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世が求むるは『英雄』

◇◇

 『鎌倉公方』と『関東管領』の兼任――

 

 もしこれが実現したなら、室町幕府の長い歴史の中で類を見ない程の強力な権威を有することになり、下手をすれば将軍職そのものを脅かしかねない。

 

 それは、言ってみれば『東の将軍』を任命する事に等しいことであった。

 

 

 永禄2年(1559年)5月10日――

 

 近衛前久このえさきひさからの進言を受けた将軍足利義輝は、その日のうちに長尾景虎を出来たばかりの彼の邸宅、二条城に呼ぶと、その件について協議することにした。

 

 そしてこの時、前久の隣には、辰丸の姿もあったのだった。

 

 

………

……

 部屋には足利義輝、近衛前久、長尾景虎そして長尾家における外交を一手に担っている直江景綱、さらに辰丸と、五人だけが入った。

 

 まさに天下の行方を左右する一大協議が始まったのである。

 

 冒頭、口を開いたのは、近衛前久であった。

 

 

「将軍殿に申し上げます。

昨今、ご存じの通り、世は乱れ、各地で群雄割拠の様相を呈しております。

このままでは日本の田畑は大いに荒らされ、人民の心はすさび、飢饉、疫病も蔓延いたしましょう」



 そこまで前久が語ったところで、義輝が形式的とも言える質問を投げかけた。

 

 

「では問おう。乱世にあって、天下は何を望むか? 」



 義輝の透き通った声が部屋の空気を震わせると、前久は刹那的に口元を緩め、そして次の瞬間には大きく目を見開いた。

 そして義輝の声に負けじと、大きな声で答えたのだった。

 

 

「いわんや英雄にございます!! 」



 何も知らぬ者が聞けば、思わず腰を抜かしてしまいそうな気迫の籠った声であったが、部屋の中にいる者たちは、一様に目を細めて、その言葉を胸に受け止めた。

 

 その様子を確かめた上で、前久は声の調子をますます熱を帯びたものに変えて続けたのだった。

 

 

「世に逆賊や悪鬼がはびこれば、それらを退治するは英雄であることは、遥か昔より定められたことわりと言えましょう」



「では、その英雄とは誰と心得るか!? 」



「将軍殿ご本人!

そして…… ここに座する長尾景虎、この人であると心得ますが、いかがでありましょう! 」



 ここで終始険しい表情の景虎が口を開いた。

 

 

「上様と並び称されるなど、恐れ多いにも程があるというもの」



 ここで景虎が口を挟んでくるのは、前久も想定の内であった。

 彼は何を考える事もなく、景虎の言葉を返した。

 

 

「古くは漢王朝の頃より、国乱れる時は、皇帝の名の元に驃騎将軍ひょうきしょうぐん車騎将軍しゃきしょうぐんが任命され、国難を救ったではないか。

今日本は国家の危急存亡のとき

左右に敵が迫ろうとする中にあって、将軍殿が左で剣を振りかぶれば、その右で槍を振る将を英雄と呼ばずして、何と呼ぼうか」



 景虎は前久の言葉に乗せられることなく、あくまで冷静に「景虎が英雄たる大義」を探り続ける。

 

 

「英雄たる者、その出自も問われよう。われなどよりも管領かんれいの細川京兆家当主、細川氏綱ほそかわうじつな様などの方が英雄に相応しい御家柄かと存じますが、いかに? 」



「もはや家柄など名ばかりであって、実が伴っておらぬ! 

乱世にあって、天下が欲するは、争いを収める『力』である。

その『力』が景虎殿にはおありであると思うのですが、いかがであろうか! 」



 景虎は静かに目を閉じると、口を真一文字に結んだ。

 少しだけ頬が紅く染まり出していることからも、彼の胸の内の興奮がうかがい知れる。

 

 すると今度は、景虎の隣の直江景綱が、義輝に向かって口を開いた。

 

 

「恐れながら申し上げます」



「なんだ? 申してみよ」



「ありがたき幸せ。もしお屋形様に英雄たる資質がおありだとして、上様はお屋形様に何をお望みでございましょう」



 話が一歩先に進む。

 

 義輝は前久の事をちらりと見ると、前久は軽く頷いた。

 それを合図に義輝は景虎の方へと視線を移して、大きな声で告げたのだった。

 

 

「今や北条氏康の傀儡と化した古河公方、全てを失い越後にて失意の時を過ごす関東管領……

この二つの職を合わせ、新たな職を設けることとする」



「新たな職……」



「関東将軍である! 」


「関東将軍……」



「長尾景虎、お主を関東将軍に任ずる!! 」



 関東――

 

 それは坂東八カ国(武蔵、下野、上野、常陸、上総、下総、相模、安房)に、甲斐、伊豆、奥羽、陸奥を加えた地域のことを指す。

 しかしここで足利義輝が言う関東とは、越後、信濃、相模……この三国よりも東の地域全体を指していたのだった。

 

 そして『将軍』とは、武力をもってそれを制する役職のことだ。

 足利義輝は『征夷大将軍』という役職であり、『大将軍』であることから、それよりも一つ下の『将軍』を授けることにしたという訳だ。



 つまり『関東将軍』とは、「武力をもって関東を平定する役」ということになる。

 

 

 今までは関東管領の上杉憲政の代わりとなって、関東各国の大名たちの要請による、『守備の戦』を行ってきた長尾景虎。

 しかし今後は、景虎の意志によって関東を制圧する、言わば『攻撃の戦』に乗り出せるということだ。

 

 

 関東を平定した後のことは、室町幕府再興に動くのか、それとも別の方法で天下泰平を目指すのか、その思惑は足利義輝と近衛前久の間で割れている事は確かだ。

 

 だが今差し迫って共通しているのは、長尾景虎が「自らの意志で越後を出て戦いを挑む為の大義名分を作る」ということだったのである。

 

 

 もし、権力欲にまみれた者であれば、義輝の言葉に手を叩いて喜ぶ事だろう。

 

 しかし長尾景虎は、権力や地位というものに全く執着がない。

 その事よりも彼は「自分が重い役職に就くことに対する、家中における弊害」について頭を悩ませていたのである。

 

 つまり彼が幕府の要職に就き、支配地を広げた場合、自然と家中の隅々まで目が届かなくなる。

 そうなると、家中で不穏な動きが強まるのではないか……そう懸念しているのであった。

 

 

 しばらく答えを出せないでいる景虎。

 

 

 そんな中、口を開いたのは……

 

 

 辰丸であった――

 

 

「上様、一つよろしいでしょうか」



 義輝は、隅で小さくなっていた少年辰丸の方へ目を向ける。

 近衛前久から辰丸の事は聞いてはいたが、実際に注意を向けるのは初めてのこと。

 一体こんな細身の少年に何が出来るというのか、そう半信半疑のまま、淡々とした口調で答えた。

 

 

「うむ、よかろう。申してみよ」



「ありがたき幸せにございます。では申し上げます。

上様より賜った関東将軍の職……

我がお屋形様には少々重すぎる任でございます」



「な……なんだと……」



 辰丸の言葉はその場の全員に衝撃を与えた。

 

 先ほどまで目を固くつむっていた景虎は、かっと目を見開き辰丸を見つめ、近衛前久は顔を真っ赤にして辰丸に詰め寄った。

 


「辰丸!! それは将軍殿にも景虎殿にも無礼であろう!! 」



 前久の声が困惑と怒気がごちゃ混ぜになったような感情的なものであったのは当然と言えよう。

 

 なぜなら前夜に辰丸の口から「景虎へ鎌倉公方と関東管領の二職を」と依頼され、足利義輝に受け入れられたのである。

 それを辰丸の口から「景虎には荷が重すぎる」とは何たることであろうか。

 

 肝の据わった前久であっても、思わず我を忘れて詰め寄ってしまうのは、無理もないことだ。

 

 

 しかし、辰丸は周囲がどんなに騒然となろうとも、無風の森のように泰然としたまま続けたのであった。

 

 

「今お屋形様の頭を悩ませているのは『外の敵』ではなく『内なる敵』にございます。

三家に別れている長尾家は互いを牽制し、家老たちはそれぞれの派閥に属しいがみ合う……

このようなさまでは到底上様のご期待にお応えするような働きなど出来ませぬ」



「辰丸!! 控えよ!! 内なる恥をさらして何とするか!! 」



 そう怒声を浴びせたのは『上田派』の直江景綱であった。

 普段から温厚な性格で知られる彼だが、目は血走り顔を紅潮させて怒りに震えている。

 

 しかし……

 

 辰丸は一歩も引くつもりはなかった。

 

 

「恥とお考えならば、なぜそのまま放っておかれるのか!!?

災いを災いとせず、臭いものには蓋をするお方が『英雄』なぞ、天地がひっくり返ろうともあり得ませぬ!! 」



 もしこの場に『景虎派』で血の気の多い家老、例えば柿崎景家などがいたら、辰丸は一刀のもとで斬り伏せられていることだろう。

 

 現に穏健な直江景綱でさえも、「なんだとぉぉぉ!! 」と、叫び散らすと、辰丸に詰め寄って胸倉を掴みだしたのだから。

 

 しかし、

 

「大和!! 控えよ!! 上様の御前であるぞ!! 」


 と、景虎は取り乱した直江景綱を一喝した。

 

 もちろん景虎とて腸が煮えくり返っている。

 しかし彼の場合は、辰丸の言葉ではなく、己の不甲斐なさであった。

 

 

 辰丸は変わらない。

 

 なぜなら彼は既に覚悟を決めていたのだ。

 

 

――景虎が進む道の妨げは、全て自分の手で排除する



 と……

 

 

「上様に申し上げます!!

こたびの『関東将軍』の任命の件、長尾景虎様ではなく、上杉憲政様にお命じくださいませ!! 」



「なにっ!? 関東管領の上杉殿へか!? しかしかの者は……」



 それは足利義輝も風の噂で耳にしていた事だったのだ。

 

 上杉憲政は、北条氏康に全てを奪われ、もはや心のない廃人となってしまったことを……

 

 

 そして、義輝の疑問に答えるように、辰丸は続けたのだった。

 

 しかしその言葉の向き先は、義輝ではなく景虎だ。

 彼の心に深々と突き刺さるように、凛とした声で告げたのだった。

 

 

「長尾三家のご当主様におかれましては全員、上杉憲政様の養子となっていただきます。

その上で、長男となる景虎様に憲政様は家督を譲る。

そうすれば長尾三家のご当主は皆、同じお家を守る兄弟となります! 」



 この意見には景虎も顔を赤くした。

 

 なぜならそれは……

 

 

「長尾家を取り潰せ……そう言いたいのか……」



 ということに他ならないのだから……

 

 

 唖然とする面々。

 

 

 しかし辰丸にとっての勝負どころはまさにここであった。

 

 彼は大きく頷くと、高らかと告げたのだった。

 

 

「景虎様は国家の忠臣たるお人にございます! 

守るべきは三条長尾家でしょうか。上田長尾家でしょうか。古志長尾家でしょうか!!?

気にするべきは家中の目でございましょうか!?

否!! 守るべきは国家であり、気にするべきは己の正義の目でございます!! 」


「正義の目……」


「それは正しき義の道を歩めているかを常に見張る己の内なる目でございます!

今、その正義の目で見るに、お屋形様は正道を一心不乱に進めていると胸を張れましょうか!?

否! お屋形様は今、家中のうみに気を取られておられる!

しかし、家中のうみなど吸って吐き出せばよい!

多少の痛みを伴うは承知のことでございます!

それでも景虎様は、越後を出て進まねばならぬのです!」



 辰丸の顔もまた真っ赤に染まり、その目は鬼気迫っている。

 

 そして、部屋の空気だけではなく、聞く者の心を震わせる乾坤一擲の訴えは締めくくられたのであった。

 

 

「お屋形様こそ、国家安寧をもたらす国士無双の英雄なのですから!! 」



 

 

 辰丸の言葉が終わると、みなその余韻に浸っていた。

 

 

 しばらくした後、足利義輝がゆっくりと紙と筆のある場所へと移っていくと、彼は一通の書状を書きあげたのである。

 

 それは……

 

 

 『御内書』……

 

 すなわち将軍の命令を記したものだった。

 

 

――以下を命ず。

 一つ、上杉憲政の関東管領の任を解き、関東将軍に任ずる。

 一つ、古河公方における全ての権限を破棄し、関東将軍に付与する。

 一つ、上杉憲政は、長尾景虎、長尾政景、長尾景信の三人を養子とすることを許す。ただし、長男は景虎とすること。

 一つ、上杉憲政は、家督を長男に譲る事を許す。

 


 そしてこの書を景虎は、しっかりと受け取ったのであった――

 

 

 


………

……

 同日、夜――

 

 この日も義輝への饗応が催され、それが無事に終わると、直江景綱は自室にて書状をしたためていた。

 

 その宛先は……

 

 長尾政景……

 

 無論、内容はこの日に決まった「長尾三家の統合」の件であった。

 

 そして最後に彼は付け加えたのである。

 

 

――悪い虫は、例え小さきはえと言えども、大病をもたらす元凶となりましょう。病にかかる前に潰してしまうのが上策かと存じます。



 と――

 

 


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