ルル、映画を観る
実在する映画のネタバレともとれる表現がありますのでお気をつけ下さい。
ルルはバイト中、さりげなく店内を回りながら昨日皆が出したアーティスト名を探した。いくつかは既に知っていたし、知らないものも有名だったらしくすぐに探し出せる。
しかし、洋司が口にしたアーティスト名が思い出せない。
『びょく』、と言っていたような気がするが、どういう字を書くのかさっぱりだ。漢字? ひらがな? カタカナ?
レジに戻り、そこにいた店長に聞いてみることにした。
「あの、店長。びょくって、どこにあるかわかります?」
「洋楽のbのとこなかったか」
洋楽! ルルはすっかり邦楽だと思い込んでいた。まるきり聞き違えているものと思って駄目元で聞いてみたのに、どうやらそういう名前のアーティストは実在するらしい。
果たして店長の言った通りの場所にそれはあった。
「ビョーク、っていうのか……」
もちろん、bjorkというアルファベットが読めるはずはない。日本盤が出ていたから、ルルはすぐに見つけることができたのだ。
他に似た名前はなかったから、これに違いない、とルルは思う。ルルはそのCDをレジに持って行き、バイトの終わりに購入する。
それから、レンタルビデオショップへ行き、店員に聞いた。
「ビョークの映画を探してるんですけど」
ルルは帰宅し、ママが作ってくれたご飯を食べた。お風呂に入り、あまり遅くならないうちにと、急いでテレビの前を占拠する。パパは翌日の朝が早いらしく、早く寝てしまった。ママも映画に興味がないから、自室に引き上げてしまう。少し寂しいけれど、だからといって翌日に延期するわけにはいかない。一泊二日で借りたのだ。
ルルは自分の隣にオレンジジュースを用意して、それからチョコレートをその横に置いた。ポップコーンがなかったので、しょうがなくだ。
DVDの箱に書かれている内容紹介を見もせずにルルはその映画をレンタルしてきた。洋画、ということしかわからない。でもきっと、これを見ればルルは柏木に近づけるはずだった。ルルは部屋を暗くする。そしてDVDをレコーダーに入れ、チャンネルを切り替えた。
話が変わるが、ルルは悲しいお話が嫌いだ。
人が不幸せで終わるお話が嫌いだ。
皆が笑顔で、幸せになるお話、そうハッピーエンドだけがルルの認める物語だ。
レンタルショップで借りて来たDVDを見ながら、ルルははらはらしていた。果たしてこれは、この暗澹たる物語は、果たして幸せに終わるのだろうか。終わるに違いない、だって、こんなにこの人は苦しんでいるのだから、きっと報われるはずなのだ、まさか、このまま絶望のまま、終わるなんてことは……。
ルルはエンドロールまでしっかり見終わり、そして映画が終わったことに気がついた。
「……うそ」
終わってしまった。
「うっそ〜……」
気がつくと涙はぼろぼろと溢れ出す。最後に訪れるであろう幸せのためにルルは泣かずにおいたのに、まさかこんなことになるとは。
両親が一緒に映画を見てくれなくて寂しく思っていたが、結果として良かったとルルは思う。こんなひどい話をルルが選んできたなんて、ママには言えない。
高校生の時とは違って、化粧のりを理由として翌日のバイトを休むことなどできない。それに、明日は待ちに待った柏木と同じシフトの日だ。柏木……ルルはまた、真っ暗になったままのテレビ画面を見遣って涙を流した。こんなのは違う、こんなのはルルの求めていたお話じゃない。なんてひどいお話を、柏木は好むのだろう。ルルは氷嚢を取り出して目に当て、まだぐすぐす言いながら眠りについた。
ルルは精一杯努力をしたが、やはりいつもよりもどんよりした顔になるのはしょうがなかった。それは気分のせいもあるし、晩に泣き腫らしたせいもある。
気分を持ち上げてくれるはずの柏木の存在も、今は『昨夜の映画を見せた張本人』として、むしろ気分を落とす原因になっている。とはいえ、今やその感情は、悲しみや嘆きとは違ったものに変化していた。
「おはようございます」
柏木が現れる。シンプルで細身の服を着ている、センスのいい服だ。少しだけ眠たそうな顔をしている。最初に見たときより髪が伸びている、そろそろ目にかかりそうで、ひやひやする……常ならば。
今日のルルは、そのひょろひょろした体躯に向かって、いきなり怒鳴りつけた。
「嘘つき!」
ルルは一晩を経て、『悲しい映画を見せた柏木への感情』を悲しみから怒りへと変化させていた。
当然、柏木がそんなルルの事情を知る由もない。
「え、何か俺、しましたっけ」
「あんな、あんな暗い映画だなんて知らなかったよ! みんな笑顔で話していたじゃない」
そうだ、みんな、あの映画のことを話しながら誰も『あの映画は暗くて悲しいお話だったね』なんて言わなかった。曲のことしか言わないから、ルルはうっかり最後まで見てしまったのだ。ルルは再び滲みそうになる涙を必死に堪える。
「ごめん、あの、なんのこと」
「びょーくの映画だよ!」
そう言うと、柏木は「あっ?」と声を上げて、そして黙った。
ルルも黙って、柏木を睨みつける。
柏木は視線を上に上げ、それからぐるりと周囲を見回し、それから戸惑った眼差しでルルを見た。
「……ビョークの映画?」
ルルは頷く。
「それって」と柏木は映画のタイトルを言う。ルルはもう一度頷いた。さすがのルルだって、一度見たらタイトルくらい覚える。それが前日にとんでもない衝撃を与えたものならなおさらだ。
しかしタイトルを肯定しても、柏木の戸惑いの表情は消えない。
「なんでそれが俺のせいに?」
何を寝ぼけたことを、とルルは口を尖らせて言う。
「びょーく好きって、言ってた。映画があるって言った」
今度は柏木は視線をルルに留めたまま、数秒停止する。次いでもう一度あっと声を上げて、今度はばたばたと手を振って否定した。
「あ! それじゃないそれじゃない!」
「それじゃない?」
「それはビョークが主演の映画でしょ。俺が言ったのはビョークの曲が挿入歌に使われてるってだけで」
そう言って、柏木は別のタイトルを口にした。確かにそのタイトルは昨晩観た映画とは似ても似つかないものである。けれどもルルが、宴席での会話の中でさらりと出て来た横文字のタイトルを一回で覚えられるはずもない。間違えたのは仕方がないと言える。
「おい、いつまで駄弁ってんだ」
開店作業が進まないことにいらついた店長がやってきて、会話は中断する。
ルルはその日のバイト中、柏木から聞いたタイトルを忘れないようにするのが精一杯で、何度もレジを打ち間違えた。
「なんか、ごめん、変な映画見せちゃって?」
柏木は、バイトの終わり際、そう謝った。疑問符が最後についたのは、『変な映画』という形容が合っているか分からなかったからだろう。それでも、ルルがその映画を気に入らなかったのだと考えたから、謝ったようだった。
「……次のは、どんな映画?」
そういうと、彼は少し考えて、歯切れ悪く「アクション映画かな」と言った。
次の日のシフトには柏木はいなかったが、ルルは控え室に入り、きょろきょろと目的のものを探す。それは入り口のすぐ側に貼ってあった、不用心にもほどがあるが、今のルルにはそれがありがたかったしそもそもルルは『不用心だ』等という感想を抱きはしない。とにかく、彼女は控え室に貼ってあるバイトの連絡先一覧を見て、柏木に電話をかけた。
『はい』
見知らぬ番号からかかってきたからだろう、いぶかしげな声で彼は応答した。
「う、うそつき!」
『え? あの、どちら様で』
「ルルだよ! 悲しいお話だったよ!」
柏木はやはり数秒黙って、それから「ああ」と声を上げ、あとすぐに「えっ」と言った。
『ゲイリー・オールドマン恰好良くなかった?』
「誰それ」
ルルは二度にわたって裏切られた。物語とはハッピーでなくてはならないルルにとって、これは重大なことなのだ。このことを、加害者である柏木にも理解してもらわなくてはならない。
「責任とって、楽しい映画を見せて」
とはいえ、この時点でルルに打算がなかったと言えば嘘になる。心中では柏木にいきなり電話をかけた自分に驚いているし、それで意外と会話が成立していることを嬉しく思っている。これ以上を、と望むのも仕方がない。
『見せるって、俺が借りて来たら又貸しになるし』
しかしルルの王子さまはわざとなのか鈍いのか、とんちんかんな返答である。
「なんでレンタルなの」
『だって、映画って…………えっ』
そこで初めて柏木は気がついたらしい。ルルと話していると、彼はしょっちゅう絶句する。それとも、他の人と話すときもそうなのだろうか。
『あの、それって、勘違いだったらごめんだけど』
「ルルを映画に連れてって」
『あ……』
「勘違いだった?」
「合ってた」と柏木は小声で言った。
果たして初デートは開催される運びとなった。
電話番号を利用したショートメッセージでやりとりは行われ、次の週末にはルルと柏木は映画を観に行くことになった。「今面白い映画やってないよ」と柏木は消極的であったが、ルルは「暗く悲しい話でなければ何でも良い」と強く押した。
柏木はそれなりに悩んだと思われる。見ることに決まった映画はマンガ原作のコメディ映画だった。ふざけすぎず、かといって狙いすぎずといったチョイスであるとルルは思った。
映画館へ行くデートなんて、高校生のとき以来だ。そもそもルルは、自分から男性をデートに誘ったことなんて一度もない。いつも相手から誘って来て、相手にデートプランを立てさせ、それについていっただけだ。そうすることを求められてきたのだ。
大谷と一緒にバイトをしながら、ルルはうっかり問いかけてしまった。
「ねえ、今おすすめの映画ってある?」
「映画ですか?」
大谷は意味もなく斜め上を見つめて、「今あんまり面白いのやってないと思いますけど」と言う。柏木と同じことを言うのでルルはちょっとむっとして、やはり話しかけなければ良かったと思った。けれどもルルは元来話好きで、以前の職場のようにしんと静まり返っているような環境でもなければすぐにでもしゃべり出すのだ。
「強いて言えば、あれですね」
と、大谷はタイトルを口にした。それは今度ルルと柏木が観に行く予定のタイトルだ。
「なんだかとんでもない配役みたいだから、ちょっと気になっちゃいます」
「ねえ柏木くんとその話した?」
「え?」
大谷はきょとんとしたが、すぐにああと声を上げた。
「確かに! あれ気になるよねって話しました! すごいですねルルさんよくわかりましたね」
「……仲が良いね」
「結構一緒になること多いんですよお。私おしゃべりなんで」
そう言って大谷は笑った。
はたしてビョークはサブカルといえるのか。