準、まさかの添い寝事件〜理性は沈み、モフがすべてを支配する〜
夜。霧ヶ崎神社の客間。
狭霧がまだ療養中だった。
準がお見舞いに来て、泊まることになっていた。
狭霧は眠っていた。
朔夜が縁側に座っていた。
ライフルを膝に置いて、夜空を見ていた。
準が隣に座った。
「狭霧、少し熱が下がったみたいだな」
「……うんにゃ。でもまだあるにゃ」
「明日には回復するといいんだが」
「……にゃ」
静寂。
夜の神社は静かだった。
風の音だけがした。
「……朔夜、眠くないのか」
「……猫又は夜が長いにゃ」
「そうか」
「……準にゃんは?」
「眠れない。狭霧のことが心配で」
「……にゃ」
朔夜が夜空を見た。
「……準にゃん」
「なんだ」
「……ぼく、今日——ねえちゃんのそばにいてもいいにゃ?」
「いいぞ」
「……じゃあ、準にゃんのそばにもいてもいいにゃ?」
「……それは、どういう意味だ」
「……一緒に、いたいにゃ」
準が朔夜を見た。
おっとりした顔だった。
黄色の瞳が、月明かりに照らされていた。
「……えあがんはどうする」
「……持っていくにゃ」
「えあがんを持ちながら添い寝をするのか」
「……えあがんにゃ」
「えあがんを持ちながら添い寝するのは危ない気がするが」
「……えあがんにゃ」
準の脳内で会議が始まった。
理性代表・加賀の幻影が言った。
「準、冷静になれ。朔夜は200年生きた猫又だが、外見は13歳相当だ。倫理委員会案件だ」
煩悩代表・雅紀の幻影が言った。
「でも猫又だぞ。200年生きてる。外見年齢は関係ない。モフは正義だ」
「どっちも黙れ」と準(心の中で)。
朔夜が準を見た。
「……どうするにゃ?」
「……わかった。来い」
「……にゃ」
その頃。
縁側に瑞羽がいた。
「……妾も」
「何だ」と準。
「……妾も、今夜はここに泊まる」
「なんで」
「一尾の看病をしているからじゃ。夜中に容体が変わったら妾が対処する」
「それは合理的だな」
「合理的じゃろ」
「でも——」
「でも何じゃ」
「部屋が狭い」
「妾は三尾の妖狐じゃ。それなりに場所を取る」
「それはわかってる」
「妾の尾を踏むな」
「踏まない」
「踏んだら承知せんぞ」
「踏まない」
「……では泊まる」
「勝手に決めるな」
「決めた」
「聞いてないぞ」
「今聞かせた」
準が額に手を当てた。
「……脳内の加賀が"ここで断れ"と言ってる」
「断るな」と瑞羽。
「なんで聞こえてるんだ」
「聞こえていない。でも表情でわかる」
「……」
準が黙った。
「……わかった。泊まっていい」
「許可は要らない。泊まると言った」
「……なんでこの会話が成立してるんだ」
「妾の会話は全て成立する」
「それもよくわからない論理だ」
「妾の論理は全て正しい」
「……そうか」
「そうじゃ」
夜中。
準が横になっていた。
右に朔夜がいた。
おっとりした顔で眠っていた。
二本の尻尾が、準の周りに巻かれていた。
「……尻尾、温かいな」
朔夜が眠ったまま、準の胸に顔を埋めた。
「……にゃ……」
「……」
準が天井を見た。
(これは倫理的に問題があるのか)
(朔夜は200年生きた猫又だ)
(外見は13歳相当だが実年齢は200年以上だ)
(でも外見が13歳相当というのが問題だ)
(脳内加賀、どう判断する)
「……限界だ」と脳内加賀。
「どっちの意味で」
「倫理的限界ではなく、この状況の複雑さの限界だ。判断不能だ」
「参考にならない」
左に、瑞羽がいた。
三本の尾が広がっていた。
眠っていなかった。
目を開けていた。
「……眠れないのか」と準。
「……妾は夜を警戒するものじゃ」と瑞羽(小声)。
「看病のために起きているのか」
「……そうじゃ」
「……心配してるんだな」
「……している」
「素直に言えたな」
「……夜中は本音が出やすい」
「そうか」
「……鈴木殿」
「準でいい」
「……準」
「なんだ」
「……一尾は、回復するか」
準が少し間を置いた。
「回復する。狭霧は強い」
「……そうじゃな」
「お前も知ってるはずだろ」
「……知っている。でも……」
「でも?」
「……弱っているのを見ると……不安になるのじゃ」
「……お前も心配するんだな」
「……するじゃろ。数百年の付き合いじゃ」
「数百年、一緒にいたのか」
「……ずっとではない。でも長い」
「……そうか」
「……煩わしいが、いなくなられては困る」
「それが友情か」
「……友情と呼ぶかどうかは知らん。でも——」
瑞羽が少し間を置いた。
「……消えてほしくない、とは思う」
準が天井を見た。
「……俺も同じだ」
「……そうか」
「狭霧がいなくなったら——俺は困る」
「……困る以上のことを感じているのではないか」
「……そうかもしれない」
「……まあ、そうじゃろうな」
しばらく静寂があった。
「……準」
「なんだ」
「……妾、今夜は静かにしていてやる」
「……ありがとな、瑞羽」
「……礼は不要じゃ」
「言いたかったから言った」
「……まあ、好きにしろ」
瑞羽が目を閉じた。
眠ったかどうかはわからなかった。
でも静かだった。
翌朝。
準が目を開けた。
右に朔夜がいた。
「……おはようにゃ」
「おはよう」
朔夜が準の頬に顔をすりつけた。
「……にゃ」
「……」
「……どうしたにゃ?」
「……いや、その——」
「……尊い、と思ってるにゃ?」
「……正直に言うと、そうだ」
「……ぼくもそう思うにゃ」
「自分で言うのか」
「……にゃ」
左の瑞羽が、もうどこかに行っていた。
気配がなかった。
窓が少し開いていた。
夜明けの風が入ってきた。
狭霧の部屋。
狭霧が目を開けた。
少し顔色が良くなっていた。
「……準殿が……泊まったようじゃな」
式神が言った。
「朔夜と、あと瑞羽も」
「……瑞羽が?」
「心配していたようです」
狭霧が少し間を置いた。
「……そうか」
「嫉妬ですか、狭霧様?」
狭霧が窓の外を見た。
朝の光が、境内に差し込んでいた。
「……嫉妬ではない」
「では?」
「……安心した、と言うのが正確じゃ。準殿も、瑞羽も——我の心配をしておった。それで十分じゃ」
「十分なのですか」
「……十分じゃ」
狭霧が布団の中で、小さく笑った。
熱が少し下がっていた。
大学。翌日。
「おい準、顔色がやばいぞ。徹夜か」と雅紀。
「違う……モフと戦ってたんだよ……」
「何その言い方、交番で通じないぞ」と加賀。
「交番には行かない。行くつもりもない」
「で、どうだった」と細田。
「何が」
「モフとの戦い」
準が少し間を置いた。
「……負けた。でも怪我はない」
「どういう意味だ」
「走り屋が峠でスピンしたようなものだ。コースアウトしたが車は無事だった」
「車で例えるな」と加賀。
「走り屋だから車で例える」
「そうだな」
朱音がメモ帳に書いた。
「準:添い寝事件。朔夜と瑞羽と一晩を過ごした。倫理的判断は保留。準の顔色が悪かった——モフとの戦いに負けた、と言った。でも怪我はない、とも言った」
「瑞羽:夜中、"消えてほしくない"と言った。数百年の付き合いという理由で——狭霧への感情として記録しておく」
「狭霧:安心した、と言った——準と瑞羽が心配してくれたから。これも記録しておく」




