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絶体絶命! 多功ヶ原の戦い④

永禄元年(1558年)6月21日 正午ーー



「引くぞ」



 長尾景虎は、側にいる千坂景親に短く告げると、壬生城の方へと馬の腹を蹴った。


 そして千坂景親は甘粕景持とともに長尾軍本隊をまとめると、そのまま撤退を開始したのだった。


 

 こうして長尾軍の撤退は始まった。



………

……

 本陣から自軍へと戻ってきた宇佐美定満は、軍監としての役目を果たすべく、長尾軍の残りの二隊、すなわち長尾時宗と黒川清実の二人が率いる軍勢の合流を待つことにした。



 すると目に入ってきたのは、一筋の狼煙……



「なんだ? あの煙は……? 」



 定満は不審に思い、煙の上がる方へと目を凝らすと、どうやらそこは長尾時宗の陣の方から上げられたもののようだ。



「何をしておられるのだ……あのお方は……」



 そう眉をしかめたが、何をするということもなく、二人の到着を待つ定満。



 するとしばらくした後、彼の元へとこのうちの一人がやってきた。



 それは黒川清実だった。



 定満はどこか胸騒ぎを覚えた。



 それは彼自身も理由は分からない。

 しかしどこか違和感を感じたのだ。


 目を丸くしている定満に対して、清実は皮肉を込めた言葉を口にした。



「これは駿河殿。目付けのお役目ご苦労様でございます。

もしやそれがしが相手方の方へと走るお思いでしたか? 」



「い、いや……かようなことは考えておらん」



「くくく……その割にはどこか不思議そうにしておられますな。

ではそれがしはお先に壬生城へと向かいます」



「あ、ああ……」



 定満は生返事で答えると、清実は兵たちとともにその場を去っていった。



 何かがおかしい……



 狼煙……


 黒川清実……



 この二つがなぜか引っかかる。



 しかし何も答えは出ないままに、彼が待っていた残りの一人がやって来た。



 無論、長尾時宗であった。



「駿河か。まさか俺が言いつけ通りに退却しないのではないかと思っていたのか?

ふん、どこまでも疑り深いやつだ」



 そう言い残すと、彼はそのまま定満を素通りして壬生城へと向かっていった。



 これで定満が待つべき人は全員ここを去った。



 こうなれば後は彼自身が去るだけだ。

 しかし彼は未だに動けないでいたのだ。


 と、そこに彼の息子の宇佐美定勝が声をかけてきた。



「おい、親父! そろそろ動こうぜ」



「あ、ああ……そうだな……」



「どうしたんだよ? 親父らしくもない。

何か気になることでもあるのかよ? 」



「い、いや……なんでもないのだ。なんでもないのだが……」



 煮え切らない父に対して、大きくため息をついた定勝は、首をすくめると一つ提案をした。



「なら俺の小隊と弥太郎がここに残って、殿しんがりの佐野豊綱殿を待つとしよう。

それでいいか? 」



 定満は目を大きくして息子の定勝を見た。


 息子は何かあれば真っ先に逃げ出す情けない男なのだ。

 それが今、父に代わって彼の疑問を晴らそうと戦場に残ると言うではないか。


 定満はそんな息子に何が起こったのか、不思議でならなかったのだ。


 すると定勝は目をそらしながら言ったのだった。



「俺の新しく出来た『友』が頑張っている姿を見ていたらな……

俺もお家の為にやんなきゃなんねえなって、そう思っただけだよ」



 定満はその言葉に、嬉しそうに目を細めた。

 そんな父親に対して、急に気恥ずかしくなった定勝は、突き放すように言った。



「いいからもう行けよ! 早く行かねえとお屋形様が心配なさるだろ! 」



「ああ……そうするとしよう。

くれぐれも無理はするでないぞ」



「あったりまえだろ! 何よりも自分の命が大切だってのは、今も変わんねえよ! 」



「ふっ……そうか、では後は頼んだ」



 定満は馬の首を背後に向けると、すぐさま腹を蹴った。



 風となって壬生城へと突き進む定満。


 その間も一度覚えた違和感は拭えないままだったーー



………

……

ーー清実の軍は少し位置を変えて、あそこに見える藪の中にある。ほら、旗が見えるであろう



 先日までの敵意むき出しの顔からは考えられないほどの長尾時宗の丁寧な言葉。



 辰丸はどこか気持ち悪いものを抱えながらも、その言葉の通りに、黒川清実の旗が立っている藪の方へと駆けていった。



 

 目的の藪の手前までやってきた辰丸。


 さすがにこの中を馬で通っていくわけにもいかず、適当な場所に馬をつなぐと、自分の足で中に入っていった。



 しかし……



 その中に入った瞬間に感じる違和感……



「静かすぎる……」



 それはとっさのことだった。



ーーガサガサッ!



 彼は無意識のうちにとある場所へと身を隠した。



 その次の瞬間……



「おいっ! そこに誰かいるのか!? 」



 と、聞きなれない野太い声が藪の中に響いてきた。


 もちろん一言も発することもない辰丸。



ーーガシャ……ガシャ……



 草木をかき分けるようにして辰丸の隠れている方へと、何者かが向かってくる。



 そして現れたのは……



 宇都宮の旗を背にした足軽が三人……



――敵兵!? どうして!?



 辰丸はにわかに混乱したが、近くにせまった敵兵はまるで落ち武者狩りでもするかのように、血眼になって辺りを見渡していた。


 そして、



ーードンッ!!



 と、彼らは手にした槍で、人が隠れることが出来そうな草むらに突き刺していく。


 しかし何の手応えもないことに肩をすくめた。



「きっと狸か狐だろう。気にすることはない。

今は目の前の敵を叩くことを考えるとしよう」


「そうだな。せっかく佐野豊綱の背中に回り込んだのだ。これで手柄ならいくらでも挙げられるだろうからな! あははっ! 」


「しかし佐野豊綱も哀れよのう。まさか長尾軍の中に我らに内通している者がいるとも知らず、決死の突撃をしようとしているのだからな! がははっ! 」


「さあ、もうすぐ佐野軍が城へ突撃するぞ! それを合図に我らも佐野軍の背後を突くのだ! 」



 三人はそう言い残してその場を後にしていった。



 人が去っていったことで、辺りは再び静寂に包まれる。

 

 地面には槍で突かれたいくつもの穴。

 

 

 そんな中、辰丸は……

 

 

「ふぅ……なんとかやり過ごしたようですね」




 なんと大木の上に隠れていたのだった――

 

 

 

 元より川中島周辺は野山に囲まれた自然豊かな所。

 幼い頃より野を駆け、木に登ることが日常茶飯事であった彼にとって、たとえ重い甲冑を身にまとったままでも、手と足がひっかけられる場所さえあれば、木の上に隠れることは造作もないことなのだ。

 

 

 そして彼はたった今耳にした内容に顔を青くしていたのだった。

 

 

「長尾軍内に敵と内通していた者がいる……」



 そうつぶやいた瞬間、彼の中で電撃のように走ったのは、とある光景だった。

 

 

 

 長尾時宗と黒川清実の二人が密談を繰り返していた光景――

 

 

 

「まさか……」




 しかしよく考えれば、この戦において長尾家の者が敵と内通する意味はほとんどないはずだ。

 なぜならこの戦では「勝つことも負けることもない」言わば、「引き分け狙いの戦」なのだから。

 

 万が一敵方へと寝返ったところで、それは単に長尾家を出奔することだけを意味しているに過ぎない。

 

 そんな事を、下野からかけ離れた越後の国衆の黒川清実と、長尾家一門衆の一人である長尾時宗が考えて、何の得があるだろうか……

 

 しかも仮に敵方へ寝返るにしても、撤退の号令が出た今である必要はあるのだろうか。

 

 機を見て長尾軍の両翼であった彼らがいっぺんに反旗を翻せば、ここまで滞陣を長引かせずとも、一気に長尾軍と佐野軍を追いやることは出来たはずだ。

 

 そう考えると、もし仮に彼らが内通者だとした場合、「宇都宮軍の勝利に貢献すること」が狙いではないということになる。

 

 

「一体何が目的だというのでしょう……」



 辰丸は高速に頭を回転させる。

 

 もしこのまま敵をやり過ごして壬生城へと帰っていった場合、一体何が待っているのだろうか。

 どんな状況に陥るのだろうか。

 

 そんな少し先の未来のことを懸命に頭を巡らせたのだ。

 

 

 ……と、その時だった――

 

 

 一つの考えが、まるで光が射すように彼の頭の中を照らした。

 

 

 

「そういうことか…… しかし、もしそうなら……」




 そう呟いた瞬間であった。

 

 

――ワァァァァァ!!



 という藪の木々を揺らす大喊声が響いたかと思うと、藪の先で兵と兵が激しくぶつかる音が聞こえてきたのである。

 

 

――バッ!!



 辰丸は考える間もなく木を飛び下りて急いで藪の外へと出ると、繋いであった馬にまたがった。

 

 そして彼は一直線に馬を走らせたのである。

 

 

 退却すべき壬生城の方ではなく、

 

 

 激戦が繰り広げられている中央の方へ――

 

 






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