彼女証明写真
――パシャ
土曜日の昼下がり。一人暮らしの直人の部屋で、テレビを見ていたら、写真を撮られた。撮ったのはもちろん直人だ。
「何?」と問いかけるように、瞬きを二回して見せたが、直人は何事もなかったかのように、下を向いて、スマホを操作しだした。
彼を呼ぶと、「んー」と気のない返事が返ってきた。画面から目を離さないまま。
「撮ったの?」
「うんー」
「消してよ」
「やだー」
私はそーっと、直人のスマホに手を伸ばそうとしたが、直人はすぐさま、背中を向けた。
消してよ~と、駄々をこねる子どもみたいになりながら、彼の黄色いパーカーのフードをひっぱる。そうすると「ぐえ、ぐえ」とカエルみたいに声を出す直人がおかしくて笑った。
「お、送ったら、消すから。ひっぱるのやめて……」
「え、何? 彼女を何か、やばい仕事に応募させる気?」
「なんだよ、やばい仕事って」
「どうしよう。帰ったら、ブラック企業の一次選考通過しましたって封筒とか来てたら」
「そんな一日で届くかよ」
「じゃあ、なんなのさー。アイドルのオーディションだったら私じゃなくて、あんたが女装して受けなさいよー」
「なんで女装するんだよ」
「女装した方が可愛いから。先輩たちも言ってたじゃん」
「もう二度としないしー」
「えー。てか、本当にどこに送ってんのさー」
私はパッチワーク風のロングスカートで、足を覆いながら、ダルマのように前後に揺れて訊き続けた。すると、だんだん揺れるのがしんどくなってきた。直人の肩に顎を乗せて、体を背中にもたれさせながら、画面をのぞいてみた。
画面には今撮られた写真が、ぽんと貼られたLINEアプリが映っていた。左側から流れてくる相手側のメッセージは、知らない名前の人たちばかりが並んでいる。
「誰と話してんの?」
「ゼミの人たち」
「え、なんで。直人のゼミのLINEに、私の写真を? 私会ったことないのに。はっ! まさか……。拉致られる!?」
「違う違う。彼女証明写真を送っただけ」
「彼女証明? なんそれ」
「俺に彼女いるって言ったら、あいつら全員、否定するんだ。だから証明写真を……」
直人のスマホの画面をよく見ると、相手からの返事は「誰?」「妹?」「盗撮?」などのメッセージが連なっていた。まだ疑われてる。てか妹って……私そんなに幼く見える?二つに結っている髪を掴んでみる。
「んー、どうしたら信じてもらえるんだぁ」
「私がちゃんとカメラ目線で写れば、盗撮じゃなくなると思うよ。言ってくれれば撮らせてあげるのに」
「この前、名前呼んで撮ろうとしたら、俺の腹、グーで殴ってきたじゃん。あれトラウマだよ」
「あれはラーメン食べてるとこ、撮られたくなかったから……。食べてるとこは撮られたくなの!」
「はいはい。じゃあ、いくよー」
――パシャッ
「見せて」
私はすぐさま、直人からスマホを奪い、写真を確認する。ぶれもなく、きれいな画質で撮れている。さすが同じ写真部だ。無邪気な子どもみたいに笑う自分だ。
「……なんか嫌。撮り直し」
全力でピースをしている自分が、馬鹿っぽく見えて、納得できなかった。私は画面をタッチして、撮りたての写真を削除した。
スマホを返すと、直人の口から「ああ~」と惜しむような声が漏れた。
その後も、個人的な理由で、撮り直しは続いた。
歯を見せて笑っているのが嫌だったり、前髪が整っていなかったり、やっぱり口を開けた方がいいかもと思ったり。特に口元が気になって、何度も撮り直した。
「なんか歯を出しても、閉じても可愛くないな~。マスクしようかな」
「ええ~。マスクしたら、顔の印象変わるんだぞ~」
「いっそのこと、ざわちんメイクする? マスクして、目元だけ芸能人風に!」
「却下! もっと彼女じゃないって、信じてもらえないよ」
んー。私は何気なく、直人の部屋を見渡してみた。雑誌だの、脱ぎっぱなしのパジャマだのが放りだされていて、散らかり放題。学祭で着る、写真部の青いクラブパーカーまでもが、まだ出しっぱなし。先月使ったままなのだろうか。すると、そのパーカーの下から、見覚えのあるくちばしが出ていた。
「ん? なんでこれ、ここにあるの?」
それを掴んで、引きずり出してみると。やはりそれは、先輩たちが学祭を盛り上げるために、通販で購入した“鳩頭のマスク”だった。
本物のようなそのマスクは、主に女性の先輩たちがかぶって、遊んでいた。鳩の黄色い目と合うと、思わずぎょっとしてしまうほど、本当にリアルなマスク。
「先輩たちが飲みに来た時、置いていったんだよ。持って帰るの邪魔だからって」
じゃあ、持って来るなよ。
直人の部屋には、そう言って放置されていった先輩たちの私物が、山のように保管されている。
勝手に捨てるのも悪いからと直人は捨てずに置いている。このままだと、いずれこの部屋は、先輩たちの物で埋め尽くされていく予感しかしない。
「少しずつ部活の時にでも、持って行ったほうがいいと思うよ。寝る場所なくなっちゃう」
「そうしようと思うんだけど。いつも忘れちゃうんだよなー」
と、ゆるーい口調で言う直人は、少し頼りないと思う。もう少し、しっかりしてほしいな。とよく言っているのだが、あまり進歩がない。さすがの私も、それが彼の性格だと思い始めていたので、何も言わないようにしている。あまり言うと、嫌われてしまうかもだし。
そんなことを考えながら、鳩頭のマスクを見つめていると、面白いことを思いついた。
「直人直人! ほい! これで撮って!」
「え」
私は鳩頭のマスクをかぶって、ボクシングをするみたいに、拳を突き出すポーズをとった。
「ゴム臭いよ~。早く撮ってー」
「ええ~、それ意味ねーじゃん。顔隠れてるし」
「いいじゃん。個性的な彼女アピール!」
「そんなアピールいらないよ!」
そう言いながらも、直人はその姿を写真に残そうとした、次の瞬間
――カシャッ
「えっ、なんで俺?」
私は直人よりも先に、彼を撮った。顔半分、彼のスマホで隠れているけど。
「証明写真」
「彼氏の?」
直人は嬉しそうに聞いてきたけど、違う。
「ううん。犬の証明」
「え……犬?」
と、自分を指さして訊く直人に「そうそう」と頷きながら、スマホをタッチする。さっき撮った写真を、高校の頃の友だちに送った。「ウチの犬ー」とメッセージを添えて。
すると、床に散らばるものを避けながら、直人がズカズカと私の目の前にやってきた。鳩頭のマスクを外して、不満そうな顔をする。
「俺、犬じゃないよ。どっちかっていうと、猫派だし」
「そうなんだ。私、犬派」
さらっと答えて、直人をじっと見つめていると、直人は耐え切れなくなったのか、顔を後ろに背けた。わかりやすいなーと思いながら、私は再び、直人にレンズを向けた。
――カシャッ
撮れたのは真っ暗な画面。私がシャッターを切る直前に、直人の大きな手がスマホを覆った。
「ちょっとぉー。なんで撮らせてくれないのよー」
「そもそも、俺に彼女がいることを証明させるための、撮影会だろ。なんで沙羅が撮るのさー」
「いいじゃん、楽しいんだから」
「てか、手っ取り早く証明させる写真のポーズ。思いついた」
「どんな?」
と訊くと、直人は私の肩を掴み、自分の体に引き寄せた。お互いの頬と頬をくっつけ、スマホのレンズを自撮り使用にして、画面に二人が写るように調節した。
「バカップルみたい」
「いいじゃん。その通りだし」
そして直人は、スマホを持っていた右手の人差し指で、画面をタッチした。
――パシャッ
撮れた写真には、散らかっている直人の部屋と、お互いの頬をくっつけて、少々上目使いで映る二人の笑顔が写っていた。
おわり