派』の瓦解――

 

 

 

 ここまで逡巡することで……

 

 

 ようやく全てが繋がった。

 

 

 長尾政景という男に――

 

 

 そして同時に彼の事を強く信奉している『上田派揚北衆』も一役買っている事は明らかだ。

 

 

 しかし、これらはあくまで辰丸の推理に過ぎない。

 もしかしたら自分の考え過ぎであり、もっと単純な理由で本庄繁長は奇襲を仕掛けてきたのかもしれない。

 


――むしろ杞憂であって欲しい……

 


 辰丸がそのように祈っているうちに、麓の平原で待機していた兵たちと合流した。

 そしてしばらくすると、最後まで丘に残っていた宇佐美定勝や小島弥太郎の姿も目に入ってきたのである。


 犠牲は少なくはない。

 そもそも色部勝長が討たれた事は、長尾家にとっては大きな打撃であり、総大将の辰丸の責任は小さくないはずだ。


 それでも目の前にいる兵たちや『友』である定勝、弥太郎の無事な姿は、彼に次の行動を取らせる活力となった。

 

 そしてこうなれば辰丸が取るべき指揮は、唯一つ。

 

 

「これより加地春綱殿、竹俣重綱殿の軍と合流する! 皆の者! 進め!! 」



 もし……

 

 

 もし辰丸の推理が全て「杞憂」に過ぎないのであれば……

 

 

 彼らの進むその先には、二千五百の揚北衆の軍勢が彼らを迎え入れるはずだ。

 

 

「頼む…… 頼むから、そこにいてください……! 」



 辰丸はぐっと唇を噛みしめて天を仰いだ。

 そして満天の星空に強い願いを込める。

 

 

 しかし……

 

 

 無情にも彼の願いは叶わなかった……

 

 

 そこには誰もいなかったのである……

 

 

 加地春綱、竹俣重綱の両名だけではなく、

 二千五百の軍勢が誰一人として……

 

 


 定勝が青い顔をして辰丸に近寄ってくる。

 既に彼は辰丸の置かれた状況を正しく理解していることだろう。

 なぜならかつて彼は全く同じ目に遭わされたのだから……



「辰丸……どうやら不味いことになっちまったようだな……」



 進む先も敵なら、退いた先も敵……

 

 

 まさに虎口に立たされた辰丸と兵たち。

 

 

 もはや行き場を失った彼らは、しばらく茫然として佇むより他なかったのだった――

 

 

 


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