表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/13

人のつながり

 意識が遠のいてから、どれくらい経っただろう。


 気が付いたら、朝の光に照らされていた。雀のさえずる音が聞こえる。

 あまりにも静かな部屋の中で、わたしは茫然と天井を見詰めた。

 蛍光灯の傘が、わずかに揺れている。


「……夢、だったの……? 」


 だとしたらひどい夢、そう思って上半身を起こした。

 居間へ続くふすまが開け放たれている。

 ローテーブルの近くに、聡子ちゃんのボストンバッグが放り出されていた。

 聡子ちゃんの姿は、ない。

 また、先に出かけたんだろうか。


 布団の上であぐらをかくと、右目をこする。

 あんな夢を見たあとだからか、妙にまぶたがむくんで、見づらい。


「……? 」


 右目をこすった手の甲を見て、わたしは目を見開いた。

 血が、ついてる。


「まさか――」


 あわてて洗面台の前へ走り、顔を確認する。

 無機質な鏡の向こうには、生々しい傷を負ったわたしが居た。

 右目から顎にかけて、細かい擦り傷がたくさんある。


 どうして。


 背筋に悪寒が走り、思わず体を両腕でぎゅっと抱きしめる。

 悪夢のような戯事は、現実だった。

 傷に塗りこむように付着した塩が、ぽろぽろと顔から落ちる。


 彼女は、いったい何者なの?


 冷や汗が首筋を伝う。


 目覚まし時計のアラームが鳴って、わたしは我に返った。


「学校……行かなきゃ」


 染みる擦り傷に触れないように顔を洗う。

 救急箱から包帯を取り出して巻いてみたけど、上手くできなくてミイラみたいになった。


 この格好で大学に行くのは気が重い。


 けれど、家に居るのも怖かった。


 床に座り込んで途方に暮れる。

 こんなこと、誰に相談したらいいんだろう?


「……お父さん」


 携帯電話で実家にかけてみるけど、誰も出ない。

 そう今は一日で一番忙しいとき。お父さんもお母さんも電話に出れない。


 八コール目に呼び出しが切れて、わたしの中の何かも切れた。

 噛み締めた唇から嗚咽おえつが漏れて、顔に巻いた包帯を涙がぬらす。


「やだよ、やだよ――。どうして誰も電話に出ないの」


 涙が頬の傷に染みて、余計に悲しくなって。

 そのまま泣きじゃくりそうになった。

 頭の中に晴香の言葉がよみがえるまでは。


――もし、一人でなんともできなくなったら、いつでも電話してきていーよ。


 カタカタ震える指で携帯電話のボタンを押す。

 アドレス帳の中の、晴香の名前。


「お願い、出て――」


 祈るように呟くわたしの耳に、聞きなれた声が携帯電話を通して聞こえた。


『もしもし、由美? どーしたのこんな朝早くに』


 あくびの音が聞こえ、雑踏の音も聞こえる。

 もう家を出ているみたいだ。


「晴香、あのね、……」


 口を開いたけれど、何と言ったらいいかわからない。

 昨日のあれは、本当にあったことなのか。

 聡子ちゃんは、本当に聡子ちゃんなのか。


 黙りこむわたしに、晴香は携帯電話の向こうで声のトーンを落とした。


『……何かあった? ちょっと待ってね、静かなとこ行くから』


「うん――」


 雑踏の音が遠のき、衣擦れの音が聞こえた。どこかの壁にもたれかかったらしい。


『おっけー。で、どうしたの? 』


「……助けて、晴香――」


 悩んだ末、口に出せたのはそれだけだった。

 自分自身でも、うまく話をまとめられない。

 だけど、たったそれだけで晴香は察したようだった。

 重苦しい沈黙が続いている。


『由美、大学来れる? 詳しく話を聞かせて』


「顔に怪我しちゃって――人前には出たくないの。……でも、家に居るのも怖いし」


『家でなんか嫌なことが起こったんだね。待ってて、今から迎えにいく。わたしの家で話そう』


 うん、と答える。

 地下鉄乗るから電話切るね、と言って、通話が終わった。


 それから数十分間、心細い気持ちで晴香を待ち続けた。

 インターホンの音とともに晴香がやってきて、玄関扉を開ける。


 わたしの姿を見て、晴香は一瞬ひるんだみたいだった。


「う、うわ……。由美、だいじょうぶ? 」


 うなづくわたしに、晴香は険しい顔で家の中を覗きこんだ。


「ごめん、凹んでるとこ悪いんだけどきいてもいい? もしかして彼氏に殴られたりとかした? 」


「まさか。そもそも彼氏まだいないよ」


「じゃあ、あのバッグ誰の? 」


 やっぱり晴香は鋭い。


 あのボストンバッグが聡子ちゃんのものだと話すべきか否か、わたしはまだ迷っていた。

 沈黙するわたしを見て、晴香は深入りせず扉から身を引く。


「おーけーわかった。誰にでも秘密のひとつや二つあるよね」


「――ごめん」


 頭を下げると、結ぶのがゆるかったのか、包帯の端がほどけた。

 細かな擦り傷だらけの右顔面を見て、晴香の表情が固まる。


「ゆ、由美――それ――」


 わたしを指す手が震えている。もう隠し切れない。

 目を伏せると、わたしは口を開いた。


「話したいことって、これなの。二日前から一緒に暮らしてる人がいるんだけど、その人の様子がおかしいの」


「おかしいって――具体的にどんな感じよ? 」


「……金縛りにあってるときに襲ってきたり、塩を部屋にいたり。目があったり、なかったり」


 わたしの言葉に、晴香はボブカットの頭を抑えて後退りした。


「な、なんかオカルトチック。一応、相手は人間なんだよね? 」


「昼間は普通にしてるみたい。友達もたくさんいるし」


 友達、と晴香が繰り返し、呆れ果てた表情をしている。

 ……晴香、信じてくれないのかな。


 知らず知らず解けた包帯を握る手に力が入る。

 友達に信じてもらえなかったら。

 本当に一人ぼっちになってしまう。


 見捨てないで、そう言いかける寸前。

 晴香が決意した顔で携帯電話を取り出した。


「……電話? 」


「うん。ひかるに。あの子、確かこーいうことに詳しかったはず」


 晃。その名前を聞いて、わたしも思い出した。

 長い黒髪の女の子。最初はちゃんと講義に出ていたけれど、段々と姿を見せなくなった。

 たまにメールを送るんだけど、返事がまともだったためしがない。

 そんな子が電話に出るだろうか。


 疑い半分で見詰めていると、晴香の顔が明るくなった。

 二言三言交わして、晴香が携帯電話を閉じる。


「来てくれるって。わたしの家に直で行くみたいだから、わたし達も急ごう」


「う、うん」


 急いで包帯を巻きなおし、晴香と一緒にエレベータへ向かう。

 ボタンを押して待つわたし達の横で、排水パイプがカタカタと揺れていた。

 風も、ないのに。


 気が付いて、おもわず握り締めた家の鍵が、冷たく肌に食い込んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ