ルル、王子さまをたすける?
バイトに行くと、知らない女の子が立っている。
彼女はこちらに気がつくと、ぱっと微笑んで頭を下げた。
「おはようございます! 金子さんですよね」
「おはようございます」
ルルは首を傾げながらあいさつを返した。
かわいらしい女の子だ。ショートヘアが似合っていて、活動的な感じがするのに、華奢で女の子らしいところもあった。
ルルは、こういう女の子は実は少し苦手だった。昔、先陣を切ってルルを攻撃してきた同級生に似ているのだ。何の悪気もない笑顔を前に、右足を少しだけ退いた。
滝本がいつものにやにや顔で近づいて来た。
「新人がようやく顔合わせたなあ」
ルルはほっとして滝本に顔を向けた。
「女の人のバイトは他にいないと思ってました」
「あれ? 田中さんに会ったことなかったっけ。あと、井上さんもいるし」
まあ、田中さんはパートだけど、と滝本は呟いた。
どうやらルルと同じシフトに入る人間は偏っていたようだ。十回近くシフトに入ったが、ルルは店長と滝本と田中の三人としか一緒に仕事をしたことがない。井上や大谷という名前はシフト表でも見ていたが、名字だけでは性別がわかるべくもない。
「ルルちゃんのすぐあとに入った新人バイトの大谷さんだよ」
「大谷優です。よろしくお願いします! 学校もあるので、あんまりいっぱい入れないんですけど……」
「ルルです。よろしくお願いします」
CD屋の開店直後は客がそう多くない。平日となればなおさらだ。おもに、在庫のチェックや発注、ポップ書きや整理などが業務となる。
やはりと言うべきか(なにしろルルは本当に仕事ができないから)、大谷の手際はルルよりはるかによく見えた。どころか、ルルが戸惑っているとさらりとフォローをしてくれる。
珍しく卑屈な気持ちにもなって、ルルはますます大谷を苦手に思い始めていた。
そんな思いとは裏腹に、客がいないタイミングで大谷は話しかけてくる。
「柏木さんってわかります? 眼鏡の、細い人」
突然の名前にどきりとする。どうして、彼女からその名前が出るのだろう。否、同じバイトなのは確かだが。
「え、うん……」
「柏木さんから、金子さんっていうかわいい女の子がいるよって、聞いていたから、どんな人かなって思ってたんです」
ルルはどういう反応をすべきか分からなかった。『かわいい』と柏木が評してくれていたことを喜べば良いのか、自分よりも親密そうな大谷と柏木の仲に嫉妬すれば良いのか。
「柏木、さんとは、まだ少ししか会ったことないよ」
「そうなんですか?」
「……タメ語でいいよ」
ルルはコールセンターでの経験から、今ではいくつかの定型文は敬語で話すことができるけれど、基本的に敬語は苦手だ。
「えっでも私、まだ高校生なんですよ。金子さんの方が年上ですよね」
「こ、高校生」
ルルは大谷を見つめた。ばっちりと化粧をしている大谷は、ルルと同年代……とまで言うと失礼かもしれないが、二十歳を越えていてもおかしくない、しっかりした女性だ。ルルは髪を茶色に染めているから自分より年上だと大谷は判断したのだが、二人が並んだところを客観的に見ると、同い年か下手をするとルルの方が年下のようでもある。大谷が飛び抜けてふけているのではなくて、ルルに年相応の落ち着きがなさすぎるのだ。
「この春から大学生なんです。もう学校もほとんどないし、フライングで始めちゃおっかなって」
「そうなんだ……」
「だから、一応、敬語で話しますね。あ、じゃあ、ルルさんって呼んでも良いですか? 可愛い名前ですよね」
「……いいよ」
良い子なんだろう、そう思いはするものの、最初の印象が抜けきれない。ルルにしては珍しく、積極的に関わりたくないタイプに大谷は分類されたのだった。
次の日は、ルルの相方は滝本だった。しかしその前の時間帯には柏木がシフトに入っている。入れ替わりの時間に会えるかも、もしかしたら話ができるかもしれない。ルルはそわそわしていた。
しかし着いてみれば遅刻寸前、加えて柏木はどこか急いでいる様子で、ルルが姿を見せると軽く会釈をしてすぐに着替えに引っ込んでしまった。ルルも仕方なく女性用の更衣室に入る。
どうにも、うまく行かない。もしかして、避けられているんだろうか。まさか。そこまでの接点すら、未だないのだ。
ルルが着替えて出て行くと、柏木は鞄を抱えて店を出ようとしているところだった。
「お疲れさまです」
「おう。もう定期失くすなよ」
「なくしませんって」
そしてルルを見てもう一度会釈をして、そそくさと店を出て行った。
「定期?」
「駅で落としたんだとさ」
立ち尽くすルルを店長が一喝し、バイトが始まった。
駅で定期入れを見つけたルルは、まず最初に「これはだれのものか」と考えた。きっと、困っているだろう。近頃は交通系電子マネーと一緒になっているから、安心しきって小銭を持たない人はたくさんいると思う。そういう時に限って、乗りたい電車にぎりぎりの時間に駅に着いたりするのだ。一万円を券売機で崩していては乗り遅れてしまうこと必至だ。
次いで、これが王子さまの持ち物である可能性に思い至った。というより、十中八九そうであると考えるべきだ。だって、今さっきまで、ルルが座っているここに柏木も腰掛けていたのだから。男の人は荷物を持つのを嫌がるから、ポケットに何でも入れるのだとルルは聞いたことがあった。きっと、この定期も彼のズボンかどこかのポケットからこぼれ落ちてしまったのだろう。
ルルは迷い、駅の落とし物係に届けることにした。定期が本当に柏木のものか、確証がなかったことと(とはいえルルはもうほとんどこの定期が柏木のものだと信じていた)、直接返すとしたら、どう言って返せば良いのかわからなかったからだ。落としたのを見かけた、というのはいささかわざとらしい気がするし、まさかストーカー紛いのことをしていたとは言えまい。ただ「拾いました」と駅員に伝え、いくつかの手続きをしてルルは駅舎を出た。
柏木洋司は間違いなく定期を落とし、そして見つかったという。これは、ルルが拾ったもので間違いないだろう。ルルは王子さまを助けたのだ。本当に人魚姫みたいだ。
ルルは浮かれてレジを打ち間違えた。