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勇往邁進! 上野原の戦い③

弘治3年(1557年)6月22日昼 飯山城評定の間ーー



ーー景虎様! なりませぬ!!



 少年の声が部屋の空気を震わせると、完全に虚を衝かれた形となった長尾景虎と長尾家重臣の面々。

 

 すると部屋の外に向かって鋭い声をかけたのは斎藤朝信さいとうとものぶであった。

 彼は景虎に意見したのが部屋の外で待機している小姓か何かだと思ったのだろう。

 怒気を含んだ凄味のある声で言った。

 

 

「不埒者め! 下郎の分際でお屋形様に意見するとは何事だ!! 今すぐつまみ出せ!! 」



 すると部屋の外からは先ほどの少年とは異なる声が聞こえてきたのである。

 

 

「お待ち下され! それがしは宇佐美定勝! 父、宇佐美駿河守の言いつけにより、辰丸なる少年をお連れいたしました!

この辰丸は幼いながらもちまたでは『善光寺式臥龍』と称される程の傑物!

ついては越後へお帰りになる前に、是非お屋形様にお目通りさせていただきたく存じます!! 」



 部屋の面々の目が一斉に宇佐美定満に注がれる。

 

 

――あやつめ……! わしを出汁だしに使いおったな!



 しかしこうなってしまったからには仕方ない。

 腹を決めた定満はぐっと瞳に力を込めて長虎に進言した。

 

 

「お屋形様! わがせがれの無礼、どうぞお許しくだされ!

しかし倅が申し上げた通り、辰丸なる者はこの辺りでも類稀なる知恵を持つ若者と聞いております!

ですな!? 高梨殿! 」



 定満は横にいる高梨政頼に話を振る。

 突然のことに目を丸くした政頼。

 もちろん小さな村の少年のことなど知るはずもない。

 

 しかし定満の目はさながら「ここは話を合わせてくれ! 」と言わんばかりだ。

 

 彼は調子を合わせるように景虎に言った。

 

 

「そ、その通りにございます!

む、村では『稀代の英雄となりうる大器』などと呼ばれ、その名声は川中島全体に及んでおります!

ここは一つ川中島の土産と思い、話だけでも聞いてはもらえんだろうか!? 」



 景虎は冷たい目で必死に頭を下げる二人を見下ろしている。

 

 しかし定満はその視線が先ほどまでとは少し変化していることに気付いていた。

 なぜなら景虎の気分が良くなってきているのが明白だからだ。

 

 元より辰丸は景虎が偶然に見出した人物だ。

 ところがその人物が実は川中島では傑出した人物であったと知れば、自分の目利きが優れているという事の裏返しにもなる。

 

 もうひと押し……

 

 定満はそう考えて言葉を続けたのだった。

 

 

「聞けばお屋形様は既に辰丸を戦場の中にあって見出していたと言うではありませんか!

お屋形様! いかがでしょう!? ここはお屋形様の見出した者がいかなる者かを披露いたしましょうぞ!

さながら舞いでも見物するくらいのお気持ちで! 」



 定満が言い終えると、景虎は平伏している二人をしばらく見つめていた。

 

 

 そして……

 

 

――ドカッ……



 と、再び自分の席に腰を下ろしたのだ!

 

 

 平伏しながらも思わず口元が緩む定満。

 ちらりと横に視線を移せば、政頼もまたほっとしたものを顔に浮かべていた。

 

 

「二人とも下がれ」


「はっ!! 」



 定満と政頼の二人は景虎に促されると、自分の席に戻った。

 そして景虎は側にいる千坂景親に命じた。

 

 

「対馬、部屋の中へ入れよ」


「御意! 」



 命じられた千坂景親は素早く襖の元まで寄ると、スッと軽やかな音を立てながら襖を開いた。

 

 するとそこには……

 

 みすぼらしい姿をした少年が平伏していたのである。

 

 

――なんだ!? あの貧相な若造は!?


――あれが類稀なる知恵者だと!? そんな馬鹿な!



 重臣たちは互いに目を合わせ、声をひそめて驚きをあらわにしている。

 

 景虎は冷たい目を細めながら少年の方へ視線を向けると、淡々とした口調で命じた。

 

 

「名を名乗れ」


「辰丸でございます」



 凛とした声は辰丸の聡明さを表しているようで、重臣たちはそれまでの目の色を変えて辰丸を見つめ直した。

 

 

「近こう寄れ」


「御意でございます」



 こういった場所に慣れていない辰丸は、ぎこちない動きで景虎の目の前までやってくると再び平伏した。

 

 

「頭を上げよ」


「かしこまりました」



 顔を上げる辰丸。

 

 

 そして景虎と辰丸の視線が絡み合った。

 

 

 互いに吸い込まれそうになる不思議な感覚に襲われる。

 

 

 部屋は静寂に包まれ、重臣たちは二人の様子を食い入るようにして見ていた。

 

 


「何をしに来た? 」



 景虎が短く問いかける。

 

 辰丸もまた短く答えた。

 

 

「景虎様にお仕えしにまいりました」



 その言葉が部屋の中に響き渡った瞬間……

 

 部屋は一気に沸騰した。

 


――な、なんだと!?


――農民ふぜいが! 身の程をわきまえよ!!



 容赦のない罵声が辰丸の背中に浴びせられる。

 しかし辰丸は涼しい顔をして景虎の顔を見つめ続けていた。

 

 

 己の信念を貫く為に、一歩も引かぬ強い意志と勇気を持って――

 

 

 

「静まれ!! 」




 景虎の咆哮が部屋だけでなく、重臣たちの肝を震わせた。

 

 とたんに彼らは口を閉ざす。

 それでも鋭い視線だけは、未だに辰丸の細い体に集中していた。

 

 

 ぴりぴりとした張り詰めた空気の中、景虎が問いかけた。

 

 

「あの時、われの仕官の誘いを断ったではないか。なぜだ? 」



――ダダンッ!!



 景虎の問いかけの瞬間に、柿崎景家をはじめとして血の気の多い重臣たちが一斉に立ち上がった。

 


――恐れ多くもお屋形様のお誘いを断っただとぉぉぉ!!?


――もう堪忍ならん!! 今すぐここからつまみ出してくれる!!


――それでは足りん!! その首をはねてしまえ!!



 猛獣のような雄たけびとともに辰丸の背中へと殺到する歴戦の猛者たち。

 

 

 しかし……

 

 

 辰丸は全く変わらなかった……

 

 

 まるで木陰で涼をとっているかのような穏やかな表情。

 

 

 なぜ慌てることもなく、恐れることもないのか。

 

 それは単純なこと。

 

 彼は信じているのだ。

 

 

 長尾景虎という人を――

 

 


「どこまでも喰えぬ奴よ……」



 景虎は刹那的に口元に笑みを浮かべる。

 しかしそれも束の間、形相を一変させて叫んだ。

 

 

「誰が動いてよいと言ったぁぁぁぁ!!? 」



 まるで衝撃波のような凄まじい声量が、柿崎景家らの鼓膜をガツンと襲った。

 

 思わず立ち止まるだけではなく、尻もちをついてしまう程の気迫。

 戦場では鬼のような長尾家の重臣たちにも関わらず、景虎の一喝は彼らの肝を完全に凍らせた。

 

 

「下がれ!!」



 景虎の命令に弾けるようにして、飛び出してきた重臣たちは元の席に戻っていく。

 

 そして全員が元通りに座り直したところで、景虎はもう一度辰丸に同じ問いをした。

 

 

「理由を聞かせよ。われの仕官の誘いを断った理由を」



「村の民を守る為にございます」



 辰丸の答えに景虎の目が丸くなる。

 

 

 そして景虎は辰丸の一言だけで状況を理解した。

 武田の残党が村を再び襲ったのだろうということを……

 

 

「して……守ることは出来たのか? 」



「村の男たちは守れませんでした」



「女や子供は?」



「今は無事にございます」



「お主が一人で無法者たちを追い払ったのか? 」



「いえ、そこに控える宇佐美定勝様や小島弥太郎様、それに村の人々と力を合わせて追い払いました」



「相手の数は? 」



「兵五十」



「お主らは? 」



「女と子供が合わせて三十」


 

 この時再び部屋の中がざわついた。

 

 

――たかだか女子供三十で、武田の精鋭五十を撃退だと!?


――嘘に決まっておろう! 詭弁だ!!


――相手が一人でも蹂躙されてしまうに違いない!



 明らかに重臣たちは辰丸の言葉を信じていない様子。

 そしてそれは景虎もまた同じであった。

 

 ただし辰丸の目はどこまで澄んでおり、とても嘘を言っているように思えない。

 

 

 彼は自分を騙しているのか、それとも真実を言っているのか……?

 果たしてどちらなのだ……?

 

 

 ……と、その時であった。

 

 部屋の外から大声が響いてきたのである。

 

 

「辰丸の言うことは全てまことのことでございます!! それがしと弥太郎がしかとこの目に焼き付けてございます!! 」



 それは宇佐美定勝であった。

 

 

 辰丸は思わずその声がした方に目を向ける。

 するとわずかに開いた襖の間から、定勝が笑いかけてくれているのが目に入った。

 

 さらに彼は辰丸に向けて力強い視線を送っていた。

 

 それは……

 

 

――ここが勝負どころだ! 飛べ!! 辰丸!!



 と言わんばかりに……

 

 

 そしてその視線の通りに……

 

 

 辰丸は飛翔した――


 

 

「景虎様!! 今、川中島の民たちは救いを待っております!!

今こそ毘沙門天の救いの手を見せる時!!」



 突然の辰丸の大きな声、そして言葉の内容に景虎の目が大きく見開かれる。


 辰丸は知っていた。

 長尾景虎という武将が、毘沙門天の信仰に傾倒していること。

 そして自らを「毘沙門天の化身」と称していることを。

 

 辰丸はそれを衝いたのである。

 

 景虎の『心』を攻め落とす為に――

 

 

「民を守護し、福をもたらす毘沙門天の力を今御示しにならずして、いつ示しましょうや!?」



 景虎の表情はみるみるうちに険しいものへと変わっていった。

 

 

 鬼気迫る視線を辰丸に突き刺す景虎。

 

 

 しかし辰丸は心臓を止めてしまいそうなほどの圧迫にも負けず、最後に天まで届くような声で言ったのだった。



「景虎様!! どうか、どうか民を御救いくださいませ!! 」




 わずかに頬を紅く染めて言い切った辰丸。

 

 透明で突きぬけるような声は、この場にいる景虎や重臣たちだけでなく、城の廊下や隣の部屋にいる者たちの心をも響かせた。

 

 

 誰も一言も発せない。

 

 発する言葉すら思いつかぬほどに、辰丸の言葉の余韻に酔いしれていた。

 

 

 

 辰丸の乾坤一擲の熱弁はこうして幕を閉じた――

 

 

 

 初夏の大空を高々と舞うトビの鳴き声が城の中にまで聞こえてくる。

 それほどまでに城は静まりかえっていた。

 

 

 

 

 どれほど時が経っただろうか……

 

 

 景虎が静かに立ち上がった。

 

 

 そして無言のまま部屋を後にしようと、襖の前まで足を進めたのである。

 

 

 千坂景親が襖を大きく開ける。

 

 

 すると、そこで立ち止った景虎は前を向いたまま静かに言ったのだった。

 

 

 

「対馬、馬を用意しろ」



「はっ! いずこにお出かけでございましょう? 」



 景虎はゆっくりと振り返った。

 

 

 再び辰丸と景虎の目が合う。

 

 

 そして……

 

 

 景虎は口を開いたのだった。

 

 

 まるで辰丸に話しかけるかのように――

 

 

 

「民を救いに行く…… ただそれだけだ」




 と――

 

 

 

 






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