1・クルコエ
本作品は事実を基にしたフィクションです。作品中に登場する国家、民族、宗教および宗教教義は全て架空の物です。また作品中には性暴力を描写したものがあります。青少年の閲覧は十分ご注意ください。
私はヌイノフスク村の近くにあるクルコエという集落に住んでいた。私の名前はエミル今年の6月で17歳になった。私の母は私がまだ幼い頃にガンを患い満足な治療も受けられないまま27歳という若さで亡くなってしまった。母が亡くなってから父と私は寄り添うように生活し、父はずっと一人で私を育ててくれていた。親子二人っきりの生活が一変したのは今から四年ほど前、戦火が激しさを増し私達の暮らしていた町でも大きな被害が出た事が切っ掛けであった。父は戦場と化した町を離れ故郷であり祖母が暮らしているクルコエの集落に非難する事を選んだ。暮らしていた町からクルコエまでの道のりはまるで数百年前の旅のような過酷なものだった。父と私は戦闘地域を避けながら約一か月ほどかかって命からがら祖母の家へと辿り着いた。クルコエに身を寄せてから半年ほどは祖母と父と私との三人で寝食を共にしていたのだが、もともと職の無いクルコエでの暮らしは苦しく生活は直ぐに行き詰まる事となり、父は集落に私をおいて隣接の自治共和国へと出稼ぎに行くことを決めた。父が出稼ぎに出てからは父の仕送りと祖母の畑とで貧しいながらも暮らしていく事ができるようになった。祖母はいつも私にやさしく接してれ“来年からは学校に行かせるから”が口癖になっていた。そんな祖母が突然たおれたのは私がクルコエに来てから二年目の秋の事だった。祖母の意識は戻ったものの容態は回復する事はなく、どうにも出来なくなった私は集落にたった一台だけある携帯電話を借りるために大叔父の屋敷へとむかい祖母の状態を父に知らせる事を思いついた…大叔父のイグシ・クルコはクルコエ集落の一切を取り仕切るクルコ一族の族長であり直系ではない私達でも何か事が起こった時には必ず大叔父に話を通さなければならないという一族の掟があった。この頃の私は集落についても大叔父についてもあまりに知っている事が少なくこの掟でさえ私達家族を大叔父が助けてくれるためのものだと信じていた。今にしてみれば祖母は大叔父から私を遠避け関わり合いをもたないようにしてくれていたのではないかと思う。これまでの祖母の思いや行動に私はまったく気付く事が出来ずに祖母に何も相談しないまま大叔父に助けを求めてしまったのである。十数分をかけて大叔父の屋敷へと辿り着いた私は祖母の容態を詳しく話し父の連絡先に電話をさせて下さいとお願いをした。事情を聞いた大叔父は同情する事もなくあからさまに迷惑そうな顔をして自分達の事は自分達で解決しろと言い放った。私はその言葉に怯えながらもなんとか頼みこんで電話を貸してもらいこれまでの経緯と祖母の状態を父に伝える事が出来た。話を聞いた父はなんとかしてお金を工面して近日中に祖母と私を迎えに来る事を約束してくれた。私は電話の内容を大叔父に報告して、何度もお礼を言って祖母の待つ家へと急いで戻った。
それからは毎日祈るような思いで父を待っていたのだが、父からの連絡は一週間たった後でも一切無く祖母の容態も日に日に悪くなっていた。私はこの事を見舞いにやって来た祖母の義理の姉にあたるナタレに相談をすると、その日の中に大叔父が家へとやって来て祖母をヌイノフスクの養老所へ連れて行く事と、大叔父のツテで父の消息を調べる事を私に言うと大叔父はすぐさま祖母を車に乗せて養老所へと連れて行こうとした。私はせめて祖母の身支度をさせてほしいと懇願したのだが大叔父は話を聞こうともせずにそのまま祖母を養老所へと連れて行ってしまった。ひとり家に残された私は次々と湧き上がる不安の中、大叔父からの連絡を待ちつづけた。大叔父が家にやって来たのは三日後の朝の事だった、食卓の椅子に腰を下ろした大叔父はまず祖母の容態を話し始め祖母の病状がもう良くなる見込みは無くあと一年も持たないだろうと語った。私は涙ぐみ現実に打ちのめされていると大叔父はつづけて父の情報について教えてくれ、父の消息がドミニスタン自治共和国を出国したところまでで途絶えてしまった事、何人かの国境警備兵に金を渡して情報を得ようとしたがまったく情報が無く行方がつかめないと話した。大叔父の推測では連邦軍の憲兵によって拘束されたか、連邦軍の掃討作戦にまき込まれたのではないかとの事だった。 私がいたベズロア自治共和国では9年ほど前からロシスキ連邦からの分離独立運動に端を発する独立紛争と内戦状態がつづき近年では独立派のゲリラ化によって再び連邦軍による軍事介入の事態に陥っていた。ほぼすべての町や村が空爆を受け大規模な地上戦が展開されると同時にベズロアの国境線は連邦軍によって完全に封鎖されていた。大叔父の話しでは通常、国境線を越える為にはマフィアの仲介を受けるか国境警備兵に金を握らせる事で国境を通過出来るのだが、時折なんの容疑も無いまま越境者が拘束され各地にある強制収容所か選別収容所に送られる事があると言うのだ。大叔父は収容所の収容者リストに父の名前がないかどうか探してもらっているところだと語った。私は自分がこれからどうやって生きて行けば良いのかと言う不安と自分が感じていた恐怖が現実になろうとしている事実に打ちのめされ、私は我慢することも忘れて迷子の子供のように涙を流していた。私の様子を凝視していた大叔父がとても厳しい表情をして、祖母が集落の家長達からたくさんの借金をしていた事を私に教えてくれた。大叔父は各家長と話し合い祖母の借金を大叔父が全て肩代わりをして、私を自分の屋敷に引き取ることで家長達と話がついたのだと語った。そしてこの話し合いは家長達の合意であるため、私が拒否する事は出来ない事と今から家を出る仕度をして昼過ぎには大叔父の屋敷に向かえるようにと言われた。私はこのとき大叔父の言う事を疑いもせず、借金を肩代わりしてくれたうえに私の面倒を看てくれると言った大叔父に涙を流しながら何度もお礼を言い何度も謝り続けた。大叔父が屋敷に一端戻った後、私は部屋の片付けと家を出る仕度を始めた、部屋の片付けが終わりカバンに衣類を詰めているとき私はもしかして父が帰ってくるかもしれないと思い“大叔父様の屋敷でお世話になっています。”とだけ書いたメモを残して中断した荷造りに手を戻した。私は衣類の他にも家族の写真や祖母が大切にしていた品物をカバンに詰めて大叔父が家へと迎えに来るのを待った。大叔父は正午を一時間ほど過ぎた頃、ハトコにあたるアンドレとアバニ兄弟と一緒に小型トラックに乗ってやって来た。大叔父は家に着いてもなかなか降りてくる気配を見せず車の中でアンドレ達と話しをしているようだった。ようやく車から降りた大叔父は玄関先に並べられた私の荷物を見て、着替え以外は全て置いていくようにと言い私にカバンを開かせ荷物を一つ一つチェックし始めた。大叔父はカバンの中から祖母と私の身分証や写真など、衣類以外の物を取り上げ傍らに居たアンドレへと手渡していた。アンドレとアバニは家にやって来た時から終止無表情でその雰囲気は何処と無く怒っているようにも見えた。私はもしかするとアンドレやアバニの家にも祖母が借金していたのではないかと思い、私はまともに二人の顔を見ることが出来ずこの一連の不可解な大叔父の行動にも疑問は感じたが、その事に何か言う事は無かった。大叔父は家の中を片付けるので車に乗って待っているようにと言うと私を置いて三人は家の中へと入っていった。私は言われるがまま車で待っていると三十分ほどして家の中から大叔父だけが出てきた、大叔父は時間が掛かるので先に私を屋敷に連れて行くと言ってトラックのエンジンをふかし大叔父の屋敷へと車を走らせた。車の中で大叔父は一言も声を発する事は無く,屋敷に着いてかも“後を頼む”と長男夫婦に言ってすぐに屋敷を出て行ってしまった。大叔父の屋敷には長男夫婦をはじめ四世代8人が同居していた。長男のイグシスが、大叔父が帰って来たら今後の話をするので居間で待っていてほしいと言われた。私は居間でお茶を飲みながら数時間大叔父の帰りを待っていた、大叔父が屋敷に帰って来たのは午後の六時をまわったところだった。大叔父はナタレと私の従姉違いにあたるタラを一緒に連れて来ていた。大叔父はイグシスに息子のイルスも同席するように伝え、大叔父、ナタレ、タラ、イグシスにイルスの六人で話し合いは始まった。話は主にタラが話しをしていた。話の内容はとしてはこの屋敷での生活の仕方についての事で、まず私は屋敷のはなれにある納屋にあしらわれた部屋で寝起きする事と、朝から夜までは屋敷の仕事をすること、そしてこれは大叔父が直に私に言い付けた事だが屋敷の敷地外へは出ない事と、大叔父が許す集落の人間以外とは絶対に話をしてはいけないという事だった。私がなぜ大叔父がその様な事を言うのか解らないという表情をしていると、ナタレが口を挟むようにして大叔父が祖母との話し合いの中で私を責任をもって守って行く事を約束した事と、集落の中には祖母を悪く思っている人々や私を集落から追放しようとしている人々がいる為、私を守るために必要なのだと言われた。私はこの時そんな大叔父の思いに応えるために堅信的に屋敷で働こうと心に決めた。最後にナタレが付け加えたのは、この言い付けを守れない場合は私がこの集落で生きていく場所は無いと言われた。この集落でしか生きて行く術を持たない私が、この集落を出ると言う事が何を意味しているのか無知な私でも十分承知しているつもりでいた。私は言付けを守る事を約束して話し合いが終わったのは午後の九時ごろ、その後食事を頂いて私は寝床である納屋の部屋に向かった、そこには小部屋が設けられていてベットもサイドテーブルもしっかりとした物が置かれていた。それは私の為に用意された物というより前々からここにあった物のように思われた。この小部屋が何に使われていたのかは数週間後、集落に連邦軍がやって来た時に解るのだがこの時の私は客人が泊まる部屋だろうか?としか思わなかった。私はこの日を境に何も課され無い子供から、何かを背負い続ける大人になって行ったような気がする、それが例えどんな事であろうとも私の人生を背負って行けるのは私しかいない事を、私は骨の髄まで思い知る事となるのである…
次の日から私にとって単調で過酷な毎日が始まった。朝は日の出前から起きて羊とヤギの飼育小屋の掃除をしてから藁を敷き、餌と水を入れ替えた後は鶏小屋へと向かう、鶏小屋ではタマゴを拾ってから屋敷へと戻り昼食の準備が始まる。昼食が出来上がるとまず男性達が昼食をすませ、その後に我々女性達の遅めの昼食が始まる。昼食は主にパンかパイと野菜のスープか羊のスープでひじょうに質素なものだった。昼食を済ませた後の数時間は決まった仕事は無く、家畜小屋の整理や敷地内の菜園の手伝い時には屋敷の家事などの仕事をして、夕方からは夕食の準備を手伝った。なぜかは解らないが私は夕食を屋敷の人々と一緒にとる事を許されていなかったため、私は小部屋へと戻り一人で夕食をとり、夕食を済ませた後は食器の片付けや台所の掃除などを済ませたところで一日の仕事が終わる。仕事が終わった後は自分の服を洗濯したり洗髪や身体を拭いたり自分の身の回りの事をする、小部屋のベットに入る頃には真夜中になっている事が多かった。この様な一連の仕事が季節の移り変わりに合わせて徐々に変化して行く日々を送っていた。私がこの屋敷で働き初めて数週間が過ぎた頃、連邦軍の兵士が何の前触れもなく屋敷へとやって来た。丁度その時私は屋敷の入口で靴を磨いていて背後から近付いて来た兵士にまったく気がつかず、不意に声を掛けられた事に私は驚き、兵士の姿と肩に掛けられた自動小銃に恐怖を覚えうろたえていると、奥からイグシスの妻のミールがやって来てその兵士と話を始めた。兵士は族長のイグシと話がしたいとの事だったのでミールは私に大叔父はナタレの家にいるので呼んできてほしいと頼まれた。私は急いで屋敷を出ると通りには装甲車が二台と軍用車が一台止まっていた、ナタレの家までは五分ほど離れていて、私がナタレの家にたどり着く前に急いで家敷に戻って来ている大叔父と道端で出会った。私は連邦兵が屋敷にいて大叔父と話をしたがっていると伝えると大叔父は“解っている”とだけ言い一緒に帰ろうとした私に大叔父の末息子の妻で未亡人のナターシャとナタレの孫のアニヤを連れて来るように言われた。私は何故だろうと思ったが、とにかく急いでナターシャの家に行き大叔父が屋敷に来るように言っている事を伝え、アニヤを探して集落の至る所を探し回った。アニヤとカノマは双子の兄妹で共に軽い知的障害があり一度家を出てしまうとなかなか家に帰ってこないと言うクセがあった。私がアニヤを見つけたのは集落中を探し回って一時間ほどたった頃でアニヤは集落の子供たちと遊んでいる最中だった、私は話が通じるようにゆっくりと話しなんとか大叔父が呼んでいる事を伝えるとアニヤは何故か嬉しそうに、そしてイヤラしい笑みを浮かべていた。私はとにかくアニヤの手をとり屋敷へと急いだ、屋敷に戻ってみるとそこではすでに宴会が始まっており多くの兵士が木の箱の上に座りながら酒を飲み焚き木で暖をとっていた。数人の兵卒は屋敷の中や納屋の方に何かを運び込んでおり、私の部屋がある納屋の前では将校と思われる士官がナターシャと楽しげに話しをしている姿が見えた。この時私は以前父と祖母が話しをしていた内容が不意に頭によみがえった。その話の内容とは大叔父が武器の横流しをして現金収入をえている事と武器を横流しをした連邦兵に村の女を提供し慰安をさせていると言う内容だった。私がこの話を耳にしたとき慰安と言う意味を理解する事は出来なかったが、初めて見たナターシャの笑顔やアニヤのイヤラしい笑みを見ていったいどんな事があの小部屋で行われて来たのかをいっぺんに理解する事が出来た。私は何とも言えない恐怖が自分の背中に迫っているのを感じて、アニヤの手を握りながらただ身体を強張らせていると突然屋敷の方からアニヤを呼ぶ声が聞こえた。私はアニヤを行かせたくない思いで手を強く握ったが彼女は私の手を振り払って笑顔で屋敷の中に入っていった。屋敷の中からは大叔父が何かをアニヤに話している声が途切れ途切れに聞こえて来た、私は何も出来ずに屋敷の前でたたずんでいると大叔父が玄関先にやって来て私が屋敷の外に出た事の罰だと言って明日の夜まで食事を抜きにする事と明日中に小部屋を掃除をする事、そして明日までは大叔父の前に姿を現すなと言われた。私は震える声で返事をしてその場から逃げるようにして飼育小屋の方へ走っていった。飼育小屋に入るとそこにはイルスとイサの兄弟がいて足元に置かれた木箱を囲んで連邦兵と話をしていた。私の姿を見たイルスが私にむかって今日は小屋の仕事はしなくて良いから此処には近付かないようにと注意をした。私は連邦軍と屋敷の人々の目に付かない場所を探したのだが、結局私の納屋の裏手しか場所を見つける事が出来なかった。私はうずくまり薄手のボロまとって、ただこの状況が早く過ぎる事を祈っていた。そして私の頭の中では“次は私が相手をさせられるのでわないか”と言う恐怖を打ち消そうと“大叔父はクルコエを守るためにこんあことをしているんだ”とか“大叔父は祖母と約束をしたのだから私を最期まで守るはずだ”とか何の根拠も無い事で頭を一杯にしていた。時折聞こえてくる連邦兵の大騒ぎや話し声、そしてあまいナターシャの声や叫び声のようなアニヤの声、私はそれらが聞こえて来る度に耳を塞ぎ身体を硬くした。そして外の寒さはボロや藁を使ってもとてもしのげるものではなく体の震えは筋肉を痛めつづけていた。この日の将校達はアニヤが気に入ったらしく、ナターシャが夜半過ぎに帰ったのに対してアニヤは一晩中さけんでいた。アニアの声が止むのと同じ頃、連邦軍の車両のエンジン音が辺りに響きわたり、この恐怖と寒さの長い夜の終わりと不安にさいなまれつづける日々の始まりを知らせていた。
アニヤが肌着一枚で抱えられる様にして納屋を出た後、私は大叔父に言い付けられた通りに人間の肉の臭いが残る小部屋に入り将校達やナターシャやアニヤの残していった物を片付け始めた。この小部屋には窓などは無く充満した臭いは私の頭に突き刺さるようで、私は幾度と無く吐き気に襲われ涙がこぼれそうになった。小部屋の掃除は昼ごろまで掛かった私は大叔父に会わないようにしながら眠気と空腹の中、与えられた仕事を終え一日半ぶりの食事を未だ臭いの残る部屋で頂いた。外では昨夜屋敷に運び込まれた武器をトラックに積み込み山へと出発する準備をしている。私はこの時何も考えないようにしてこの地に漂っている不安から逃れようとしていた。何故連邦兵達は自分達の敵であるゲリラに武器を与えているのだろうかと言う初歩的な疑問が湧いて来るのさえずっと時間が経ってからで、その答えが見えて来たのはつい最近になってからの事だった。私は大叔父を恐れ連邦兵を恐れやはり紛争の只中にあるこの集落を恐れ、どんなにおぞましい事が行われていようともそれを普通の事として生きる集落の人々を恐れた。その後も連邦兵は月に一度か二度集落にやって来ては武器を売り、それなりに安全な女を抱いていく、私は小部屋を出ている間、隠れている場所を見つける事だけに集中するようになっていた。真冬の寒さをしのげる場所は一ヵ所か二ヵ所しかない、私はその場所に連邦兵がたむろっていない事だけを祈る、連邦兵が来て私が身を隠し浅い眠りに着くまで、その祈りが一晩中続くうつむきながら歩く事が多くなった、いつも誰かに狙われている様な恐怖感で一杯になっていた。そんな毎日がゆっくりと過ぎて行き重い季節が次々と移り変って、屋敷に来てから一年が過ぎた頃、祖母が肺炎をこじらせて亡くなったと言う報せが屋敷に届いた。祖母の亡骸はナタレの家に運び込まれた、大叔父が自分の屋敷に運び入れる事も自分の屋敷で葬儀を行うことも拒んだからだった。私は何としても葬儀に出席して祖母の埋葬に立ち会いたいと頼んだ、この時ばかりは跡目のイグシスも妻のミ−ルも私を励まし、私の側に付いて大叔父に葬儀に行かせるべきだと進言してくれたのだが、かえってそれが大叔父の勘に障ったらしく結果的に私は屋敷の物置部屋に閉じ込められる事になった。物置部屋へと閉じ込められようとするその時、私は泣き叫び出来うる限りの抵抗をした。大叔父は私の髪を掴み私の顔を何度か殴った、私はそれに対して小さな子供がするように柱にしがみ付き更に大きな声で泣き叫ぶと、大叔父は木の杖を持ち出し私の顔や身体を殴り始めた、私がその痛みで泣く事も叫ぶ事もやめその場にうずくまっていると、大叔父が私の腕を掴み老人とは思えない程の力で私を物置部屋へと放り投げた。今思えばこの時が大叔父から受けた初めての暴力であり、それは私がこのクルコエを出るまで些細な事でも行われる年中行事となってしまった。私は祖母の葬儀と埋葬そしてベズロア人の仕来りである墓の前での墓守が終わる一週間もの間、この狭くカビの臭いが漂う物置の中ですごし食事もトイレもここで済ませた。全ての世話をしてくれたのはミールだったが、自分の排泄物の入ったバケツを手渡す時が何よりも恥ずかしく死にたくなる程の屈辱感でいっぱいだった。涙ぐみ小刻みに震えながらミールは「気にしなくて良いのよ、墓守が終わればお父様も許して出してくれるわ、それまでもう少し我慢してね」と言ってくれた。ミールには本当に申し訳ないと思っている、この屋敷に来てからというものミールは私の世話係であり指導役であった。私の不出来の事でミールが叱責される事や私の失敗で大叔父に殴られるのを何度か見ていた。彼女もまたこの屋敷に嫁いで来た時から私がされた様にして大叔父に躾けられて来たに違いなかった。大叔父はまさにこのクルコエの皇帝であり、大叔父には集落全員の生殺与奪の権利があり、全ては大叔父の思いひとつなのだ。大叔父は酒を飲み酔っ払うとよく言う台詞がある、それは“ヌイノフスクの連中は誰のお陰で生きていられると思ってるんだ”と言う台詞で大叔父が軍やゲリラとの関係を持っているから村が空爆されないと言う事らしかった。父と祖母が大叔父と距離をとっていたのも、父が集落を出て町で暮らしていたのも、この様な大叔父の態度に縁る所が大きかったのではないかと今では思う。
墓守の一週間がたち物置部屋から出た後の私の立場は大きく変わっていた、それは屋敷の人々はもちろん集落の人々全員が私が居るにもかかわらず居ないものとして私を扱ったのである。会話はもちろん挨拶さえもされなかった、私に用件がある時は全てミールが伝えに来た。そのミールですら私と話す事を止められているらしく用件だけを伝えると、そそくさと私の前から姿を消すのである。この制裁は私にとってとてもキツかった、大叔父に罵倒されながら意味も解らず殴られるよりも、ずっとずっとキツかった。私は私自身の存在を認識出来なくなるほど心はカタくなって行き、本当にどうやって話をしていいのか解らなくなった。夜一人で部屋に居る時などは、声を出す事が出来るのか不安になり、独り言をつぶやいてみる事が何日も何日もつづいていた。私はもうこの頃からかなり集落の厄介者になっていたのではないかと思う、それは集落の人々の態度を見れば明らかだった、けして大叔父に強制されただけではない私に対する嫌悪があった。私が仕事もろくに出来なかったとしても今迄のように誰かが注意する事もなく、仕事が早く終わったとしても誰も気に留めない、私は何もせずただ立ちすくんでいる事が次第に多くなっていった。一日数回のミールの指示が待ちどうしかった、私というものが存在している事を確認出来る瞬間だったからだ。同じ理由で連邦兵が来たときに私に掛けるイヤらしい言葉も、ハトコのロザルがすれ違いに見せるあのイヤらしい目付きも、本当に本当にイヤだったが心の奥底ではそれを待ち望んでいた。そんな自分がとても許せなかった、とても嫌いだった。大叔父の意に沿わない事をすればどうなるかと言う事を心に刻まれた、私は大叔父の呪いに落ちてしまっていた。今や父が帰ってくる可能性は限りなく低く祖母も亡くなってしまった。私をこの呪いから助け出してくれる人は何処にも居なかった。心がきしむような毎日の中で、私はただ献身的に振る舞い自分に掛けられた呪いが解ける日が来るのを待ちつづけていた。
そして転機は突然訪れた。それは小麦の種まきが始まろうとしていた春の初め祖母が亡くなって半年が経とうとしていた時だった。大叔父の孫にあたるアンドレ、アバニ、マジルが大叔父がらみの商売で数ヶ月のあいだ集落を出なければならなくなり、小麦の種まきに必要な人手が足りなくなったのだ。そのため村にいる少女数人と共に私も畑の耕しを手伝う事になったのだ。私はこの話を聞いた時、心の奥底から湧き出る喜びを隠す事が出来なかった。話を持ち込んだミールに感謝の言葉を言い、何度も満面の笑みをかえした。私を使う事を決めたのは大叔父だが、私を外に出す事はやはり気の進む事ではなかったようで、私は新たなルールを追加され出来るだけ集落以外の人間の目に付きづらい場所での作業を任された。仕事はきつくルールは厳しかったが毎日屋敷の外へ出れる喜びは、何物にも変えられない時間になっていた。集落の人々は相変わらず私と会話をせず仕事以外の話はまったくしなかったが、そんな事はどうでも良くなる程の開放感の中で毎日をすごしていた。日に日に暖かくなる空気と次第に色付く景色は、私の心に確固たる秩序を与え大叔父や集落の人々との関係を改善するための勇気を沸き立たせていた。そして畑の耕しも残りわずかとなったある夜、屋敷の方から驚くほどの怒鳴り声が聞こえて来た。声の主はやはり大叔父であり怒鳴られていたのは、三十分程前青い顔をして屋敷にやって来た大叔父の三男ルコエとノーマの夫婦であった。大叔父は物凄い形相で屋敷を出てきて大声でイグシスを探し出した。私はその恐ろしい表情にたじろぎ思わず身を隠して一部始終を覗き込んでいた。納屋の奥から現れたイグシスに大叔父が何かを早口で伝えるとルコエと共に車に乗り、イグシスの運転で何処かへと走り去ってしまった。私には何が起こったのか想像もつかなかったが、一人残されたルコエの妻ノーマが泣き崩れミールに慰められている姿を見て、これはただ事ではない事が起こっていることに気がついた。ノーマは“なんて事をしてしまったの”とか“なんでこんな事になってしまつたの”と言う言葉を繰り返すばかりで何があったのか少しも解らなかったが、ノーマほどの大人が泣き崩れる姿を初めて見て私はただじっと固まってしまっていた。その後、段々と泣き止んだノーマは付き添っているミールに何が起こったのかを話しているようだった、私は玄関先で話し込む二人を出来るだけ見ないようにして明日の準備を進めた。そして明日の準備も終わろうとしていた時ノーマを心配した娘が屋敷に来てノーマを家へと連れて帰って行った。その夜車で出て行った三人は屋敷には戻らず、次の日の昼近くに車を運転していたイグシスだけが屋敷へと戻ってきた。種まきを目前にして人手を失ったばかりでなく、ルコエの小麦畑は未だ全体の三分の一程しか耕しが終わっていなかった。ルコエ家の問題の大きさが垣間見える、一族としてこのまま放置しておく訳にもいかず、畑や家畜小屋にはイグシスをはじめ各家長の人々や私を含め多くの女性達が手伝いをしていた。この大事態のなか家ではノーマが塞ぎこんでおり、一日の大半を泣いてすごしていた、二人の娘はとても申し訳ない様子で畑の仕事を手伝ってもらい毎日遅くまで働いているようだった。私は余りにも可哀相なその姿に結局、何が起こったのか聴けないままになっていた。
大叔父とルコエが集落を出て行き10日程が過ぎた頃、集落の砂利道を猛スピードで駆け抜けていく一台のRV車を見かけた。私はその車の後部座席に大叔父とルコエそしてその間に挟まれるようにして一人の青年を確認した。私はそれがいったい誰なのか検討もつかなかったが、大叔父が帰ってきた事で私の喉は少し渇き、心は落ち着きを失っていた。私はいつもよりも少しだけ早いペースで仕事を終え、ルコエの家を後にした。大叔父の屋敷に帰る道すがら憔悴した様子のルコエと左頬を押さえながら大きな荷物を持って歩く青年とすれ違った。私がルコエに挨拶をすると、ルコエは自分が居ない間、家の仕事を手伝ってくれた事のお礼を言ってくれた。私は久しぶりに人間同士らしい会話をした事が嬉しかった。隣に居た青年の事は気にも留めなかった…私とスタルニスの出会いはこんなものだった。お互いがお互いに気に留めるほどの余裕はなかったのだ。スタルニスは自分がした事のけじめで一杯で、私は声を掛けられた事の嬉しさで一杯だった。私は小躍りする様な気分で屋敷に帰ると、大変不機嫌だった大叔父に何の理由もなく殴られた。私の気分は一辺に落ち込み、その夜はルコエに声を掛けられ嬉しかった事など一度も思い出さずに床に就いた。次の日私が納屋の小部屋を出てみると既にスタルニスが呼び出されていて、大叔父から何やら叱責を受けている様だったが、スタルニスも黙って聞いている様子ではなく大叔父と激しい口調で話をしていた。私は出来るだけ屋敷に近付かない様にして仕事をしていたが昼過ぎになりミールが困った顔をして、今の状況を私を含めて皆に話し始めた。それはスタルニスをしばらくこの屋敷で面倒を見るという事で、以前の私のように屋敷の中から一歩も外へは出してはならないと言う事だった。私はこの時初めてルコエ家で何があったのか、スタルニスとは何者なのかをミールに訪ねてみた。ミールは致しかたないと言う表情でスタルニスについて話をしてくれた。
スタルニスは大叔父の次男ルコエと嫁のノーマとの間に生まれた長男で、幼少の頃から頭が良くヌイノフスク村どころか北ベズロア地方でも一番の学業優秀者であった。学校側の後押しもあり14歳でベズロアを離れロフトス・ドヌーにある寄宿生高等学校に入学、そこでも飛び級して十六歳で首都ロスク市のロシスキ連邦政治軍事大学に入学を果たした。この大学はロシスキ連邦の高級官僚を養成する為に創設された社会主義時代からの最高学府で学費は無料、さらには給与まで支払われる特殊な大学機関であった。そのような大学に飛び級で入学できる人材はロシスキ連邦全体でも年間数人しかおらず、否が応でも周りの人間とくに大叔父の期待は異常に大きかった。スタルニスはそんな回りの期待に応え超エリートの階段を上がっていったのだが、大学卒業を半年後に控えた先月、突然ロシスキ大学を辞め医療大学に編入する事を決意し、そしてそれを実行に移してしまった。それを知った大叔父は当然のように激怒し、ロスク市で暮らしていたスタルニスを比喩ではなく本当に連れ去って来たのであった。将来確実にクルコエや大叔父に金を降らせる金の鳥の反乱はこうして幕を開けたのであった。今まで両親や大叔父の言う通りに進む道を決めていた超優良児の変貌振りに両親は狼狽して憔悴し、大叔父は自分の大事なおもちゃを取り上げられた子供のように怒り狂った。大叔父とスタルニスとの話し合いでも議論が成り立つ様な状態ではなく、最終的にスタルニスがいつでも集落を出て行けると嘯いたため、大叔父は自分の屋敷でスタルニスを幽閉する事を決めた。私とミールはスタルニスが数人の男達によって取り囲まれている部屋をうつむきながら通りぬけ、今日からスタルニスが寝泊りする部屋を用意すべく、私が閉じ込められていたあの物置部屋へと入った。そこは半年前と少しも変わらず圧倒的な威圧感と破壊的な臭気が漂っていた、私は一瞬たじろぎ軽い吐き気に襲われた。私の様子を見てミールが外で休んでいても良いと言ってくれたが、私は手伝う事を伝え涙目になりながらも部屋に積もった塵をふき取り無造作に置かれた物を片付け最後にベットを運び込んだ。私はスタルニスの事を良く知らないが、彼なりの生き方を否定されこの薄暗い部屋に閉じ込められる生活に私は同情していた。部屋の片付けが終わろうとしていた頃、大叔父が部屋にやって来てスタルニスに怒っている時と同じ勢いで私にスタルニスと話しをしない事と物置部屋に絶対近付く事がないようにと注意をした。もしかするとこの時既に大叔父は私とスタルニスとの間に起きる事を予感していたのかもしれない。それはただたんに年頃の男女が近い場所で生活するとどうなるかと言う事を知っていただけなのかもしれないが、この日から私を見る大叔父の目が更に厳しくなったのは間違いなかった。それはまるで泥棒猫を見るような目であった。大事な大事な金の卵を産む鳥を食べられてしまわないように、大叔父の目はいつも威圧する様に私を見ていた。私は常に大叔父のプレッシャーを感じながらの生活を余儀なくされたが、それはきっとスタルニスも同じだったに違いない、時々屋敷の方から聞こえて来る大叔父とスタルニスの口論は夜遅くまで続いていた。私は抵抗を続けるスタルニスの心中を察してみるが、私の想像力ではたいした事は思い浮かばず、せいぜいとても辛いとかとてもキツイぐらいな物だった。速く楽になった方が良いのではとも思うのだが、大叔父とスタルニスの口論はスタルニスの命が続く限り終わる気配はない。そんなスタルニスの折れない心に何時しか私は憧れを感じていた、大叔父や集落の人々の顔色ばかりをうかがっている私とは大違いだった。2才しか違わないスタルニスがとても大人に見えた。私は自分がもしスタルニスの様に振舞えたらどうなるだろうと想像してみる、すると現実の生活でもほんの少しだけスタルニスの様に行動できる事があった、そんな時は心の内側に出来た穴が少しずつ埋まっていく様な気分になった。スタルニスが集落へと連れ戻されて一ヶ月がたった、私はまだスタルニスと話をした事も無かったが、この頃には私の中に居るスタルニス像はもうすでに出来上がっていた。実際にスタルニスと話をしてスタルニスと言う人物をよく知ってみたいと言う思いと、知ってしまうのが恐ろしいと言う思いが私の心を締め付けつづけていた。
クルコエを含めヌイノフスク村地区の畑仕事が一段落した頃、毎年恒例のお祭りがヌイノフスク村の広場で行なわれていた。この日も大叔父は私を監視するように見つめていたが機嫌はよかった、去年のこの日は“田吾作共の祭りなど”と言って機嫌はすこぶる悪かったのだが、今年はそんな事はなかった。大叔父の変貌振りの訳は昨夜、商売のため集落を出ているアバニから電話が有り取引が順調に行っている事と数日後には予定よりも早く予定していた金額を送金できると言う内容だった。こうして大叔父は厳しい顔をしながらも上機嫌でイグシスをつれ集落の代表として村祭りに出掛けて行った。村祭りにはイルスの家族も遊びに出たため、この屋敷にはイサとミールが残るのみとなり、何時もよりもひっそりと落ち着いた様子になっていた。私の心も大叔父が居ない事でとても穏やかなものになっていた。私はずっと以前この集落に来たばかりの頃、祖母の畑で父と祖母と私の三人で働いていた時のような気分で一日の仕事をこなしていた。その日は特に屋敷の仕事が無かったため、早めの夕食をとり何時もよりも随分と早く自分の着ていた服を洗濯していた。すると不意に「何をしているんだい?」と声を掛けられた。その声が男の人の声だったので、私は今洗っている物をとっさに背中で隠すようにして振り向くと、そこには居るはずのない人物が佇んで居た。それは屋敷を抜け出して来たスタルニスだった。私はただ驚いて目を白黒させていると「洗濯かい?」と彼は聞いてきた。私は小さくうなずき震える声で自分の名前を言おうとすると、スタルニスはそれをさえぎり「ルラン婆さんの孫のエミルだね」と言った。私がまた小さくうなずくと「ルラン婆さんに君の小さい頃の写真を見せてもらった事があったんだ、小さな頃と変わらないんで直ぐに解ったよ」私は自分でも解るくらいに赤くなっているのを感じていた。私は会話を続ける事ができずにうつむいていると「ルラン婆さんにはとても可愛がってもらったんだ自分の孫みたいに、お婆さんの事はとても残念だったね」とスタルニスが祖母との思い出を語った。スタルニスは私が思っていたよりもずっと話しやすい人物だった。逆に私は自分が思っていたよりも随分と話しづらい人間だと言う事に気が付いた。「出て来て大丈夫なの?」私は勇気を振り絞って聞いてみた。スタルニスは「イサは酒を飲み始めてるし、ミールは告げ口なんかしないから大丈夫さ」と答えた。確かにミールは告げ口なんかしないし、イサは酒を飲み始めると止まらないので大丈夫だが、もしも急に大叔父が帰って来たら大変な事になると思い、その事をスタルニスに言うと「なぜ君はそんなに族長の事をおそれているの?」と逆に質問されてしまった。「恐れている訳ではないけど…私は…」と祖母の借金の事やこの屋敷に居る訳を話そうとしたのだが躊躇した。すると「族長は平気で嘘を吐く人なんだ人を思いのままに操る為ならね、君がここに居る理由を族長が提案したなら気を付けた方がいいよ」そうスタルニスに言われて私はハッとした。そう言えばおかしな所はいくらでもある。それは例えば身分証の事だ。身分証明書が無ければ外出どころか家の中に居ても安心は出来ない。ベズロアは戦時下ありもし憲兵に身分証の不携帯が見つかればそれだけで連行されるのは間違いなかった。私の身分証を取り上げたままにして面倒が起こるリスクを冒すなど、慎重な大叔父にしてみれば有り得ない行動である事にスタルニスの言葉で気が付く事が出来た。私は随分と長い間ハッとしていたに違いなかった。スタルニスは思い当たる事があるんだねと言わんばかりに大叔父の話しを始め、ついには大叔父の悪口を言い始めていた。30分程はスタルニスが一人で話をしつづけていた、私は不意に何故大学を辞めてしまったのかを聞くと、スタルニスは話すのを止め一息おいて溜息をつくと「もう直ぐ族長が帰って来ると思うから部屋に戻るよ、その話しは今度に…今夜は君と話ができてとても楽しかった、今度から君をエミルと呼んで良いかい?」と聞かれたので私は小さくうなずくと「僕はあだ名とか無いけど親しい人はスタースと呼ぶので君がそう呼んでくれると嬉しいよ」と言われ私はもう一度うなずいた。スタルニスが屋敷へと消えて行き、私はスタルニスとの会話の間中ずっと洗濯物を握り締めていた事に気が付いた。大叔父が帰って来たのはそれから一時間程たってからだった。大叔父はベロンベロンに酔っ払い、早速スタルニスを捕まえて大声で説教が始まったが、その夜は何時ものように口論にはならずスタルニスはただ黙って大叔父の話しを聞いているようだった。私も何時ものように大叔父の大声に怯える事は無かった、不思議な気分だったが私の大叔父の見る目が変わっていたのだ、それはスタルニスがくれた最初の勇気だったのかもしれない、とにかく私は大叔父の大声を子守唄にしてその夜は眠りにつくことが出来た。
それからスタルニスは頻繁ではないが大叔父や屋敷の人達の目が届かなくなる時、たとえば連邦兵が来ている時やイルスとイサが山へ武器を運びに行く時、大叔父がナタレの家に行く時などを見計らって物置部屋を抜け出し、私に会いに来ては毎日溜め込んでいる怒りを私にぶつけていた。話しの大半は大叔父に対するものと自分の両親に対するものだったが、会う回数が増えるにつれて次第に自分の事や妹達の事、そして私自身の事を話すようになって行った。この頃の私はスタルニスに好意はあったものの、彼の事を好きなのかどうかはよく解らなかった。私はいつもスタルニスが物置部屋へと帰って行った後、自分自身に彼の事が好きなのかどうか問いかけている。しかし私の心は同じところで追い返され心には何時もモヤモヤした物だけが残る、私の気持ちを追い返すあの壁はいったい何なのか?確かに解っている事は彼に私は不釣合の人であると言う事、スタルニスには学歴も約束された将来も大叔父が決めた許嫁もいた。私にある物と言えばこの身体だけで、学も無ければ技術も無い見えてくる将来と言えば金持ちの第二婦人か集落の未婚男性の妻になって子供を何人か作るぐらいのもので、不釣合と言うこと自体がおこがましかった。気持ちを此処までにしておく事が一番幸せなのではないかと思えてくる。私は数時間ほど考えた挙句それが全ての答えである事にして考えるのを止め、数日間を掛けていつもの何も考えられない自分に戻って行く事を常としていた。私にとってこの過程はもっとも労力を費やす仕事となっていった。彼との会話の時間は夢のように過ぎ去り、後には大きくなりすぎた思いのカスを片付ける時間が悪夢のように永遠とつづく、心はいつも魔法のような言葉を求めて這いずり回った、自分を蔑み価値を無くして行く事だけが私に心の安らぎを与えていた。そんな私の思いも顧みず彼はまたひと回り存在感を増して私の前に現われ「元気だったかい」と私たずねる。私の心はひとたまりも無かった、心が溶けていく感覚をいつしか味わう様になっていった。
その日は屋敷に何人もの客人が来ている様だった、夕方になってから大叔父がもの凄く不機嫌な顔で屋敷を出て行こうとしていた。私はいつもそんな時はそそくさと大叔父の視界から外れる事を心がけていたが、その時は洗濯物を多く運んでいたため大叔父に気が付くのが遅れ大叔父の行く手を塞いでしまった。大叔父は邪魔だと言って杖で私の肩と足を殴り汚い言葉を私にかけて屋敷を出て行った。大叔父が見えなくなった後、ミールが私に近付き殴られたところを見てくれた、肩はそれ程でもなかったが私の太股はたちまち腫れ上がり青みを増していった。ミールはすぐに薬を塗りしばらく冷やしておくようにと言ってくれたのだが、私は後でミールが叱責されるのを恐れ、大丈夫だと言って仕事に戻る事にした。初めはそんなに痛くなかったのだが、夕食の頃には痛みが増し仕事が終わる頃には立っているのもやっとになっていた。心配してくれるミールをよそに私は痩せ我慢をして小部屋へと戻り腫れ上がった太股を濡れタオルで冷やしていた。足はズキズキと痛んでいたが日中の疲れもあって私はウトウトと眠りに落ちようとしていた、私が起きているのか寝ているのかまるで解らなくなった頃、小部屋のドアをノックする音が遠くで聞こえた気がした。私はミールがまた心配して来てくれたのだと思いこみドアの近くまで行って「ハイ」と言うと、ドアの向こうから聞こえて来たのはスタルニスのものだった。私は一気に目が覚めそして慌てふためいた、私が身に着けていたのは肌着一枚だけだったのだ。私の慌て様をドアの向こうで察したのかスタルニスは「このままで良いよ」。「このままで良いから話を聞いてくれないか」と言ってくれた。私はこの提案を受け入れ、私達はドア越しに話を始める事にした。この夜のスタルニスは何時もと様子が違いどこか暗い感じがした、私がその事を訪ねるとスタルニスは今日ヌイノフスク村で起こった事、この屋敷で起こった事を私に教えてくれた。スタルニスの話しでは今日の明け方ちかく連邦内務省軍による掃討作戦がヌイノフスク村とその近郊で行われ、多くの人々が身元保証金と呼ばれる身代金が払えずに連れ去られてしまったのだと言う、そう言えば今日は誰一人として敷地の外には出て行こうとしなかったし、私にも屋敷内の仕事が命じられていた。大叔父は昨夜の中から掃討作戦の情報を得ていた数少ない人物の一人であったのだと思う、それは昨夜急に慌しくなった大叔父の行動からも言える事で、連邦軍との間で何らかの取引があったに違いなかった。そしてその結果として村からわずか10km程しか離れていないクルコエ集落には連邦軍の車両は一台も通る事はなかった。私達にはどんな取引があったのか想像も出来ないが、大叔父にとっては予定通り、自分の力を堅持し自分の自尊心を満足させるのに充分な結果であったはずだ。大叔父の人を蔑む笑顔が目に浮かんでくる。屋敷には正午を過ぎた頃から連邦軍によって連れ去られた人々の親族が大叔父を頼って集まり始めていた。ほとんどの人々は身代金を払えなかった生活の苦しい人々で、大叔父はそんな人達には少しも会おうとはしなかった。涙ながらに懇願する人達にそれなりの対応をしてお引取りを願う、まるで皇帝の拝謁のように話はミールが全て聞いて、奥に居た大叔父はソファーにふんぞり返っているだけだった。大叔父の態度と機嫌が変わったのは、村の行政官である地区長とその妻が屋敷にやって来た時からだった。地区長は二人の息子が連れ去られた事と掃討部隊の所属が解らない事、そして息子達を助ける為に何とか大叔父の力を貸してほしいと懇願しに来たのであった。そもそも村の地区長と言えばロシスキ内務省地域臨時事務局という当局から任命される列記としたロシスキ側の人物である、普通に考えれば地区長の家族が逮捕連行されるなど有り得ないと思えるのだがベズロアの現実は違っていた。スタルニスの話しではベズロアで展開している連邦軍の規律は著しく低下しており、奪える物は敵味方を問わず奪い取ると言う部隊がいくつも存在しているというのだ、そして今回の掃討部隊も所属を隠していた事から正規の掃討作戦ではなかったのではないかと話していた。この様な盗賊部隊と話をつけるにはそれなりの労力が必要となる、地区長の話を聞いた大叔父の頭の中では様々な打算が行われ、そして二人の息子を助けた方がお得と言う答えを出した。大叔父は電話を始め二時間以上もの間、取引相手との交渉をしていた。盗賊部隊との話がついたのかは解らないが、大叔父は大変不機嫌なまま屋敷を出た。元来誰かの為に骨身を削るのは大叔父の性分に合わない、無性に腹が立ち誰かを殴りたかったのだろう、私はそこに居合わせそして殴られた。それが今日あった事の全てである。スタルニスが悲しげに「いったい何の為の戦争なんだろう」とつぶやいた。「ヌイノフスク村は元々ルスキ系移住民のむらなんだ、人口の七割はルスキ人で一割がスタボリ人、二割が混血、ベズロア人など村の五パーセントにも満たない」「バーナエフ派もグルスタス派も関係が無い、ましてゲリラ等とは関わった事がない人がほとんどだ」スタルニスは考えたくない事を話しているようだった、スタルニスの話はさらに続く「この戦争には様々な要因があると言われているんだ、独立運動に民族自決、シアリム国家の樹立、原理主義の急速な浸透、歴史的遺恨、テロとの戦い、地政学的原因、ロスク中央政府の政治力学、石油利権、人種差別、例を出したらキリが無い全てが全てもっともらしいが全てが全てこじつけの理由に思えてならない」「本当の理由はね、誰も声に出して言いたくないんだよ、あまりにも愚かだからね…」スタルニスはここで声を詰まらせた、認めたくは無い現実に打ちのめされている様子だった。私は小さな声で本当の理由を教えてくれないかと頼んだ、スタルニスは少し考えた後「この戦争は…少なくとも第二次ベズロア紛争は戦争のための戦争なんだよ…」私はその答えを聞いて狐に摘まれた様だった、まったく理解が出来なかった。どういう事かとスタルニスに尋ねると、スタルニスはやさしくこう答えてくれた「つまりそうだな…この戦争は戦争をする事が目的の戦争で、戦争によって発生する経済活動を維持するための戦争なんだよ」「プッシーニ連邦大統領は軍産複合体や新興財閥と共に在り、将軍たちは軍事関係予算を個人的な企業で回す、中堅将校達は身代金や武器の横流しでせしめる、下級将校や兵士達は略奪を糧とする」「ベズロア人も似た様なもので、親ロシスキの要人達は復興資金や支援物資を私物化し、反ロシスキの司令官は油田を私物化する、テロリストの司令官は海外からの潤沢な資金援助を得る、マフィアや地元の名士は武器や石油の取引で潤い、多くの市民はこの様な不法行為に身をゆだね、タカリながら生きている」「この正当な代価はロシスキ市民の血税とベズロア市民の命によって支払われ、ベズロア人が地球上から殉滅するか連邦の国庫が破綻するまでいつまでも続いて行く…」そしてスタルニスは吐露した。このシステムに組み込まれている自分自身が許せないと…私はこの時までこの戦争はロシスキのファシスト達から祖国を守る戦争だと思っていたし、そうだとしか聞かされていなかった。だからスタルニスの話しは衝撃的で嫌悪感をともなうものだったが、私はこの話を受け容れず否定する気持ちは少しも無かった。それは彼自身が罪を感じ、今の自分を強く恥じていたからかもしれない。この日から私達は大叔父が帰ってくるまでのあいだ毎晩会い話しを重ねた。世界の情勢や外国の戦争の事、この戦争や首都ロスクで頻発するテロの事、ロスク市で住むベズロア人の苦悩やスタルニスが受けた差別の事、大叔父がどうやってクルコエの皇帝になったのかや自分が何故医科大学に編入をしたのかなど時間が経つのも忘れて話し続けた。彼は自分の知る世界を話す事で、私の目を開かせ、耳を聞こえるようにし、私の世界を広げてくれ、それは私の心になった。スタルニスとの時間は私の人生の中で最も大切な時間となり、そして私は彼が好きな事をついに認めたのだった…
それは私が思っていたよりもずっと自然な行為で、夜に眠りにつき朝に目覚める様にごく自然で当たり前の行為であった。この寸前まで私が感じていた不安や苦しみは記憶が薄れていくように消えて行き、代わりに彼への思いは止めようもないほどあふれ出て来た。次第にあふれ出た思いは身体の隅々まで行き渡り、胸を高鳴らせ心を締め付け始めた。好きである事を認めるずっと以前から私の胸は苦しく悲鳴を上げていたのだが認めてしまった後では何かが絶対的に違っていた。自分自身がいとおしい日々の始まりだった、意気地の無い自分も、弱い自分も、嫌いな自分も全部一緒になって彼を好きだと言っている。一辺の迷いも無く思いは何処までも純化して行く、彼を思う自分の心がとても愛おしかった。人を好きになる事は自分自身を好きになる事なのだ…
スタルニスを好きだと認めた夜から二日が経った日、大叔父が出掛けて五日目の朝、集落にはヌイノフスクの村人達がぞくぞくと押し寄せ大叔父の屋敷の前に集まり始めた。村人達はみな家族を連邦軍に連れ去られた人達であり,未明に電話を掛けてきた大叔父の帰りを待っていたのだ。電話の内容は地区長の息子二人と村の住人三人、村の住人と思われる遺体三体を連れ戻したと言う事と、グリストフ検問所を無事に通過できれば昼ぐらいには戻れるだろうとの事だった。地区長の息子二人以外は村人の身元は解らない、大叔父が故意に名前を出さなかったのか口を開けないほど痛めつけられているかのどちらかである。こうして屋敷には大勢の村人がやって来るはめになったのだ。帰ってくるかどうか解らない家族を待つ人々には辛過ぎる時間が過ぎていく、村人達は一時も見逃さないように集落の外へとつながる道の方向を見つづけていた。正午を少し過ぎた頃、屋敷に地区長が現われた。村人達は地区長に一斉に詰め寄り何か情報が無いか聞き出そうとしていたが、地区長は何も情報が無いと言うような素振りをして村人達をかき分け屋敷内へと入ってきた。地区長は側に居たミールを呼び止めイグシスと話が出来ないかと頼んでいた。納屋の方からイグシスがやって来ると地区長は素早くイグシスに何かを手渡し話を始めた、どうやら値段の交渉をしているらしく地区長は大叔父よりもイグシスと話しを進めたい様だった。これにはイグシスも大変困った様子で「そんな事は出来ない」と言う台詞が何度も聞こえて来た。一時間程つづいた押し問答も当たり前ではあるが、イグシスが大叔父が帰るまでは金の話はできないと貫いた。地区長は大叔父の絶対的な権力をあまく見ていた、イグシスを使って何か自分に都合が良い様に事を進めたかったのかもしれない、もしもイグシスが地区長の話しに乗っていたらどうなっていただろうか?大叔父は躊躇する事なくイグシスを殺しただろう。今の私は確信をもってそう言える、たとえイグシスが実の息子で族長の跡目であろうとも、この答えは揺るぐ事はない。大叔父はその様な人物であり、獣の掟の中で生きている人間なのだ。
大叔父が帰ると言った正午から二時間が経とうとしていた時、にわかに門扉の村人達が騒がしくなった、大叔父が帰って来たのである。大叔父はバヌスと呼ばれる社会主義時代の象徴とも言えるボディがダンボールで出来た小型トラックに乗って帰ってきた。運転していたのは地区長の息子で荷台には黒い袋に詰められた遺体と4人の人が横になって乗っていた。大叔父はトラックに群がる村人には目もくれず地区長の腕を取り屋敷の中へと消えていった。大叔父の様子は身包み剥がされた老人のように見えた、実際に大叔父は村人の代金として持っていた現金を全てと、自慢の中古ハポネ車を盗賊部隊に差し出していた。一体どのくらいの金額を地区長に要求したのだろうか?この時は解らなかったが屋敷から出てきた地区長は、頭を抱え込んでへたり込んでしまった。地区長の様子から大叔父はかなりの金額を要求したに違いなかった、村人達はそんな事が起きているとも知らず、大騒ぎのなか変わり果てた遺体やぐったりとして動かない人を取り囲み、なんとか身内を確認しようとしていた。トラックの周囲では次第に女性の叫び声や泣き声が聞こえ始め、身内が居なかった村人達は蜘蛛の子を散らすようにクルコエを後にして行った。生きている人で怪我をしていなかったのは地区長の息子一人だけで、もう一人の息子は息も浅くピクリともしていなかった。村人の一人は意識があるが足を砕かれ重傷、あとの二人は意識がはっきりとせず顔が判別できないほどに殴られかなりの重体のように見えた。重体の一人は身元が判明せず村の人が一端引き取り、遺体となって帰ってきた人は全員身元が確認され家族によって引き取られて行った。そして地区長は無事だった息子を人質として置いて行き、重体の息子を車に乗せ村へと大急ぎで帰っていった。地区長はこの日から数日間に亘り金策に駆けずり回り、毎日クルコエにやって来て大叔父と会い金額についての話をしていた様だった。その後スタルニスから聞いた話では、人質5人と3人の遺体を引き取るために盗賊部隊に支払った金額は15万ルブルと中古車一台で、地区長に請求したのは35万ルブルだったそうだ。数日間の金策も甲斐なく地区長は20万ルブルしか現金を用意できなかった。追い詰められた地区長は現金の換わりにベズロア北管区特別通行許可証と石油パイプラインに不法に取り付けられたバルブの権利を差し出した。もちろんこれも違法な権利だが今のベズロアでは公然と取引される財産となっていた。地区長のバルブは小規模で一ヶ月あたり2万ルブル程度しか利益を出さないが、大叔父はこの条件に大変満足した様子であった、今や違法バルブの権利はベズロア人名士の証しとも言えるものだからだ。大叔父は上機嫌で地区長と酒を酌み交わし、人質となっていた息子を笑顔で送り帰した。
次の日大叔父はさっそく取引のある連邦軍兵士を使いに出しバルブの所有権が自分に移った事をバルブの実質的な管理者に伝えにいった。これだけかと思うが本当にこれだけである、つまりバルブの所有権とは石油泥棒達の後ろ盾になる事であり泥棒達が安全に石油を盗めるように心配りをしてやる事なのである。この心配りの報酬は産出額の50%で毎月か1ヶ月おきに使いの人間によって大叔父に手渡される。ごくごく小さな商売ではあるが毎月決まって道端で金を拾うような物なので大叔父には一切リスクは無い、たとえ石油バルブが誰か他の泥棒の手に堕ちようとも管理者が手違いで逮捕されようとも大叔父は痛くも痒くも無い、それどころか本当は実入りさえもどうだって良い事で大叔父にとっては石油バルブの所有者である事実が一番大事な事なのである。大叔父はこうしてまた一つ欲しい物を手に入れたのである、大叔父のこれまでの人生は人から何かを奪い取る人生だった。スタルニスや屋敷の家族から聞こえて来る大叔父の人生は、今の大叔父を考える上で実に納得がいくものだった。
大叔父のイグシ・クルコは1932年頃のこの地方ではない、もっと南の山岳地帯で生まれた。少年の頃ヤルジンス独裁体制下で行われたベズロア民族の強制移住によって、まるで家畜の様にして故郷を追われてしまった。このベズロア人の強制移住は小学校でも一番最初に習う民族の受難で原因は幾らでもあるが本当の理由はヤルジンスに聞いてみなければ解らない、一般的には他の少数民族に対するみせしめだったと言うのが最も有力な見方である。こうして大叔父は自分の両親と二人の兄妹、そして同じ氏族の縁の近い二家族と共に厳しく苦しい強制移住先での開拓の歴史にその即席を残したのである。大叔父は18歳のころ移住先で同じベズロア人の今は亡き大叔母と結婚をする、子宝にもたてつずけに三人めぐまれ長男イグシスが生まれたころ曽祖父から正式に跡目を託された。跡目を継いだ大叔父はその本性を徐々に見せ始め親族以外との争いや揉め事は耐える事無く続いていたと言う。1956年ヤルジンスが死亡し恐怖政治の時代が終わると次第にベズロア人達の間でベズロア帰還運動が起こると、新政権はこれに押し切られる形で翌年ベズロア人の帰還事業を始めた。1958年には大叔父たちの家族や親族達にも帰還許可が出され、半ば強制的にヌイノフスク村周辺の見知らぬこの土地に就労農家として帰って来る事となった。この頃にはもう既に曽祖母は他界し曽祖父も寝たきりの状態になっており、族長の決定事項である結婚や農地の配分は大叔父に委ねられる様になっていた。そして大叔父は中央政府よりの行動をとる事にこそ自分達の将来が約束されると考え、まず家族と親族達に氏族の中で信仰され続けられていた宗教を捨てさせ、自分の兄妹達にはルスキ人との結婚を勧めた。もちろんこの行動に反発する者もいたが大叔父は密告と言う社会システムを使って反発する人々を次々と追放し、最終的には一緒に引き上げて来た親族を全員追放させて自分の家族と兄妹達だけでこの地に生きて行く事になった。こうした大叔父の反民族主義的な行動は地方行政官庁からも直ぐに目を付けられ、ヌイノフスク村へのロスキ人入植の手引きや、不平を持つベズロア人の監視と排斥などの危うい仕事を依頼されるようになった。大叔父はこれらの仕事を見事にこなし見返りとしてクルコの名前からとったクルコエ集団農場の土地と計画農場としての地位、そしてそれに伴う機械や設備を手に入れた。帰って来た時には小作人程度の仕事をしていた男が数年で集団農場の農場長になったのである。成功と言えば成功である、だが大叔父の様に生きなければ生きて行けなかったかと言えばそれは違うはずだ。大叔父は生きたいように生き奪いたいように奪ったのである。大叔父がクルコエの農場長となった頃、寝たきりだった曽祖父と末息子の産後の肥立ちが悪かった妻を相次いで亡くすと、実弟の妻だったナタレと関係を持つようになり、弟が不慮の事故で亡くなるとナタレとの間にライサと言う娘を儲けてしまう、ナタレはライサを大叔父の子とは決して認めなかったが大叔父の子と言うのは集落の全員が知っていた。その後も大叔父の親族を利用するやり方は変わる事無く息子や娘、甥や姪が成人に達すると弟や妹にしたように自分の利害に合う結婚相手をあてがい決して自分の意に沿わない縁組をさせようとはしなかった。少しでもその事に反発する者は私の父の様に集落を出て行かざるを得なくした。この地に漂う閉塞感はこうして作り上げられクルコエが一つの大きな監獄になって行ったのである。この様な大叔父の絶対的な権力も陰りが現れた時があった、それは1986年の改革開放政策により計画経済が廃止され集団農場の仕組みが機能しなくなった事と、1991年に起こった社会主義連邦崩壊に伴うロシスキ共和国からの分離独立運動であった。この一連の政変と内戦は大叔父のみならずクルコエ全体に絶望的な危機をもたらしかねない状況であったが、大叔父はまるで節操の無いやり方で自分の身とクルコエの集落を守ったのである。それはマフィアが中心となって行う闇市場への物資の供給と運搬であり、供給する物資は生活に苦しむ軍人から買い取った武器と農場で栽培したケシであった。このマフィアとの関係はロシスキ軍のベズロア侵攻によって終焉を迎えるが大叔父は取引相手を反ロシスキ・ゲリラに変え武器の調達や衣食住の提供を行い自身の裏切り者としての立場を精算する事に成功したのであった。そして1996年の第一次ベズロア紛争停戦合意の時までにはそれなりの立場になっていた大叔父は、利権を得られるかどうかのギリギリのラインに居た。ほかの反ロシスキの人々同様に停戦後は利権争いに邁進したが、この争いにはあっけなく敗北した大叔父は十数年ぶりにただの農民に戻り、もう一度戦争の混乱を待ち望む最も愚かな人種の一人になった。大叔父の願いは第二次ベズロア紛争と言うかたちで叶えられる事となり、この紛争にしっかりと根をはりどちら側でもないどちら側とも言える立場で私腹を肥やしている。大叔父は理屈ではなく感覚によってこの紛争の本質を理解している様だった、この地方とここの状況では武器の横流しが最もはまる商売である事は間違いない。大叔父は心の底からこの紛争が一日でも長く続く事を願っている、そして今度こそ利権争いで勝利を収めるべく毎日の備えを欠かす事無く続けている。自分がこの紛争で死んでしまうかもしれないと言う恐怖は頭の片隅にさえなく感じ取る神経さえも有りはしない。大叔父はこうして生きて来たのである、答えは全て我に有りそれ以外の答えは存在しない。スタルニスが反発した理由も全ては大叔父の出した答えにあった…
スタルニスは幼少の頃から医師になるのが夢だったが、大叔父から与えられた運命は官僚になる事だった。大叔父は今よりもずっと楽な方法で奪い取る術をスタルニスから与えられる事を期待していた。スタルニス自身は自分の夢はあったが大叔父の期待を裏切り自分の両親を大変な境遇に陥れる事は出来なかった、大叔父の道具になる事を承知の上で連邦政治軍事大学に入学したのである。大学に入学したスタルニスの学生生活は日常的に危険を感じる毎日であったと言う。それはベズロアゲリラによる爆弾テロが首都ロスク市内で頻発していた為で、ベズロア人に対しての感情が更に悪化し、差別や不闇討ちそして私刑や不当逮捕などの蛮行で、一般ベズロア人市民を恐怖のどん底に落し入れていた。スタルニス自身も二回拘束されゼミの教授が迎えに来るまで帰れなかった事や、度重なる警察の家宅捜索により下宿先を出て行かざるを得なかった事、ルスキ人の友人と付合いが無くなって行った事、子供じみた嫌がらせを学部内で受けた事があったのだと言う。本来テロリスト達が受けるべき罰をルスキ人達はスタルニスに流れるベズロアの血に見出し彼を逃げ場の無い所へと追い込もうとしていた。もちろんルスキ人達が全員が酷い行いをベズロア人にしていた訳ではない、スタルニスも差別の嵐が吹き荒れるロスク市の中で本当の人のやさしさを知った。スタルニスが下宿を追われ行く当ても無くなった時、あるルスキ人教授が大学内の職員用宿直室を提供してくれたり、劇場占拠事件や地下鉄自爆テロが起こり外出が困難になった時、友人の数人がスタルニスの代わりに食料品や日用品を届けに来てくれた。この様な助けはあったものの街に流れるベズロア人=テロリストと言う空気は変わる気配は無く、スタルニスは極度に外出を避け大学構内にこもる生活を強いられていた。スタルニスの心はギリギリの所まで追い込まれていたのだと思う。そんな日々の中、スタルニスに届いた手紙が彼を更に追い詰めることになった。その手紙の内容とは大叔父が決めた結婚についての報告と言うより命令であった。大叔父の決めた相手とはイルクーシ自治共和国のラバニス州知事の娘との縁談であり、結婚を大学卒業後直ぐに執り行う事が書かれていた。そして更にはスタルニスの妹であるアニスとナタレの私生児であるロイヤ・チマエフを結婚させると言う内容も書かれていた。スタルニスは自分の事はたいがい予測していた事だったが、妹がライサの息子と結婚する事は絶対に許せなかった。もともとスタルニスはイトコ、ハトコ同士の結婚には反対で、両親も血縁結婚は快く思っていなかったはずなのだが、けっきょく大叔父の言いなりになっている両親の無力さにも怒りを感じていた。自分の目の前に自分がどうする事も出来ない問題が立ち塞がると、まるで関係の無い自分の身近な人々に怒りをぶつけてしまう…多くの人がそうである様にスタルニスも世間に感じていた怒りを大叔父や両親にむけてしまった。それにスタルニスの場合はそうする事が当然に思えるくらいの切っ掛けを大叔父が与えてしまったのだ。スタルニスは大叔父の出した答えを否定し初めて自分の力で生きて行くことを決めたのである。スタルニスは奨学制度のある医科大学の編入試験を受けて見事合格し、医大の寄宿舎に住み込み、医者になるための第一歩を踏み始めたのである。スタルニスが並みの人物ならばスタルニスの反乱は放っておかれるものだったが、スタルニスは大叔父にとって金の卵を産む家鴨なのである。放っておかれるはずが無いとは本人も解っていたはずだが、その後の事態はスタルニスの予想をはるかに超えるものだつたはずだ。彼は夜な夜な屋敷を抜け出しハトコに怒りをぶつける事で何とかこの異常な状況と折り合いをつけようとしている。そしてスタルニスが想いのままにならない状態に大叔父は日に日に焦りを隠せなくなっている。事は自分の威厳にも係わるのだ、どんな手を使ってでも政治軍事大学に復学させ、9月には卒業させなくてはならない。それが出来なければ今後二度とは無いだろうチャンスを失ってしまう、先鋒の州知事には編入の事は絶対に知られてはならない、大叔父の焦りの中に緊張が見え隠れする。大叔父は地区長の件が落ち着いた頃からスタルニスの母親を使って説得するようになっていた。母ノーマは説得をすると言うより泣いている方が多かった様だ、毎日毎日くる日もくる日も泣くために屋敷に通い詰めていた。これにはスタルニスも心が折れかけていた、私はこの時スタルニスを励まし自分の考えを貫いた方が良いと話した。私はどうしてもスタルニスに大叔父の言い成りになってほしくは無かった、大好きなスタルニスが顔も知らない娘と結婚してほしくなかったのもあるが、何よりも大叔父の支配を逃れ自由を手にする者を見てみたかったのである。それが実現出来るのであれば、私もスタルニスへの思いを実らせ、私の運命とも言える従属される人生から逃れ、彼とともにクルコエから逃げ出せるかもしれない。私はそう思っていたのである、意気地がないと言うかズルイと言うかなんとも仕様が無い考えではあるが、あの頃の私はこの様な考え方に支配されていたのだ。スタルニスさえ譲歩しなければ私は彼と一緒になれる、そう本気で信じていた。私は彼を思う日々の中で大叔父を他の誰よりも一番あまく見ている人物になっていた。
6月23日その日は私の17回目の誕生日であった。スタルニスはその日の明け方、屋敷を抜け出し何処かで摘んできた小さな花と“誕生日おめでとう”と書いたメモを小部屋の扉の前に置いてくれた。私はそれを手に取り喜びとも悲しみともつかない涙を必死にこらえていた。多くの人々にとって誕生日という日はとても大事な日である、友人や家族からこの世界に生まれて来た事を感謝され歳を重ねる事を祝福されて、自分という者が確かに存在している事を確認する大切な日である。私はこの集落に居る限り私の誕生日を気にかけてもらう事などあり得ないと思っていた。だからスタルニスからの贈り物はとても嬉しかったのだが、それは同時に私が思い描いていた今日を迎えられないと言う知らせでもあった。私の落胆の理由はこの日の数日前、スタルニスと話をした時から始っていた。スタルニスは大叔父側から今までに無い妥協案が出されたと語り、その妥協案を受け容れるか否かスタルニスは明らかに迷いを見せていた。その妥協案の中身とは、彼が政治軍事大学に復学する代わりにアニスとロイヤの縁組を無かったものにすると言うものだった。これ以上の譲歩はあり得ないだろう、スタルニスは急速に現実的になり自分自身の気持ちと向き合い始めていた。私はただ黙って話を聞いていただけだったが内心は穏やかで居られる筈もなかった。私はスタルニスが私の前から去りずっと遠くへ行ってしまう事に恐れを感じ、想いや感情を伴う思考にすっかり混乱してしまっていた。その日はそのまま話しを続ける事なく別れたが、そのあと私は彼の事を考えれば考えるほど何も出来ない自分に涙がこみ上げてしかたがなかった。彼の性格からすれば大叔父の条件を受け容れる事は間違いなかった。別れの時が来たら私はただの友達としてうつむきながら彼を見送る事しか出来ないのであろうか?彼にとって私がただ単にお喋りを楽しむだけの隣人だったとしても、私は…私の気持ちはそうではなかったのだと言う事をせめて彼には知っていてもらいたかった。例え二人の人生が何も変わる事がなかったとしても、私が好きだと告げる事で私という存在を覚えていてくれるかもしれない…“クルコエの集落には自分を思う娘がいる”そう思ってくれるだけでも、本当にそれだけでも良いと思った…きっとスタルニスは私の誕生日を間違いなく覚えていてくれる、状況が許すのであれば彼の事なら必ず会いに来てくれるはずである。もしも彼が誕生日に会いに来てくれるなら、私は彼に自分の思いを告げよう、そう心に決めたのだった…彼が屋敷を抜け出し私に向かって“十七歳の誕生日おめでとう”と声を掛ける、そして彼が何かを話し始める前に“あなたの事が好きです”と彼に告白しよう…私は誕生日に会った時の状況をそこまで想像していた、まさに夢見る少女そのものだった。私のこの様な妄想の嵐は、誕生日の朝に部屋を出た途端に彼からの贈り物によって終わりを迎える事になり、私は息苦しい程のせつなさの中、溜息をつく理由をまた一つ覚えてしまうのであった。私は結局、誕生日から一週間ほどスタルニスと会う事は叶わなかった。つらい時間は無常にもゆっくりと流れる、スタルニスに一刻も早く会いたい気持ちと別離への恐怖、自分でも理解し難いほどの揺れる想いと浮き沈みする気分、私は一人では語る事が出来ない愛にもがいていた…
その日も大叔父は大声でノーマを叱責していた、スタルニスはまだ条件を受け入れていない様だった。ノーマには悪いがこの大叔父の苛立ちによって、私の気持ちは数日振りに落ち着きを見せた。心の平安は風景さえも違って見せる、集落の景色はちょっと気付かない間に夏に向かって勢いを増していた。私は何時ものように農作業を済ませ屋敷に戻ってくると、大きな荷物を側に置いたルコエが車の前でイグシスと何かを話していた。私は嫌な予感がしたのだが、話を盗み聞きするわけにもいかず二人の行動が気になりつつも敷地内の仕事こなしていた。夕食の後片付けをしている時にちょうどミールと二人きりになる機械があった、私はミールならそれとなく聞けばたいがいなんでも教えてくれると思っていたので、夕方のルコエとイグシスの行動に付いてそれとなく聞いてみる事にした。ミールは少し考えた後ここで話すのはまずいとばかりに洗濯をする時に話しましょうと答えた。私はこの時それほど気にも留めずに夕方の嫌な予感も忘れていたのだが、この後に聞いたミールの話しは、私の想像を遥かに超えており事の重大さに動揺を隠し切れなかった。ミールの話しではルコエは首都ロスクにむかいスタルニスの医科大学での在籍を抹消し政治軍事大学からの編入を無かった事にするために出発したのだと話した。私はグラグラとしためまいを感じながら本当にそんな事ができるのかと尋ねてみた。するとミールは大学の編入や除籍は書類上の事なので協力してくれる義務職員が居れば可能なはずだと答え、事務職員の数人とは既に大叔父が話しを進めておりこれによって支払う事になるであろう賄賂の方が大叔父にとっては問題だと話した。私は目の前が真っ白になった。視野が段々と狭まり話しをするミールがまるで小さな写真の様に見えた。ここに来て急速に外堀は埋まりつつあった、もう全てが終わりのように思えた、私の恋も人生も全て終わり、スタルニスの戦いは敗北に終わるが、私の場合は殉滅である。私は洗濯を早々に切り上げ、着替えもせずにベットへと潜り込んだ。もはや涙も出てこない、首筋がピリピリとして頭が痛い、とても眠りにつく事が出来なかった。私の悪い癖だが問題を先延ばしにしてとにかく眠りにつこうとしたのだが、その日はついに一睡も出来ずに朝を迎える事になった。私が眠りにつこうが眠りにつかなかろうが、仕事と天気は私を気にする事はなかった。あたり前の事だが私はこの事にとてつもない不条理を感じた。初夏の澄み切った日差しはパンパンになった頭を容赦なく照らし、牧草を運ぶ時には何度も膝を落とししゃがみ込んでしまった。私はヨレヨレになりながら屋敷に戻ると大叔父が仕事が遅いと言って怒鳴り付けて来た、私はこの時大叔父の好むような受け答えが出来なかったため更に大叔父を怒らせてしまいまたもや杖で殴られてしまった。いつもなら平謝りに謝ってすぐに仕事に戻るのだが、私は昨夜からの絶望感からか涙を堪える事が出来なくなり納屋の裏でしばらくうずくまってしまった。その後も私のする事は失敗ばかりで、終いにはミールに今日はもう休みなさいと言われてしまい、仕事を片付け切れないまま小部屋に戻る事になった。私は何をするわけでもなくベットの上に横になり、時々襲ってくる涙を止める事もできずにさめざめと泣いていた。数時間が過ぎた時かすかに私を呼ぶ声が聞こえて来た、私は慌てて涙を袖で拭き取り身なりを整え扉の方に駆け寄って行った。声の主はスタルニスだった、私は必死に取り繕ったつもりだったが目が腫れているのを心配されてしまい大叔父に酷い事をされたのかと問い詰められてしまった。私は大叔父に殴られたことは言わずに適当な言い訳をしてその場をやり過ごしてしまい、なんとなくぎこちない感じが二人の間に漂ったが、私はとにかくスタルニスと再会出来た喜びと興奮を抑える事に集中していた。どう言う成り行きでそうなったかは今になってもなお思い出ス事は出来ないが、スタルニスと私は屋敷の敷地内を抜け出して牧草地となっている丘陵の峰へと向かう事となった。私の心臓は今までに無いほど高鳴り、全身のあちこちが小刻みに震えていた。牧草地を見渡せる峰へと着いた時、私はスタルニスが腰を下ろす隙も与えずに今回の復学の話を聞いてみた。スタルニスは少し驚いた顔をして知っていたのかいと聞き返してきた、私はミールに話を聞いた事を聞いたとうりに話すと、スタルニスは復学の事は君が十七歳になったお祝いを言ってから話そうと思っていたと話した。私は自分があまりにも急いで答えを聞きだそうとして彼の気持ちに気付こうとしなかった事に、自分の自我の醜さを感じここ数日間の自分を反省した。私は彼にごめんなさいと謝ると彼は「気にしなくていいよ」と言って改めて誕生日おめでとうと言ってくれた。夜の牧草地は今はまだ寒くところどころ刈り取られずに残された草が風に流され揺らいでいた。しばらく私達は何も話さずただ並んで座って居ると、不意にスタルニスが「この国で美しいのは星空ぐらいなものだね」と言って星空を眺めていた。空には零れ落ちそうなほどの星のきらめきがあり、その美しさはこの苦しみの地上を覆い隠そうとしている様だった。私は美しいと思えるのは自分の心が美しいからと言う祖母の話を思い出し、スタルニスにその話をした。スタルニスは「そうだねルランお婆さんはそう言う人だったね」と言って、ぽつりぽつりと言葉を探しながら復学についての話しを始めてくれた。スタルニスの話しによると早ければ十日後おそくとも二週間後にはロスク市に戻り、7月20日頃には政治軍事大学の卒業審査を受ける事になるだろうと話した。私はあらためてこの事実に打ちのめされたが、私に悲観に暮れている時間は無かった。スタルニスは復学の話しをすると直ぐにロスクでよく見ていた映画の話を始めた「エミルはどんな映画が好きなんだい?」彼が私に尋ねて来た。私は「私の居た街には映画館がなかったの、たまに移動映画館が来るぐらいで…だからずっと映画は見ていないけれど、私がまだ小さい頃テレビで見た『シンデレラ』が大好きだった、その他にもお姫様が出てくるアニメは好きだったわ」と彼に話すと「僕もアニメは好きだよ」と話し、二人でアニメの話を始め、なかなか思い出せないアニメのタイトルを一緒に思い出そうとしたりしていた。ふと彼が今度一緒に映画を見に行こうと言い出した。私は一瞬にして現実に引き戻される様な感覚を味わったが、悪意の無い彼の誘いに私は「今度必ず行きましょう」と答えた。彼はその後も私の知らない合衆国のアニメやハポネのアニメの話しをして時間はまたたくまにすぎていった。時は真夜中を過ぎて朝になろうとしていた、私達はどちらともなく屋敷に帰ろうと言う事になり、そして私はほとんど何も考える事無く独り言をつぶやくように、スタルニスに思いを告げてしまった。彼は一瞬動きを止め、次に発する言葉を探している様だった。それはほんの一瞬おとずれた沈黙の時だったのかもしれないが、私はこの一瞬の間に自分が口にしてしまった言葉の意味や、自分が考えている言葉の意味がまったく解らない事態に陥り、すっかり頭の中が真っ白になってしまっていた。そしてスタルニスに泣かないでと言われるまで、私は自分が泣いている事にも気付く事が出来なかった。私の告白にスタルニスが何と答えを出してくれたのか?…正直に言うと私はその言葉を覚えていない、私がこの夜覚えている彼の答えは、泣いている私の涙を拭いやさしくキスをしてくれた事と、帰り際に言った「君だけをこの集落に置いてはいかない」と言う彼の心の一端であった。私達は数日後に会う約束をしてスタルニスは屋敷へ私は小部屋へと帰っていった。私は崩れ落ちるようにベットに潜り込み仕事が始まるまでの時間を眠りにつく事にした。私はこの数日間の苦しみから解放され思いもしない程の早さで眠りに落ち、生まれ変わったように仕事が始まる時間に起きる事が出来た。寝ていた時間は一時間程度だったのだが、体調はすこぶる良かった。私は今までになかった朝をすごし、未知なる今日を迎えようとしていた。いつもと変わらない庭の草花でさえ私に希望を与えてくれた。私とスタルニスは数日おきに会い再開を喜び、二人のこれからの話をして別れ際にはキスをした。私達はお互いを大切にしていたが、お互いの身体を求め合う衝動はもう抑えようもないほどだった。すぐにでもこの集落を抜け出してスタルニスと結ばれたかった。実際スタルニスは具体的に集落を出る計画も考察していた、それは彼がロスクに戻った後に大学の先輩である内務省軍中佐に頼み、私を拘束してドミニスタンにある駐留基地か比較的治安の良いノミノの難民キャンプまで連れて来てもらって、そこで再会すると言うものだった。私が「男の人は怖いわ」と言うとスタルニスは「先輩の中佐はベズロア人でとても良い人だよ、必ず僕達の力になってくれる」と言った。私達はこの他にもいくつかの方法を考えてみたが、どれも現実性にかけ危険を伴うものばかりだった。現実に私をこの屋敷から連れ出し安全に国境を越える為には軍人の関与が絶対に必要だったし、それが軍隊そのものであれば大叔父も深追いはしないはずである。例え信用できない軍人だったとしても私はそれに頼るしかないのである。私はこの計画を承諾し、スタルニスは一刻も早くロスク市へ戻る事を願うようになった。“内務省軍第六十二独立作戦任務旅団・第二百三十五特殊作戦任務大隊・第三中隊アル・カマノフ中佐”私はその人物の名前と所属を覚えられるまで何度もスタルニスに聞き、数ヵ月後に訪れるだろう再会に胸を焦がしていた。しかしスタルニスが連れ戻されるであろう一週間がたっても二週間がすぎても大叔父側の動きはなく、ルコエが帰って来ることもなかった。スタルニス自身も復学の話しをされない事についてとまどいを見せていた。実はこの頃スタルニスの復学は医科大学の除籍手続きさえ終了しておらず、卒業審査を受ける事は絶望的になっていた。この状況に対応する為だろうか大叔父はイグシスと共に留守がちになり、その結果私達は容易に会うことが可能になった。私は甘い言葉で現実を一杯にして、明日への不安を取り除くのに必死になっていた。
7月20日ルコエがロスク市から戻り何のうわさ話も聞こえてこないまま二日が過ぎ様としていた夜、スタルニスが青ざめた顔をして私に会いにやって来た。スタルニスが父ルコエから告げられた話しは、医科大学の除籍手続きが出来なかった事と政治軍事大学の卒業が不可能になった事、そして州知事の娘との縁談が破談になったと言う事だった。この事態によりスタルニスは大叔父が今後の事を決めるまでしばらくこの屋敷に留まらなくてはならなくなった。今回の一件で大叔父はスタルニスの家族は全員追放すると激怒しているらしい、スタルニスがこの話しを聞いた時ルコエは泣いていたと言う、父親の泣いている姿を初めて目にした彼はひどく動揺していた。私達がしようとしていた事を考えればスタルニスの家族に待っている運命は同じなのだろうが、数百キロかなたで起こる悲劇と目の前で起こる悲劇では話が違ってくる。私はとにかく何年かかろうとも待ち続けるから今は事態を見守りましょうと話し、今回の事が落ち着くまで会うのを控えた方が良いと提案した。スタルニスは終止釈然としない様子であったが、こればかりはスタルニスにも私にもどうする事も出来ない事だった。私達が出来る事があるとすれば、これ以上騒ぎを大きくしない事である。私は朝までの短い時間の中でスタルニスの事をどれだけ愛しているかを語り、スタルニスを待ち続ける決意を話し続けた。「一生を台無しにしてでも彼方をただ愛し続け、ずっと何時までも待ち続ける。決して他の男の人には心をよせたりはしない、誓って他の男の人のものにはならない。愛している、愛している、ずっと愛している…」
私は明け方まで彼に語り続け、目が倍に腫れ上がるほど涙を流した。結局、私は彼の苦境を考える事もできずに、自分の思いをぶつけるだけに終始してしまった。本当の現実に目をむける勇気のカケラもなく、自分の思いに酔いしれていた。彼は最後に必ず君を迎えに来ると言ってくれた。今や彼の家族と同様に彼にのしかかる重石になってしまった私に、彼はやさしくそう言い切ってくれた。彼はそう言う人だった、深いやさしさをもつ人だった。私達はこうしてその日が来る時を待ち続けることを決め、夜が明けきらないうちに別れた。私は浮腫みきった顔を丹念に冷やし早朝からの仕事に備えた。スタルニスとの逢引を悟られない様にいつもどうり気丈に働かなくてはならない、身体は重さを感じていたがそれはいつもの事でなれたものだった。この日ネイラの畑を手伝う事になっていた私は、ミールに挨拶だけをして足早にネイラの畑へとむかった。畑の手伝いは正午過ぎには一端片付き、私は昼食を取る為に屋敷へと戻って来た。屋敷の敷地内に入ると人影はないのだが刺すような視線を感じた。ふと納屋の方を見るとミールが顔を抑えて泣いているようだった。私がミールの方に身体を向けた瞬間、屋敷のドアをものすごい勢いで開ける音が敷地内に響き渡った。ドアから憎しみの眼差しで出て来たのは大叔父で、その表情を見た瞬間に私はスタルニスとの事がバレた事を理解した。捕食者に狙われた小動物の気持ちはきっとあんなものなのだろう、私の身体は一瞬のうちに力を失い本能的にこの事態を諦めていた。大叔父は大声で「このスベタ!!」と言いながら私に近付き水平に振りかざした私の腹部を殴ると、もの凄い汚い言葉を吐きながら背中、腰、肩、足、腕を立て続けに殴られ、すでに立っていられなくなった私は慈悲を求めるようにして大叔父を見上げると「オマエにはあれほど注意しておいた筈だ!」と言って私の襟首を掴み、容赦なく杖の枝の方で私の顔を何度も殴り始めた。私は何度か殴られた後、意識が遠退き周りの世界が途切れ途切れの映像のように見え始め、次の瞬間には誰かに引きずられ車に押し込められる感覚と全身に堪えきれない痛みを感じるようになった。車に乗せられた私は窓の外の景色がすでに夕方になっていたのを覚えている、車を運転していたのはイグシスで、私はちゃんと言えていたか解らないがイグシスに何度か“ごめんなさい”と謝ったように思う。車は数分でナターシャの家へと辿り着き、私は抱えられる様にしてナターシャの家へと運び込まれた。家の奥の方から様子を伺う様にして現われたナターシャは、私の姿を見るなりすぐさまイグシスに説明を求めた。私は自分で立っている事が出来ず居間のソファーに崩れ落ちていると、奥の方でイグシスとナターシャが大きな声で言い争いを始めていた。イグシスは必死に事情を説明している様だったが、ナターシャは「私には関係がない!私を巻き込まないで!」と言っているようだった。漏れ聞こえて来る二人の話しでは、どうやら私はナターシャの家にある隠し部屋に閉じ込められるらしかった。二人の話し合いは小一時間程続き、ナターシャも抵抗はしたものの大叔父の命令に逆らえなかった。私は台所の床下に隠してある入口から極端に狭い通路を降りて6㎡ほどの地下室へと連れ込まれ、カビの臭いが染み付いたマットレスの上に寝かされた。イグシスは私に「おまえがした事は、この集落に対する裏切りだ」と語り「おまえの処遇は族長が決めるが、おまえが追放されるのは間違いない、おまえはその時が来るまでここで反省するんだな」と言い「わかったな!」と念を押して、この寒々とした地下室に私を投げ捨てていった。今まで冷たい感じはするが、どことなく私を気遣ってくれているのではないかと言うイグシスの印象はこの時完全に失われ、大叔父には誰も逆らえないのだという底知れない恐怖が私の心を押しつぶそうとしていた。私はこれからどれくらいの間この地下室の閉じ込められるのであろうか?そう思うと身体中にはしる痛みを堪えてでも確認しなくてはならない事がある、それはやはりトイレである。以前閉じ込められた時はバケツだった、その時の思いは二度と味わいたくない。私は身をよじらせて周囲を見渡してみると、“陸軍”と書かれたプラスチックの箱が有った。私は側面にあった注意書きを読んでみると、それは軍が使用する簡易式のトイレの様だった。私は少し安堵して殴られたところが圧迫されない体勢を探りながら、マットレスの上へと身体を戻した。
本来この地下室はゲリラの人たちやマフィアの人達が身を隠す、もしくは傷ついた身体を癒す為の部屋だろうか?天井には空気を取り込むためのパイプとハダカ電球が一つだけぶら下がっている、壁にはここに滞在した物が残して行ったイヤラシイ落書きがたくさんあった。私は何とか身体の痛みを紛らわそうとその落書きに目をはしらせていた。私がこの地下室に閉じ込められてから二時間ほど過ぎた頃、ナターシャが何かをゴソゴソと運び込んで来た。ナターシャは「あんたも涼しい顔をしてやることはやっているんだね…それにしてもスタルニス坊ちゃんに手を出すとは随分と勇気があるね、あんた族長に殺されても不思議はないよ…」そう言ってナターシャは私の傷の手当を始めてくれた。私はナターシャの手当てを受けながら、彼女の説教とも忠告ともとれる話しをただ聞き続けた。今にしてみれば彼女の思い込みだけの話をすぐにでも否定すればよかったと思うのだが、この時の私はそんな気概は一切なく、正常な精神すら持ち合わせていなかった。繰り返し頭の中で響く“どうしよう”と言う言葉に私の全てが支配されようとしていた。「ちょっとあんた聞いてるの?」ナターシャの声で我に返ると、傷の手当てはすでに終わっており、ナターシャは私に問いかけた答えを待っている様だった。私は何も答えられずにいると、彼女は「まあいいわ、手当ては終わったけど口の中が切れてるから、今日は何も食べない方がいいわ、でも必ず水分は摂るように…ここに水を置いておくから無理をしてでも飲みなさい。明日の朝もう一度来るけどどうしても痛みがひどい時はキッチンの床下の所まで来て声を掛けなさい、私は居間で寝ているから直ぐに駆けつけてあげるわ…いい必ず水を飲むのよ。」そう言って私の小さなうなずきを確認すると、彼女は地下室を後にして行った。私はナターシャに言われたとうりに水を飲み身体を横にした、ナターシャが言ったように口の中が切れていて水がひどく沁みる。地下室はジメジメしていて、私が来た時よりも室温があがったように感じた。私はこの不快な湿気と身体の痛みのせいであまり寝付く事ができず、ナターシャが下りて来た事で初めてこの夜が明けたのだと言う事を知った。ナターシャは私の着替えとなる服と食事となるスープを持って来てくれた、そして私の時間感覚が麻痺しないようにと男性用の腕時計を持ってきてくれた。ナターシャは私の身体を気遣っていろいろと質問してくれたのだが、私は頭が朦朧として質問の半分も答えることが出来なかった。彼女は地下室を出る時に錠剤を二錠手渡してくれた「痛み止めの薬よ、食事の後に飲みなさい、薬を飲めば少しは眠れるかもしれない。」私は彼女の言うとうり薬を飲んだ後直ぐに眠りにおち、眠りから覚めたのは次の日の夕方の事だった。私が目を覚ましてみるとケガの手当てが新しくなっていたり、来ていた服が着替えさせられていたりした。ナターシャが日中にしてくれたのは想像できたが、私自身にはまったく記憶がなくどのような状態でナターシャに介抱されたのか、そして使用した形跡のある簡易トイレは何時使ったのか、私はとても不安になり夜の食事を運び込んで来たナターシャに勇気を出して昼間の事を聴いてみる事にした。ナターシャはうっすらと笑みを浮かべて「今日のあんたは酔っ払いの様だったよ、少し吐いたみたいだったから無理やり着替えさせたんだ、とても恥ずかしがって大変だった」と言った。私の絆創膏だらけの顔が見る見る赤くなっているのを感じた。「トイレは使ったの?」彼女にそう質問され私が小さくうなずくと「小便は五回ぐらいは吸収剤が吸い取ってくれる、大便は吸収剤ごと取り出して、そこにあるビニール袋に入れてくれれば、私が捨てるからここにおいて置きなさい。臭いが出ないようにこうしてビニールはきっちり封をしなさい、あとトイレ自体の臭いが気になる時はこの吸収剤を足しなさい、わかった?」そう言って私に簡易トイレの使用方法を教えてくれ、もって来た食事を広げるとこの狭い地下室の中で私と共に食事をとり始めた。「娘が嫁いでからは食事がいつも一人なの…一人の食事は味気ないのよ…うちの旦那が生きていれば良かったんだけど…旦那が死んでしまった時にはまだ子供が小さくて…この集落に残って旦那の土地を息子に継がせるには族長の言う事を聞くしかなかった…あんたも知ってのとうり終いには娼婦まがいの事もする様になった…息子は私に話しかけても来ない、ほんの100メートル先にすんでいるのにね…逃げ出せるものならこの集落を逃げ出したい…」ナターシャは大叔父の屋敷にいる時以外のいつもの悲しげな様子でそう言った。ナターシャはそれ以上自分の事を話すことは無かった。二人とも黙り込んで、ただ静かで穏やかな時間をすごした。食事も終わりナターシャが食器を片付けている時、不意にこう話を始めた「族長はスタルニスが復学を拒んで集落にとどまった原因はあんたにあると思っている、スタルニスをたぶらかしたって、スタルニスはあんたとの好い仲を否定してだいぶ痛い目にあってるみたいだ。」私は崩れ落ちる感覚と同時に頭のてっぺんから血の気が引いていくのを感じた。スタルニスが私をかばっている、私の頭は真っ白になり、目の焦点が合わなくなっていると、ナターシャがいきなり私の肩をつかんで「いいよく聞きなさい!」と私を強く揺らしながら言うと「いいよく聞いて、明日は武器の横流しがある!ゲリラも直接買いに来る大掛かりなものになるわ!集落の男達は大忙しになるし、もちろん私もこの家を留守にする、意味わかる?スタルニスが明日の朝まで口を割らなければ、スタルニスの監視もあんたの監視も手薄になるわ!意味わかるわね!あんた達は生きなさい!いいわね!しっかりやりなさい!」ナターシャの目には涙が浮かんでいた。なぜ?どうして?彼女に聞いてみたい事は山ほどあったのだが、彼女はそのまま地下室を出てしまったので、私は彼女の気持ちに触れる事は出来なかった。彼女は本当に私達を手助けするつもりなのだろうか?私の心の中には彼女に対しての疑念が直ぐに沸き起こって来た。私達の手助けをして彼女には何の得もない、それどころか私達の手助けをした事はすぐに大叔父にばれるだろう、集落からの追放が目に浮かぶ、なのにどうしてあんな事を私に言ってしまったのだろうか?私達への罠なのかもしれない、私の心はこの理解できない事態と植えつけられた恐怖心によって、酷く荒んでしまっていた。私は成り行きのわからぬ混沌の中で一夜を過し、不安のまま次の日の朝を迎えた。ナターシャは昼近くになって地下室へと現れ二、三日分の食料にはなるだろうと言って、乾パンとペットボトルの水そしてドライフルーツの缶詰を麻の袋に入れて渡してくれた。私は彼女に何か不振な素振りはないかと注視していたが彼女はそうする事が義務であるかのように、私達の旅立ちを見送ろうとしていた。“彼女は本当に私達の手助けをしようとしているの?”私の中に今まで感じた事のない驚きが湧き上がっていた。「夜の十二時まではここでじっとしていなさい、スタルニスが来るにしてもあんたが行くにしても必ずうまく行くようにするわ、それと家を出る時にキッチンの食器棚の上にある2000ルブルを持っていく事、いいわね私はもう屋敷に向かうからあんたとは最後になるかも…最後になる事を祈っているわ、じゃあね、エミル。」私は彼女を疑った自分に恥ずかしさ感じた、せめてもの償いにと想い私は出来るだけの笑顔で彼女に「ありがとう」と最後に言う事が出来た。ナターシャは私の頬笑みを見届けると静かに地下室を後にして行った。
ナターシャが地下室を出て行ってから少しずつ時間をかさねるにつれ、私の緊張は次第に高なって行った“スタルニスは本当に迎えに来てくれるだろうか?”“スタルニスが迎えに来ないときはどうやって彼の元に向かえばいいの?”“この集落をどうやって逃げ出せばいいの?”私の頭の中はどこを向いても不安ばかりだった。極度の緊張からか私はじっとしている事が出来ずに、地下室の中をウロウロとしたり、立ったり座ったりを繰り返していた。そして夜の11時を迎えた頃、地上から聞こえて来た大きな物音にビクリとした。私の身体はそれが合図となって小刻みに震えだした、地上の物音はドアを蹴破る音から、何かを探るような物音に変わっていった。私はスタルニスが来たと確信が持てずに、声を掛けるかどうかためらった。私が迷っている間に地上から「エミル!!」と私を呼ぶスタルニスの声が聞こえて来た。私は「スタルニスここに居るわ!」と大きな声で答えた。スタルニスはキッチンの隠し扉を開け、細い階段を下りてカンヌキをはずし地下室のドアをものすごい勢いで開いた。私はスタルニスの姿を見た途端、涙があふれ泣きつくようにスタルニスの足元に崩れ落ちた。スタルニスは崩れ落ちた私の身体を強く抱き上げ「ナターシャがここに居ると言ってた!今日は軍人が来ていて!今日を逃したら君を連れ出す事ができないと教えられた!どうしても君と一緒になりたかったんだ!屋敷には大勢人が居たけど何とか抜け出す事ができた!」スタルニスは明らかな興奮で話しの前後がつながっていなかった。そしてスタルニスの顔には殴られた傷がはっきりと残されていた。「あいつ等には全てを話せと殴られたけど、僕は口を割らなかった!ただの話し相手だと言い続けた!あいつ等は僕たちの事は知らない!今なら必ず逃げられる二人で前に話したノミノのキャンプに向かおう!国境を越えてこの国から逃げ出そう!二人で誰にも見つからない所まで行って何時までも二人で生きよう!」私は彼の肩で涙をぬぐい震える声で「一緒にどこまでも逃げましょう」と彼に答え、不安を打ち消すようにスタルニスの唇に私の唇をかさねていた。
口づけの余韻は静かに二人の再会を祝福している様だった。従属され利用され続ける集落から逃げ切る事を決意した私達は、少しばかりの食料と棚の上に置かれたナターシャの温情を持って彼女の家を抜け出し、あたりに人影がないことを確認して、連綿と続く麦畑と牧草地へと足を踏み入れていった。私達は集落と村とを結ぶ道路を避け漆黒の闇に包まれた麦畑をつらぬき、集落の境界線から十数キロはなれたドミニスタンへと続く国道を目指した。私は暗闇の畑の中で幾度となく転びそうになり、何度となく息を切らして足を止めていた。スタルニスはそんな私をやさしく励まし、握っている手を強くしっかりと握り直してくれた。私にとってこの握り締められた手だけが前へと進むべき道筋であり、明日へとつながる希望であった。私達は一体どのくらい走り続けただろうか?腕時計を見ても過ぎている時間の短さにまるで現実感がない。スタルニスの顔にも無我夢中の表情は消えて、疲労の色が濃くなって来た。私は勇気を出して少し休む事を提案するも、スタルニスにはあっさりと否定された。「夜明けまでには国道の近くまで行きたい、休むにしても森の中に入らなければ安心はできない、とにかくもう少しがんばろう。」私は彼の意見が正しい事を信じて走り続けた、息も続かない苦しみの中で私達はようやく集落の境界へとたどり着いた。ここから先は数キロほど森が続いている、スタルニスは方角を見失わないように境界線沿いを数百メートルほど進み、国道の方向へと続く獣道を探し当てた。スタルニスはおもむろに立ち止まり、森の中では何があるか解らないので、危険を感じたら直ぐに道を外れて隠れる場所を探す事と、ゲリラや連邦軍が仕掛けた爆弾や地雷に注意する事を教えられた。私達は森の中へと入り丹念に足元と辺りを注意しながら歩いていたため、畑を進んだようには移動する事が出来なかった。森の中には傾斜がありちょっとした登山の様だった、足元は非常に悪く滑りやすかった。疲労と睡魔が容赦なく襲う、私はついに耐え切れなくなってその場にしゃがみ込み「スタルニス待って!」と声を上げてしまった。近づいて来た彼は「大丈夫かい?」と声を掛けてくれた。彼の息もかなり乱れていて「少しここで休憩しよう」と言ってくれた。私達はしばらく息を整えるのに集中していたが、呼吸が整ってくるとお互いを見つめ合いながら何とも言えない微笑みを交わした。「エミル…君には言っていなかったけれども、僕は君と初めてあった時から君の事が気になっていたんだ。」意外な彼の告白に私は少し驚いた。「初めてって、いつ?」私は聞かずにはいれず、彼は恥ずかしそうに告白を続けた。「父に連れられて農道を歩いている時、君とすれ違った時からだよ…族長の屋敷に監禁されてからも、君の噂話を聞く度に君の事が気になってしかたなかった…だから部屋を抜け出して会いに行ったんだ。君の事はすぐに好きになったけど、僕は妹の血縁結婚に反対していたからとても言い出せなかった…結局僕はずるいやり方で君に告白させてしまった…すまなかったと今でも思っている。」私は彼の話を聞きとてもうれしく、そしてこんな事に引きずり込んでしまった心のつかえが少し楽になっていくのを感じた。私は彼に寄り添い時折たわいのない話をして一時間程の休憩時間をすごした。再び歩き出した私達は無事に森を抜け出し、荒涼とした伐採地に辿り着いたのは明け方になった頃で国道まではあと5km程の距離だった。途中に民家が幾つかあったが人気はまるで無く、休む事も考えたが先を急ぐ事を選んだ。スタルニスは私達が進んでいる方向に少々不安があった様だが、進路を進めるにつれて不安を自信に変えている様子がうかがえた。私達が国道を見渡せる丘まで着いた時、彼は国道を指差し大喜びをしていた。私もなんだか嬉しくなって彼と抱き合い喜びを分かち合った。
国道に入りドミニスタンへと続く道を歩き始めた私達は、ほんの数kmも歩かないうちに連邦軍の簡易検問所に足止めを食らった。検問所では十台ほどのトラックが止められていて、中には外国の人道支援団体の車もあった。運が良いのか悪いのかこの簡易検問所は身分証などのチェックは一切なく軍人達の小遣い稼ぎの検問所であった為、私達はナターシャのお金を使い一人につき100ルブルを支払って、兵士達に笑顔で見送られながら検問所を通過していった。検問所から10kmほど行くと小さな村があり国道沿いにはいくつかの露店も出ていた。私達は露店で売られていた水を買入し、この村で何時間か休憩をとる事に決めた。私達は国道から外れた小さな広場を見つけ、ここで食事を取り寄り添いながら浅い眠りについた。夏の強い日差しで目覚めたのは14時頃、目を覚ました私の身体は筋肉の痛みで悲鳴を上げていて、隣に居たスタルニスも同様に痛みを感じているようだった。私達は支え合いながら立ち上がり、ヨロヨロとまるで老人の様に再び歩きはじめた。夕方近くになると村にも国道にも人の気配が無くなって来る、例えすれ違う人がいたとしても皆不振そうな顔をして私達を見るだけで誰も気に留めたりはしない。夜の移動は出来るだけ避けたい、安全に身を隠せる場所を見付けて朝を迎えたかった。私達は国道を進みながらも、夜を明かせる場所がないか目を凝らして探していた。休憩をとった村から10kmほど進んだ道端で、越境者と思われる一団がテントを連ねて夜を明かそうとしていた。越境者の人々は焚き木を囲みながら食事を取ったり大声で話をしたりしていた。その様子からはこの付近が安全な場所である事がうかがえた。辺りはすっかり日が暮れていてこれ以上の移動は危険を伴った。私達はこの集団から少し距離をとり、彼らの様子を注視しながら身体を休める事にした。越境者の人々は私達の存在に気付いた様だったが、とくに声を掛けて来たりはしなかった。彼らも私達を警戒しているのだ“見知らぬ者には関わらない”彼らと私達、そしてこの国の人々の掟であった。とても厳しい現実ではあるが、そんな寂しさも今の私達にはありがたい事もある。私達は夜の寒さを身を寄せ合いながらしのぎ、ただ二人でいる事の現実を噛締めながら明日へとつなぐための眠りについていた。
「エミル!!」「エミル!!」遠くから私を呼ぶ声が聞こえる、その声は明らかに危険が差し迫っている事を知らせていた。私が目を覚ますとスタルニスが数人の男達に羽交い絞めにされ殴られている。私は一瞬なにが起こっているのか理解できなかったが「エミル逃げろ!!」「早く逃げろ!!」と言う彼の声で頭で考えるよりも早く、集落の人間に見付かった事を理解した。私はこの時逃げるとか、彼を助けるとかそんな事は考えもしなかった。ただ本能に従う様にして立ち上がり、彼の居る方に向かおうとしていた。次の瞬間、私が耳にしたのは後頭部から広がる鈍い音で、私の頭の中では何かが弾ける様にして身体の力が抜けていく感覚と目の前がチカチカと白くなり意識が薄れていくのを感じていた。
私がうっすらと意識を取り戻した時には、私は車に後部座席に押し込められており車はスピードを出して走行していた。私は頭に感じる痛みを何とかしたいと思って後頭部に手を当てようとしたのだが、手は思うように上がって来なかった。私の両手足が縛られていたからだったが、私がこの状態に気が付くほど私の意識はハッキリとはしていなかった。私は訳も解らずどうする事も出来ないままただもがいていた。そんな私の姿を見てだろうか、助手席にいた誰かが私を覗き込み私を馬鹿にしながら笑っている様子がうかがえた。私は助手席の男に笑われているのが悔しくて身体を動かすのを止め、もう一度目を閉じて今の状態を把握するために考えを集中する事にした。考えをめぐらせ始めた私の頭の中では、バラバラの想いと考えが交錯し意識は次第に深い闇の中へと押し戻されて行った。私がしっかりとした意識で現在の状態を把握できた時には、車は既に停車していて車の中には誰も乗っていなかった。車の外は暗闇を増しており空は夜の装いを見せ始めていた。私は身を持ち上げ車の外を覗いてみると、車の前にはタラの息子のロザルが居て私を見張っているようだった。そして車が停車していた場所は見覚えがある打ち捨てられた納屋の前であった、そうここは呪われた地クルコエの集落だった。私の身体からは見る見るうちに血の気が引き、身体の芯から止めようもないほどの震えが湧き上がって来た。納屋の前には車が数台と集落の半分ぐらいの人々が集まっていて、納屋の左側の窪地には数人の女性達の人だかりが出来ていた。女性達はしきりに右往左往している、私が目を凝らして見てみると女性達の輪の中でうずくまり殴られている人がいる事が解った。私はギョッとして身を竦ませたが、どうしても吊し上げにあっている人を確認しなければならないと言う思いに駆られた“もしかしてナターシャでは?”私の頭の中にはこの逃避行を手助けしてくれた彼女の名前が浮かび上がった。私はもう一度目を見開いて見てみたが、殴られている人物がナターシャであるかどうかは確認がとれなかった。なおも私が女性達の方を眺めていると、車の前に居るロザルが車の窓を叩いて窓から離れろと言うジェスチャーをしていた。ここでは何が行われているのだろうか?私の頭は恐怖で一杯になっていた。
私が目を覚ましてから二時間ほど過ぎた頃、納屋の中からイルスが出て来てロザルにこっちに来る様にと言う合図をしていた。ロザルは後部座席の方に回り込みドアを開け「いいか!騒いだら殺す!逃げ出しても殺す!おとなしくしていろ!」と私を脅すと、私の足を縛っている縄を外し始めた。私はこの時あの納屋で殺されるのだと言う事を悟った。私は大叔父に殺される、大叔父の屋敷に来た時から感じていた死の恐怖が現実になろうとしていた。死が目前に迫った私の身体は力を失い、ロザルに引きずられるようにして一歩一歩納屋へと近付いて行った。納屋へと連れ込まれる私を見て納屋の前に居た人々は、蔑む様な眼差しで見つめていた。中には私に向かって売女と言う人やメスブタと言う人がいて、私刑を受ける私の罪状を説明していた。納屋の前に集まる人々から少し離れた所には泣き崩れているスタルニスの父と母、そしてミールとそれを慰めているアニスの姿を確認する事が出来た。私は吊し上げをしていた女性達の方も見てみたが、殴られていたのが誰だったのかはやはり確認する事は出来なかった。納屋の入口に立っていたイルスが扉を開けて中に通されると、納屋の中には大叔父とイグシス、タラの夫やネイラの二人の息子、ハトコのイサ、ナターシャの息子ニグリなどの姿があった。私は小突かれながら大叔父の前まで行くと耕耘機に縛りつけられ、ボコボコにされたスタルニスの姿を見つけた。私は思わず「スタルニス!」と声を張り上げると、間髪いれず大叔父の杖が私の頬をとらえた。大叔父は私に何を言うわけでもなく、ただ強い憎しみの眼差しで私を睨み付けていた。私は一瞬その目にたじろいだが、それでもスタルニスの名前を呼び続けた。スタルニスはぐったりしていたが意識は有る様で、ゆっくりと私の方を見て“エミル…エミル…”とかぼそい声を上げていた。私達の心のつながりを大叔父はどの様に感じたのだろうか?しばらく私達の様子を見ていた大叔父は「ロザル言われた通りにやれ…カノマとアリを中に入れろ。」とだけ言い残し納屋の外へと出て行ってしまった。私はついに殺されるのだと思い「おねがい!スタルニスは殺さないで!!」とロザルに哀願すると、ロザルはいつものイヤらしい笑みで私を見つめ、私の襟首を掴み持ち上げて右手を振りかざすと私の頬を思い切り平手打ちした。私は殴られた勢いで足がもつれ地面へと倒れこむと、ロザルはスタルニスの方を振り返り「エミルはな!!エミルはこの俺が嫁にもらうはずだったんだぞ!!」「それをこのクソガキが!!」と叫ぶとスタルニスを数回殴り、血走った目で私を見つめ「よく見とけ!スタルニス!」と言って私に近付き、私の着ていた服を引き千切り始めた。私はロザルの行動に完全にパニックに陥り、今まで出した事のない叫び声で悲鳴を上げた。私の少し離れたところではスタルニスが大声で止めろと叫んでいる、私は千切られた服を全身全霊の力で押さえてあらわになった素肌を隠そうとしていた。ロザルは固く組まれた私の腕を引き離そうと躍起になっている、私はロザルの手に力が入る度に悲鳴を出し続けた。私の抵抗が強固だったからかロザルの手は次第にスカートの中へと伸びて行き、私の股をまさぐり始めていた。耐え切れないロザルの体臭と臭い息に吐き気を感じる、ロザルの重い身体がのしかかり逃げ出す事ができない。私はより一層声を張り上げ何とかこの状況を抜け出そうとしていた、何よりもこんな恥ずかしい姿をスタルニスに見られたく無い。私がそう思った時、ロザルが「うるせぇ!」と声を上げ、固く握り締められた拳で私の顎を何度も殴ってきた。私の口の中は一瞬にして血が一杯になり、身体の力は徐々に失われて行った。口の中の血が喉をつまらせ声を上げる事が出来ない、私が口の中に広がる血の味を充分に感じた次の瞬間、何かが腹の下を引き裂く様な痛みが頭の先まで伝わって来た。それはとてつもない痛みで身体の中に何かを押し込められている様な感覚であった。私がこの未知の痛みに狼狽しているとロザルは「スタルニスめ!見たか!!エミルは処女だ!このインポ野郎!!」と叫びながら身体を上下させていた。私はロザルのこの言葉で自分がレイプされている事を知った。私の頭は真っ白になった、現実を受け入れない方向へ思考が流れて行く、納屋の中にはこの様子を見ている数人の人々と最愛のスタルニスがいる、殴られた顎の痛みも下腹部に感じる痛みも全ての感覚を断ち切り消えてしまいたかった。ロザルがどのくらい私の中にいたのかは解らないが、ロザルは大声で気持ち悪い叫び声を上げ私の体を引き離すと、ロザルは傍らにいたアニヤの双子の兄であるカノマを引き寄せた。カノマはロザルの手引きで私の中に入ると、今まで見た事の無い様な笑みを浮かべ、奇声を上げながら私の上で腰を振り続けていた。カノマの腰の振りが一段と速くなり息を切らせて私に覆いかぶさった後、ロザルはカノマを私から引き離し納屋の隅の方に居たアリに何かを話しかけていた。アリは輪姦の仲間に入るのを嫌がっていた様だったが、ロザルに馬鹿にされ捲くし立てられる感じで結局私の中に入ってきた。私がまわされている間ロザルは終始上機嫌であった。ロザルの私に対するサディスティックな行動の裏には、頭脳明晰なスタルニスへのコンプレックスがあったのだろう、ロザルは私をレイプする事でスタルニスへのコンプレックスを晴らそうとしていた。納屋の中にいた人々はこの惨状に気が引けたのだろうか?事が終わる度に一人また一人とその姿を消して行った。最後にもう一度ロザルが入って来た時、私はスタルニスの方を見てみたがスタルニスは項垂れ大粒の涙を流していた。私の記憶は途切れがちだがこの時のスタルニスの姿はハッキリと覚えている、私の心の傷はこのスタルニスの姿に起因しており、どうする事も出来ない絶望の象徴になってしまった。ロザルのサド振りは更に度を増し、私の首を締め上げながら私が苦しむ表情を見て私を犯していた。顔も体も血だらけの女をいたぶり陵辱して快楽を貪っていた。私はあの様な人間の顔を今まで見たことが無い、鬼畜と言うのはあの様な人間を言うのだろう、ロザルは十分楽しんだ後、息を切らせて地面の上に寝転がった。そしてスタルニスに一言二言なにかを話しかけていた。スタルニスは何も答えなかったが、ロザルはズボンをたくし上げ納屋の外へと出て行った。 何故かは解らないが納屋の人々は消え去り、私とスタルニスだけが残された。しばらくの静寂の後、私は何とかしてスタルニスの元へと近付き彼にどうしても謝りたいと思った。私は這いずりながら彼に近付いたが、彼に数cm近付く度に全身に圧し掛かる様な痛みと天地が覆る様なめまいに襲われ始めた。
「ごめんなさい、泣かないで、ごめんなさい」
私は残る力を振り絞りせめて声だけは彼に届かせようと努力したのだが、だらんとして血が一杯になった私の口からは声を思うように響かせる事ができなかった。私は辛い思いをさせたスタルニスに謝る事も出来ずに、そのまま意識を失い生も死も夢も現実も無い今を迎えることになってしまった。今私が彼に許しを乞う機会は永遠に失われ様としている…それが私に唯一残された後悔であり、今の私の罪…そしてそれこそが私にかけられたクルコエの本当の呪いなのかもしれない。