フナムシの唄
高校生の自分が書くのは変な気がします。
私はフナムシが嫌いではない。むしろ好きだ。波にさらわれるのを恐れてザワザワと逃げ回る音、家の壁をコソコソと這い回る音、そして登った壁からポトンと落ちる音は私をこの上なく和ませる。もう私も七十になるが、用事のない日は一日中眺めていても飽きない。
私は今年の夏からこの家にに住んでいる。海のそばに立つ船屋で、幼少期はここで育った。若い頃の記憶は今でもまだ鮮明に残っていて、ときどきフナムシを見ながら思い出したりもする。
若い頃はそれほど好きではなかった。床を歩き回っても見向きもしなかった。寝ているときに体の上に乗られても、気にする様子もなく寝続けられる自信があった。それはまるで空気だった。
私が青年だったある日、浅い眠りから覚めた頭の下に違和感があった。跳ね起きてそれを見てみると死んで粉々になったフナムシだった。一瞬だけ気の毒な気持ちになったが、若い私はすぐに髪の心配をし始めた。小さな命はゴミ箱に葬られた。
この家に住むきっかけとなったのは父の死だ。結婚をしていない私の肉親は父だけだった。妹がいたが六年前に死んだ。母もその翌年に亡くなった。そして父も今年の春に天に召された。一番不健康な父がその娘より後というのはどうも神様の皮肉のようにしか思えなかった。
葬式の喪主は私が務めた。生前顔の広かった父なので葬式の参列者は妹や母よりは多いだろうと予想したが、そこまで多いわけでもなく、もしかしたら少なかったかも知れない。死人に口なしということわざが浮かんだ。
私はふるさとに帰ることを決めた。年金暮らしの始まっていた私に家賃を払いながら生活する能力はない。それに父がいなくなった今、先祖の墓を護れるのは私だけだった。使っていた家財道具を売り払い、単身で引っ越しを済ませた。
この家に戻ってきて気付いたことがある。私は若い頃、とりわけ十代後半の頃は虫が妙に嫌いだった。フナムシ以外の虫は目に触れることさえ嫌がった。ゴキブリがよく出る家なので出るたびに早く独り暮らしをしたいと思っていた。
幼い頃はそうではなかった。ゴキブリを意識して見ることはなかったし、フナムシと同程度に思っていた。つまりはただの虫だったのである。
最近になってゴキブリにも寛容になれるようになった。同居人として殺し合いなどがあってはならない。ましてや私からの一方的な殺戮があってはならない。それはフナムシについても一緒で、寝る前は必ず枕を確認するようにしている。
こうなったのは死が近づいたからだろうか。父が死んでから、より一層身近に感じるようになった。私はもうじき死ぬのだ。その前のささやかな時間をここで消化する。この生まれ育った船屋で、フナムシと一緒に最後の刻を過ごす。
私は足音を聞いていた。他でもない死の足音だ。それはフナムシと共にやってきて波を避けるかのように去っていく。私の親もその親もそうしてこの世を去った。今度は私の番、今まで眺めるだけだったフナムシの中で私は波にさらされた砂城のように溶けていく。それはちょうどフナムシの大きさまで浸食され、海に帰っていった。
お読みいただきありがとうございました。今回はホラーをやめて文学に挑戦しました。何かによく似ていたらごめんなさい。文学はあまり読まないのでかぶっていない自信はありません。一時間で書き上げたので短かくてすいません。