ルル、フリーター
話は変わるがここで、ルルの親友について話したいと思う。
ルルの親友、名前を諏訪 佳樹という。男のような名前だが、れっきとした女性である。背は高く、髪が短いため、ルルと二人で遊んでいるときはよくカップルと間違われた。尤も、近づけばすぐに彼女が女であることは見て取れたが。
佳樹は頭が良かった。しかし自分のことを面白みのない人間だと思っていて、周りの頭が良い人間も同じようなものに違いないと思っていた。彼女は自給自足で庭を育てたターシャ・テューダーや、名もなき民芸を愛した柳宗悦や、農業をしながら物語を作った宮沢賢治といった人びとに傾倒し、自分も、自ら目立たないが確と何かを残すような人間になりたいと思っていた。それが、誰か輝ける人間をサポートすることで実現できるかもしれないとも考えていたのがちょうど高校生の時分であったのだ。
さて、ルルの容姿についても触れておこう。
ルルは端から見て、非常に可愛らしい容姿をしていた。目は大きく、鼻は慎ましく、唇は程よい厚みで、肌は白くてきれいだった。背丈は平均程度、胸はそこそこ、全体的には痩せ形だった。おしゃれをするのも好きで、茶色に染めた髪をウェーブさせて、今どきのファッションに身を包めば、面白いくらい男が寄ってきた。中学生の頃はあまり興味がなかったので告白されても断っていたし、高校生になると佳樹がいたため、付き合ってもあくまで健全なものに留まった。少し古い貞操観念の持ち主だった親友は、容易く男に体を許さないように言った。本当に好きだなと思う人としか身体を許さないようにと。求められるままに体を開くと軽い女に見られるばかりか、同性からも『ビッチ』だと蔑まれると。ルルはそれに頷き、その言を守ってきた。『本当に好きだなと思う人』がいなかったので、いまだルルは生娘だ(佳樹も自分の言葉がそれほどまでに影響力を持っているとは思っていなかったのである)。しかしそれが『ヤらせもしないくせに男をもてあそぶ悪女』というふうに揶揄されるとは、ルルも佳樹も思っていなかった。どう振る舞っても、人の悪意はついて回るのだ。
ルルは佳樹のことが大好きだった。頭の良い彼女に憧れ、彼女ではなく自分に寄ってくる男たちは本当に見る目がないと思っていた。彼らはルルのことを、『守ってあげたい』と思うらしい。それがなぜだか、『好き』に変わるらしい。ルルにしてみれば、『守ってあげた』くなるほど弱々しいものをなんで好きになるのかわからない。ルルが男だったら、自分のように頭の悪い女は願い下げだ、と思っている。
容姿だけでルルのことを決めつけ、好きだと確信して寄ってくる男たちは、そのくせ、一度断ればもうあきらめ、二度と出てこない。ルルは人の名前を覚えるのが苦手だ。名前を覚えるくらい何度も来るなら、少しは興味を持つだろうに、どうして『好きだ』と迫っておいて、たった一度の拒絶で去っていくのか。ルルにはとうとう分からなかった。
ルルには分からないことが多すぎるが、頭が悪いので仕方がない、と思っている。
社員登用という現実的な可能性と、ルルが主人公の物語の進展という二つの希望によって、ルルの頭には花畑が出来上がり、家に帰るとルルはすぐに電話をした。そしてその週のうちに面接を行うことになった。
その日は平日であったので、繁華街の人も休日よりは少ない。CDショップにはもっと人が少なかった。忙しくないときに呼ばれたのだから当然とも言える。
ルルは店員の案内に従って店の裏手へ入っていく。少しの期待があったものの、王子さまは店頭にはいなかった。アルミの扉を開けると、店以上に汚そうな事務所がある。
「ちょっとこの建物古いから、汚い感じしますけど、トイレはきれいよ。この間直したの」
と、案内をしてくれている40代くらいのパート女性が説明してくれた。
現れた店長は、50代くらいのオジサンだった。そろそろメタボを指摘される頃だろう、と思われる腹回りだ。今にも「面倒くさい」とでも言いそうな風貌と表情だった。
お互い簡単に挨拶を交わすと、店長はルルが差し出した履歴書を手に取りもせず、机に置いたまま眺めながら、こう切り出した。
「こういうとこでバイト、したことある?」
「あんまり……」
「いつ出て来れる?」
「いつでも……」
「時間は?」
いつでも良かったのだが、一日中バイトということになってしまうと泳ぐ暇がなくなる。コールセンターのときと同じく日中を希望しようかと思ったが、いかにも学生然とした『王子さま』のことを思い出して昼過ぎから夜までを希望した。
「ふーん……」
店長はあごに手を当て、思案顔をする。ルルは内心どきどきしながら、彼が口を開くのを待つ。それには数分かかった。
「……勤務時間は基本二時から閉店の九時まで。閉店業務込み。休みは火曜。シフト希望は15日締め、給料日は25日。質問は?」
矢継ぎ早に言われ、少しく考える時間を要したが、ルルは慌てて返事をした。
「ないです」
「じゃあ、あさっての水曜からさっそく入って。三週間は研修期間ってことで、時給が30円安いから」
「は、はい……」
銀行書類や、ロッカーの場所、エプロンの支給など、諸々の手続きや説明を経て、ようやく「よろしくお願いします」と言うことができた。店長と、諸々案内をしてくれた店員も、それぞれ同じ言葉をルルに返した。どうやら、ルルは採用になったらしい。
まだどこかぼんやりしたまま、店員に連れられ、通用口を出て再び店頭に戻ってきた。店員はどうやら店の入り口まで見送ってくれるつもりらしい。
「金子さんって音楽聞く?」
「いいえ、あんまり」
そう答えてから、仮にもCD屋で働こうという人間がその答はだめなのではと思ったが、店員は笑っただけだった。
「私もねえ、流行りの音楽全然わからないんですよ。でも、機械もあるしね、大丈夫、なんとかなるから。あ、私、田中っていいます。よろしくね」
向けられた笑顔は優しい。いつもきれいで若いルルのママとは全く違うタイプに見える。仲良くなれるだろうか、とルルは思った。
「ルルって呼んでください」
「ルルちゃん? 可愛い名前ね」
そんなことを話している間にレジのカウンターを通り過ぎようとする。田中はふとカウンターを振り向き、そこにいた別の店員に話しかけた。
「柏木くん、この子」
「あ、バイト希望の人ですか」
続いて振り向いたルルは固まった。そこには、来たときにはいなかったルルの『王子さま』がいて、ルルを眺めていたのだ。しかしすぐに返事を返さなくてはならないことに気づき、口を開く。
「は、はい、より、よろしく、お願いします」
「あ、採用ですか。よろしくお願いしますね」
青年はそう言って、微かに口元を上げた。
その微笑で、ルルの心臓はあっという間に舞い上がり、もう何が何だかわからないまま帰途についた。
帰宅してすぐに、ルルはパパとママにアルバイトを始めることを告げた。二人とも、とても喜んでくれ、その晩の食事には急遽ルルの好きなオムライスが出された。今日は最高の日だ、ルルはそう確信し、満足のうちに布団に入り眠りについた。
あさってから、アルバイトの始まりである。