絶体絶命! 多功ヶ原の戦い⑥
◇◇
疾風の如き辰丸は単騎で多功軍の中へと突っ込んでいった。
この軍勢は黒川清実のいた陣の辺りから佐野軍の背後を襲いかかった軍勢だ。
彼らは格好の獲物である佐野軍の兵の背中しか目に入っていないのは当たり前のこと。
つまり脇から突如として現れた辰丸の姿など歯牙にも掛けなかったのである。
兵と兵を縫うように進んでいく辰丸。
彼の目指している人物はただ一人……
佐野家当主、佐野豊綱であったーー
ーーどうかご無事でありますように!
辰丸はそう祈りながら馬の腹を懸命に蹴った。
そして乱戦の最中、守る兵たちに囲まれながらも懸命に槍を振る豊綱の姿が目に入ってきたのである。
「豊綱様ぁぁぁぁぁ!! 」
辰丸は力の限り叫ぶと、聞き覚えのある声に豊綱はハッとしたように首を辰丸に向けた。
もちろんその大声に多功軍の兵たちも反応する。
しかし辰丸は躊躇することなく馬の首を豊綱の方へと向け続けたのである。
ーードドッ! ドドッ!
重量感のある力強い蹴りは群がる兵たちに思わず道を作らせる。
そして豊綱の目の前までやってきた辰丸は勢いそのままに叫んだ。
「とにかく昌綱様と合流を!! 陣形が伸びては撃破されるだけにございます!
私に付いてきてください!! 」
この時既に辰丸は佐野豊綱と昌綱の二人の大将が離れて戦っていることを見抜いていた。
つまり陣形は縦に伸び切っている。
このままでは守るにも攻めるにも分が悪い。
そこで彼は二つの軍を一つにまとめて陣形を整え直すのが先決ととっさに判断したのだ。
『群青色の母衣』の辰丸は、ひと時も止まることなく戦場を駆ける。
額の汗は光り、頬は泥に汚れている。
しかし今の彼が気に留めるはずもない。
なぜなら辰丸は一つのことに全神経を集中させていたからだ。
ーー必ずや、この絶体絶命の危機を全員で乗り切るんだ!
ということに……
「皆の者!! かの者に続くのだ!! 」
辰丸の背後から豊綱の号令が聞こえると、彼は安心してもう一人の『目標』を目指した。
無論、佐野昌綱だ。
そして彼の勇姿はすぐに目に飛び込んできた。
劣勢にも関わらず一歩も引かず、群がる敵を自らの槍で倒していく。
その勇ましい姿はまさに戦場に降り立った獅子のごときであった。
「昌綱様!! 」
辰丸は再び大声を上げた。
しかし昌綱は冷たく彼を突き放した。
「何をしにきた!!? 偽者の使番が!! 」
「偽者……? 」
「お主の全軍退却の号令は偽報! 長虎殿の軍勢はもうすぐやって来るのであろう!!? 」
「その報せこそ偽報にございます!! 」
「何を!? くっ! もうお主と余計な話をしている間ではないっ!! 」
「とにかく今は陣形を整え直しください!! 」
槍を振り回し続ける昌綱の周囲に豊綱の率いる兵たちも集まってくる。
辰丸は馬から降りると豊綱の元まで駆け寄って、必死に声を上げた。
「豊綱様と昌綱様を中心として円を描くように兵たちを並べて下さい!!
「囲いの構えか!! 」
「はいっ! とにかく今は守りを固めてください! 」
「よしっ! 昌綱!! 一旦引け!! 」
「くっ! 仕方ない!! 」
機を見るに長けた昌綱は兄の言葉に素直に従う。
そして彼が側までやってきたのを見た瞬間に豊綱は天を震わせた。
「全軍!! 囲いを作り、守りを固めよ!!
攻めるな!! 今は守るのだ!! 」
号令の瞬間に、豊綱、昌綱そして辰丸の三人を中心として堅固な囲いの陣形が完成する。
しかし……
ーー敵は固まった!! 弓を放てぇぇぇ!!
と、目の前の多功城から大量の弓矢が飛んできたのである。
ーーカンッ! カンッ!
それらをなんとか槍で防ぐ佐野軍。
しかし城からも戦場からも猛攻を食っていたのでは、じり貧になることは目に見えている。
辰丸はすぐさま次の行動を豊綱と昌綱に進言した。
「かくなる上は強行軍による撤退しかございません! 」
しかし昌綱は辰丸の肩を掴むと、鬼の形相で問い詰めた。
「てめえ!! 一体何様のつもりだ! 何を考えてやがる!! 」
いきり立つ昌綱に対して、辰丸はギリっと眉間に皺を寄せて睨みつけた。
その圧倒的な眼光は、勇将昌綱と言えども思わず肩を掴む手を緩めて後ずさってしまうほどだ。
「生きる!! ただその一点のみ!! 」
辰丸の気迫こもった言葉に昌綱は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
そして辰丸は静かに続けたのだった。
「今、佐野豊綱様と昌綱様は何者かの罠にはまり、孤立無援の窮地にございます! 」
「ではなぜお主は戻ってきたのだ!? 」
当然のように湧く疑問。
しかし辰丸は当然のように答えた。
「お助けするためにございます!! 」
ーーププッ!
思わず昌綱は生死をかけた最中であるにも関わらず、吹き出してしまった。
それもそのはずだ。
今目の前にいる少年は、佐野家の一員ではない。
むしろ立場上は佐野家の上位に位置している長尾家の者なのだ。
そんな彼が自らの命を顧みずに、歴戦の勇将である自分や兄のことを助けにやってきたというのだ。
これほど滑稽なことはない。
しかしなぜだろう……
この少年なら何かしでかしてくれそうな、そんな気がしてならないのだ。
昌綱は豊綱の顔をチラリと見る。
そして互いに考えていることは同じようだ。
昌綱は口元に小さな笑みを浮かべて辰丸に言ったのだった。
「では頼もう! 軍師殿よ! 」
と……
この言葉とともに、いよいよ始まったのだ。
天才軍師、辰丸による乾坤一擲の撤退戦がーー