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引縄批根! 消えた使番⑦

………

……

永禄元年(1558年)6月26日 正午ーー



 壬生城の本丸前の広場に、大勢の人が集まっていた。



 その中心にいるのは、長尾時宗と黒川清実の二人。



 彼らは有無を言わさず、はりつけとされている。



 既に酔いから覚めた時宗は、強気の姿勢を崩さずに、顔を真っ赤にさせながら、叫び散らした。



「はなせぇぇ!! われは悪くない!!

敵と内通していたのは、そこにいる下賤な使番であろう!!

われは何もしていない!! 」


「時宗殿のおっしゃる通りにございます!!

そもそも何の証拠があって、われらをかような目に合わせるのでしょうか!? 」



 黒川清実は、目の前で馬に乗ったまま彼らを見下ろす長尾景虎に向かって問いかけた。



 景虎は清実の問いには答えず、ちらりと隣の千坂景親の方を見た。


 すると千坂景親は一度背後に消えると、すぐに一人の男を縄につないで連れてきたのだった。



「誰だ!? こいつは!? 」



 時宗は眉をひそめたが、隣の清実は顔を青くした。


 すると景虎は、低い声で言った。



「もはや名など、どうでもよいことだ」


「どういうことか、時宗には全く分かりませぬ!

しっかりとご説明あれ! 」



 景虎はちらりと千坂景親を見ると、景親は懐から一通の書状を取り出したのである。



 それを目にした瞬間……



 時宗は顔面蒼白となったーー



「まさか……こやつが……」


「ほう……内通相手の顔も知らぬと申すか……」


「いや……そんなの……われは知らん!! 」



 あくまで強がる時宗。


 そんな彼に対して、景虎はとどめを刺すように、景親をもう一度見た。



 そして景親は、書状の内容を高らかと読み始めたのである。



 それは言わずもがな、佐野軍を罠にはめる為の指示が事細かく記されていたのだ。



 その送り主は……



 長尾時宗……



「ここに時宗様の花押がございます」



 景親は周囲の人に見えるように、書状を高々と持ち上げた。



 そしてそこには確かに長尾時宗の花押……すなわちこの書が確かに長尾時宗の手によって書かれたという『自署』が書かれていたのであった。



 

 これで時宗は……

 

 

 観念した……

 

 

 がくりと頭を落とした時宗。

 

 

 そこに佐野昌綱がゆっくりと近づくと、時宗の目の前で足を止めた。

 

 

「……私利私欲の為に、他人を陥れ、多くの命を奪った所業……自分ではどう思っているのだ? 」



「……」



 時宗はうつむいたまま答えようとしない。

 その様子にわなわなと震えだした昌綱は、かっと目を見開くと、時宗の顎を荒々しく掴んだ。

 

 

「どう思っておるのだ、と聞いておる!! 」



「乱暴はおやめなされ!! こたびの件、全てはこの黒川清実が企んだこと! 時宗殿はそれがしの口車に乗らされてだけでございます! 」



「ええい、黙れ!! 花押がある以上、この書状は長尾時宗、お主によって画策され、指示されたものである!!

その事を知らなかったとは言わせんぞ!! 」



 嚇怒する昌綱に対して、顔を真っ赤にして目に涙を浮かべながら、それでもなお睨みつける時宗。

 その目を見た昌綱は、荒っぽく手を離すと、周囲の兵に命じた。

 

 

「こやつの縄を切れ!! 」



 昌綱の言葉に応じて、時宗の縄が切られると、彼はがくりと膝をついた。

 その瞬間……

 

――ドスッ!!


 と、時宗の目の前で昌綱の槍が地面に突き刺さった。

 

 

「ひいっ!! 」



 時宗は思わず後ろに仰け反って、白い顔で昌綱を見上げた。

 昌綱は槍を地面から抜き取ると、その穂先を時宗の鼻先にピタリと合わせる。

 もし彼が少しでも力を加えたなら、一瞬のうちに時宗の顔に大きな穴が開けられるだろう。

 そして彼はすぐにでも実行せんとする鬼気迫る顔つきで、時宗を睨みつけていたのだった。

 

 時宗は慌てて手を振って弁明を始めた。

 

 

「待て! 昌綱殿! 待ってくれ! こたびのことは、われは何ら悪くないのだ!

そ、そこにいる下賤の使番が全て悪いのだ! だから、命だけは……! 頼む! この通りじゃ!! 」



 土下座をして必死に命乞いをする時宗。

 しかし昌綱は何ら表情を変えずに一喝した。

 

 

「だまれ! 小僧!! 」


「ひいっ!! 」


「仲間の命を…… 兄上の命を弄んだにも関わらず、罪なき者に大罪をなすりつけようとするか!!?

最期に一言口を開かせてやろうと思ったが、もうよい!!

お主を生かしておいては、死んでいった者たちが浮かばれん!! 

せめてひと思いに息の根を絶ってやることを、感謝するがよい!! 」


「やべでくだざれぇぇ……」



 泣きじゃくって命乞いをする時宗に対して、昌綱は槍を構えた。

 

 

 人々は息を飲んで、様子をじっと見つめる。



 烈火のごとく怒っている昌綱を止めることの出来る者など、もはやこの世に存在などしない。


 誰もが次の瞬間には、血生臭い場面を目の当たりにするのだろうと、そう覚悟を決めていた。



 その時だった……



「お待ちくだされ!! 」



 と、群衆の中から大きな声が凛と響いてきたのである。



 今にも槍を突こうと力を込めていた昌綱の肩が、びくりと震える。

 そして彼は「誰だ? 邪魔をしたやつは」と言わんばかりに、声のした方へ、じろりと視線を移した。



 その視線の先には辰丸の姿。



 辰丸は、活火山のような昌綱と対比するように、春の海のように穏やかな表情を浮かべている。



 昌綱は血に飢えた野獣のような咆哮を、辰丸に向けて放った。



「なぜ止める!! かような害虫は、潰してしまうに限るであろう!! 

それにこやつはお主に罪をなすりつけて、この世の者でなくそうとした仇敵ぞ!! 」



 しかし辰丸は首を静かに横に振って、じっと昌綱を見つめた。



 辰丸の吸い込まれそうな瞳に、昌綱は燃え盛っていた炎に、さらさらと雨粒が注がれるような、不思議な感覚に陥っていた。




 なおも静かに昌綱を見つめ続ける辰丸。


 まるで昌綱に何かを語りかけるように……



 次の瞬間、昌綱はふとその瞳に、兄、佐野豊綱の姿を見た。



 いつも変わらぬ笑顔だった兄の姿。


 それはまるで春のうららかな陽だまりを思わせるもの。



ーー兄上……



 兄が何かを伝えようとしている。



 それが昌綱には分かった。しかし、一体何を伝えようとしているのか、物言わぬ兄の笑顔からは、皆目見当がつかなかったのである。



 しかし……



 それは次の辰丸の言葉で、全てが明らかとなったのだ。



「昌綱様。目の前にとらわれてはなりませぬ」



ーー目の前の敵だけに目を向けてはならん。大局を見よ。



 昌綱は愕然とした。



 なぜなら辰丸の瞳に映っていたのである……



 醜い復讐心に顔を歪めた自分の姿が……



 ああ……



 兄上は自分を陥れた相手でさえも、とらわれてはならぬと、そう戒めるおつもりか……



 仲間と家族の仇を討つよりも、果たさねばならぬ大義があると、そう仰るつもりか……



 獣のごとき闘争心が、辰丸と亡き兄の言葉で、急速に冷めていく。



 それは一つの夢の終焉……




「うがぁぁぁぁぁ!! 」




 昌綱は天に向かって吼えた。



ーードスッ!!



 そして彼が手にした槍を突き刺したのは……



 全てを包み込む大地であったーー



 ぽたぽたと落ちる熱い涙は、彼の無念を洗い流していく。



 その場にいる全員が唖然として言葉を失っていた。



 そんな中、最初に口を開いたのは、時宗であった。

 彼は自分の身が助かったことに安心したのか、口元を緩めて立ち上がった。



「あは……あはは! そうか! よいよい! 昌綱殿! 至極賢明な判断であるぞ!

もしここでわれを斬れば、お主は長尾家を敵に回すことになるからな!!

うむ、大儀である! あはは! 」




 時宗の乾いた笑い声が壬生城の空に響きわたると、昌綱だけでなく、佐野軍の兵たち全員の頬が悔し涙で濡れた。

 

 

 守る立場の長尾家と、守られる立場の佐野家。

 例え当主や大勢の仲間が殺されようとも、相手が長尾家の者であれば仇すら討つ事もかなわない……

 

 

 そのことが悔しくてならず、佐野家の兵たちは切歯咬牙せっしこうがしていた。

 そして時宗は、そんな彼らの様子を見て、腹を抱えながら高笑いし続けたのだった。

 

 

 

 だが……

 

 

 辰丸の熱のこもった低い声によって、時宗の顔が凍りついた。

 

 


「勘違いするな。

貴様を裁くのは、昌綱様ではない……それだけのこと」



「な、なんだと!? 」



 その瞬間、時宗の背後に影が出来ると、キラリと鋭い何かが稲妻のように光った。

 

 

――スパッ……



 唖然とする時宗の背で、空気を切り裂く冷たい一閃は、彼の耳を風圧となって撫でる。

 

 

「ひっ!! 」



 思わず声を上げながら時宗が振り返ると……

 

 

 まるで花吹雪のようにはらはら舞う、艶やかな黒い髪。

 

 

 その先には……

 

 

 鮮やかに燃える白刃を振り抜いた長尾景虎の美しき残心――

 

 

 余韻を堪能するように、全てがゆっくりと過ぎていく。

 

 

 

――バサッ……

 

 

 

 黒髪の塊が、地面に落ちたと時を同じくして、時宗の総髪そうはつが崩れ、上げていた髪が全て下ろされた。

 

 

 

「え……? 」




 時宗は、自分の身に何が起こったのか理解出来ないでいた。

 

 

 しかし……

 

 

 彼は自分の頭に手を当てた瞬間、

 

 

「ぎゃあああああああ!! 」



 と、泣き叫んだのである。

 

 

「われの! われのもとどりがぁぁぁぁ!! うぎゃああああ!! 」



 無惨な姿になって地面に落ちた彼の髪の塊……すなわちもとどりを、ひざまずきながら懸命にかき集め出す時宗。

 そんな彼を見て、景虎はぼそりとつぶやいた。

 

 

「もはや不要な物を斬り落としたまでのこと。そう騒ぐでない」



「不要なものだとぉぉぉ!! おのれぇぇ!! 武士の命であるもとどりを落とされることが、どれほどの屈辱か、知ってのことかぁぁぁ!! 」



 時宗は恨めしそうに景虎を睨みつけながら、顔を真っ赤に染めた。

 

 

 それもそのはず。

 

 武士にとって、もとどりという髪を後ろで結わいた部分は、身分を象徴するもので、言わば「命」のようなものである。

 つまり髻が切られた時点で、「武士でなくなる」ことを意味する。

 ましてや、それを他人から斬られるというのは「髻切もとどりきり」と言って、会稽之恥かいけいのはじとも言える、凄まじく屈辱的なことなのだ。

 

 

 すなわち、当主から髻を斬り落とされたということは……

 

 

――当家ではお主を武士とは認めない。



 ということ――

 

 


「うがああああああ!!! 」



 我を忘れた時宗は、刀を抜いて景虎に襲いかかった。

 

 

 しかし、景虎と時宗の間に、素早く潜り込んだ千坂景親の鉄拳が繰り出された。


 

――ドンッ!!



 時宗の腹に豪快にめり込んだ千坂景親の拳。そこから放たれる衝撃は、時宗の内臓を引っ掻き回した。

 

 

「ぐはぁぁぁぁぁ!! 」



 と、目玉を飛び出しながら叫び声を上げた時宗はその場でうずくまる。

 彼を見下ろしながら千坂景親は、

 

 

「無礼者め。身の程を知れ」



 と言い残すと、再び景虎の背後に控えた。

 そして、景虎は悶絶する時宗に対して、最後に一言告げたのだった。

 

 

 

「もうお主に用はない。どこへでも消え失せるがよい」

 

 


 両膝を地面につきながら、まるで土下座をするように腹を抑えて苦しんでいる長尾時宗。

 そして磔にされたまま、すっかり忘れ去られている黒川清実。

 

 

 彼らの屈辱にまみれた様子を目の当たりにして、ようやく溜飲を下げた佐野軍の兵たちは「ワアッ!! 」と大歓声を上げた。

 

 

 しばらく皆の様子を目を細めて見つめていた景虎であったが、辰丸が小さくうなずいたことを合図に、天を震わせる大声で号令したのであった。



「これより我が軍は越後に戻る!! 皆の者!! 出立の準備をいたせ!! 」



――オオッ!!




………

……

 この日は初夏とは思えぬほどに、湿り気のない爽やかな空気に包まれた一日だ。

 照りつける太陽の光は、笑顔を見せる長尾、佐野軍の兵たちの歯を白く輝かせている。

 

 

 辰丸は雲一つない青空を見上げると、眩しそうに手をかざした。

 

 

 自然と湧きあがる情熱。

 

 

 彼はこれから始まる新たな日々に期待を膨らませながら、越後への帰路についたのだった。

 

 

 

 ……しかし、辰丸は知る由もなかった。

 

 

 これからさらなる試練と苦難が彼を待ち受けていることに――

 

 

 

◇◇

 永禄元年(1558年)7月2日、長尾景虎が越後、春日山城に無事に帰還したことで、今回の下野遠征は終わりを告げた。

 

 長尾家にしてみれば、下野において群雄割拠の様相を呈していた、宇都宮氏、壬生氏、小山氏を全て降したことで、その影響力の強化に大いなる成功を収めた。

 

 さらに佐野氏との連携を強めたことで、上野から下野へとつなぐ関東への道を確保できたという点は、最も大きな戦果と言えよう。

 

 そして……


 『抜本塞源』……すなわち諸悪の根源を根こそぎ抜き取ることもかなった。


 それは言わずもがな、長尾時宗と黒川清実の粛清。

 重臣同士の根深いいがみ合いは未だくすぶっているものの、少なからず長尾景虎の当主としての権威を高めることになったのである。

 


 その後の二人について触れておくと、黒川清実は、越後に戻ると居城が燃えていた……


 それは密かに景虎に命じられた柿崎景家によって、猛攻を受けたからであった。


 つまり景虎は清実の所領を取り上げたのだ。


 これによって彼は名実共に国衆の立場を失い、その権力も兵力も含めて、全てを失ったのだった。



 そして上田長尾家の嫡男、長尾時宗は、父親であり、長尾家において重鎮である長尾政景の元へ、真っ直ぐに帰った。


 しかし彼を待っていたのは……



 門前払い……



 既に事の次第を全て聞いていた政景は、時宗に対して、二度と敷居跨ぐことを許さなかった。


 すなわち時宗は長尾家を勘当されたのである。


 その後彼の姿を見た者はおらず、長尾家の家系図にも彼の名が刻まれることはなかった。



 言うまでもないことだが、これにより長尾時宗と、高梨政頼の娘、黒姫との婚約は解消されたのであったーー




  第二章 抜本塞源

    〜完〜



これで第二章は終わりになります。

お楽しみいただけたでしょうか。


次回からは第三章『窮途末路』。

新たな長尾家の重臣となった辰丸に、大きな試練が待ち受けるのですが……


引き続きお楽しみいただけると幸いでございます。


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