美しい世に、後悔なき人生を〜旅行〜
とあるスカイプグループのために旅行中に書いたものです。
楽しんでいただければ幸い
世界が、景色が違って見える。
こんなに空は綺麗だったっけ。
こんなに風は心地いいものだったっけ。
私の部屋はこんなに広かったっけ。
窓から差し込む光は、こんなに明るいものだったっけ。
耳元で聞こえるこの声は、こんなにも愛おしいものだったっけ。
本当に何もかもが美しくて、きもちよくて、心休まる光景だ。
私はもう、これだけで幸せだというのに。
いろんなことを初めて知った。
吹き抜ける風邪の柔らかさ、窓から差し込む光の暖かさ、切り取られた窓の外に映る、美しくも平和な世界。
生きていて良かったと。
私は死にたくはないのだと。この世界が好きで、この世界で大好きな人とずっと生きたいのだと。
私はこの時、心の底から思った。
世界は総じてモノクロの世界だと、本気でそう思っていた時期があった。
何をしても、何も考えられなくて。
何もかも真っ暗な世界が広がってると。
結局のところ、被害妄想だったのかもしれない。
今の私はそうは思わないけど。
「3泊5日の旅行」
正直旅行には行きたくはなかった。
話せなくなるのは結構辛いものがあるし、あの人だって寂しくはないわけがない。そんな思いをさせたくなかった。
「行きたくない」
その一点張りから心変わりがあった。
また利用されているのかどうかは知らないが、現時点での精神状態はある程度変えられるだろうという思いがあった。
彼にも、それを素直に話した。
『シィちゃんがそうして自分で決めたのなら、俺はいいよ』
そう言ってくれた声は、寂しいという感情を隠しきれていないことに、私は容易に気づくことができた。
そんな声を出されたら正直迷う。けど、今のままで行くと、そのうち私は耐えられないかもしれない。
「うん。ごめんね」
そうは思うものの、申し訳なさが残って、私はついそう言ってしまった。
『大丈夫』
優しい声は私をいつも包み込んで、心を温めてくれた。
すぐに戻るから、4日だけまっててね。
子供のように感情をあらわにするこの人がかわいいと思う。
しかしその笑顔ともしばしの別れ。
私は夜の街へ、家族とともに走り出した。
############
6人もの人数を乗せたホンダの大きい車は、夜の闇を明るく照らしながら走って行く。
流れていく街の景色は曇る空のごとく、私の心を何故か淀ませた。
その原因としてはしばらくの間とはいえ、毎日連絡を取っていた人と連絡が取れなくなるという寂しさがそうさせたのだろう。
冷房の効いた車内からの見なれた風景。
家を出てくる前の会話を思い出しながら、私はその景色を眺めた。
「少し寂しいかもしれないけど、待っててもらえる?」
再びそういった私に、彼の返答は揺らがなかった。
『うん、わかったよ。楽しんでらっしゃい』
普通より高めの、照れるような、優しげな声。きっと内心では寂しがってるのかなと思うと、決意は簡単に揺らいでしまう。
けど私は行くことにした。
あの人は仕事で中国にいて、周りを見渡せば異国の人間ばかり。不安、なんだろうな。
けどあの人は私がいるから頑張れるんだと、不思議と心に響く声で言い切った。
支えになっているんだと、支えに、なれているんだと、本気で嬉しかったのは記憶に浅い。
いっぱい支えてくれて、いっぱい受け入れてくれて、ちゃんとダメなことは教えてくれて、私もいろんなことを言いたいと思った。
それは時には気づつくかもしれない。時に悲しくなるかもしれない。時に焦るかもしれない。時に不安になるかもしれない。
それでも、そうだとしても、自分のことをしっかり言って、きちんとわかってもらって、そばに居たい。いて欲しい。
私は本当に彼が好きなんだ。
そんなことを考えるうち、窓の外の景色は家から離れ、大きな高速道路に乗った。
長い夜の、始まりだった。
############
車は夜の高速道路をどんどん進んでいった。
横から追い越していく数々の車、後ろに流れていく車。
それぞれが旅行だったのか仕事だったのか、それぞれの物語があるのだろう。
さっきより速く流れて消える景色を見ながら、私はそんなことを考えていた。
私たちにも事情や物語があるように、ああやって流れて消えてゆく車にも、それぞれの物語がある。
それがどんなものであるかなど、結局想像で終わるものでしかないのだが、考えてみるだけ楽しいものでもある。
例えば今通り過ぎていった黒いスマートな車。あれはきっとサラリーマンの車なのだろう。これから出張に出るのだ。一人で頑張って働いている彼は、今日も真剣に仕事場に向かうのだろう。
目の前の白いバンは、息抜きのドライブの最中。毎日働いて疲れた体を癒すため、少し遠出のドライブをするのだ。
次に追い抜いてきたシルバーの大きな車は、ちらりと覗き見た車内の人数からして旅行だと伺える。
子供が多いから、夏休みにみんなで出かけようということになった。しかし子供が多いため親は苦労しただろう。
そうして考えただけで何もない車の中は一転して楽しいものになる。
私や、一番近くにいる人々にそれぞれの感情や人生がある。それを想像するのは私の楽しみなのだった。
私はそこでふと目を閉じた。
道路を走る車の音、ゆりかごのように揺れる車体に、微かに私を包み始める、ほんの少しの睡魔。
それはまるで優しげに話しかける彼のようだと、ふと思った。
こうして少し遠慮がちに抱きしめては、ユラユラとゆりかごのように優しく、私を幸せへと導く。
多くを受け止め、優しさをくれる。私はなんて幸せ者なのだろうと、少しだけ泣きそうになる。私はそっと目を開けて、涙を振り払い、外の景色に目を向けた。
夢は見なかった。
ただ、真っ暗な世界が広がるだけ。
そんな世界では時間もなく、概念もなく、空気もなければ空間もない。
いやもしかしたら、時間という流れは、あるのかもしれない。
私がそれに気づいていないのかもしれない。
そんな真っ暗な世界を経て、私は思ったよりも速く、目を覚ました。
目を開けると、飛び込んできた窓の景色は動きを止めていた。
ん? あれ?
体を起こして運転席を見ると、助手席に乗っていた母の姿がない。
「あれ、お母さんは?」
「飲み物と、トイレ」
「あ、なるほど」
あぁ、冷房のせいで喉が痛いな。
ぼんやりとそんなことを思いながら私は目を閉じた。
朝になり、車はいよいよ山口県内に突入した。
ジィちゃんの家まであと少し。
高揚感が不意に胸をつく。しかしそれは遊びに行ける高揚感ではなく、速く入って速く帰れるかもしれないと言う高揚感だった。
私はこの自伝でもまだ速く帰りたいと望んでいる。そのことはみんなには内緒だが。
そう言えば、何か夢を見た気がする。
どんな夢だったのかは思い出せないが、いつもより現実的で、そして少し怖かった印象があとに残ったのを覚えていた。
しかしそれ以上のことは思い出せない。
「何かを追いかけていたような、探してたような、そんな夢だったんだけどなぁ」
どうしても思い出せず、ただ不快感だけが募っていくので、私はそこで考えるのをやめた。
少しずつ、流れてゆく景色が色を変えてゆく。
住宅や人々の手が入っている白い街から離れ、景色は緑色の自然を写した。
見渡せば容易に目に入る、やま、ヤマ、山。時々通るトンネルの中は少しばかり薄暗く、等間隔で現れては消える車の陰に目を細める。タイヤとコンクリートがぶつかり合った独特な音を心地よいものと思いながら、私は歌を歌った。
"うさぎ追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も 眠りて
忘れがたき 故郷"
何となしに歌った歌ではあったのだが、しかしこの状況でのことなので、無意識にこの曲を選んでしまったのか。私は少し笑ってしまった。
そうこうしているうちに、高速道路の上、時々通り過ぎる看板に「下関」の文字が見え始めた。
到着までもう少し。
私は時間を確認した端末をスリープ状態にして、外の景色に目を写した。
それからしばらくして。
車は田舎のジィちゃんの家に到着した。
細い道を走り抜け、川の橋を通り「ようこそゆずの里、川上へ」という大きな柱の横を通りすぎだ先の、道の横にその家は立っていた。
「やっとついたー!」
弟たちが喜ぶ中、一度車はその家の前を通り過ぎる。車を入れる際、不便なため向きを変えてくるのだ。
そして車は通り過ぎ、近くの工場入り口、門の前の広い道に入り向きを変え、家の方に戻る。そうして横付けされた車から、私はとうとう山口に降り立った。
一番最初に感じたのは、山特有の涼しさだった。雨が降ったからかもしれないが、車から降りた瞬間、かすかな冷たい風と山から下りてくる草と木と風の匂いが混ざり合い、特別な世界を作り出していた。
「やっと来た」
そしてその空気や匂いは私をそんな感情へと引っ張り込むには十分すぎた。
############
夜になり、現時刻は午前2時49分。
疲れた体は眠りを増量させたが、しかし冷房が効きすぎて寒かったのか、目が覚めてしまった。
「ぅ、寒い、、、」
腕は冷え込み、消していいのかわからずとりあえず部屋を出てみると、じいちゃんはオレンジ色の毛布を膝に乗せたまま、起きてタバコを吸いテレビを見ていた。
「おはよう」
「おう、おはよう。どうしたんか」
眠たげな声で挨拶すると、関西特有のなまりで帰ってくる。
私は昔からこのなまりが大好きだった。
「ん? いや、寒くて起きちゃった」
「寒かった? はぁそんなん、冷房が効きすぎてるんじゃろうがや」
「うん、だから寝れんくて」
関西のなまりはなぜか釣られてしまう。いつものごとくそのなまりが移りつつそう苦笑すると、ジィちゃんは呆れたように、
「けしゃあええわな」
と、いってタバコの火を消した。
「消し方を知らないんよ」
「そんなん、リモコンピッとおしゃ一発じゃろ」
「、、、せやね」
それはわかっているのだが、お母さんやパパも一緒に寝ているのに、自分の判断で消していいのかがわからない。という意味で行ったのだが、やはりというか、ジィちゃんにはそうは伝わらなかったらしい。
「お前どこで寝とるん」
私はそう聞かれ、部屋の襖を開けて中を見えるように少し体をずらす。すると開けた瞬間に中の冷気が足元を這うように流れ、私の足を包み込んだ。
やはり寒い。
「あそこでチビが寝とるやろ?」
そうして部屋の一番端を指す。
「おう」
「あの1個向こうで寝とるんよ」
「毛布もかけんと寝てるそかや?」
「うん」
「おう、なら」
タバコに火をつける。
「その向こう、にいちゃんの頭元に毛布があるやろ。みてみい」
「わかった」
私は再び冷房の効いた部屋に入り、異常な寒さを感じながら自分が寝ていた場所のその先、お兄ちゃんが寝ている部屋まで通り過ぎ、頭元を見た。するとお兄ちゃんの頭元には亡くなったおばあちゃんが使ってた折りたたみベッドがあり、そこに「これは使っちゃダメだって」とお母さんが言っていた毛布が一枚、かけられていた。
「あったよ」
「おう、ならそれを使え」
「うん、わかった。ありがとう。おやすみ」
私はそう言って毛布を自分のところに持って行き、襖を閉め、自分の布団の上にくるまった。
まさかこんな時期に寒くて毛布にくるまる日が来るとは思わなかった。
私は毛布にぎゅうっと丸まって目をつぶったが、すぐに目を開けた。
、、、今頃、何してるんだろう、、、。
少しだけ寂しいな。
毎日話していただけあって、何も話さずに眠ることが寂しかった。
早く帰りたいな。そしたらすごく楽しいのに。
私は静かに目を閉じた。
その日は夢を見た。
いろんな子が楽しく水遊びをしていて、突然携帯の着信音がするのだ。
どこから聞こえたのかとポケットの中を漁ると、弟が使っている黒いケータイがブルブルと震えているのを見つけた。
私は嬉しかった。
これで連絡が取れる、話ができるし声も聞ける。
しかし携帯を開いたところでその夢は消えてしまった。
朝起きると、夜起きてしまった時のような寒さは消えていた。
覚えている夢の内容を思い出して少し落ち込むも、立ち上がって布団を引き、それを振り払った。
やっぱり寒いなぁ。
朝起きて朝食を食べた後、少しばかり出かけた。
何かを買ったと言っていたが、一緒について行って一緒に買ったわけではないので、詳しいことは何一つわからない。
何かを買ってきて、一度みんな家に戻ってきた。その後、お母さんとパパ、そして弟の一人が萩焼を買いに行くと言ってまた出かけて行った。
私はなんというか、いってもやることはないだろうと思い家に残った。
一緒に家にいるのはお兄ちゃんと末っ子の弟のトウヤ、何かしているらしいじぃちゃんと、私だ。
家にいるトウヤはこっちに来てからというもの、かまってくれるのが嬉しいのかお兄ちゃんにべったりだ。お兄ちゃんのかまいかたは少し乱暴かとも思うのだが、まぁトウヤにはちょうどいいだろう。少しばかりうるさいが、それはご愛嬌ですます。
じいちゃんはちらっと見えたところだと、何かをつけているようだ。ぬか漬け、だろうか。多分そんなところだろう。
「何やってんのよー」
賑やかなお兄ちゃんとトウヤにそう聞いてみるも、じゃれるのに夢中で返答なし。
賑やかなのはいいがそのうちじいちゃんに怒られはしないだろうかと少し心配である。
「ぶぁーかっ!」
トウヤが観念したのか、負け惜しみのようにお兄ちゃんにそう吐き捨てると私の隣へ逃げてきた。その途中でコードに足を引っ掛け転びそうになったのは笑い物だ。
典型的な悪者の姿ではなかろうか。
どうしよう余計に面白い。
と、そんなことを考えていると、また懲りずにトウヤがお兄ちゃんの所へ近ずいていく。
「お、来たか? 来たか?」
待っていましたとばかりにニヤッと笑うお兄ちゃん。
あー、これはまたトウヤ大変そうだな。
と思っているとお兄ちゃんからの攻撃開始。
また賑やかになった。
いつもながらに賑やかというか、騒がしいというか。
たまに騒ぐといつも、、、
キーンコーンカーンコーン、、、キー、、、
突然の鉦の音。ラジオから流れる妙な音は、家に備え付けられている時計の音だった。
もう昔から備え付けられているもので、音も大きく、なんというか不気味だ。
これは12時を知らせる音なのだが、なんというか夜中の12時に黄泉の門が開いた的な印象を受けるのは、私だけなんだろうな。
それにしても暇だ。
何かをしようと思って見ても何もない。
絵を描くのもイメージは湧かないし、お兄ちゃんとゲームをやってもぼろ負けするだけでいいことなんてない。
私は立ち上がって部屋を移動し、玄関前の部屋に座って外を眺めることにした。
降りしきる雨に、風で揺れる木の葉。
風は家の中にまで入ってきて、後ろからの扇風機は私に寒さを感じさせた。
真夏なのに寒いと思うことがあるなんて。
お腹も空いたし、寒いし、退屈だし、帰りたいなぁ。
そんなことを思ってもう何回目になるのか。
私は退屈なので頭を使うことにした。
と言っても、パズルや問題を解くのではなく、思い出すことをしてみようかと。
どうせ暇だし、ちょうどいいだろう。
############
何もない毎日というのは、何もないからだというのは、言い換えればどんなことも起こりうる、そしてどんなものでも入るということでもある。
それはむしろいいことであるからして、悲観することではないと、どこかの小説で読んだことがある。
そんなものを読んだ当初は、何をそんな世迷いごとをとか、そんな綺麗事とか、そう吐き捨てて頭に入れることすらせず、聞き流していた。
今でも、その時よりかはマシであるにしても、まだわからないままだ。
これから少しずつんかっていくのかと、思わなくもない。が、それに関して私はまだ実感を得られないでいた。
、、、。
今日は天気がすこぶるいい。
家に帰ってきてから、私はずっと外を眺めていた。
「、、、かわいい」
ぼんやりとつぶやいて見つめている視線の先には、青いシオカラトンボが一匹。
人の感性とはとても不思議なもので、それが何気ないものだあったとしても、ずっと観察していくうちにそれがかわいいものに移っていく。というわけで、わたしはそのダンボールの蓋の上に止まっているシオカラトンボに夢中なのだった。
「ジィーーーー、、、」
パシャ、、、
挙げ句の果てに今では写真まで取る始末。
「か、かわいぃ〜」
そんなことをしてはニヤッと惚けた笑顔で画像に映るシオカラトンボをめでる。
どれだけ暇なのかと言われそうだが、事実暇なのだから仕方がない。
先ほどお母さんに「きもっ」とか言われたがそんなの知ったこっちゃない。
わたしは今シオカラトンボが可愛すぎて仕方がないのだ。
縁側に座ってジィーっと微動だにせずに固まる。するとすぐ近くに止まってかわいい姿をわたしに晒してくれる。そしたらすぐさまiPod touchのカメラを起動させ、パシャ! パシャ!と写真を撮る。
すぐに飛び去ってしまうとカメラ機能をオフにし、またひたすら微動だにせず戻ってくるのを待つ。
そんなことが一時間ほど続いたのか。
そしてまたふと、私はシオカラトンボの画像を確認しながら思った。
早く帰りたい、と。
明日帰るので、あと少しではあるのだが、それでも早く帰りたいと思ってしまう。
出来ることなら、明日先に新幹線で帰るというお兄ちゃんと、一緒に帰りたいななんて思ったり。
そうはできないんだけどね。
まぁ、あと少しだから、我慢我慢。
そういえば今日の夜バーベキューをすると言っていた。
お肉も買ってきたし、飲み物もある。
何より楽しみなのはじいちゃんが持ってきた猪肉だ。
あれは美味しい。はず。
前持ち帰った時は冷凍して当分立っていたのか、焼いた時すごくすごく硬かった覚えがある。
今回はそうはならないはずだ。
バーベキューの準備はつつがなく進み、ちょうど終わったころに客人が三人ほどきた。
見覚えがあると思ったら、ちょうど2年前にお土産を買いにショップへ行った際一緒にいた女の人だとわかった。
その後ろから若い男の子と自分と同じかそれより年上の男性が付いてきた。
三人とも顔が似ているところから、男の子2人は息子なのだと一発でわかった。
「こんばんわ〜、どうも〜」
「こんばんわー」
それぞれ挨拶を交わしているのを横目に、私は家の入り口に一番近い椅子に腰掛けた。
「ふぅ」
なんだか疲れてしまった。
頭の中には常に帰りたいの一言がぐるぐる回っていて、どうにも消えてはくれない。
それぞれ椅子に座ると、肉やソーセージが出てきた。
私は網の上に乗ったそのお肉をいい具合に広げる。
楽しいバーベキューの始まりだ。
生のお肉を見て、それがどんな種類のものであるかを見極めるほどの目を、私は持っていないので、どんな肉かは例によってわからない。
それがわかるのはこの中で多分じいちゃん一人なのではないかと思う。
私がわかるのはそれが牛肉なのか豚肉なのかだけ。どこの部位なのかまでは知ることはできない。
自分が使う箸とはまた別に割り箸を一膳持ってきて、網の上に乗っけられた赤い肉を広げていく。
「そういえばお嬢さん」
そうして焼いていると、すぐ後ろから声をかけられた。声からしてお客のお母さんだろう。
お肉を焼きながら一度振り向く。
「はい?私ですか?」
「うん。2年前くらいにあったやろ?」
「あ、はいそうですね。確かお土産やさんに一緒に行った、、、」
「そうそう! あの時よりかなんや大人っぽくなったなぁと思うてねぇ」
「大人っぽく? ですか?」
私はつい聞き返した。
大人っぽい意味はわかったのだが、自分がそうなったと言われるとは思わなくて、という意味で聞き返したのだが、彼女はどうやらそうは取らなかったようで、続けて説明してくれた。
「大人っぽくというか、女性らしくなったなぁ」
瞬間それを聞いたお母さんとパパが揃って爆笑した。
私は同時にガッとうつ伏せ、一緒に笑っていた。
うわうわぁー! なんでこんなところでぇー!
いや、彼女はそんな意味で行ったんじゃないけど、違うけどー! あそこで笑ってる二人は確実にわかってやってるー!
「良かったねぇ、女っぽくなったんだって?」
「お母さんやめよう!? あの人はそんな意味で行ってないからね!?」
そうやって怒鳴り返してから彼女に向き直り、ぺこりと頭を下げ
「あ、ありがとうございます」
と、苦笑気味にお礼を言った。
2年前に彼女に会ってからこっち。
この2年でいろんなことがあったのだ。彼氏ができたのも、初めてがなくなったのも、この2年の話だった。お母さんもパパもそれを知っている。そしてその話がとても人としては恥ずかしいことであることも二人は知っていた。
だからこの爆笑なのだった。
「そこで笑ってる二人はもうやめようか!! 確信犯だろ! わかってるだろう!」
「よ、良かったじゃん、おめ、おめででとう、、、ぶふっ」
「女っぽいって、いい、ことだよねぇ、、くくっ」
「そんな爆笑しながら言われてもなんも嬉しくないよ!」
あぁ、楽しいバーベキューがもうこれで台無しだ。
褒められたはずなのに、なんでこんな。
挙げ句の果てにじいちゃんにまで「女になったんやてなぁ」何て言われてお兄ちゃんにすら笑われる始末。
でもまぁ過ぎたことだし、いろいろ言ってはいるものの、あまり気にしてはいない。それにこの雰囲気も嫌いではないので、私は最後に叫んだ。
「あー!もういいよ!諦めるよー!」
そう言っている自分が一番楽しげなことに、今は素直に嬉しく、そして楽しかった。
辺りはすっかり暗く、バーベキューのかたずけも終わり、みんなそれぞれお風呂に入ってのんびりしていた。
私はお風呂から出ると薔薇柄のスパッツをはき、黄緑色のワンピースをきたその視界の隅に、じいちゃんが縁側に座ってるのが見えた。
何となくそこに近づくと、それに気づいたのかじいちゃんが少し後ろを振り返った。
「おー、美咲か」
「うん、そだよ」
返事をしながら横に座り、真っ暗になった空を見上げる。星でも見えるのではなかろうかと思ったが、予想に反して星は見えなかった。
時間が早かっただけなのか、周りに生い茂る木々の葉が邪魔して見えなかったのか、その時は確かめる前にじいちゃんが話を始めた。
最初は家の近くにある工場の話だった。
バスの運行の数、他県から工場ごと引っ越してきたこと。萩市の人間なら面接をしただけで即採用になるとか。そんな話だった。
知らないことを知ることができるのは私としては楽しいことだったので、必死に耳を傾けて理解して、うなづいていた。
「、、、、、せやからここから面接して貰うたら、はぁもう仕事はあるでよ?」
「ははは、せやな。ここからならすぐ近くだし楽やろうな」
「おう」
「うん、、、」
「そういやぁみさき」
「ん?なんや?」
「全部聞いたがの、体は大切にせんにゃな?」
突然じいちゃんはそう言って小声になった。
私はそれが、男の話なのだと、すぐに察することができた。
だから私は真剣に頭をはっきりさせようと、はっきりと「うん」とうなずいた。
「お前はこれから女子として綺麗になっていくんやから、男はきちんと選ばんにゃ。自分から行っちゃいけんよ?生理の時はお前もう少しで生理やの体ってやれる男が、愛してるってことなんや」
「うん、たしかにそやね」
「はねのけてはねのけて、やらんと」
「うん」
「あんな? 男と付き合うのは何も言わん。男っていうのはな、やりたくて女に寄ってくるん。の? そういう男はヤレる女と気づいたらはあいいよってくるんよ。けんどやれんようになったら、どっかいきよる」
なんとなく、じいちゃんが何を言いたいのか理解しながら、私は頷いていた。
要するに、簡単に自分から男にいいよるなと、そういうことなのだろう。
、、、私は、言いよっていたのだろうか。
じいちゃんの話はとても耳が痛かった。
そうして考えさせられる。
私は逃げていたのだろうかと。逃げるために、いろんな人に言いよったのだろうかと。
そして、次の言葉は私の心に突き刺さった。
「お前はな、いろんなこと聞いたけど、頑張っちょるんやから、そんなもんでふいにしちゃいけんそ」
私は頑張ってないよ。
今だって逃げてるんだもん。
そんなこともわかってるのかな。年の功とかってやつなのかな。
「まぁ、頑張らんとな」
「うん」
やけに、響いた言葉だった。
と同時に、大切だと思った。
この言葉と、今の子な空気とこの瞬間と。
いつか、いなくなってしまうかもしれない時間、そう思うと余計に大切に思えてくる。
いつまでもこのままで。
そんな願いは叶うものではない。
いつでも時間は動いていて、世界の時間が流れていくように、人の時間も流れる。
人は生まれ、老いていく。
今あるものは、5年後には何かが欠けているかもしれない。そういうことは確実にあり得る話である。
今日、私の目の前でうちわを持ったまま、炭をはたいていたパパは、いつかいなくなってしまう。
それはこの先ではなく、今より前、不確定的な前にあることだったかもしれない。
そう考えると、うちわで炭をはたいているパパはそこにいない。
あるはずのものがなくなって、なかったはずの、起こらなかったはずのことが起こりうる。
そんな世界がいつか来るだろうことを思うと、私は今ある時間を大切にしたいと、切に思う夜だった。
############
朝になった。
夢は何故か見なかった。
今日は帰る日。
私は布団をたたみ支度を始めた。
ある程度自分の荷物をかたずけ終わり、バックも手元に持ってくる。
車を一度だし、荷物を詰め少しの間くつろぐ。
この縁側でこうしてまったりするのも、今日で最後になる。次にこうする日はきっと来年だろう。
そう思っていると、じいちゃんがいつも通り縁側にきた。昨日とは打って変わって静かなものだった。
その次にある程度やることを終えたお母さんとパパがじいちゃんのところに集まった。
何か大事な話をするのかな?
わたしはそう思って奥の部屋に引っ込んだ。
しばらくして出発の時間が来た。
みんなどこか寂しそうというか、弟二人に限っては帰りたくないオーラが出ていて、なんとか説得するのに苦労した。
お母さんとパパ、弟二人が車に向かって歩いていくのを横目に、わたしは一度振り返った。
古ぼけた一軒家の縁側に、足が悪くなったじいちゃんがいる。
「じいちゃん! いろいろありがとう!」
その言葉にいろんな気持ちを込めたのだが、それが伝わったのかは謎だ。
「おう、しっかりな」
「うん!」
わたしは車に乗り込んだ。
「それじゃありがとうございました」
パパが言う。
「じゃあね」
素直じゃないお母さんがそれだけを言って前を向く。
「また来年くるよ!」
「またね!」
名残惜しそうに、弟たちが手を振る。
「はぁこんでええ! やかましい」
お母さん以上に素直じゃないじいちゃんがそう言ったのを、わたしはすべて聞き逃さなかった。
「じゃあねじいちゃん!」
わたしが声を張ってそう言ったのを最後に、車は帰路につくため発進した。
毎年どこかへ行くはずの夏休みの里帰りは、今年はどこへも行かずまったり家で過ごすことで終わりを告げた。
欲を言えば川とかにも行ってみたい気はしたが、それはまた来年にでもできる事だろう。
毎年夏ではなくても、冬とか秋とかにきてみたい。そうすればわたしの知らない山口の姿が観れるかもしれないと、少し想像するのであった。
家に帰ればあの人が待ってる。
あと少し、あと少しで。
わたしはワクワクしながらいえに帰るのであった。
途中から雑になってしまいました(^_^;)