絶体絶命! 多功ヶ原の戦い⑨
◇◇
佐野豊綱の命を賭した足止めにより、多功軍を振り切った佐野昌綱と辰丸。
しかし彼らにはまだ苦難が残されていた。
それはなおもしつこく追い回してくる壬生の兵たちだ。
ーー追え! やつらの首を取って、宇都宮に献上して報酬にありつくのだ!
暴徒と化した彼らは目を血走らせて執拗に佐野軍を追い回す。
暴徒といっても元は足軽の彼らは足が早ければ、腕っ節も強い。
既にここまで来るのに精根尽きた佐野軍の兵たちは、次々と彼らの凶刃によって斃されてしまったのだった。
そして暴徒たちのうちの一人が、ついに佐野軍の中央……つまり昌綱の背中まで迫ってきたのである。
ーーそこにいるのは大将首と見た! 覚悟ぉぉぉ!
甲冑を身につけていない身軽なその男は、昌綱の背中目掛けて大きく跳躍した。
昌綱はとっさに振り返るが、間近に迫った男を避けることはかなわない。
「くっ! 」
短い言葉を発した彼は、歯をくいしばって男の一撃を受け止める態勢を取った。
……と、その瞬間であった。
「うわぁぁぁぁぁぁ!! 」
昌綱の斜め後ろから声が聞こえたかと思うと、
ーードカッ!!
と、いう鈍い音とともに跳躍してきた男が、昌綱の視界から消える。
ーーゴロゴロ……!
男と何者かが揉み合いとなり草むらに転がった。
そしてその何者かが大きな声を上げたのだった。
「早く行ってくだされ!! 」
それは使番の少年……すなわち辰丸であった。
彼は男を地面に抑えつけると、キリッと昌綱を睨んだ。
「しかし……」「早くっ!! 」
辰丸の有無を言わせぬ気迫が、戸惑う昌綱の背中をドンっと押す。
彼は溢れる涙を抑えずに、辰丸に背を向けた。
昌綱は覚悟を決めたようにうなずくと、
「死んだら承知せんからな!! 」
そう言い残した再び地面を蹴っていったのだった。
その様子を見て、ふっと笑みを浮かべる辰丸。
しかし思わず肩の力が抜けてしまったのが辰丸の犯した失敗であった。
次の瞬間……
「うがぁぁぁぁぁ!! 」
という野獣のような声が地面から聞こえたかと思うと、辰丸の景色が反転したのだ。
そして男は格好の獲物を逃したことへの怒りに身を任せて、辰丸の首を締めてきた。
「うぐっ……! 」
喉を空気が通らず、一気に視界が白くぼやける。
もうだめだ……
徐々に男の腕を掴む力が抜けていく……
……と、その時だった。
ーーヒュン……
と、風を切り裂く乾いた軽い音がしたかと思うと……
ーードンッ!!
という今度は重い音が辰丸のすぐ頭上でこだました。
首をしめる力が潮が引くように消えていくと、
ーードサッ……
なんと辰丸に馬乗りになっていた男が仰向けに倒れたのだった。
顔面に太い槍を突き刺されたまま……
かように重い槍を軽々と投げ飛ばして、離れた相手の頭蓋を貫くなんて……
一体誰が……?
そんな辰丸の疑問に答えるかのように、少年特有の甲高い声が多功ヶ原に響き渡った。
「おいらの『友』に何しやがる!! 」
そして、その声の持ち主は高らかと名乗りを挙げたのだった。
「おいらの名は小島弥太郎!! 人呼んで鬼小島! 死にてえ奴からかかってきやがれ!! 」
とーー
『越後の鬼小島』、小島弥太郎、熱い友情を胸に、
ここに現る!!
辰丸は力を振り絞って体を起こすと、鬼の形相で仁王立ちしている彼に声をかけた。
「弥太郎殿!! 」
「ふんっ! 一人で無茶しやがって!
おいらに任せて、寝転がってやがれ! 」
そう口を尖らせた瞬間……
ーーバッ!!
弥太郎は目にも止まらぬ速さで疾走したかと思うと、先ほど投げ飛ばした槍を抜き取った。
「うりゃぁぁぁぁ!! 」
びりびりと空気を震わせる咆哮とともに、無双の槍を振る弥太郎。
紫電一閃ーー
抗う空気など物ともせず、彼の槍は群がる敵兵の中へと、すさまじい勢いで吸い込まれていった。
そこから始まったのは、『鬼小島』による虎嘯風生。
彼は異次元の強さで百人以上はいる敵兵の中央で乱舞していた。
その姿は『剛』にして『豪』。
次から次へと弥太郎の前に立ちはだかった壬生の暴徒たちは宙を舞い、土へと斬り伏せられていく。
――ひぃぃぃ!! な、なんだあの若造は!?
――ば、ば、化け物だぁ!!
弥太郎の圧倒的な強さに恐れを抱いた彼らは、尻ごみをして自然と彼から距離を取り始めている。
「逃げるな!! 腰ぬけどもめ!! 」
弥太郎はそんな彼らに容赦なく襲いかかり、いつの間にか彼らの頭とも言える人物も討ち取った。
しかし暴徒たちを恐怖のどん底へと誘うことを決定的にしたのは、修羅の如き弥太郎ではなかった。
それは、
――ワァァァァ!!
という喊声とともに、下野の空に高々と掲げられた巴九曜紋の旗。
すなわち無双の軍団、長尾軍の襲来を示す旗だ。
それを目にした暴徒たちは、
――か、景虎じゃぁぁぁ!!
――く、く、来るなぁぁぁ!!
――もう嫌じゃ! わしは逃げるぞ!!
と、完全に意気消沈し、まるで蜘蛛の子を散らすようにどこぞへと逃げ落ちていく。
そして瞬く間に多功ヶ原に静寂が戻った。
それはすなわち多くの犠牲を払いながらも、絶体絶命の窮地から佐野昌綱と辰丸が撤退に成功したことを意味していた。
そう……
それは全て終わったという証……
全身の力を抜いて、再び仰向けになって天を仰ぐ辰丸。
その目に飛び込んできたのは夏の太陽だ。
――こんなにも眩しかったなんて……
うっすらと額から汗がにじむ。
――こんなにも暑い日だったなんて……
今日という一日が、なぜか今から始まったような不思議な感覚に辰丸は、言いようのない感動を覚えていた。
ふと、目の前が黒い影で覆われると、そこには彼の顔を覗き込む二つの顔。
言うまでもない。
彼の『友』……
宇佐美定勝と小島弥太郎であった。
「おい、辰丸。もう大丈夫だぜ。ほれ、手貸してやるから立ち上がれ」
ずいっと差し出される定勝の手は、なぜこんなにも懐かしくて優しいのだろう。
ああ……
生きているんだ。
生かされたんだ。
そう思えた瞬間に鼻の奥が熱くなり、込み上げてくるものが目を通して溢れだした。
「ありがとう…… ありがとうございました……」
辰丸は両手で顔を覆うと、しばらくの間泣きじゃくっていた。
初夏の風は温くて、不快を誘う。
しかし辰丸にとっては、今生きている実感を呼び起こす、奇跡のような風に思えてならなかったのだった――




