Plants・Plants
聞いた話によるとその白い大きな洋風のお屋敷には、天涯孤独で変わり者な植物学者と、小さなドールマニアの少女が住んでいるらしい。
【ドールマニア】
少女、アリーシャはいつものようにポストを覗くが、今日も手紙は来なかった。
小さく溜め息を吐いて、アリーシャは何も気にしていない風に装って踵を返し、屋敷にある自分の部屋に戻ってすぐにまた外に飛び出した。
そして少女は同じ屋敷に住んでいる学者の部屋へと足を忍ばせる。
学者の部屋は難しい本が沢山天井近くまで積み上げられており、勝手に入ると危ないからと学者がいる時以外は鍵がかけられていた。
学者は植物の研究をしているせいか、庭にもこの部屋にも一年中さまざまな花や植物が溢れているし、外には学者専用の温室もある。
時には酷い匂いを出す植物もあるが、そういう種類のものは学者が秘密の部屋に隠したと言っていた。
アリーシャは花は好きだが、学者の研究する植物の殆どには興味を全く示さなかった。
何故かと言えば、アリーシャには大切なものが出来たからだ。
「ジュリアが壊れたの。見てちょうだい」
「どれ?」
アリーシャが人形を差し出すと、学者は優しい眼差しで少女に笑いかけ、そっと繊細な仕草で人形を受け取った。
「ふむふむ。ゴムをつけかえれば直るよ」
アリーシャが持っていた少女の人形は足がだらんと脱臼したようになっており、その人形を片手に持ちながら学者は椅子から立ち上がった。
新しいゴムを取りに行くのだ。
「ジュリアは初めてサンタがくれたプレゼントよ。最初で最後だったけど、気まぐれだったのかしら」
「どうかな」
「だけど私は嬉しかったの。この子は私のたった一人のお友達だもの。どんなに人形を集めたって、この子以上のお人形はない」
「よかったじゃないか」
人形を持ちながら歩く学者の後をついて歩きながら、アリーシャは無表情のまま言った」
「あなたの目はまるでクリスマスのようだわ。雪のように冷たい髪も、もみの緑とサンタのローブのような緑と赤い目も、まるで誂えたよう」
「なんだそりゃ」
「本当よ。とても綺麗な色だわ」
「・・・・・・ありがとう」
学者のお礼の言葉に、アリーシャは言いたいことを終えて満足したのか何も反応を返さなかった。
【植物学者】
オイルランプを灯した部屋で、徹夜で書類に目を通していた学者はいつのまにか眠ってしまっていたことに気付いた。
机の上でふと目が覚めた時、オイルランプはいつのまにか消え、群青がかっていた窓の外は雲の流れる青空へと変化していることに気付いた。
皺の付いてしまった書類を出来るだけ手で伸ばして直し、涎がついていないか確認してから学者はうんと伸びをした。
しぱしぱする両目をしばし揉み解し、また書類に目を向ける。
最近見つかったとある植物学者の百年前に書かれた原稿を、とある伝を使ってコピーしたものだ。
植物の研究がどこまで進んでいたかという事と同時に、百年前のその土地の様子も分かる重要な文献であった為に、つい夢中になって読んでしまっていたのだ。
そろそろアリーシャがお腹をすかせて突撃する頃だろうと学者は薄く笑いつつ、うっかり目に入れてしまった文章に再び目を通し始めてしまった。
しばらくしてからアリーシャの突撃を食らい、寝不足と空腹でアリーシャごと床に倒れてしまったのは自業自得である。
そんな調子でいつものように朝食も昼食もなんとか済ませ、ティータイムの紅茶とお菓子はかかさずに楽しみ、再び書類に目を通し始めた。
早く読んでしまいたいのには訳があった。
ここの所、毎日のように遊びにきている近所に住むアリーシャと同じ年頃の少年が、今日まで学校の行事で数日出かけているのだ。
少年が来るとアリーシャが喜ぶから良いのだが、元気が良すぎて声が漏れ聞こえてくるために集中できない日も少なくは無い。
そして一番厄介なのはこの少年が遊びに来ると、学者は決まってまともな食事を要求されることになるのだ。
学者の主な生命源はジャンクフードばかりだったからであり、たまに出される食事もジャンクフードになってしまうからであった。
「ガクシャー!」
窓の外から聞こえた声変わり前の少年の声に、学者は睨んでいた書類から視線を外し、大げさな動作で額に手を当てた。
「・・・は~」
実に面倒くさそうな溜め息を吐き出すのは、この学者が研究以外のことには途端に物臭になる人間だからであった。
【鍋】
学者が料理をしようとすると、食卓に並ぶメニューは決まって鍋だった。
学者の一番好きな料理なのだそうだ。
「にあわねぇ」
「だってこんなに植物が入ってる料理って他にないだろ。
ほら大根も植物。
きのこも植物。
豆腐だって大豆は植物」
「肉団子はなんなんだよ」
「肉団子にだって植物をいれるじゃないか。
小麦粉の麦は地面に?」
「・・・生えてる」
「醤油の大豆は?」
「・・・生えてる」
「胡椒の原料は?」
「生えてる」
「ね」
「豚はなんなんだよ!豚は!」
「・・・・草食だから許す」
「意味わかんねぇよ」
「ちなみに紅茶も」
「生えてるわね」
「生えてたらいいんかいっ」
無表情で納得したような物言いのアリーシャに、少年は突っ込むのは忘れない。
【奇妙な共同生活、その結果】
「彼は普段はジャンクフードばかり食べているし、かと思えばアリーシャに逆らえずレストランに行ったり。アリーシャには無関心なようで実は優しい、という観察結果が出ています。アリーシャはいい意味で自由に生活できているようですし、彼があげた人形が発端で人形集めが趣味になっているようです。これまでの報告結果はいかがですか?所長」
「・・・・・・うむ、問題ない」
「それからもう一つ付け加えておきますと、アリーシャは常に部屋とポストを行き来するだけの時間が一番長いようです。一体誰の手紙を待っているのでしょうね?」
「・・・・・・報告ご苦労。もう暫く観察を続けてくれたまえ」
「・・・・・・素直に娘の様子が気になるとおっしゃったらどうですか?所長。たまたま近所に住んでいるからといって私や私の息子まで巻き込まないでください」
「あぁ、感謝している。だが、私はまだあの子に会うわけにはいかん。あのボンクラな学者に預けなければいけない状況も不満極まりないが、今だけの辛抱だ。もう少しだけ様子を窺ってみてくれないかね」
「それなんですけど、娘さん、あの家にいることは苦痛ではないみたいですよ?最近では学者さんと一緒にアイスを食べて笑っていたりだとかって聞きましたが?ボンクラと言う割には屋敷も立派だし、お金はあるみたいですね」
「・・・・・・・」
苦渋の表情で頭を抱えてしまった上司に密かに舌を出し、私はいつのまに日課になってしまった少女と学者の観察日記をつけるべく、今日も机に向かってノートを開いた。
日記の最初から読み返してみれば、少しずつではあるが少女の心が学者に向かって開いているのが分かる。
今までたった一人だった父親と娘が心から通じ合える日は、実はそう絶望的に遠いわけではないんじゃないかと思いながら、私は陽気な気持ちになりペンをくるりと回した。
インクが上司の脳天に飛んだ事は内緒だ。