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引縄批根! 消えた使番③

◇◇

 佐野昌綱らが壬生城へ戻ってからの三日間……


 それは昌綱にとっては、地獄の日々であった。

 事あるごとに長尾時宗と黒川清実の二人は、彼の機嫌を取ろうと声をかけてきては、彼の心を乱した。


 それでも昌綱がすんでの所で踏み止まれたのは、


ーー目の前にいる敵だけに目を向けてはならん。大局を見よ。


 という、兄、佐野豊綱の遺してくれた言葉があったからだ。



 そしてもう一つ。


 彼にとって朗報が舞い込んできた。

 それは本拠地である唐沢山城から五百の援軍が、壬生城に入ったことであった。


 心身共に新鮮な仲間たちと触れ合うことは、何よりも傷ついた心を癒すものだ。



 こうして新たな仲間や宇佐美定勝らに支えられて、昌綱の固く握られた鉄拳は、誰に落ちることもなく時は過ぎていったのだった。



 そしてついに……



 三日が経過したーー




 それは日付が変わった深夜のことだった。



 すなわち永禄元年(1558年)6月25日 丑刻(およそ午前二時)ーー



 甲冑姿に身を包んだ佐野昌綱は、馬上で静かに深呼吸をした。



 そして……



ーーバッ……!!



 と、高々と右手を夜空へ掲げた。


 それは合図だったのである。




ーー全軍、進め!!




 という……



 佐野昌綱率いる、佐野軍六百。


 先代当主、佐野豊綱の無念を晴らす為……



 いざ、出陣!!



………

……

 その日の昼前ーー



「時宗殿ぉぉぉ!! 一大事にございます!! 」



 それはすでに太陽が空高くまで昇った頃のこと。


 血相を変えた黒川清実が、唾を飛ばしながら、長尾時宗の部屋へと飛び込んできた。


 「我が事なれり」とすっかり油断し切っていた時宗は、連日の深酒に溺れていた。そのせいもあってか彼はすっかり寝入っていたようだ。


 しかしこの時ばかりは、黒川清実も時宗のことを寝かしておく訳にはいかなかった。

 激しく体を揺すると、強引に時宗を夢から引きずり出したのである。



「なんだ? 朝っぱらから騒々しいのう……」



 眠い目をこすりながら、寝ぼけた様子の時宗が、口を尖らせる。


 すると清実は、彼の体を力づくで持ち上げると、外の様子が良く見える窓際まで連れていったのだ。



「よくご覧くだされ!! 」



 時宗は耳元でキンキンと高い声を上げる清実に、嫌そうな視線を送ると、そのままそれを外の方へ向けた。



 すると視界に飛び込んできたのは……



「なんだ……何もないじゃないか……」



 そう、それは言葉の通りに「何もなかった」のだ。


 とたんに時宗に、再び睡魔が襲ってくる。



「もう少し寝かせよ」



 そう言い残して、彼は外に背を向けた。


 

 しかし……



 その瞬間に、ようやく気付いたのである。



「何もない…… 誰もいない…… だと……? 」



ーーババッ!!



 時宗は目を見開いて、再び外を見た。


 確かにそこには誰もいなかった……


 

 彼らが率いるはずの兵すら……



「誰か!! 誰かおらんのか!? 」



 時宗は急いで部屋を飛び出すと、大声をあげて人を呼んだ。


 しかし誰も彼の声に反応する者はいない。

 不気味な静寂が城内を支配していた。




 つまり城内にも人が誰もいないのである……




「そんな馬鹿な……! なぜ!? 」



 彼は昨晩の事を思い浮かべた。


 久々に女と共に酒を酌み交わした事は覚えている。

 そこには黒川清実もいた。


 しかしそれ以降の事は全く記憶にないのだ。



「まさか…… 軒猿のきざるか!! 」



 軒猿……それは長尾景虎が十九歳の頃より編成している間者、すなわち忍びと呼ばれる者たちの集団だ。


 つまり自分と清実は女の忍びに酒を飲まされて、深い眠りについてしまったのではないか……

 そのように時宗は考えたのだった。



 もしそうだとしたら……



ーー景虎の罠か……!



 いや、長尾景虎という男は、こういった奇策を用いる事が出来る程に器用な人ではない。



 ……となると、一体誰が……



 その瞬間、時宗の中に雷光のように走ったのは……



「消えた使番か……!! 」



 消えた使番……すなわち辰丸!



「まさか生きていたというのか!? 」



 彼のことは「死んだ」と聞かされていたはず……

 となれば三日前のあの時から謀られていたということか……!?


 様々な疑問が浮かんでは、彼の苛立ちと困惑に変わっていく。

 

 

「もしやあの事を見抜かれているということか……? 」



 しかしもしそうだとしたならば、この三日間、なぜ景虎も昌綱も自分を問い詰めることをしなかったのだろうか。

 むしろ昌綱に至っては、自分たちに好意的に接してくれていたではないか……

 

 

 彼は寝起きの頭の中をぐるぐると回転させながら、自分が置かれている状況を理解しようと必死になっていた。

 

 そして答えの出ぬまま、本丸を出ると、誰もいない広場をふらふらしながら歩いていく。

 彼が目指したのは、本丸から二の丸へと続く大手門、さらにはその先の大手橋だ。

 

 

 今日も蒸し暑い一日だ。

 

 じりじりと照りつける日の光は、彼の不安や焦りを、より一層強くした。

 

 

「なぜだ…… なぜだ…… 一体なぜなんだぁぁぁ! 」



 ぶつける宛てもない怒りを、大声にして大空に吐き出す。

 しかし気持ちは晴れることもなく、かえって彼の心の中は、分厚い黒い雲で覆われていったのだった。

 

 

 ふと目の前に大手門が見えてくる。

 どうやら門は開けっ放しになっており、門番も見当たらないようだ。

 

 そして、時宗と清実は、周囲を警戒しながら、ゆっくりと大手門をくぐったのだった。

 

 

――きっとすぐに出陣出来るように、二の丸の前で待機しているのだろう!



 そんな風に楽観的に考えながら……

 

 

 

 しかし……

 

 

 長尾時宗と黒川清実は、目の前の光景に顔を白くして、大きく目を見開いてしまったのだった……

 

 

 なんとそこには彼らの行く手を塞ぐように、長尾軍の兵たちが橋を占拠していたのである。

 

 

 その中央に仁王立ちしているのは、宿老、宇佐美定満であった。

 

 

 時宗は始めこそ圧倒されたが、すぐに気を取り直すと、ぎりっと定満を睨みつけた。

 

 

「おい! 駿河。なんの真似だ? 」



 定満はいきり立つ時宗を前にしても、全く怯むことなく、淡々と告げた。

 

 

「長尾時宗殿および黒川清実殿。お主らをこれより先に通す訳にはいかん」



「なんだとぉぉぉ!!? 」



――ダンッ!!



 定満の物言いに逆上した時宗は、大手橋の真ん中まで駆けてきた。

 

 しかしその瞬間に、橋の上の兵たちが槍の先をぐいっと突きだした。

 

 

「ええい!! この無礼者どもぉぉ!! われを誰と心得ての所業であるかぁぁ!? 」



 時宗が甲高い声でわめき散らすが、定満はおろか、兵たちでさえも身じろぎ一つしない。


 時宗はますます怒りに震えながら、耳をつんざくような金切り声で続けた。



「われは上田長尾家の嫡子、長尾時宗であるぞ!!

お主らこの事が父上に知れたら、ただではすまぬぞ!! 

この反逆者どもめ!! 」



 それは、時宗の「反逆者」という言葉が放たれた瞬間のことだった。



ーーブチッ……!



 という何かが切れた音が、その場にいる全員の心に直接響いてきた。


 その直後だった……


 宇佐美定満の仏の顔が、みるみるうちに修羅に変わっていくと、定満は聞く者を恐怖の底へと突き落とすような凄まじい声で一喝したのだ。

 


「ええい!! だまれ!! この糞餓鬼くそがきがぁぁ!! 」


「ひぃっ!! 」

 

 

 思わず時宗は後ずさりして、背後にいた清実にもたれかかった。

 


 そして定満は顔を引きつらせた時宗に容赦なく言葉を浴びせたのだった。



「どの口が『反逆者』と言うか!! この愚か者め!!

お主らの悪逆非道の行いが、知れ渡っておらぬとでも思っているのか!! 」



「な……なんだと……」



「本丸にお主らの兵がおらんかったのは、誰ぞの策と思っておったら大きな勘違いである!!

なぜなら兵たちは選んだのだ!!

逆賊と運命を共にするのではなく、正義と共に戦うことを!! 」



「ば……馬鹿な……われの兵が……上田長尾家嫡子ではなく、お主らの方へついたというのか……」



「これ以上、長尾を語るでないわ!! 糞餓鬼がぁぁぁ!! 」


「ひいいい!! 」



 普段は温厚な人が、怒りに態度を一変させた時ほど、恐怖を感じるものだ。

 定満の烈火のごとき怒りの咆哮は、まさにそれにぴたりとはまるものであった。


 もはやあらがう気持ちも失せて、門の方へと転がるように逃げていく、時宗。

 清実もその背中を追っていった。



 そんな彼らに向けて定満は捨てるように言い放った。



「お屋形様が多功城を落として帰ってくる時までは、自由をくれてやるわ。

それをせめてもの情けと思え! 」




 そして、這いつくばるようにして大手門をくぐった時宗は、距離を取ったことで、少し気持ちに余裕が出たのか、定満の方へと振り返って唾を飛ばした。



「けっ! 景虎の小さい軍勢で、多功城が落とせるはずもあるまい!

首になって城に戻ってくるさまを、本丸の上から見届けてくれるわ! 」



 こうして最後の最後まで強がる姿勢を崩さず、時宗は清実とともに本丸の方へと消えていったのだった。




………

……

 二人が本丸の中へと入っていった時を見計らって、定満の隣に一人の男が近寄ってきた。


 それは定満の息子、宇佐美定勝であった。

 彼は口元に笑みを浮かべながら、定満の表情を覗き込んだ。


 その様子が面白くなかったのか、定満は不満の色を浮かべて、定勝を横目に見る。



「なんじゃ? 定勝。何か言いたげじゃのう」



「いや、なに。親父にしては随分と思い切ったことを言ったもんだと、感心していたんだよ」



「ふん! お主は父親のことを何だと思っておるのだ!

上から物を言いおって! 」



 定満は何かを誤魔化すように、ちくりと定勝をたしなめたが、定勝は気に留めることもなく続けた。



「いいのかよ? お屋形様が城を落とすと言い切ってしまって」



「なんだ、そのことか……」



 定満は肩の力を抜いて、大きく息を吐いた。



「そのことか……って、まるで城を落とすのが当たり前のように聞こえるが、多功城と言えば……」



 そう言いかけた定勝を遮るように、定満はジロリと彼に強い視線を向けた。



「確かにお屋形様の軍勢は心許ない」



 そう呟いた定満。


 しかし言葉とは裏腹に、どこか力強さを感じさせた。


 そしてその理由はすぐに明らかとなったのだ。

 定満自身の口から出た言葉によって……



「しかし今のお屋形様には、辰丸がおる」



「ほう……随分と我が友のことを買ってくれているではないか」



 定満は隣の息子と同じように、口元を緩めた。


 そして青空を見上げながら言ったのだった。



「あやつならまた大きな事をしてくれるのではないか……そう思えてならんのだ」



 その声は、まるでこの日の太陽のように明るさを映したものであった。




 

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