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安藤が灰島に殺されかけた日。〜恋愛って、命懸けなんだね(物理的に)〜

月曜の朝。

雅紀がキャンパスに来たとき、最初に気づいたのは匂いだった。

鉄の匂い。薄く、でも確かに。

中庭のベンチ。

白いコンクリートの上に、赤い文字が残っていた。

乾いた赤。夜露で少し滲んでいた。

指で書いたような跡。

「……LOVE」

「心霊現象?」と葵人。

「違う」と準。「灰島構文だ」

「なんでわかるんだ」

「文字の形が美しい。強く押した跡と、途中で迷った跡がある。"愛してる"とも"消える"とも読める」

「文学的に解説するな」と舞花。

朱音が棒付き飴を口から外した。

「……安藤は今日来てるか」

「朝一番に」と雅紀。

朱音がメモ帳に書いた。

「灰島凛:昨夜、血文字でLOVEと書いた。爪を使ったと思われる。安藤の身辺、要注意」

舞花が空を見上げた。

「……今日、何か起きるな」

「毎日何か起きてる」

「今日は特に、だ」


遡ること、昨日の昼。

安藤の教室。

凛が安藤の隣に座っていた。

安藤がスマホを出してロック画面を解除した。

その一瞬——凛の視線が画面に向いた。

壁紙。安藤の自撮り。その隣に、知らない女子が笑っていた。

「……これ」

「え?」

「誰?」

「あっ——ち、違うんだ凛ちゃん。ゼミの子で、たまたま写真撮って——」

「……そう」

凛の声は変わらなかった。怒っていなかった。

「そう、なんだよ。ただのゼミの——」

「……そう」

また言った。声のトーンが、同じだった。

安藤が少し待った。何か続くと思った。続かなかった。

「……凛ちゃん?」

「……じゃあ」

凛が安藤を見た。

目が——いつもと少し違った。

「……"証明"して」

「証明……って?」

「……命で」

廊下から準が叫んだ。

「でたァァァ」

「何聞いてんだお前」と安藤。

「全部聞こえてた」

「盗み聞きするな」


翌日。昼休み。学食前の広場。

「……逃げるな、安藤」

凛の声がした。

安藤が振り返った。

凛が、包丁を持っていた。キッチンペーパーで包んで持ってきていた。

「凛ちゃん、ナイフ——」

「……これは包丁」

「どっちでも怖い」

背景の一般学生が全員固まった。

朱音が静かに言った。「通報しよう」

舞花が止めた。「まだだ。灰島の目が"本気の教育モード"になってる。通報したら逆上する」

「教育モードと逆上の違いを説明してくれ」

「今は包丁を持って立ってるだけだ。通報したら走り出す」

「……なるほど」

マイケルが言った。「This is not romance。This is 戦場」

葵人が小声で言った。「でも、ちょっとお似合いじゃね?」

雅紀が答えた。「頭おかしいカップルとしては完璧だな」

凛がチョーカーをわずかに触れた。

「……逃げると、もっと好きになる」

安藤が叫んだ。「逆だろ」

そして走った。


安藤が全力で走っていた。

息が上がっていた。

上り階段、廊下、渡り廊下。

全速力だった。

振り返ると——凛がいた。

走っていなかった。

歩いていた。

普通の歩幅で、普通の速度で。

それなのに——距離が縮まっていた。

「なんで縮まってるんだ」

「お前が恐怖で足が鈍ってる」と舞花(無線)。

「無線持ってたのか」

「非常事態だから」

「助けてくれ」

「状況を見てから判断する」

「今が状況だろ」

凛が廊下の角を曲がった。

まっすぐ、こちらを見ていた。

目が——怒っていなかった。

それが一番怖かった。

怒っている目なら、説明すれば収まるかもしれない。

でも凛の目は——確認していた。

何かを、確かめようとしていた。

安藤が階段を駆け上がった。

屋上に出た。


夕暮れ。

屋上。

安藤が振り返った。

凛が扉から出てきた。

包丁を持ったまま。

風が吹いた。

凛の灰色の髪が揺れた。

「……俺、別に浮気してない」

「……うるさい」

「本当にゼミの子で——」

「……きえろ」

風が止んだ。

二人の間に、沈黙があった。

舞花が屋上の扉の隙間から見ていた。

「あー、アニメならBGMが"神聖かまってちゃん"流れるやつだ」

朱音が隣で言った。「現実なら警察が来るやつだ」

屋上で、安藤が動いた。

逃げなかった。

前に出た。

凛に向かって、一歩。

「……凛」

呼び捨てにしたのは初めてだった。

「俺は——お前を裏切ってない。でも——」

「……でも?」

「お前が信じないなら、俺には証明できない。写真を消しても、ゼミを抜けても——お前が信じないと決めたら、何をしても意味がない」

凛が止まった。

「だから——」

安藤が壁に背中をつけた。

「……証明できないなら、殺せ。でも殺しても——俺が浮気してないという事実は変わらない」

静寂。

凛が一歩、踏み出した。

包丁を上げた。

そして——

ガン。

包丁が、安藤の耳の横の壁に刺さった。

5センチ。

コンクリートの壁に、刃が半分めり込んでいた。

凛が安藤を見た。

真正面から。

「……生きてる」

安藤が答えた。「生きてる」

「……よかった」

凛の声が、わずかに変わった。

怒りでも確認でもなく——安堵だった。

「……よかった、って——」

「……殺したくなかった。でも——証明してほしかった」

安藤が壁から離れた。

包丁がまだ壁に刺さっていた。

「……お前、本当に——」

「……うるさい」

でも凛の目が、少しだけ——潤んでいた。

扉の隙間から、舞花が言った。

「……狭霧、出番なかったな」

狭霧が縁石の上から言った。

「……血で穢すには、この愛はあまりに滑稽だと言おうとしたが——必要なかったようだ」

朱音がメモ帳に書いた。

「安藤:壁に包丁を刺された。耳の横5センチ。凛:"よかった"と言った。これが凛なりの愛情表現と思われる。記録しておく」


夜。医務室。

安藤が包帯を巻かれていた。

耳を切っていた。5センチの差で、刃が耳をかすめた。

凛がベッドの隣に座っていた。

「……やっぱり俺、恋愛向いてないな」と安藤。

「……でも、まだ"彼氏"だから」と凛。

「条件が重い」

「……当然だ」

「俺が浮気してないこと、信じてくれたのか」

凛が少し間を置いた。

「……信じてない」

「え?」

「……信じるより、確かめる方が早い」

「包丁で確かめるな」

「……お前が逃げなかったから」

凛が包帯を見た。

「……逃げない人間は、嘘をついていない。逃げる人間は——何かを隠している」

「それはちょっと無理がある論理だ」

「……うるさい」

でも凛の手が、安藤の包帯の上に、そっと置かれた。

「……痛かった?」

「痛かった」

「……ごめん」

舞花が入口から言った。

「もう婚約より圧があるわ」

朱音が続けた。

「この二人が付き合ってる時点で治安が終わってる」

マイケルが親指を立てた。

「Saitama Love Story:Rated R-15」

凛が二人を見た。

「……見るな」

「見るよ」と舞花。「次やったら本当に警察呼ぶからな」

「……次はない」

「本当か?」

凛が少し間を置いた。

「……お前が浮気しなければ」

「しない」と安藤。

「……なら、ない」

安藤が天井を見上げた。

「……生きてて、よかった」

凛が前を向いたまま言った。

「……私も」

小さい声だった。

誰も笑わなかった。


翌朝。壁の包丁は、用務員が発見して撤去されていた。

コンクリートの壁に、小さな穴が残っていた。

加賀がそれを見て言った。

「……また何かあったな」

「安藤が凛に殺されかけた」と準。

「また?」

「また」

加賀が穴を見た。

「……5センチ、か」

「そうだ」

「……深いな」

「コンクリートに半分めり込んでた」

「包丁の話じゃない」

準が止まった。

加賀がセリカのキーを出した。

「……あいつら、ちゃんと生きてるな」

「生きてる」

「ならいい」

セリカのエンジンをかけた。

ヴォォォン。

朝の空気の中、2ZZ-GEが静かに回り始めた。


朱音がメモ帳に書いた。

「安藤×凛:修羅場、第2回完了。壁の穴:残った。凛:"よかった"と"ごめん"の両方を言った。これは凛にとって最大の謝罪だと思う。安藤:生きてる。それが一番重要——記録しておく」

「付記:加賀が"深いな"と言った。包丁の話じゃないと言った。この人、たまに鋭い」

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