急に平和になると怖い
朝。サークル棟前。
いつもと違った。
静かだった。
エンジン音がしなかった。
怒鳴り声がしなかった。
爆発音がしなかった。
加賀が立っていた。
「……なあ」
「……ああ」と雅紀。
「……静かだな」と準。
「なんか逆にフラグが立ってる感じやめてくれ」と葵人。
鳥が鳴いていた。
風が気持ちよかった。
人通りも穏やかだった。
マイケルが空を見上げた。
「サークル棟が爆発してない日って、いつ以来デスカ?」
「言うな、フラグだ」と加賀。
「昨日、凛に爆破を宣言されたばっかだったもんな」と葵人。
「宣言だけで実行はされてない」と加賀。
「今日されるかもしれない」
「……それは困る」
準が周囲を見回した。
「狭霧と朔夜も、今日は来てない。瑞羽も来てない」
「瑞羽がいないのは助かる」と加賀。
「あの人、また来るって言ってたぞ」と準。
「知ってる。来たら困る」
「なんで」
「話が終わらないから」
雅紀が言った。
「舞花姉も"今日は何も起こらない日が必要"とか言って外出した」
「珍しい」と加賀。
「朱音もいない」と葵人。
「朱音がいないと記録されない」と準。
「記録されないことが起きるかもしれない」と葵人。
「それは怖いな」と加賀。
「なんで」
「朱音の記録がない日の出来事は、後から思い出せない気がする」
全員が少し間を置いた。
「……朱音がいないと不安になるのか、俺たち」と雅紀。
「なってるな」と加賀。
「記録者の存在意義が証明された」と準。
昼。
購買でパンを買っても、誰も争っていなかった。
自販機も壊れていなかった。
バイクも暴走していなかった。
鉄研の佐野も望遠レンズを向けてこなかった。
「……なあ」と葵人。「これ、フリーメイソンの実験じゃないか」
「またその路線か」と加賀。
「Maybe HAARP? Or aliens?」とマイケル。
「次に殺人事件が起こる回の前兆だろこれ」と雅紀。
「"世にも奇妙な物語"の入り口みたいな静けさだ」と準。
全員の背筋に冷たいものが走った。
「おい待て、今それを言うな」と加賀。
「なんで」
「言霊が強い。こういうことを言うと本当に始まる」
「廊下の照明、チカチカしてないか?」と葵人。
「見るな。気づくな。無視しろ」
「でもチカチカしてる」
「無視しろ」
「無視できない」
「……そうだな」と加賀。「チカチカしてるな」
全員が廊下を見た。
照明が、一定のリズムでちらついていた。
「……なんで誰も修理しないんだ」と加賀。
「管理組合に言わなきゃいけないんですが、言った人間がいない」と葵人。
「なんで」
「言いに行った瞬間に事件に巻き込まれそうで」
「それはただの回避だ」
「でも正しい判断だと思いませんか」
加賀が少し間を置いた。
「……正しい」
「でしょ」
「管理組合に言わずにいよう」
「それでいいんですか」
「今日は平和だ。維持する」
午後。
時計が止まった。
構内放送が流れなかった。
誰も騒いでいなかった。
空気が静かすぎた。
「……やっぱりおかしい」と準。
「埼玉で事件が起きていない時点で異常だ」と葵人。
「言霊が強すぎる、やめろ」と加賀。
マイケルが言った。
「If nothing happens… that means something already happened」
「翻訳するな、怖い」と雅紀。
「でも理屈としては正しい」と準。
「正しいから怖い」
外で風がビュウと吹き抜けた。
紙が舞い込んできた。
葵人が拾った。
「……何か書いてある」
「読むな」と加賀。
「読んでしまった」
「何と書いてあった」
「"静寂は前触れ"」
全員が黙った。
「……どこかの宗教団体のチラシか」と葵人。
「誰も貼っていないのに風で舞ってきた」と準。
「狭霧の仕業か」と加賀。
「狭霧は今日来ていない」
「瑞羽か」
「瑞羽もいない」
「大宮先生か」
「大宮先生は授業中だ、たぶん」
「……たぶん?」
「授業をサボって現場に来ることがある人だから」
「まあそうだな」
加賀がチラシを見た。
「"静寂は前触れ"——前触れなら、何かが来るということだ」
「何が来るんだ」
「わからない」
「わからないのに前触れと言うのか」
「前触れだからわからない」
準が少し間を置いた。
「……狭霧に聞けばわかるかもしれない」
「今日は来ていない」
「電話するか」
「妖狐に電話する方法を俺は知らない」
「LINEはある」
「……本当に?」
「第17話以来やり取りしてる」
「それはそれで問題がある気がするが」と雅紀。
「何が問題だ」
「妖狐とLINEしてる人間が正常かどうかという問題だ」
「正常じゃない」と加賀。「でも有用だ」
夜。E塔。
全員がまだいた。
帰れなかった。
平和すぎて、何かが起きそうで、帰れなかった。
マイケルがE塔のドアをそっと開けた。
「……Hello?」
誰もいなかった。
でも電気が点いていた。
壁を見た。
落書きがあった。
「次は誰?」と書かれていた。
「……これ、誰が書いたんだ」とマイケル。
「知らない」と加賀。
「怖くないのか」
「怖い。でも走れば怖くない」
「今から走るのか?」
「走る」
「一人で?」
「お前らがいれば一人じゃない」
マイケルが少し間を置いた。
「……それ、かっこいいヨ」
「かっこよくない。事実だ」
雅紀が言った。
「俺、今夜は帰りたくない」
「なんで」
「帰ったら何か起きそうで」
「帰らなかったら何か起きる」
「どっちみち起きるのか」
「起きる。埼玉だから」
「……じゃあ帰る」
「そうしろ」
準が言った。
「狭霧のとこ行く」
「平和な日に神社に行くのか」と雅紀。
「平和だからこそ行く。何も起きてない日に行くと、ただ話ができる」
加賀が少し間を置いた。
「……それは正しい」
「そうだろ」
「行ってこい」
全員が散らばった。
マイケルが最後に残った。
「……俺、部屋で一人は怖いYO」
「呼べ、雅紀を」と加賀(去り際)。
「いいのか」
「今日は平和だから大丈夫だ」
「平和な日は大丈夫なのか」
「わからない。でも平和な日は賭けに出る」
「走り屋の発想だYO」
「そうだ」
加賀がE塔を出た。
駐車場に、セリカが止まっていた。
乗り込んだ。
エンジンをかけた。
ヴォォォン。
静かな夜の空気の中、2ZZ-GEが目を覚ました。
「……静寂は前触れ」
加賀が呟いた。
「前触れなら、まだ何も起きていない。走れる時間がある」
シフトを入れた。
セリカが、静かな夜の川越街道に出た。
街灯が流れていく。
エンジンの音だけが、夜の空気に広がっていた。
(今夜だけは)
(静かだ)
(走るには、いい夜だ)
翌朝。
何も起きなかった。
「……何も起きなかったな」と葵人。
「そうだな」と加賀。
「"静寂は前触れ"のチラシは何だったんだ」
「わからない」
「怖くないか」
「起きなかったんだから結果としては問題なかった」
「でも起きなかったことが、次の前触れかもしれない」と準。
「言霊が強い、やめろ」と加賀。
「でも——」
「やめろ」
「……はい」
朱音が戻ってきた。
「昨日、何かあったか?」
「ない」と全員。
「何もない日だったのか」
「平和だった」
「珍しい」
「一番怖かった」と葵人。
朱音がメモ帳を開いた。
「記録のない日があった。何もない日だったとしても——記録がないことは記録しておく」
メモ帳に書いた。
「昨日:何も起きなかった。エンジン音だけが夜の川越街道に聞こえた——加賀が走っていた。これだけは確かだった。記録しておく」
「どうして加賀が走っていたとわかった?」と準。
「音が聞こえた。夜中に窓を開けたら、セリカの音がした」
「朱音、昨日来てなかったのに聞こえたのか」
「アパートから聞こえた。川越街道は近い」
加賀が少し間を置いた。
何も言わなかった。
でもセリカのキーを握った。
朱音がメモ帳に追記した。
「加賀:何も言わなかった。でもキーを握った。これも記録しておく」




