その5
それからの記憶はない。だが、いま目を開けてみると、そこにはぼんやりと制服姿の男。
「ああ、出勤してくれたんだ」
その中の一人が、早速気づいて近づいてきた。
「気がつかれましたか」
「あ、はい。でも、一体あれからどうなったのか……うっぷ」
先程見た悲惨きわまる光景を思い出し、吐き気をもよおす田部君。これに相手の警官は笑って
「いや、あなたが『人が死んでる』って喚きながら、このフードコートに飛び込んできたそうですよ。それで、ここの従業員が『いきなり、おにぎりが転がってきた!』って、我々にすぐ連絡を寄こしたと」
「ああ、そうだったんですか。と、とにかく、死体を見るのは苦手で」
木俣さんが聞いたら、必ずや嘆くような台詞を吐く助手。だが相手は
「我々だってそうですよ」
と言いながら、大声で離れた場所にいる男に向かって
「鎌井さん! 気づかれましたよ!」
「長浜署の鎌井です」
相手の中年刑事は、警察手帳を閉じながら
「死体発見時の様子を教えてください。えっと……」
「た、田部と言います」
「多田部さんですか?」
「いえ、田部です。今のは、噛んだだけです」
「そうでしたか。では、話を」
だが田部君は、それよりもまず逆に尋ねたのは
「死んでるのは男でしたか、それとも」
「男でした。見たところ二十代後半から三十代前半までの、ですね」
「ああ、男でしたか」
ほっと胸をなでおろすおにぎり君だったが、そこはプロ、すかさず
「女だったら問題でしたか?」
「え?」
その時だった。一人の若者、それも涼しげな顔立ちをした男がやってきて
「鎌さん。これがガイシャの服の内ポケットに」
「財布ねえ」
「で、これが中身です」
そう言って、イケメン君が先輩の目の前にビニール袋を出してきた。
「金は一万円札が三枚に、千円札が五枚、それに小銭が少々残っています」
「そうか。あとは……」
鎌井が手袋をはめた手で、中身をそっと出してきた。
「何やらレシートが多いな。うん? 運転免許証が見当たらんが?」
「顔を著しく破損させたのと合わせ、おそらく犯人がガイシャの身元を隠すために持ち去ったかと。ただ……」
イケメンはビニールの一箇所を指し
「レシートに混じって、こいつが」
そこに目をやった鎌井刑事、慎重にビニール袋からそいつを取り出し眺めている。だが次の瞬間、顔色が変わった。そしてすぐに、目の前のおにぎり君に目を向け
「おたくって、探偵事務所に勤めてるんですか?」
「ええ、そうですが」
この時、伝染病の如く、田部君の顔色も変わってしまった。
「そ、それって、僕の名刺?」
「ほら」
そう言って、相手がその表を見せてきた。
「あなたの名刺に間違いないでしょう?」
「た、確かに僕のですが。何故、その男が持ってるんだろう?」
そんな首を傾げて、逆三角形になった田部君を鎌井刑事が目つき鋭く
「それは、こっちの台詞ですよ」
「え?」
その強気口調に思わず相手を見た彼氏、そして気づいたのだった――己の立場が、死体発見者から参考人へと変わってきたのを。
「そう言えば、誰か女性のことを気にしてましたよね?」
「ま、まあ」
こんな曖昧な返事をしているところへ、別の刑事がやってきた。
「鎌さん。こいつが、ガイシャの首に巻きついていたネクタイです」
それを見やったおにぎり君、その目も口も大きく開けてしまっている。まるで埴輪だ。
手にした物にしばし目をやった鎌井刑事、ゆっくりと顔を上げ
「あなたは、一番上のボタンまできちんと留めておられる。つまりそれは」
そして、ネクタイを田部君の目の前に突きつけてきた。
「こいつは、おたくのですな?」
「ま、まあ」
無論己の物だったが、とても断言できる空気ではなかった。そこへ刑事が、今度は別の物を差し出してき
「それと、鎌さん。こいつが腹に刺さっていた果物ナイフです」
またもやおにぎり君、今度は口から泡を吹きそうになるのを我慢している。埴輪から蟹への変身だ。
「ほうほう。で、こいつに見覚えは?」
どんどん厳しい目つきになってきた中年刑事。それに耐えられない田部君は、目をそらしながら
「ま、まあ」
「先程より同じ台詞しか吐かれませんな」
口元だけで笑った相手、すぐに若い刑事に向かって
「親爺さんをここへ」
やがてやってきたのがツルッパゲの六十近い男で、なかなかの貫禄の持ち主である。そこに鎌井刑事が尋ねてきた。
「親爺さんよ。ネクタイで締めたのとナイフで刺したのと、どっちが致命傷なんです?」
「実は詳しく解剖してみないと、何とも言えんのじゃ。確かにどちらも命を奪うくらいのもんなんじゃが、どっちが致命傷になったっちゅうのわな」
「そうなんですか。では、すぐにでも調べて下さい」
「あいよ」
軽く返事した親爺さんだったが、続けて
「まあ長い間この仕事をしておるわけじゃが、顔は目茶目茶に傷付けられておるわ、首は絞められておるわ、おまけに左手は手首から切断されておるわ……こんな仏さんには、お初にお目にかかったわい」
そうぼそぼそと言ったあと、くるりと背を向け
「まあ、いずれにしろガイシャは相当に憎まれたもんじゃこて……おっと、そいつはあんたらの仕事の範疇じゃったな。アッハッハ!」
高笑いをしながら去っていった男を見送った鎌井刑事、再び正面に向き直って
「では、田部さん。我々と一緒に署まで来てもらえますね?」
有無をいわさぬ言い方だった。