勇往邁進! 上野原の戦い⑥
弘治3年(1557年)6月23日――
日向城を攻略し、勢いに乗じた長尾景虎率いる、長尾軍第一軍は早くも中野城へと殺到していた。
先陣を切るのは、後の上杉四天王の一人、甘粕景持。
言わずと知れた長尾軍の先鋒を常に任される程の猛将で、その真っすぐな気質はまさに長尾家の象徴のような男だ。
そのすぐ後ろには高梨政頼の軍が続いている。
宇佐美定満は彼と駒を並べて行軍していた。
そして中野城を一望できる場所までたどりつくと、定満は独り言のようにつぶやいた。
「やはりさしたる抵抗はなさそうだな」
政頼もまた小さな声で返す。
「これも辰丸とかいう少年の思惑通りという訳か……」
「しかしここまでなら、この辺りに明るいものであれば予想は出来よう。しかし……」
「まだ十三の少年がどうしてここまで正しく見極めることができようか……」
実はこの時既に定満は政頼に対して、辰丸から聞かされた作戦について話をしていた。
無論、景虎の許可を得てのことである。
そして作戦を聞かされた際に、日向城から中野城の攻略の武田軍の出方に辰丸は言及していたのだが、今の戦況はまさしく彼の言葉の通りに進んでいたのである。
さらに言えば、もし辰丸の言葉の通りに戦が進んでいるとするならば、ここまではまだ序盤ということになる。
「中野城を落とした先が『本番』と申しておったそうだな? 」
政頼が定満にたずねると、彼は小さくうなずきながら答えた。
「反撃にうって出てくる武田軍の撃退こそが、こたびの戦の『本番』とのことらしいからのう」
政頼にはこれが未だに半信半疑であった。
彼は中野城奪還こそが今回の戦の『本番』であり、後は防御に徹し、武田軍の反撃が小さくなったところで作戦の終了だとばかり思っていたのである。
つまり今回の戦は「いかにして武田軍から川中島を守るか」という『守備面』に焦点があたるものだと、政頼も定満も考えていたのだ。
しかし辰丸の考えは真逆であった。
すなわち「いかにして武田軍を撃破するか」という、『攻撃面』だけに作戦の焦点があたっているのだ。
この点に彼らは驚きを禁じ得なかった。
しかしそうなると確実に避けては通れぬ難題がある。
それは…
『甲山の猛虎』、飯富虎昌の存在。
そして、総勢二万とも言われる武田軍だ。
しかし、辰丸はこたびの戦には武田軍は全軍を持ってあたってくることはないだろうと考えているようだ。
それは今までの武田軍の動きを見ていれば分かるという。
彼の読みでは川中島における武田軍の総勢は多くとも一万から一万二千の間であろうと。
つまり長尾軍の総勢一万と兵数の上では大きく変わらないと想定しているのである。
だが仮にそうだとしても武田軍を率いているのは、かの飯富虎昌なのだ。
たとえ長尾軍強しといえども一筋縄ではいかないことは自明の理。
それどころか彼とまともにぶつかりあえば、勝てるかどうかすら危ういものと考えられた。
しかし辰丸は、飯富虎昌の攻略についても何でもないようなことと考えているように、泰然としていたのである。
それは彼のこんな一言からもうかがえた。
――正面に立てば虎に食われてしまうでしょう。しかし横に周れば、その腹を突くことはたやすい。すなわち正面に兵を置かなければ、虎退治は苦ではないのです。
しかしここで当然のように浮かぶ一つの疑問。
「正面に兵を置かずして、飯富虎昌ともあろう猛将が脇を突かせるだろうか……」
という点だ。
定満がつぶやくと政頼も大きくうなずく。
その為の策が定満らには授けられたのだが、果たして未だに素性の知れぬ少年の言葉をうのみにしてよいものか。
だが総大将である景虎が辰丸の打ち出した策に乗り気である以上は従わざるを得ないというものだ。
「景虎殿もなぜかように大きな賭けに出たのだろうか? 」
政頼が甥の景虎の真意を計りかねて定満に問いかける。
すると定満は小さな声で答えた。
「それはただ一つでしょうな……」
「景虎殿自身がこたびの戦にて大いにご活躍されるだろうから……ということか」
「ええ、全くその通り。辰丸はまたお屋形様の『心』を攻め落とした、ということになりましょう」
つまり、この戦においての勝敗は景虎自身の活躍いかんによって大きく左右されると言っても過言ではない。
辰丸は景虎にそう訴えたのだろう。
直情的な景虎がそれを聞いて燃え上がらないはずはない。
恐らく二つ返事で「われに任せろ」と答えたであろうことは、火を見るより明らかであった。
「失敗に終わるということは考えられないのであろうか」
政頼は眉をしかめながら定満に問いかけた。
しかし定満は同調せずに首を横に振った。
「かくなる上はお屋形様の勘と、辰丸という少年の策を信じるより他あるまい。
それ、もうお味方は城を落としますぞ」
ふと前方を見ると先鋒の甘粕景持の軍と、高梨政頼の軍の兵たちが中野城の奥まで進んでいるのが見て取れる。
それを見ながら定満は目を細めて言った。
「さあ、これからが『本番』。
辰丸なる少年は、福をもたらす大黒天か、禍をもたらす天津甕星か……」
こうつぶやいたものの、定満の腹の内には不安よりも期待の方が遥かに大きかった。
彼もまた辰丸という得体の知れない少年に、底知れぬ何かを感じていたのである。
それを示すように彼の口元はかすかな笑みを浮かべていたのだった。
弘治3年(1557年)6月23日 夕刻。
中野城、陥落――
………
……
弘治3年(1557年)6月24日 塩崎城――
ここ二日間、城内に張り詰めていた殺伐とした空気は、とある若武者の到着によって一変した。
武田晴信の嫡男、武田義信が千の軍勢を引き連れて涼やかに到着したのである。
これまで晴信の動きに不満をあらわにしていた飯富虎昌の表情が様変わりすると、一気に城内も真夏の空のように明るくなったのであった。
出迎えた人々に笑顔で応えながら城主の間へと向かう義信。
その姿だけでも、大物感をひしひしと感じさせるものだ。
この時まだ十九の青年は、武田家の燦々と輝く未来への象徴のような存在であった。
そして早足で城主の間へと入った義信は、破顔一笑した飯富虎昌を見て大きな声をかけた。
「爺! 今、参ったぞ! 」
『利根者(賢いということ)』とうたわれた者に相応しく、初夏の湿り気を吹き飛ばすような爽やかな第一声に、聞く者全てが心を奪われる。
虎昌もまたその一人であった。
「よう、来た! よう、来た! はははっ! 若殿が来られれば、我が軍も敵なしというものだ! 」
義信もまた口元に笑みを浮かべると、上座に流れるような動作で座る。
そしてこれまでの緩んだ雰囲気を引き締めて、虎昌に問いかけたのだった。
「敵は『守り』の布陣に徹しているようだな? 」
虎昌は義信の重みのある口調に、ぐっと目に力を入れて答えた。
「左様ですな。源四郎、状況を若殿に伝えよ」
「はっ! 」
横に控えていた飯富源四郎は短く返事をすると、長尾軍の布陣について説明を始めた。
すなわち……
長尾景虎本隊は三千。飯山城前に布陣。
高梨政頼隊、千。甘粕景持隊、千。合計二千が中野城前に布陣。
柿崎景家隊、三千。斎藤朝信隊、二千。合計五千が上野原に布陣。
それは、飯山城と中野城を守る為の『防御』の陣としか言いようのないものだ。
まさか『攻撃』の陣だと、誰が予想出来ようか……
ご多分に漏れず義信も、『長尾軍は防御に徹して、武田軍が退くのを待っている』と捉えているようだ。
義信は快活に笑いながら言った。
「あははっ! 長尾景虎め! 毘沙門天の化身と自称するにしては、恐れるに足りぬ男よ! 」
「若殿のおっしゃる通りじゃ! 勢いに乗じて攻め込んでくると踏んで、李代桃僵の構えを取ろうとしていたわしが馬鹿を見ましたわ! はははっ! 」
部屋の中に二人の笑い声がこだますと、その他の人々も口元に余裕の笑みを浮かべていた。
しかし、源四郎だけは引き締まった顔を崩さずに二人の様子をじっと見つめていたのだった。
そして義信は笑顔のままに、大きな声で続けた。
「しかし父上も慎重過ぎるものよ! 慎重も度が過ぎると、『臆病』と間違えられても仕方あるまい! 」
この時、義信は晴信が川中島まで兵を率いてやってこない事を知っていた。
それを嘲笑するような言葉に虎昌も笑顔で同意したのであった。
「全くその通りですな! 殿は『砥石崩れ』以降、どうも臆病風に吹かれてしまわれたようで困る。
ここは一日でも早く若殿が家督をお継ぎになられて、武田家を大いに盛りたてて欲しいものじゃ! はははっ! 」
虎昌の笑い声は、さも部屋の中にいる彼らの側近たちにも「笑え! 」と無理強いするような凄味が籠っている。
しかし、周囲が同調する前に源四郎が、地響きのするような低い声で言った。
「兄上、その辺になさいませ。今は戦の時。これ以上、話をそらしてはなりませぬ」
まるで襲いかからんとするばかりの源四郎の睨みに、虎昌は冷たい視線で応じた。
「ふんっ…… 少し見ないうちにお主も大きな口を叩くようになったものだ。
まあよい。われらの戦を見れば、殿もきっとお考えをあらためるに違いあるまい。
源四郎、お主もな……」
これまで和やかだった空気が急変し、兄弟の間で一触即発の強張った空気となる。
するとそんな空気を切り裂くように義信が高らかと告げたのであった。
「では早速、出立しようではないか! 目指すは善光寺だな!? 」
「若殿! その通りにございます! うむ、みなのもの出陣の支度をいたせ! 」
――オオッ!!
虎昌がふっ切るように大声で号令をかけると、側近たちも一斉にかけ声をかけて部屋を後にしていく。
しかしこの時、源四郎には何か胸につかえるものが気になって仕方なかった。
それは将来の武田家の禍根になりかねないこと……つまり飯富虎昌や武田義信が、当主である武田晴信を軽く見ていることだけではない。
もっと近い未来のこと……
具体的にはこの戦において長尾景虎が『防御』の陣を敷いているということであった。
しかしこの場でその事を口に出す事は、軍の士気をくじくことにもつながりかねない。
そして何よりもこれ以上、兄の虎昌とのいざこざは避けたいというのが本音であった。
ついに彼は自身の胸に秘めたることと片付けて、率いる兵たちの元へ向かっていったのだった。
こうして弘治3年(1557年)6月24日。
飯富虎昌と武田義信率いる、武田軍一万一千は犀川を北に超えて善光寺へと入った。
そこで善光寺別当の栗田永寿の軍、一千と合流したのである。
これで武田軍は総勢一万二千。
翌日、6月25日早朝、彼らは上野原へと向かったのだった。
………
……
弘治3年(1557年)6月25日 上野原――
初夏の早朝。
水の豊かな川中島の地にはさながら海霧を思わせる濃い霧が立ち込めている。
朝日が山間から完全に顔を覗かせると、霧はきらきらと輝き、その姿を薄めていく。
そうして霧が晴れると同時に上野原の全容が明らかとなったのだった。
武田軍。
飯富虎昌の軍五千が先頭。
右翼に武田義信、三千。そして、左翼に飯富源四郎、三千。
三隊による攻撃型の陣形『鋒矢の陣』。
その後方に栗田永寿、千が控えている。
そして長尾軍。
柿崎景家と斎藤朝信の軍勢合わせて五千は、さながら翼を広げるように大きく横に展開していた。
戦の前はいつも静けさが場を支配する。
ここ上野原もまた同様であった。
しかしこの静けさは、さながら弓を大きく引く時と同じもので、戦場にいる兵たちにしてみれば、胸の内にたぎる炎は一段と激しさを増していった。
両者の睨み合いが続く……
あとは両軍の総大将から発せられる突撃の大号令を待つばかり……
しかし……
この時、両軍の誰しもが予想だにしない場所から上がったのである。
川中島の空を貫く鬨の声が――
――ウオォォォォォォォ!!
そこは、川中島の西の山頂にある旭山城。
すでに破壊されたその城にいるはずもない兵の大喊声は、上野原に布陣した将兵たちの五感を釘づけにした。
しかし、驚くにはまだ早かった。
次の瞬間には全員の度肝を抜く光景が視界に飛び込んできたのであった。
「な、なんだと……!? そ、そんな馬鹿な……!!」
『甲山の猛虎』、飯富虎昌をしても開いた口が塞がらない。
兵たちの中には、わなわなと震える者まで現れ始めているではないか……
なんと……
彼らの目に飛び込んできたのは……
旭山城に高々と掲げられた、
懸かり乱れの龍旗――
『軍神』長尾景虎が決死の突撃を命じる時に掲げる旗だった……