その15
「うむ、そうか。じゃあ、車で逃走したのは? やはり娘さんか?」
これにコクリと頷いた相手だったが、すぐに落ち着いた声で
「刑事さん。娘の緑は、ヤツを現場まで誘導したに過ぎません」
「ほう? それは、おかしいねえ。死体の首にはネクタイ、腹には果物ナイフがしっかりと残っていたのに……二人でやりましたよ、と」
鎌井刑事、外人のように大袈裟に首をすくめている。無論、短き首なんで似合わないが。
「まあ、それは後ほど確認しよう。ところで、そのヤツの名は何と言うんだ?」
この時、相手の表情が一変した。
「小田島勇って言うんですよ、あの悪魔は!」
「悪魔あ? ヤツはいったい、あんたら親子に何をしたんだ?」
これに、余程口にしたくないのだろうか、女はすぐにうつむき
「……緑の、元亭主です」
「え?」
想定外の言葉だったが、そこはプロ、素早く体制を整え
「なるほど。でも、何故にここまで憎んだんだ?」
「ヤツは数年前に傷害事件を起こし、刑務所に入れられ……」
これを聞き、『やはり!』と思わず顔を見合わせた乙川と鎌井。
「その際に第三者を間に入れ、緑との離婚を成立させたのですが」
「当然といえば当然、だな」
「しかし刑期も終えたらしく半年前に出所し、どこで知ったのか、私たち親子の引越し先まで姿をちらつかせるようになりまして」
「しつこい野郎だな、何年も経ってるというのに」
「ええ、本当に。それが……それだけではなく、娘の携帯電話に一日に何十通ものメールを送ってきまして。それに娘の勤め先まで電話してきて、ある事ない事やら誹謗中傷を繰り返し、それが段々と過激な言葉になって……しまいには、『ぶっ殺すぞ!』と」
さすがに鎌井刑事も、これには眉をひそめ
「穏やかじゃないな」
「それを無視したら……」
幸江は思い出すのも辛いという風に、手で口を塞ぎ
「い、家の玄関先にカラスの死骸を置き、『こうなっても知らんぞ!』って」
「ひ、酷いもんだな、そいつは」
「おかげで、娘はノイローゼになりました。もちろん、この私も娘の命が危ないと感じまして」
「そりゃそうだな、無理もない。だからあんたら親子は、先にヤツをやろうと?」
だがここで顔を上げた相手、キッと鎌井を睨み
「とんでもない! まずはもちろん警察に、それも交番ではなく市の警察署の相談係に行きましたよ!」
いきなりの言葉だった。
「そ、それが正解だよ」
とは言いながらも、その先の展開が読めたベテラン刑事。知らず知らず、憂鬱な表情になり
「それで何と言われた?」
「それが……ストーカー規制法もできたので、もし次にそのような行為があれば検挙しましょう……と」
ここで再び、先ほど同様に顔を見合わせた乙川と鎌井。だが今回は、その顔が雲っている。
「法が定められたおかげで、行為は減少してきたはずだよ」
立場を考えつつ微妙な言い回しをしてきた、そんな鎌井に向かって幸江は独り言のように
「最初は言葉だけ、次は動物に手をかけた……そして、その次には……」
さすがのベテラン刑事も、相槌をする機会すら失っている。
やがて幸江は大きく溜息をついたあと、こう言ってきた。
「仕方のないことですね、何かが起こらないと動けないのが現状でしょうから」
怒りを込めた言葉が出てくるだろうと、予測していた鎌井は多少拍子抜けした。が、こちらの方がはるかに重みがあるのも事実である。
実際、この発言により、暫し場の空気の流れが止まった――いや、それを動かす人間もいた。
「ハーイ!」
いきなり挙手して立ち上がった女流探偵。それを見て議長役の乙川警部が、つい反射的に指をさしてしまった。
「はい、木俣さん」
そこに鎌井刑事が、横目でギロリと
「当然、重要なことでしょうね?」
「ええ、もちろん! それはそれは大事なことで!」
こうほざいた痩身女、すぐに幸江へと顔を向け
「こうやって、それも車で滋賀くんだりまで来たんですから……残金の十五万円、耳を揃えて下しゃんせ!」
この瞬間、警察側の二人が椅子から転げ落ち、いや何と容疑者の幸江までが床へゴロンと横向けに落ちているではないか。
無論、唯一平静なのは、普段より慣れてるこの男。
「木俣さんってば、今ここで言う話じゃないでしょ!」
だが守銭奴は、逆に驚いて
「はああ? 甘い、甘いぞ! だから、この親子にはめられるんだ!」
「し、しかしですね……」
そんな文句にはへっちゃらなタフ女、つかつかと倒れこんでいる幸江に近づいたと思いきや、その顔を覗き込み
「ねね? 刑事だけじゃなくって、民事でも訴えましょか?」
これに目を丸くしつつ、口をわなわなと震えさせている相手
「あ、あ……悪魔!」
一筆書かされ、おまけに卓上の朱肉まで使って母音を押す羽目になった幸江さん。その紙を手に取るや否や、悪魔のような女が
「警部さん? もう、おにぎり君は無罪放免ですよね?」
「え?」
さすがの警部も、これには唖然としたものの
「ま、まあ、無罪とわかった方をこれ以上ここに留めているわけにはいきませんから」
「オッケイ! ほんなら」
木俣さん、隣に向かって
「帰ろうぞ!」
いつものことであったが、それでも助手は一言いわざるをえない。
「真相を聞きたくはないんですか?」
「聞きたくもないし、興味も起こらんわい」
「でも、結末ぐらいは知っておきたいでしょ?」
だが主は、逆に驚いた顔つきで
「はあ? 今言ったまんまだろが? 他に何があるん?」
「た、例えば、言いたくないけど……ぷらっとパークで、如何に、えっと……」
だが
「終わったことなんぞは、しゃあないやん。坂梨親子が、元亭主の小田島勇を殺した。で、その犯人におにぎりっぽい某探偵事務所の助手を利用した。これで、いいじゃん」
「じゃあ、お聞きしますが」
「ん?」
「何で、うちの事務所に声をかけたんでしょうか? この人は」
「おろ? それは……うーん」
これに答えを出してきたのは、ご本人さんだった。
「それは……」
幸江、言いにくそうに
「電話帳でまずは探偵事務所を調べ、その中でも特に暇そうな……」
だがこの時、その事務所所長の姿はすでに見当たらなかった。




