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虎穴虎子! 本庄繁長の乱③

永禄3年(1560年)4月10日 夕刻――



 辰丸率いる長尾軍が平林城に到着した。

 それは春日山城を出て実に五日間の長旅であった。


 もちろんその前日には、平林城からほど近い場所に城を構える竹俣重綱や加地春綱をはじめとする揚北衆たちは城に入っており、辰丸の到着をもって長尾軍の全軍四千が揃ったことになる。


 長旅を終えてようやく城に入ったものの、辰丸には休む暇など微塵もない。

 

 なぜなら既に評定の間には先の二人に加え、長尾家宿老の一人でこの城の城主、色部勝長の三人が揃っているからだ。

 いずれの面々も辰丸よりもずっと年上で、家老として取り立てられた時期も早い。

 辰丸としては、そんな彼らを待たせることなど恐れ多く、城の門をくぐるなり、おいそれと評定の間へと向かっていったのであった。



………

……

「おお! 辰丸ではないか! よう来たのう! 」



 辰丸が部屋に入るなり、笑顔で迎えたのは『景虎派揚北衆』であり、長尾家の宿老、色部勝長だった。

 

 宇佐美定満よりは四つほど年下だが、それでも六十七になる。

 しかし常に「若いもんにはまだまだ負けん! 」というのが口癖であることからも分かる通り、血気盛んな老将で、常に戦場では先陣を切って突撃する程なのだ。


 辰丸が景虎に寵愛されているということもあり、彼もまた辰丸に対して非常に好意的で、もちろん辰丸の方も勝長の事を親しく思っている。


 辰丸は進軍の疲れなどおくびにも出さず、



「ありがとうございます! 勝長殿! 」



 と、元気な声で礼を言うと、勝長はまるで孫でも見るように、顔をしわくちゃにして笑みを浮かべていた。


 城主の笑顔によって部屋の中が和気藹々とした空気に包まれる。


 辰丸はこの雰囲気で疲れが飛んでいくような気がしていた。

 

 

 しかし、そこに水を差したのは『上田派揚北衆』の竹俣重綱だった。

 今年で三十になる彼は、冷たい声で辰丸に問いかけた。



「早速、政景様からのご指示を聞かせてくれまいか? 」



 辰丸はキュッと表情を引き締めると、懐から一通の書状を取り出して、それを声に出して読み出した。



「決して無駄に兵を減らすことなかれ。

本庄繁長が城に籠もれば、城を取り囲み、相手が降参するまでむやみに動くことなかれ。

万が一、軍の中に裏切り者が出たその時は、容赦することなかれ。

との仰せにございます」



 辰丸は書状を読み終えると、丁寧な手つきで隣の竹俣重綱に渡す。

 重綱は食い入るように政景からの書状に目を通している。


 すると今度は『上田派揚北衆』の加地春綱が淡々とした口調で辰丸に問いかけたのだった。



「大宝寺の件はどうなっておるのだ? 」



「はい、お屋形様からの書状を届けてあります。

もう間も無くその結果が出るかと思われます」



 そんな会話をしている最中のこと……

 なんと辰丸の放った使番の声が部屋の外から響いてきたのである。



「申し上げます!! 」



 辰丸は目で色部勝長に合図を送ると、勝長はコクリと頷いた。

 それを見て辰丸は大きな声で返した。



「よかろう! 申してみよ! 」



「はっ! 大宝寺義増だいほうじよします殿より書状を受け取っております! 」



 その言葉の直後に、使番から書状を受け取った城の小姓が部屋へと入ってくると、大宝寺氏からの書状を辰丸に差し出した。

 そして辰丸はそれを受け取るや否や、内容を読み上げたのだった。



「大宝寺は今後、長尾景虎殿にお味方いたすこととする。

とのことでございます」



ーーパァァァン!



 辰丸の言葉の終わらないうちに、色部勝長は辰丸の肩を喜びのあまりに思いっきり叩くと、乾いた音が部屋の中に響いた。

 


「よぉぉぉぉし!! これでわしらの勝利が確かになったぁ!! がははは!! 戦わずして勝つとは、まさに理想通りじゃのう!! 」



 書状の内容に上機嫌となった色部勝長は、辰丸の肩をばんばんと叩きながら大笑いしている。

 辰丸は勝長に対して、困ったような表情を浮かべたが、それでも内心はほっと安堵しているのは確かだ。

 

 

――戦わずして勝つ……



 勝長の言う通りそれはまさに戦の理想であって、その事が実現しようとしている今、気持ちを緩めるなという方が酷というものだろう。

 

 竹俣重綱と加地春綱の方に視線を向ければ、彼らもまた先ほどまでの強張った表情を緩めている。

 それは彼らもまた自軍の勝利が近づいたことを喜んでおり、何かを企んでいるようには到底思えないものだった。

 

 

「では、明日出陣するとしようかのう! みなも今日はゆっくりと休むといい! 」



 勝長はその場の全員に向けてそのように言うと、竹俣重綱と加地春綱の二人は、その場で一礼して部屋を後にしていった。

 そして辰丸もまた最後まで部屋に残った勝長に対して頭を下げると、あてがわれた部屋へと退出していく。

 その道中、すれ違う兵たちは皆笑顔であることに辰丸は驚きを禁じ得なかった。

 どうやら既に重臣たちだけではなく、兵たちにも大宝寺氏の降伏は耳に入っているのだろう。

 その為、出陣を明日に控えているにも関わらず、どの兵も浮ついていたのだった。

 

 しかし辰丸だけは最後の最後まで笑顔を見せることなくその足取りも重い。

 

 それは……

 

 

――長尾政景様はいつ、どこで、何を仕掛けてくるのだろうか……

 

 

 という不安がどんどん大きくなっていったからだ。

 

 

――私の杞憂で終わればよいのですが……



 何もかもが順調過ぎる程に順調な現状に、辰丸は祈るような気持ちで、夜の帳が下りた空を見つめ続けていたのだった。

 

 

 

 ところが……

 

 

 その願いは叶うはずもなかった。

 

 

 なぜならここまで全て長尾政景のてのひらの上で事は進んでいるのだから……

 

 

 それは、その夜のことだった――

 

 

 長尾軍の一人の兵が闇夜の中にあって城を抜けだした。

 

 

 そして本庄城へと一直線に駆けていったのである……

 

 

 

 長尾政景から本庄繁長へ宛てた書状を携えて――

 

 

 

………

……

永禄3年(1560年)4月11日――

 

 

 長尾軍四千は平林城を出立し、本庄繁長の居城、本庄城へと向かった。

 そこまでの道のりは平林城からはおよそ二刻(約四時間)。小高い山の頂に建てられたその城を、もし攻め落とさねばならないとなれば、かなりの苦労を要するであろう。

 

 もちろん今回の戦ではそのような苦労はないと分かっている長尾軍の兵たちは、無駄口をたたく者こそいなかったが、みな軽い足取りで進軍していたのだった。

 

 

 そして……

 

 いよいよ本庄城の目の前に長尾軍は到着した。


 辰丸と色部勝長の軍が城から近い小高い丘の上に陣を張り、残りの軍は城から少し離れた場所に陣を張った。

 

 そして大方の予想通り、野戦では不利と見た本庄繁長は籠城の構えを見せている。

 しかし城の各所に本庄家と鮎川家を示す旗が力強くたなびいており、一筋縄ではいかないと誰もが思うところだ。

 

 だが辰丸は、本庄繁長と鮎川清長が降伏してくる事はさほど難しくないと考えていた。

 

 なぜなら彼らが最も恐れている事は、居城を攻め落とされることであり、言い替えればお家を取り潰されることだ。

 ならば現在だけではなく未来においても、そうならないという『手形』を与えてあげれば、彼らは振り上げた拳を下ろすことだろう。

 

 辰丸はそのように考え、長尾景虎からの書状を貰っていた。

 

 その内容は次の通りだ。

 

 

 一つ、今降伏すれば、「人質を差し出す」という条件で、本庄城および本領を安堵する。

 一つ、春日山城の城下に屋敷を構える事を許すゆえ、今後は長尾家の家老として大いに力を発揮するとよい。

 一つ、この条件は本庄氏だけでなく鮎川氏にも同じものとする。

 

 

 この三点であった。

 

 つまり辰丸は、今回の彼らの蜂起は、『長尾景虎が関東将軍になったあかつきには、城に攻め込んでくるのではないか』という不安から起こったものであると踏んでいる。

 そして、彼らが長尾家の評定に参加出来ないがゆえに、景虎の考えが正しく伝わらなかった事が起因しているのではないかと推し測った。

 そこで、単に本領安堵のお墨付きだけではなく家老として取り立てることで、今後は長尾景虎の考えが本庄繁長や鮎川清長に直接伝わるように整えようと考えた訳だ。

 

 

 もしこの条件で降伏をしてこなければ……

 

 

 その時は強硬な姿勢をもって臨むより他はない。

 

 

 しかし戦上手な者ほど、戦において恐れを抱くことを辰丸はよく理解している。

 つまり、『利』のある降伏よりも、命を懸けた戦闘にどれほどの意味があるのか、そのことを本庄繁長ほどの武士であれば正しく考えるはずなのだ。

 

 

「では、この書状を本庄繁長殿に届けて参れ」


「はっ! 」



 辰丸は景虎の書状を、信頼する使番に手渡した。

 そして使番はすぐさま本庄城の方へと駆けていったのだった。

 

 

 その背中を目を細めてじっと見つめる辰丸。

 前日は良く眠る事が出来なかった事を示すように、目の下は黒く、白目はわずかに赤く染まっている。

 

 

 そして使番の姿が肉眼では見えなくなると、彼は大きく息を吐いた。

 

 

 まさに『王手』となる書状……

 

 

――ここでもまだ何も起こらないのか……

 

 

 ドックン…… ドックン……



 と、胸が音を立てて波打つ度に、辰丸の呼吸は早くなっていく。



 なぜだろう……



 勝利の瞬間が近付けば、近付く程に……



 さながら大蛇の目のような、鋭い視線が突き刺さるのは……



ーー捕まえた……



 という声が全身を凍らせるのはーー




「……様! ……様!! 」


「おいっ! 辰丸!! どうしたのじゃ!? 」



 辰丸は色部勝長の呼びかける声で、ようやく我に返った。


 辰丸の視界には、心配そうに彼のことを見る色部勝長と、辰丸の使番の姿。



「い、いえ……大丈夫です……」



「そんなに汗をびっしょりかいて、大丈夫ではないじゃろうて……」



「いえ、本当に大丈夫です。

ところで本庄繁長殿に書状に届けてくれましたか? 」



 辰丸は必死に不安を隠すように、使番へと話題を振った。

 すると使番は大きな声で返事をしたのだった。



「はっ! 書状を届けたところ、城内で協議の上で明日にでも返事をする、とのことでございます! 」



「そうですか……うむ、ご苦労でした。下がってよいでしょう」


「御意! 」



 使番は辰丸の指示にその場を去ると、勝長が口を開いた。



「では、今宵はここで過ごすということじゃな」



「ええ、そうですね」



「では、わしは自分の陣へ戻る。

辰丸、くれぐれも深く考え過ぎるでないぞ。

明日になれば全て終わるのだからのう」



「はい、お気遣いありがとうございます」



 勝長の優しさが身にしみる。


 辰丸は口元に精一杯の笑みを浮かべて、なおも心配そうに顔を覗き込んでくる勝長を安心させようと試みた。


 すると勝長も、ふっと口元を緩めてそのまま辰丸のいる本陣を去っていったのだった。



ーーとにかく明日だ……無事に明日を迎えれば終わるのだ……



 辰丸はもはや祈ることしか出来なかった。



 待ち遠しい明日が来ることをーー





 しかし……



 『無事』に明日は来なかった……



 それは夜更けのことだった……




ーー敵襲ぅぅぅぅぅ!!!




 という耳をつんざくような声がこだましたのである。


 思わず飛び起き辰丸は、急いで兜をかぶると、寝床から本陣の方へと飛んでいった。



 そして次の瞬間、宇佐美定勝が血相を変えて本陣に入ってきたのである。



「辰丸!! 起きてるか!!? 」


「定勝殿! これは一体どういうことですか!? 」


「本庄繁長だ! 奴が夜襲を仕掛けてきおった!! 」


「しかし……夜も厳重な見回りをしていたはず! 」


「知らんが、何者かが陣へ奇襲出来るように手引きをしたとしか思えん!

とにかく今は戦うか、撤退するか、どちらか選べ!! 」


「勝長殿は!? 勝長殿はどうなされたのですか!? 」



 辰丸の問いかけに定勝はグッと腹に力を込めた。

 そして辰丸の両腕をしっかりと掴んで言ったのだった……




「色部勝長殿は……討死した。

もはや軍勢を指揮出来るのは辰丸……お主しかおらんのだ! 」



 と……




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