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その3

 揺れにも身体が慣れてきて、ついウトウトしていた彼氏だったが、大きな弧を描く揺れに目を開けた。


「皆様。ここで二十分の休憩を取ります。お戻りの時刻は、二十二時五十分までにお願いいたします」


 時刻は午後十時半。おもむろに腰を浮かせた田部君、前方に目をやると、純子も立ち上がっている。


 ドアの傍で待っていた彼女と一緒に歩き出したおにぎり君だったが、どうも相手の様子がおかしい。


「足、どうかしましたか?」


「ええ。ちょっとぶつけちゃって」


 ここでは暗すぎた。やがて、建物の中からの灯りが届くところまで来て――


「ち、血が出てますよ!」


 見ると、スカートから覗いている彼女のスッと伸びた左足の膝下数センチの箇所が血に染まっている。


「どうりで痛いはずだわ」


「何を呑気なことを!」


 少し声を荒げた彼氏、その場に屈み込んで、すぐに己のハンカチで血を拭いてあげている。


「あ、すみません」


「どういたしまして」

 そして拭き終わったのだが


「まだ止まりませんね」


 これに純子が


「よろしかったら、そのハンカチで傷の上の方を強く縛ってくれませんか?」


「あ、それがいいですね」

 だがハンカチは、すでに血塗られている。どうしたものかと、おにぎり君がネクタイを緩めたところ


「あ、そうだ! こいつを使いましょう!」


「え? ネクタイなんかもったいない!」


 だが、そこは太陽系の彼方まで親切な男。


「気にしない、気にしない」

 そう言いながら、外したネクタイで彼女の足を強く縛っている。


「痛くないですか?」


「ええ、大丈夫です。でも……」


「でも?」


 ここでようやく立ち上がったおにぎり君の目を、じっと見つめる純子。


「田部さんって、とても優しいんですね」


 この言葉に、助手の顔が紅く――木俣さんに言わせると


「明太子おにぎりになってるじゃん!」



「じゃあ、私はトイレに」


「大丈夫ですか?」


「ええ、もう大丈夫です!」


 足を引き摺りながら歩き去る、その背を見届けた彼氏、建物の『賤ヶ岳』なるプレートを確認したが


「何て読むんだっけ?」


 そうつぶやきながら、中へと入っていった。

 そして、そこでパンとパンとパンとコーラを手にしてレジへと向かった。

 だが、向かったレジの中年の女性が


「恐れ入りますが、お客様。隣のレジをご利用願います」

と言った後、すぐに隣のレジ担当の若い娘に


「大河原さん。ちょっと用足しに行ってくるんで、頼みますね」


 そして脱兎の如く駆けていってしまった。これを見た田部君、苦笑しながら


「やっぱり、田舎はマイペースでいいなあ」



 外へ出て、食料を片手に女子トイレ前で待つ彼氏。だが、しばし待っても相手は出てこない。


「もう、戻っちゃったのかな?」


 ようやく、バス内へと戻ってきた田部君、その目ですぐに一つの席に目をやったのだが


「あれ? 彼女、まだ戻ってきてない?」

 そしてケータイで確認すると


「もう四十七分じゃないか……」

 

 やがて、不安は的中した。当たって欲しくない時ほど、よく当たる。


「お客様。どうぞお席の方にお戻りを!」


 どうやら、運転手の一人の方が点呼を始めるらしい。


「い、いや運転手さん。まだ、ここの人が戻ってきてないんです」


 これに相手も、視線を落とし


「本当だ。とにかく、おたく様はお席に戻ってください」


『おたく』という言葉に、素直に従ったのか、アニメオタクの田部君だったが、自分の席に戻っても、やはり前方ばかり凝視している。

 そして、その耳に前の方から微かだったが、運転手の声で


「二人だって?」


 こう聞こえた。

 これに居ても立ってもいられずおにぎり君、再び前方へと進んで行き


「僕の大事な連れなんです! ちょっと捜してきます!」


 こう言って、外へ出ようとしたところ


「あ、待って下さい!」


 一人の運転手が声を上げた。そしてこれにより、満席の車内の乗客らがざわめき始めている。


「おい、どうした?」

「もう、とっくに時間過ぎてるぞ!」

「早く出せよ!」


 これにマイクを手に取った運転手、落ち着けるわけもなく


「お、お客様お二人が、まだ戻っておられません」


 もう一人の運転手は、さかんに連絡している。間違いなく相手は本社だろう。


「もう、身勝手なやつらだな!」

「どこをほっついてるんだあ?」

「もうさ、置いていったらいいじゃん!」


 男に混じって、ヒステリックな女の声まで聞こえてきた。


「私も捜してまいりますので、もう十分だけお待ち下さい!」


 そして田部君に続き外へと出た運転手だったが、無論その背に届いたのは


「遅らせた責任取れよ!」

「ホントに十分で戻ってきなさいよ!」



 二人して駆け足で建物へと向かっている際、珍しく田部君の口から激しい語気で


「何だ、彼らって! たかだか十三時間の内の十分程度で!」


「仕方ないですよ。定時がある以上」

 

 当然だが、客に逆らえないのだ。

 これに田部君、一瞬だけ言うのをためらったが、やはり聞いておく必要があると思い


「も、もし見つからなかったら、どうなるんですか?」


 相手は言いづらそうに


「ツアーバスならば、全ての責任を負う義務がありますが……」


「路線バスだから客が勝手に降りた、こう見なすんですね?」


 返事はなかったが、相手の首が縦に振られた。



 二手に分かれ、ショッピングコーナーからフードコートから駆け回るおにぎり君。この時間には、すでにレストランは閉まっている。


「いない……」

 ここで閃いた。


「女子トイレに入ったまま? 気分悪くして倒れてる?」


 そう考えたのだが、多少変態気味な彼でも、さすがにそこは覗けない。目だけを動かし思案しているところへ、レジが飛び込んできた。そこには先程の中年女性がいる。すぐにそこへと駆け寄った彼氏、早口で


「す、すみません! ちょっとお時間下さい!」


 これに目を丸くする相手


「どうかされたんですか?」


「僕の連れの女性が行方不明になって、ひょっとしたらトイレで気分が悪くなって倒れてるんでは、って」


 数分後、トイレの前で待っている田部君。そこに中からレジのおばさんが出てきた――が、かぶりを振っている。


「……いませんでしたか」


 落胆の独り言。決して疑問形ではなかったのだが


「ええ。誰も」


 その時、たまたま隣の男子トイレから運転手も出てきて


「ここにもいない、誰も」

 

 これに、おにぎり君が


「ということは、戻ってきてないもう一人って男ですか?」


「ええ。確か、坂梨という男性のはずです……で、おたくさまは、どうなさいます?」


「はい、オタク……あ、いえ僕は荷物を降ろして、ここに残ります」

 そして、彼にしてはこれまた珍しく主張した。


「大事な連れですから!」


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