埼玉の赤き閃光。〜帰ってきた本来の主人公〜
E塔裏。夜。
誰もいない駐車場に、赤いセリカが止まっていた。
蛍光灯の下で、ボディが鈍く光っていた。
加賀練斗。工学部機械工学科三年。この物語の——本来の主人公。
加賀がセリカのボンネットに手を当てた。
金属が冷たかった。今日は乗っていなかった。
E塔の中から、準の声が聞こえてきた。
「狭霧様ぁ〜!!」
加賀がため息をついた。
(このままじゃ——)
(俺たちの話が、"ケモの呼吸・壱ノ型"になる。)
翌日。昼。
加賀がE塔の非常放送設備の前に立った。
マイクを手に取った。
「……いいか」
「S・H・B、緊急集会だ!! 今すぐE塔裏に出ろ!!」
学内放送が全棟に響いた。
3分後、E塔裏に全員が集まっていた。
S・H・B全員に加え、なぜか軽音サークルも来ていた。鉄研も来た。安藤も来た。凛も来た。朔夜がライフルを抱えて来た。狭霧が霧の中から現れた。
「どうしたよ加賀、テンション高いな」と葵人。
「また警察に捕まったのか」とマイケル。
「違う」
加賀が全員を見渡した。
「……お前ら、最近"走って"ないだろ」
全員が黙った。
「まぁ、最近のトレンドがケモと厨二だからな」と葵人。
「走るより萌える方が楽だし」と雅紀。
「おい! モフは裏切らないぞ!!」と準。
「うるせぇ黙れ、モフ神」
加賀が拳を握った。
「俺たちは"Saitama Hashiriya Boys"だ。走り屋だ。ハンドル握ってこそ俺たちだろうが」
静寂。
マイケルが言った。
「……久々に、燃えるナリ」
「よっしゃ走るか!!」と雅紀。
「L15AのVTECを鳴らしたい!!」と葵人。
「……でも狭霧と朔夜が——」と準。
凛が言った。
「……行け」
準が震えた。
朔夜がおっとりした顔で言った。
「……行ってくるにゃ、準にゃん。ぼくは待ってるにゃ」
「朔夜……!!」
「……便利な人間には、ちゃんと帰ってきてほしいにゃ」
「それが心配なのか!! 感情表現がサイコパスだ!!」
「……えあがんで撃たれたくなければ、ちゃんと帰ってくるにゃ」
「それは脅迫だ!!」
「……えあがんにゃ」
「えあがんが脅迫に使えるのか!!!」
狭霧が言った。
「……行け、準。走りなさい。ぼくらは、ここで待っておる」
「狭霧……!!!!」
「……感傷的になるな。走り屋は走れ。それだけだ」
深夜0時。
6台が、川越街道の起点に並んだ。
赤のセリカ——加賀練斗。
銀のノートNISMO——準。
黒のRX-8——雅紀。
白のフィット——葵人。
紺のレガシィ——マイケル。
赤いコルトラリーアート——大宮涼真。
大宮先生が降りてきて言った。
「諸君!! 夜明けまで走るぞ!!」
「先生、授業は」
「授業より走行だ!!」
「「「「「先生、授業してください!!!!」」」」」
「走行だ!!!!!!」
加賀がセリカのシートに座った。
ステアリングを握った。
ヴォォォン。
2ZZ-GEが、深夜の空気の中で吠えた。
右に、RX-8のロータリーが鳴いた。
キュィィィン。
左に、レガシィのEJ20ターボが唸った。
ドゥォォォン。
後ろから、ノートのHR16DEとフィットのL15Aが続いた。
ヴィィン。パパン。
大宮先生のコルト4G13が、最後に加わった。
ブォォン。
6台のエンジン音が、深夜の川越街道に響き合った。
加賀がシフトを入れた。
「……行くぞ」
走り始めた瞬間から、加賀には全部が戻ってきた。
路面の情報がステアリングを通じて手に伝わる。
乾いたアスファルトのグリップ。
街灯が、一定のリズムで流れていく。
速度計の針が上がっていく。
(これだ。)
(俺はずっと、これがやりたかった。)
1速、2速、3速、4速。
セリカが加速した。
5ZIGENのマフラーが、夜の空気を切り裂いた。
後ろから無線が入った。
「やっぱ本気のレン兄やべぇ!!」と準。
「これが——走り屋だ!!」と葵人。
「久しぶりに気持ちいいナリ!!!!」とマイケル。
「ロータリー、まだ死んでないぞ!!」と雅紀。
大宮先生が叫んだ。
「速度守れよォォ!!(一応顧問)」
「「「「「守りません!!!!!!!!!!」」」」」
5速、6速。
6台が、夜の川越街道を並んで走った。
夜が深くなるにつれて、道が空いていった。
信号が青に変わるたびに、6台が一斉に加速した。
6種類のエンジン音が、重なり合って夜の空気を震わせた。
加賀にはそれが——音楽のように聞こえた。
(バラバラなのに、一緒に走っている。)
(それが俺たちだ。)
走り続けた。
川越を抜けて、所沢へ。
所沢から狭山へ。
狭山から入間へ。
関越の下を抜けて、また川越に戻ってきた。
2時間、走り続けた。
夜明け前。
東の空が、少しだけ白み始めた頃。
6台が、川越街道の路肩に並んで止まった。
エンジンを止めた。
静かになった。
ピキ……ピキ……
6台のエンジンが、同時に冷え始めた。
金属が収縮する音が、朝の空気の中に散った。
全員が車を降りた。
東の空が、オレンジに染まり始めていた。
加賀がセリカのボンネットに手を当てた。
温かかった。
走り続けた熱が、まだそこにあった。
「……これだよ」
加賀が言った。
「これが俺たちの物語だ」
「やっぱ走るとスッキリするな」と雅紀。
「青春とは——排気音ナリ」とマイケル。
誰も笑わなかった。
笑えなかった——という意味ではなく。
その言葉が、正しすぎたから。
「ガソリン代が青春の敵だな」と葵人。
「往復で4000円飛んだ」と準。
「プライスレスだろ!!!!」とマイケル。
「プライスレスって言葉、そういう使い方するな!!」
大宮先生が空を見上げて言った。
「諸君——今夜の走行を、私は"文学的体験"として記録する!!」
「記録するな!!!!」
加賀がセリカの屋根に背中をつけて、空を見上げた。
朝焼けが、東の空に広がっていた。
赤と、オレンジと、わずかな紫。
「……準」
「なんだ」
「お前、今日、走れたか」
準が少し間を置いた。
「……走れた。ちゃんと走れた」
「よかった」
「加賀」
「なんだ」
「……狭霧と朔夜、待ってるな」
「待ってる」
「帰るか」
「帰る」
6台のエンジンが、順番にかかった。
ヴォォォン。キュィィン。ドゥォォン。ヴィィン。パパン。ブォォン。
6種類の音が、朝焼けの川越街道に広がった。
加賀がシフトを入れた。
セリカが、朝の光の中を走り始めた。
E塔裏に戻ったとき、朔夜が入口に座っていた。
将校マントを羽織って、ライフルを膝に置いて。
眠そうな目で、でも起きていた。
「……おかえりにゃ」
「ただいま」と準。
「……ちゃんと帰ってきたにゃ」
「帰ってきた」
「……便利な人間は、ちゃんと帰ってくるにゃ」
「それが心配だったのか」
朔夜が少し間を置いた。
「……わからないにゃ。でも——待ってたにゃ」
準が朔夜の頭に手を置いた。
「……ありがとな」
朔夜が何も言わなかった。
でも——尻尾が、大きく一度揺れた。
狭霧が霧の中から現れた。
「……良き走りであったか」
「良き走りだった」と加賀。
「……そうか」
狭霧が少し間を置いた。
「……走り屋の魂、まだ死んでいなかったな」
「最初から死んでない」
「……そうだな」
朝の空気の中、6台が並んで止まっていた。
エンジンはもう止まっていた。
でもボンネットはまだ温かかった。
加賀がセリカを見た。
「……お疲れ様」
誰も聞いていなかった。
でも——言いたかった。
朱音がメモ帳に書いた。
「走行:深夜0時〜夜明け前。川越→所沢→狭山→入間→川越。2時間。6台。全員無事。青春とは排気音ナリ——マイケルの言葉、記録しておく」
「付記:朔夜が入口で待っていた。ライフルを膝に置いて。眠そうに。でも待っていた。これは記録しておく」




