どうでもいいとき役立つ鉄研
翌日。大学。
細田がまだ凹んでいた。
「……俺、もう外歩けない」
「冤罪って言っても、ネットで"疑惑のフィット男"で定着してるしな」と準。
「まとめサイトに"車の音で痴漢を察知するオタク"と書かれてた」と雅紀。
「誰がそんな機能を持ってるんだ」
「加賀なら持ってそうだ」と細田。
「持っていない」と加賀。
「でも走り屋はエンジン音で全部わかるんだろ」
「エンジン音と人間の挙動は別の話だ」
「気分転換にどっか行くか。東上線以外で」と加賀。
「もう電車もトラウマなんだけど——」
研究棟のドアが勢いよく開いた。
高坂が出てきた。
「聞き捨てならんな」
「お前、また来たのか」と加賀。
「電車に怯える者を救うのは我々の使命だ」
「使命というのはどこから来るんだ」
「前回言ったことをまだ覚えていない」と高坂。
「覚えている。ただ使命の根拠を聞いた」
「鉄道を愛する者の責任だ」
「前回と同じ答えだ」
「前回と同じ答えで正しいからだ」
加賀が少し間を置いた。
「……マジで役に立つな、どうでもいいときに」
「どうでもよくない」と高坂。
「お前らにとっては重大だということはわかってる。俺たちにとっては——まあ、役に立つということだ」
高坂が少し黙った。
「……認めてもらえたのか」
「認めた。でも生涯わかり合えないという立場は変わらない」
「何が違うんだ」
「走り屋と鉄道は根本的に違う」
「どう違うんだ」
「走り屋は自分でハンドルを握る。電車は他の人間が走らせる。その差だ」
高坂がまた黙った。
「……それは認める」
「珍しく認めたな」と準。
「事実だから認める」
「じゃあフィールドワークに行こう」と高坂(切り替えが早い)。
「どこに」
「和光市駅だ」
和光市駅。
ホームに全員が立っていた。
S・H・B、治安維持部隊、鉄研。
「見ろ、この東上線のホームだ。歴史を感じるだろう」と高坂。
「感じないな」と加賀。
「感じてみろ」
「感じない」
「TJライナーだ」と三輪。
「被写体は逃がすな」と佐野。
カメラを構えた。
「撮り鉄のテンションが怖い」と細田。
「やっぱり車の方が平和だな」と加賀(小声)。
「聞こえてるぞ」と高坂。
「言っていいことと悪いことの区別はわかっている。でも事実だ」
「車が好きなのはわかった。でも今日は電車だ」
「今日だけだ」
「今日だけでいい」
電車が来た。
乗り込んだ。
細田が吊革を掴んだ。
両手で。
「こ、この位置で合ってるか」と細田(高坂に小声で)。
「合っている。安全ポイントNo.1だ」と高坂(小声で)。
「万が一また——」
「起きない。データがある」
「データが——」
「信じろ」
電車が動いた。
次の駅。
女子高生が乗ってきた。
細田が固まった。
(また隣にJK)
(手、ちゃんと吊革掴んでる)
(両手で)
(データ通りの位置にいる)
(大丈夫だ)
電車が走った。
何も起きなかった。
次の駅でも何も起きなかった。
終点まで何も起きなかった。
終点のホームに降りた。
「……無事に終点まで来た」と細田。
「やったじゃないか、細田」と準。
細田が高坂を見た。
「……お前のデータ、正しかった」
高坂が胸を張った。
「鉄道研究会を信じた者は報われる」
「大げさだ」と加賀。
「大げさではない」
「でも——」と細田。「今日だけは、ありがとな」
高坂が少し間を置いた。
「……どういたしまして」
「それだけだ」と加賀。
「それだけでいい」と高坂。
佐野が細田を撮影していた。
「感動的な瞬間で——」
「撮るな」と細田、加賀、高坂(同時)。
「……フヒヒww」
「笑うな」と全員。
帰り道。
「鉄道は人生の縮図だ。停車もあれば、急行もある」と高坂。
「俺は車で踏切を渡る方が好きデスYO」とマイケル。
「俺も」と加賀。
「俺も」と準。
「俺も」と雅紀。
細田が少し間を置いた。
「……俺も」
高坂が全員を見た。
「全員裏切者じゃないか」
「裏切ってない」と加賀。「今日だけ電車に乗った。でも走り屋は車が好きだ。それは変わらない」
「一日で裏切るのか」
「裏切りではなく事実だ」
「事実でも悲しい」
「悲しいことは理解する。でも変わらない」
高坂が鉄研の二人を見た。
「……佐野、三輪」
「はい」
「今日の教訓を聞かせろ」
三輪が言った。
「……走り屋は電車に乗っても走り屋のままでした」
「それだけか」
「それだけです」
「……そうか」
高坂が前を向いた。
「次回は走り屋をこちら側に引き込む作戦を練る」
「来世でも無理だ」と加賀。
「来世まで待つ気はない。今生でやる」
「無理だ」
「やる」
「無理だ」
「やる」
準が小声で言った。
「……なんかこの会話、加賀と高坂が似てるな」
「似てない」と加賀と高坂(同時)。
「似てないにゃ」と朔夜(どこからか来ていた)。
「お前はいつここに来たんだ」と加賀。
「……ずっといたにゃ」
「気づかなかった」
「……猫又は気配を消せるにゃ」
「200年生きた猫又が和光市駅にいるのか」
「……どこにでもいるにゃ」
「そうだったな」
細田がフィットに乗って帰る日が来た。
車検が終わった。
「……ただいまフィット」
エンジンをかけた。
パパン。パパン。ヴィィン……
L15AのVTECが目を覚ました。
細田がステアリングを握った。
「……やっぱりこれだ。VTECの音が聞こえると全部どうでもよくなる」
「走り屋療法か」と加賀(隣で聞いていた)。
「療法じゃない。生活だ」
「俺が言った言葉だ」
「正しいから使った」
「そうか」
「ありがとな、加賀。セリカに乗せてくれた間」
「礼は走ってから言え、と言った」
「走った。だから今言った」
加賀が少し間を置いた。
「……そうだな」
二台が、夕方の駐車場を出た。
赤いセリカと白いフィットが、並んで川越街道に出た。
ヴォォォン。ヴィィン。
二種類のエンジン音が、夕暮れの道路に広がった。
朱音がメモ帳に書いた。
「鉄研:今回だけ役に立った。高坂の安全ポジションデータが細田のトラウマ克服に貢献した。でも分かり合ったわけではない。加賀:"生涯わかり合えない立場は変わらない"と言いながら"役に立つ"と認めた——走り屋と鉄研の関係性の記録として重要——記録しておく」
「細田:フィットが車検から戻った。L15AのVTECが目を覚ました。走り屋療法、成功——記録しておく」




