その8
めまぐるしい一日だったゆえ、いつの間にか眠ってしまった田部君だったが、ようやく目を覚まし、ケータイに目をやった。
「も、もう九時なんだ。ホント、当てにならないなあ」
待ち人来たらず、なのだ。
その時、ドアが開き、二人が入ってきた。
「お目覚めのご気分は如何ですかな?」
「い、いいわけないでしょ!」
それを聞いて、やはり口元だけで微笑んだ乙川が
「何か思い出されましたかな?」
「いいえ、ちっとも」
この時、ドアよりノックの音が聞こえてきた。
「警部。よろしいでしょうか?」
「入りたまえ」
これに姿を見せたのは、例の現場で見た若きイケメン刑事だった。
「宮城県警からの連絡です」
「どうだった?」
「到着して早速運転手二名に被害者の写真をみせたところ、これが坂梨という男がどうかは自信がないと」
「どういうことだ?」
「ええ。何でも深く野球帽をかぶって、おまけにサングラスまでしていたとのことで」
「そうか。わかった」
イケメン君が出ていったのと入れ替わりに、次には婦警がやってきて
「警部。木俣さんという方がお会いしたいと」
「木俣?」
名刺にあった探偵事務所のことを思い出した乙川、おにぎり君の方を見やり
「お連れしなさい」
だがその時、すでに当人が部屋にズカズカと侵入し、これまたデカイ声で
「お初にお目にかかります! そのおにぎりを雇っている、女流探偵の木俣マキでございます!」
そう叫びながら、名刺を差し出してきたのである。
一瞬、場の空気が止まった。無論、登場者のいでたちやら瓶底眼鏡にも驚いた二人だったが、それよりも何よりも
「ひょっとして、女の探偵さん?」
この鎌井刑事の素直な一言に、右眉を上げた木俣さん。確かに百七十半ばの長身で、ショートカット。おまけに声は低く、体の裏表もわかりにくく、その性格にいたっては女々しいどころか……
「おい、いい加減にせんかい!」
天井に向かって一声上げた木俣さん。これに乙川さん、キョトンとし
「誰に向かって言ってるんです?」
そう言いながら、受け取った名刺に初めて目を落とした。
「上下逆ですが? それに、全部カタカナとは」
「そそ、下から読んでもキマタマキね! わかりやすいように、カタカナにして逆さまに出してるんです」
「なるほど! 見事なアイデアですな。申し遅れましたが、私は捜査一課の乙川と申します」
「ああ。おつかれさん?」
一瞬ひるんだ相手だったが、そこは警部。すぐに落ち着きを取り戻し
「乙川です。白々しい」
「あ、そうなんだ」
木俣さん、早くもタメグチである。
「そして、この隣にいる者は刑事の鎌井です」
その紹介に黙ったまま、ほんの少しだけ頭を下げた男。あきらかにその目は、相手を訝っている。
「ねえねえ? おたくってご家族はいらっしゃるでしょう?」
「え? 女房に子供二人ですが。それが何か?」
いきなりの質問に目をパチクリしている中年刑事。
「だったらさ、おたくってご近所さんから『鎌井たち』さんって呼ばれてるでしょう?」
「カ、カマイタチ? 呼ばれてるもんですか!」
「そっか、残念だなあ」
この奇妙なる来訪者に、思わず顔を見合わせた警部と刑事。そして前者が
「まあ、そのおにぎりの隣にお座り下さい」
だが、これに鎌井刑事が
「警部。この人が、本当の木俣なる探偵かどうか怪しいものですよ」
それに答えるべき乙川よりも、いち早く
「はああ? やっぱりヒネクレテルよねえ、警察って! そんならさあ」
興奮した木俣さん、おもむろにポケットからケータイを取り出し
「えーと……お、あったあった。じゃあ、ここに電話して船虫って警部に聞いてみてよ」
「ふ、ふなむし? け、警部?」
さすがのベテランも驚き聞き返した。頭の中では、よれよれのスーツを着たフナムシの姿が浮かんでいる。おまけに二足歩行だ。
「そそ。ちなみに、兵庫県は四恋署ね」
「よっこいしょ? 何です、それって?」
「まあいいじゃん。とにかく電話しなはれ。じゃ、言いまっせ。○○○―×××―△△△△」
これに鎌井刑事が
「では、その携帯電話を貸してください。ただちに電話しますので」
「通話料が勿体ないんで、目の前にある電話でお願いします」
「つ、通話料? も、勿体ない? こんな一大事に……」
これに乙川が
「鎌さん。とにかく一度、かけてみてくれ」