脱走!生物学部のコブラ!
月曜の朝。
理学部棟・生物学科実験室。
榎本麻衣が飼育ケースを確認して、止まった。
「……あれ? 蓋、開いてね?」
天野奈々が振り返った。
「また阿部がイタズラしたの?」
「いや、ガチで知らん!!」と阿部亜里沙。「てか、何入ってたのコレ?」
「コブラ」と榎本。
「……は?」
沈黙。
天野が静かに言った。
「それ——毒あるやつだよね?」
「まぁ、**"結構ある"**ね」
「ヤバいじゃん!? てか大学で飼うな!!」
「実験用だったの!! 逃げるとは思わんじゃん!!」
「思えよ!!!!!!」
「緊急放送です。理学部生物学科の実験動物が脱走しました。関係者以外は近づかないでください。繰り返します——コブラが脱走しました」
廊下。
「Oh my god!! これ映画じゃん!!」とマイケル。
「誰だよ"実験動物"って聞いてネズミだと思ったやつ!!」と加賀。
「爬虫類フェチの俺です(即答)」と準。
「灰島構文来るぞ」と雅紀。
「……しね(冷静)」と凛。
「来た!!!」
マイケルが急に真顔になった。
「……待って」
「なんだ」
「コブラって言った?」
「言った」
マイケルの目が輝いた。
「シェルビーコブラ!?!?」
「蛇のコブラだ!!!!」
「Oh……」
マイケルが少し残念そうな顔をした。
「……シェルビーコブラは427ci V8、427馬力。あのボディに積んでる。アメリカの誇りヨ」
「今それを言う場面じゃない!!!!」
「でも——コブラって聞いたら反応するヨ!! アメリカ人として!!!」
「蛇を探せ!!!!」
廊下を走りながら、マイケルが言い続けた。
「てかコブラといえば——シェルビーマスタング GT500もコブラのエンブレムだヨ!!」
「走りながら言うな!!」と加賀。
「5.4リッターV8スーパーチャージャー!!ボンネットにコブラが描いてある!!カッコイイ!!!」
「蛇の話を聞けコブラの話をするな!!!」
「同じコブラヨ!!!」
「全然違う!!!!!!」
大宮先生が合流してきた。
「聞いたぞ!! コブラが出たと!!」
「先生、授業してください」
「コブラより興奮することがあるか!! 私のコルトだって——」
「コルトはダッジです」と朱音(通りすがり)。
「そう!! アメリカのブランド!! マスタングとは別の系譜だが——」
「蛇を探す話です!!!!」
マイケルと大宮先生が同時に叫んだ。
「「シェルビーコブラの427、あのフェンダーが!!」」
「二人とも黙れ!!!!!!」
E塔屋上。
舞花が全員を集めた。
「また理学部かよ……」
「火曜は平和だったのに……」と朱音。
「月曜な!!!」
舞花が作戦を立てた。
「生物棟を封鎖する。コブラは変温動物だから、冷えた場所に移動する可能性がある。地下か、倉庫だ」
「詳しいな」と加賀。
「爬虫類の逃走経路くらい知ってる」
「普通知らない!!!」
「音圧で倒す」
「え?」と準。
「軽音サークルに来てもらう。コブラは音に敏感だ。大音量で追い込んで——」
「音圧で倒すって本気で言ってたのか!!!!」
「真顔で言ってるが?」
朱音が棒付き飴を口から外した。
「……理論としては間違ってない。蛇は地面の振動を感じる。爆音のベース音なら動きを止められる可能性がある」
「朱音まで真顔で言うな!!!!」
理学部地下。
暗い廊下。
赤い非常灯だけが点いていた。
「……いた。倉庫の奥」と榎本(小声)。
「どのくらいの大きさ?」と加賀(小声)。
「1メートルくらい」
「でかい!!!!」と阿部(小声)。
「無理無理無理!! 私マジで爬虫類ダメ!!!」
「じゃあ下がってろ」
全員が倉庫の前で止まった。
コブラが、奥の棚の下に丸まっていた。
鎌首が、こちらに向いた。
シャアアアアッ!!
威嚇音。
全員が後ずさった。
マイケルが小声で言った。
「……シェルビーコブラのエンブレムと同じ顔してるヨ」
「今それを言うな!!!!」
「でも——怖くないヨ。本物のシェルビーの方が怖い。427馬力のトルクの方が命の危険がある」
「比べるな!!!!!!」
その瞬間。
凛が、全員の前に出た。
「……どけ」
静かな声だった。
全員が道を空けた。
凛が、倉庫の中に入っていった。
凛が、コブラに近づいた。
シャアアアッ!!
コブラが鎌首を上げた。
凛が止まらなかった。
「……凛!!!」と安藤。
「黙れ」
凛の目が、コブラを見ていた。
怯えていなかった。
怒ってもいなかった。
ただ——見ていた。
加賀の目と同じだった。
前を見る目。
引かない目。
凛がゆっくりと屈んだ。
手を伸ばした。
コブラが、もう一度威嚇した。
シャアアアッ。
凛の手が、コブラの首の後ろを——
握った。
シュルッ。
コブラが、凛の手の中で動きを止めた。
静寂。
「……冷たい」
凛が、コブラを見ながら言った。
「……嫌いじゃない」
全員が固まった。
「嫌いじゃないって言った!!!!!」
「やばい! 灰島構文、蛇にも使える!!!!!」
「使えるな」と朱音(真顔)。
安藤が震える声で言った。
「……凛ちゃん、かっこいい……」
「うるさい」
「かっこいい……!!!」
「うるさい!!!!!」
凛がコブラを持ったまま立ち上がった。
コブラは凛の腕に巻きついていた。
おとなしかった。
凛の体温と——あの静かな目に、落ち着いたのかもしれなかった。
「……榎本」
「は、はい!!」
「これを返す。ちゃんと管理しろ」
「あ、ありがとうございます……!!!!」
凛がコブラを榎本に渡した。
それから、腕についたコブラの鱗の跡を一瞥した。
「……思ったより力が弱い」
安藤が壁に手をついた。
「……俺、今、コブラに嫉妬してる」
「お前の方がよっぽど毒がある!!!!!!」
作戦終了後。
全員が理学部棟の前に集まっていた。
マイケルが真剣な顔で言った。
「……一個だけ言っていいデスカ?」
「なんだ」
「コブラが出たとき——俺、シェルビーマスタング GT500のことを考えてた」
「知ってる」
「あのコブラのエンブレム——ボンネットに描かれた蛇——あれは"力の象徴"ヨ。フォードがシェルビーに頼んで、マスタングに魂を入れた証拠」
「……それで?」
「コブラって、怖いだけじゃない。強さの象徴でもある」
間があった。
「凛さんが素手で捕まえたの——なんか、わかる気がするヨ。怖いものに近づける人間は——強いヨ」
全員が少し黙った。
凛が、マイケルを一瞥した。
「……」
何も言わなかった。
でも——「きえろ」も言わなかった。
安藤が小声で言った。
「……今のマイケル、かっこよかったな」
「たまにあるんだよな」と加賀。
「たまには言うな!!!!!!」
「コブラは無事保護されたよ」と榎本。
「うちのサークル、なんかバズってたんだけど。"蛇退治した大学生"で」と阿部。
「……この国終わってる」と凛。
「いや始まってるネ!!!!」とマイケル。
大宮先生が遠くから叫んだ。
「今回の事件——"蛇と人間の対峙"という文学的テーマで論文が書ける!!!」
「「「「「書くな!!!!!!」」」」」
呉からLINEが来た。
「お前んとこ、また何かやったろ。ニュース見た」
加賀が返信した。
「コブラ捕まえました」
3秒後。
「お前らの日常、もはや理解の外だ」
朱音がメモ帳に書いた。
「灰島凛:コブラを素手で捕獲。"冷たい、嫌いじゃない"——灰島構文、蛇にも適用可能と判明。マイケル:シェルビーコブラとの比較論、今回だけ的確だった。記録しておく」
「付記:シェルビーマスタング GT500のコブラエンブレム——確かに蛇は強さの象徴だ。凛さんが素手で捕まえたのは、たぶんそういうことだと思う」




