第1話 目覚めた場所
「――お前は死んだのだ」
声が聞こえた。
男なのか、女なのか。
若いのか、年老いているのか。
それすら分からない。
そもそも――ここはどこだ?
目を開けようとする。
だが、開かない。
いや。
目がない。
手も。
足も。
身体そのものが存在しない。
何も見えない。
何も聞こえない。
何も感じない。
ただ、自分の意識だけが暗闇の中に浮かんでいる。
そんな奇妙な感覚だった。
「……俺、死んだのか?」
確か最後の記憶は、自分の部屋で眠りについたところだったはずだ。
事故に遭った覚えもない。
病気だった覚えもない。
なのに――死んだ?
混乱する俺を無視するように、声は続けた。
「この世界で何を成すかは、貴様次第だ」
「……は?」
待て。
この世界?
どういう意味だ?
「ちょっと待ってくれ! 説明くらい――」
声は答えなかった。
代わりに、意識が急速に遠のいていく。
「おい! 待てって!」
何も分からないまま、俺の意識は再び暗闇へと沈んでいった。
◇
「……ん」
眩しい。
今度は目が開いた。
身体もある。
手を握る。
動く。
足もある。
恐る恐る自分の身体を確認する。
「……俺だ」
少なくとも、見た目は以前の俺と変わっていないように見える。
死んだと言われたのに、身体はそのまま。
どういうことだ?
転生というより、これじゃ転移じゃないか?
いや、それより――。
「ここ、どこだよ……」
立ち上がって周囲を見渡す。
何もない。
本当に何もない。
乾ききった大地。
転がる岩。
遠くまで続く荒野。
木どころか、草一本まともに生えていない。
空はどんよりと濁り、風が吹くたびに砂埃が舞う。
どう見ても、日本ではない。
俺の頭に、一つの可能性が浮かんだ。
「まさか……異世界?」
死んだ。
謎の声。
知らない土地。
これだけ条件が揃っている。
だったら――。
俺は右手を前に突き出した。
「ステータスオープン!」
…………。
何も起きない。
「……ステータス!」
…………。
「オープン!」
…………。
風が虚しく吹き抜けた。
「何も出ねえじゃん!」
異世界転生といえば、ステータスだろ!
普通、ここで名前とかレベルとかスキルとか出るんじゃないのか!?
「じゃあ魔法か?」
手のひらを前に向ける。
「ファイア!」
…………。
「ファイアボール!」
…………。
「……無理ゲーじゃん」
何も分からない。
能力もない。
説明してくれる神様もいない。
あるのは、果てしなく続く荒野だけ。
「と、とりあえず人を探そう」
どこかに街か村くらいあるはずだ。
俺は適当に方向を決めて歩き始めた。
◇
――甘かった。
何時間歩いたのか。
いや。
何日経ったのかすら、途中から分からなくなった。
「み、水……」
喉が焼けるように痛い。
腹も減った。
この荒野には食べられそうなものが何もない。
水場すら見つからない。
夜になれば冷え込み、昼になれば容赦なく日差しが照りつける。
それでも歩いた。
止まったら、本当に死ぬ気がしたからだ。
「死んだって言われて……異世界来て……また死ぬのかよ……」
笑えない。
足が重い。
視界がぼやける。
それでも、前へ進む。
そのときだった。
「……あれ?」
遠くに何か見える。
建物?
目を擦る。
「村……?」
小さい。
まだかなり遠い。
蜃気楼かもしれない。
それでもいい。
俺は残った力を振り絞った。
「人……いるかもしれない……!」
一歩。
また一歩。
足を前へ出す。
だが――。
――ドスン。
「……?」
地面が揺れた。
――ドスン。
――ドスン。
揺れが大きくなっていく。
「な、なんだ……?」
振り返る。
遠くから巨大な何かが近づいてきていた。
「……は?」
四足歩行の巨大な生物。
岩のような鱗に覆われた身体。
太い脚。
長い尾。
どう見ても――。
「ドラゴン!?」
逃げないと。
そう思った。
だが身体が動かない。
「いやいやいや……異世界初の生物がドラゴンって……」
無理だろ。
俺、武器すら持ってないぞ。
巨大な生物は俺の目の前まで来ると、その足を止めた。
土煙が舞う。
俺は尻餅をついた。
終わった。
そう思った――そのとき。
「……人間?」
声がした。
「え?」
巨大な生物の背中。
そこに――誰かが乗っている。
女だ。
風になびく銀色の髪。
褐色の肌から伸びる、長く尖った耳。
どう見ても、人間じゃない。
「なんで人間がこんなところにいる?」
女が俺を見下ろしている。
その姿を見て、朦朧とした頭に一つの言葉が浮かんだ。
「ダーク……エルフ?」
女の眉がわずかに動いた。
ドラゴン。
ダークエルフ。
見渡す限りの荒野。
ここまで来れば、もう疑いようがない。
「……本当に、異世界なんだ」
そう口にした途端、張り詰めていたものが切れた。
安心したからなのか。
それとも、単純に限界だったのか。
急に身体から力が抜ける。
「おい?」
女の声が聞こえる。
だが、もう目を開けていられない。
「ちょっと待て。お前――」
そこで。
俺の意識は途切れた。




