表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/59

歌詠み鈴木準

朝。文学部棟。

授業が始まる前の、静かな時間。

準が机に突っ伏していた。

机の上に、半紙と筆ペンが広げられていた。

葵人が横を通りかかった。

「おい準、授業中に巻物ひろげんなよ」

「……静かに。今、啓示が来てる」

「いやスマホ見ろよそれ」と雅紀。

「魂を詠んでる」

半紙の上に、墨の文字が並んでいた。

準が筆を置いた。

「……できた」

朗読した。

「『霧の朝 一尾の銀が 風に解け そこにあるのは 我が身の縁か』」

全員が数秒、黙った。

「……お前、今マジで平安時代の人間みたいだな」と葵人。

「"一尾の銀"って狭霧のことか」と雅紀。

「そうだ。朝の神社で霧が晴れるとき、狭霧の尾が霧に溶けるように見える。あの瞬間が忘れられない」

「映像は浮かんだ」と朱音(通りすがり)。

「朱音さんわかるか」

「わかる。悔しいけど」

マイケルが首をかしげた。

「"縁"って何ヨ?」

「えにし、と読む。運命的な繋がりのことだ」

「ロマンティックヨ!!」

「お前が言うと台無しだ」


昼。食堂。

準が、トレーを持ちながら窓の外を見ていた。

空に雲が流れていた。

突然、筆ペンを出した。

紙ナプキンに書いた。

「……できた」

葵人が横から覗いた。

「今度は何だ」

「食堂で詠んだ。昼の歌だ」

「「昼メシに魂込めるな」と朱音。

準が読み上げた。

「『冷や飯の 湯気も立たぬに 待ちわびて 箸を取るたび 君の香りす』」

葵人が止まった。

「……"君の香り"って何の香り?」

「狐の匂いだ。霧ヶ崎神社の、あの独特の香り。食堂でふと嗅いだ気がした」

「幻嗅じゃないか」と雅紀。

「幻でも香りは香りだ」

周囲の女子学生が、ざわつき始めていた。

「ねぇ、あの人すごく情緒ある」

「なんか、雅って感じ……」

葵人が立ち上がった。

「待て、騙されるな。あいつケモナーだぞ」

「愛の形に種族の壁はない」と準。

「壁はなくても法律はある!!」


夕方。霧ヶ崎神社。

準と狭霧が、石段に並んで座っていた。

夕日が、境内を橙色に染めていた。

狭霧の白い和装が、その光に照らされていた。

「……そなたの歌、悪くないのう」と狭霧。「心がこもっておる」

「我は褒めているのか」

「……そうじゃ。古の歌人に通ずる何かがある」

「恐縮です」と準。「あなたがいたから詠えるんです。あなたが題材だから」

「ふふ……まるで古の恋文のようじゃな」

風が吹いた。

狭霧の尾が、夕風になびいた。

準が半紙を出した。

「今日の一首です」

「聞こう」

準が読み上げた。

「『夕映えに 尾の銀一筋 揺れるとき 言葉を失い ただ在るのみ』」

静寂。

神社の木が、風に揺れた。

狭霧が前を向いたまま言った。

「……今のは、沁みたぞ」

「"少し"じゃなくて?」

「……沁みた、と言った」

準が少し間を置いた。

「……ありがとうございます」

狭霧の尾が、一度だけ大きく揺れた。

夕日が、境内の奥まで差し込んでいた。

「準」

「はい」

「もう一首、詠め。我が聞く」

準が少し考えた。

それから、静かに詠んだ。

「『問うならば 答えは霧に 消えるとも 消えた霧こそ 我が帰る場所』」

狭霧が、ゆっくりと目を閉じた。

「……よき歌じゃ」

「ありがとうございます」

「……我のことを詠んでおるな」

「そうです」

「……隠さんのか」

「隠せません」

狭霧がまた黙った。

月が出始めていた。

夕日と月が、同時に空にある時間。

「……次に来るとき、また詠め」

「必ず」


夜。S・H・B部室。

壁が、半紙で埋まっていた。

「うわ、なんだこれ」と雅紀。

「"銀""霧""尾""神社""夕映え"しか単語出てねぇ!!」と葵人。

「お前、サークルの方向性完全に崩してるからな」と加賀。

マイケルが感心したように言った。

「新ジャンル"JDM×百人一首"ヨ!!」

「もう自動車サークルじゃなくて文学結社じゃん」と朱音。

舞花が一枚の半紙を手に取った。

「……"走り屋和歌集"ってタイトルで出せるな、これ」

「出すな」と加賀。

大宮先生が顔を出した。

「聞いたぞ!! 準くんの歌、素晴らしい!! 文学部として誇りに思う!!!」

「先生、授業してください」

「授業より歌だ!!!!」

「「「「してください!!!!」」」」

準が壁の一首を指した。

「この一首だけ、みんなに読んでもらいたい」

全員が見た。

「『春暁や エンジンひとつ 目を覚ます 眠れる鉄に 魂宿りて』」

静寂。

葵人が言った。

「……これ、車の歌じゃないか」

「走り屋の歌だ」と準。

「"眠れる鉄"はエンジンで、"魂宿りて"は始動する瞬間のことか?」

「そうだ。狭霧に和歌を習ううちに気づいた。俺が感動するのは——狐の毛並みだけじゃない。エンジンが目覚める瞬間も、同じ感覚がある」

全員が黙った。

「……走り屋に戻ってきたな」と加賀。

「ずっと走り屋だよ」と準。

「俺が走るのは魂が動くからだ。魂を動かすものは——狐でも、エンジンでも、同じことだ」

「……詩人め」と雅紀。

「褒め言葉として受け取る」

大宮先生が涙をぬぐいながら言った。

「名人の域じゃ!!!!!!!!!!!!」

「先生が泣いてる」と葵人。

「文学の力です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「落ち着いてください!!!!」


朱音がメモ帳に書いた。

「準:和歌の才能、本物だった。狭霧に詠んだ三首——"霧の朝""夕映えに""問うならば"——どれも映像が鮮明で余韻がある。大宮先生が泣いた。記録しておく」

「"春暁やエンジンひとつ目を覚ます"——これは走り屋の歌だと思う。準は走り屋でもあった。忘れていたのは私たちの方かもしれない」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ