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絶体絶命! 多功ヶ原の戦い⑧

短いですが、心を込めました。

どうぞごゆっくりとご一読いただけると幸いでございます。

◇◇

 佐野昌綱は幼い頃から兄、佐野豊綱の事があまり好きではなかった。

 

 由緒ある佐野家当主の嫡男にも関わらず、大の戦嫌いくさきらい。

 槍や刀を持たせても上手く扱えなければ、馬に乗るのも下手。

 当然、戦場に出れば、華々しい功績を挙げる訳はない。

 

 常に強い者には頭を下げ、家臣たちにも甘い。

 

 

 佐野家当主なら、もっと威厳ある人であって欲しい。

 

 

 気が弱くて、優しすぎる兄。

 

 

 決して怒らず、いつも穏やかな笑顔。


 

 

 

 その変わらぬ笑顔が、今……

 

 

 昌綱に向けられていた――

 

 

 

「兄上…… 何をお考えなのですか……? 」




 時が止まったような不思議な感覚。

 

 

 兵と兵が激突する音も、喊声も聞こえない。

 

 

 そこにいるのは兄と弟……

 

 

 ただ二人だった……

 

 

 

「昌綱よ。後は頼んだぞ」




 その言葉に昌綱は大きく首を横に振った。

 

 

「そんなこと……駄目に決まっておろう……兄上は佐野家当主なのですぞ……」



「だからだ……俺が佐野家当主であるから、昌綱を逃がせるのだ」



「ありえませぬ! 当主を囮にして自分一人生き延びるなど、ありえる訳ございませぬ! 」



「よく聞け、昌綱。目の前にいる敵だけに目を向けてはならん。

大局を見よ。さすれば兄の今の気持ちが分かるであろう」



 最初で最後の兄からの説教。

 

 

 それはとても穏やかで優しい口調。

 

 

 昌綱の涙も震える心も、全て包み込むように――

 

 


「これからは昌綱が佐野家当主だ。佐野家のこと……くれぐれも頼んだぞ」



「駄目だ! 嫌じゃ! 嫌じゃ! 嫌じゃぁぁぁ!! 」



 とうとう泣き叫び出す、昌綱。

 

 

 その瞬間……

 

 

 『音』が戻った。

 

 

――昌綱様! 早く前へ!! 敵に追いつかれてしまいます!!



 前方の兵たちが必死に声を上げて、昌綱を呼ぶ。

 

 その声に弾かれるようにして豊綱が大声で号令を発した。

 

 

「昌綱を連れて行け!! 早くっ!! 」



 数人の兵たちが昌綱の体をがっちりと掴むと、なおも暴れる彼を引きずるように前方へと追いやっていく。

 

 そして辰丸もまたその場に立ちつくしていた者の一人であった。

 茫然とする辰丸に対して、豊綱がゆっくりと近寄ってくる。

 

 

「使番殿……お主の名は何と申す? 」


「辰丸にございます」


「そうか……辰丸殿……」



 にこりと辰丸に笑いかけた豊綱は、なんと次の瞬間に深々と頭を下げたのだ。

 

 

「弟のこと……しいては佐野家のこと……どうかよろしくお願い申し上げる」



 辰丸はあまりのことに言葉を失って戸惑った。

 

 頭を上げた豊綱は、その様子に目を細めながら「さあ、もう行け」と促す。

 

 辰丸は悔しそうに唇を噛む。

 そして、

 

「申し訳ございませぬ……」



 と言い残すと、一礼してその場を去ったのだった。

 

 

 

 

 こうして佐野豊綱は彼に付き添うわずかな兵とともに多功ヶ原に残った。

 

 

 言わずもがな、すぐに多功軍と壬生軍の軍勢に囲まれてしまった。

 しかし彼は落ちついた表情で、静かに目をつむる。

 

 

 ふっと風が横切る。

 

 

 初夏の風は生温い。

 

 

 それでも彼の火照った体に、一時の涼を与えた。

 

 

 この一瞬だけは、誰にでも許される自由の時……

 

 

 彼の場合は空を見上げた。

 

 

 先日まで空を覆っていた雨雲は彼方へと消え去り、嘘のように晴れ渡っている。

 

 


「下野の 青空舞いし 大鷹に 願いをこめる 旅立ちのとき 」

 


 

 豊綱は静かに前を向いた。

 

 

 

「われこそは、佐野家当主、佐野豊綱なり!! 我が首欲しくば、その手で奪ってみよ!! うおぉぉぉぉ!! 」




 聞く者の耳を貫くような大声を発した豊綱は、押し寄せる多功軍の中へと飛び込んでいった。

 


 愛する弟を守る為に……



 佐野家の未来に一筋の光を残す為にーー



 

 

 そして、これよりわずかの後――

 

 

 

――佐野豊綱!! 討ち取ったりぃぃぃぃ!! 




 という声とともに多功軍から歓声が上がったのだった――

 

 

 

 佐野家第十四代当主、佐野豊綱。

 多功ヶ原にて戦の華となって散る……

 

 弟思いの優しき当主の最期は、気高く立派なものであった。



 彼の足止めにより多功軍は、完全に佐野昌綱を見失った。

 そして「当主を討ち取った今、深追いは無用」という大将の号令によって、彼らは城へと引き上げていったのだった。




 

 

 


 


佐野豊綱の辞世の句は、私の創作にございます。


なお彼の事はあまり記録に残っておらず、その人物像を描くのに苦労いたしましたが、多功ヶ原に散った勇気ある将であったことは間違いありません。


きっと弟思いの兄であったのだろうと、推測してこの物語をつづりました。


皆さまの心に届きましたでしょうか。



さて、次回は辰丸と佐野昌綱の撤退の続きになります。

そして新たな展開が彼らを待ち受けることになるのです。


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