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ルル、ライバル出現

 ルルはほぼ毎日バイトに出勤するが、柏木とは見事に時間が被らない。一応、学生が来そうな時間を希望したのに。来月のシフトは、今月のものを研究した上で柏木と一緒になりそうな時間にしようとルルは心に誓う。

 今のところ一番多く一緒になるのは滝本だ。彼は今、ルルに予定を尋ねている。別に下心からではなく、この店で働くパート・アルバイト全員に尋ねていることのようだ。

「新人が二人入ったから歓迎会でもするかって話になってな」

 と滝本は言うが、それが彼発案であるような気がルルはした。それは間違っていないのであるが、ルルの知るところではないし、あまり重要なことではない。


 店長は来ない。パートやバイトだけで行われる。店長のことは誘いもしないらしい。既婚者であるし、そもそも仕事外での付き合いが悪いからだという。声くらいかけても良いのではとも思うが、コールセンター内での人付き合いが皆無に等しかったルルにとって、職場の同僚や上司の人間関係はそういうものだと言われてしまえばそうかと頷くしかない。


居酒屋へ行くと、滝本の名前の席で、何人かは既に着いていた。

 柏木の姿もそこにはあってルルはどきりとする。気の強そうな女性がルルを見て手招きをし、彼は所在無さげにその女性の隣に座っていた。

「金子さん?」

「あ、はい……」

 女性は井上と名乗った。いまだ一緒になったことはなかったが滝本の言ったもう一人の女性アルバイトだ。それほど人が必要とも思えないが、バイトが多い店だ。

「私も近頃課題が忙しくってさ、あんまり入れてないから……」

「そうなんですね」

「柏木くんとはもう会ったの?」

「は、はい。シフトがかぶったことはないですけど」

 柏木が顔を上げてルルを見た。ルルは軽く会釈をし、何気ない素振りで柏木の隣に座る。座った直後、隣より正面の方が良かったかと思うが、今さら動くのも怪しい。顔はよく見えなくなってしまうが、話しかけてアピールしようとルルは思う。

「柏木くんと私が古株なんだ。私の方が少し長いかな」

「そうですね」

 付き合いが長いと言いたいのだろうか、その割には柏木の態度は控え目だった。気の強そうな井上とは馬が合わないのか、長い間同じバイトであるといってもそれほど関わる機会がなかったのか。

 そのあとしばらく井上に話しかけられた。ルルは下の名前で呼ぶように頼み、井上は快諾した。

 やがて仕事上がりの滝本と田中が現れた。田中も既婚者のはずだが、楽しそうに座ったので寛容な家族なのだろう。しかし店長は既婚者だから誘わないと言っていたのに、田中はいいのかとルルは疑問に思う。

「みんな、最初はビールで良い?」

 メニューを持った井上が声を上げる。ルルは嫌だったが、従っておくことにしようと思う。アルコールはあまり得意ではないし、炭酸が入ったものはもっと苦手だった。けれどもみんなの和を崩したくはない、そう考える。というよりも、断ったことは何度かあるのだが、みんな許してはくれないのだ。

 しかしそこで柏木が、

「すみません、俺、まだ飲めないんで」

 と手を挙げる。井上と田中が続けて声を上げた。

「あら、まだだったの」

「まあ、最近厳しいからね」

 洋司は頭を下げながら、「ジンジャーエールで」と注文を頼んだ。

 あれ、とルルは意外な流れにぱちくりと目を瞬いた。洋司は酒を断り、許されようとしている(田中が言う「厳しい」が何であるのか理解できなかったが)。もしかして、この流れに乗れば、ルルも飲まずにすむのかもしれない。ルルは洋司と同じくおずおずと手を挙げながら、発言をした。

「あの、わたしも、まだ……」

 ここで『まだ』とルルが言ったことに、別に意味はない。洋司が『まだ』と言ったのも、彼自身が未熟で飲めないと謙遜したものだと思ったし、それに追随したつもりだった。

「え、ルルちゃんもそうだったの?」

 井上が、意外、と目を丸くした。そんなに意外だっただろうか、とルルは思う。これまで、見た目で酒豪と判断されたことはなかった。

「す、すみません」

 とりあえずルルは謝った。滝本ががははと笑う。

「そんなんで俺と同い年とか思ってたのか、ルルちゃん」

「聞いた聞いた。謙遜も過ぎれば失礼だからね。そんな気を使わなくていいんだよ」

 どうやらルルは、滝本の年齢を誤ったことはわざとだと思われていて、そのために責められているのだ。確かに、あまりに年長の人を同い年というだとか、若い人を年上というだとかは失礼になるだろう(ちなみに自分が滝本を年上と年下どちらに誤ったのかまではルルにはわからなかった)。井上は真面目な質のようだった。

 さらに大谷もソフトドリンクを頼み、飲み物が運ばれるまでしばらく歓談が続く。

「ちなみに、井上さんは何歳なんですか?」

「私? 今年24歳。一浪して大学院一年」

「そうなんですか……」

「年上ばかりで萎縮しちゃう?」

 ルルは深く考えずに言った。

「いしゅくって、何だか病気みたいな名前ですね?」

 一瞬場が黙り込むが、「そうかもね」等のフォローの後ににぎやかな宴席が再開した。もしルルが『萎縮』の意味が分かっていれば、ルルはこう返したかもしれない。

『いえ、年下ばかりで恐縮してしまいました』

 ……『恐縮』という言葉を知らないので、まずないことだが。

 下手をすればルルは、パートの田中の次に年を食っている従業員であるようだ。ルルはそれをようやく悟ったが、周囲がルルの年齢を勘違いしているらしいこと、そして柏木の年齢がルルの思っているよりかなり低いことには気がつかなかった。

 ルルはとかく童顔なのであり、そして周囲をよく観察する能力に欠けていた。


 飲み放題のコースなので、食べ物は何も言わずとも運ばれてきた。ルルは偏食だ。誰も食べ物を取り分けるなどという気の利いた行いをしないのをいいことに、自分の好きな物だけを直箸で取っては食べていた。

生の玉ねぎを丁寧に避けてサラダをとりながら、彼らの話に笑顔で耳を傾ける。ちょうど今は、次の話題を誰が切り出すかというところであった。

井上が元気良く尋ねる。

「好きなアーティストとか、聞いとこうかな」

「おお、CD屋っぽいっすね」と、大谷がおどける。ルルは内心焦った。音楽のことなんてよく知らないのだ。

「でしょう? 私はね、月並みだけど、長渕とか」

「えっ長渕? 全然月並みじゃねえ」滝本が吹き出したが、井上は真面目な表情を作って彼を睨む。

「なんで? 有名アーティストでしょう」

「いやー、そうだけど」

「で、ルルちゃんは?」

いつか振られるのは分かっていたがあまりに早く、心の準備ができていない。発言数が少ないルルを慮っての振りだったのかもしれない。

「わ、私は……」

 思い出せなくて、今日品出ししたばかりのアーティストを挙げた。悪くないチョイスであったようで、うんうんと頷いてもらえた。

「ああー、最近良いよね、あのバンド」

「おばちゃんにはついていけないよ、あれは……」

「田中さん、中島みゆきでしょ? 私も大好き」

「大谷さんは?」

 大谷は笑顔でルルの知らないアーティスト名を答えた。みんなは再び知ったような顔で頷き、笑顔になる。

「趣味がいいねえ、なかなかー」

「渋いよね」

 洋司も親しげな表情を見せている。自分だけ話についていけない。ルルは焦り、口を開いた。

「あ、あの、柏木さんは……」

「ああ、そういえば洋司くんにも聞いたことなかったね」

「俺っすか」

 そう言ったきり、洋司はしばらく口をつぐむ。

「どうしたの?」

「いや、洋楽とか聞くんですけど」

「ワンダイとかマルーンとか?」

 井上がいくつかの名前を出すが、柏木はあいまいに相づちをうつにとどめた。

「え、誰なの誰なの」

 柏木は頬をかいてから、ぼそりと答えた。

「あのー、……ビョークとか」

「へえー」

 ルルは当然の如く、その歌手のことを全く知らない。

「ビョークって、あれですよね、あの映画の」

 そう言って、大谷はおそらく映画のタイトルを言ったのだが、知らない単語であったこともあってルルにはよく聞き取れなかった。

「そうそう、挿入歌があった」

「ああ、あれか!」

 滝本も大きく頷いた。

「へえ、なんか意外な感じがするなあ」

「そう? 柏木くんっていかにもサブカルっぽいし似合ってるよ」

「サブカルっすか」

 柏木はそう言って苦笑した。

 サブカル。ルルも知っているが、それはファッション用語ではなかったのか。ルルは本来のサブカルチャー(日本のサブカルチャーはそもそも原義から離れたものではあるが)から発展したファッションの分野しか知らなかった。


 ルルはお酒が本当に苦手だ。自分が飲まなくても、お酒の匂いだけでだんだん気分が悪くなってきた。煙草の煙も相まって、耐えきれずに席を立つ。

 化粧が落ちてしまうから、顔を洗うことは許されない。何度か手を洗って、気分を落ち着かせる。意味もなく携帯電話を見たが、着信は何も。検索エンジンのトップページにも、目を引かれる記事はない。

 王子さまと、思ったように話せない。だって彼らはルルの全く知らない話をする。音楽の話はルルには全くわからない。ルルはほとんどしゃべっていないが、そういうおとなしい娘だと思われているようだ。本当は、とてもおしゃべり好きなのに。

 大谷なら、メイクやファッションの話をわかってくれそうだが、ルルは今は彼女と仲良くしたくなかった。井上はさばさばした感じで趣味が合わなさそうだし、田中は年齢が違いすぎる。とにかく、付き合ったことのない人種ばかりなのだ。

 ルルはちょっと泣きそうになる。鏡の中の自分の顔が歪んで、それが可愛くなかったから慌てていつもの顔に戻した。


 席に戻ると、柏木がしきりに大谷に頭を下げている。大谷をはじめ、まわりはみんな愉快そうに笑っている。

「どうしたんですか?」

 ルルは柏木の隣に再び座って聞いた。滝本が教えてくれる。

「こないだ、柏木が定期なくしたんだ……って、前言ったっけ? あれ拾ったの、大谷ちゃんだったらしいんだよ」

「えっ」

大谷はにこにこと柏木を振り向いた。

「もーびっくりしましたよ。こんなとこでつながるなんて思ってなかったですもん」

「いや、俺も。本当助かったよ、ありがとう」

 柏木は照れ笑いでもう一度大谷に頭を下げた。


 違う。

 それを拾ったのはルルだ。だって、ルルが、柏木の座っていた場所から拾って届けたのだ。

 大谷は嘘つきだ。きっと、柏木の気を引きたくて言ったのだ。


 大谷は柏木と笑い合っている。その周りにいる田中や滝本のことは、既にルルの目には入っていない。二人の世界であるかのように見えている。

 ルルはやっぱり、大谷と仲良くできないと思った。そして、はっきり『敵だ』と認識したのである。


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