陰キャ走り屋、夜のドンキへ。〜社会的敗北と黄色フォグ〜
夜。
ドンキホーテの駐車場。
最初に感じるのは音だった。
ドゥン……ドゥン……ドゥン……
誰かの車のサブウーファーが、低音を駐車場全体に撒き散らしていた。
腹の底に直接響く、あの重低音。
音というより、振動だった。
次に光。
青白いLEDアンダーライトが、アスファルトを染めていた。
虹色に点滅するホイール。
紫のルームランプが窓から漏れている。
そして匂い。
排ガスとドンキの揚げ物と、誰かが吸っているタバコの煙が混ざって、夜の空気に漂っていた。
加賀が助手席の窓から外を見た。
「……おい。なんで俺らドンキ来てんの」
「知らん。マイケルが"夜の文化を学ぶ"とか言い出したんだ」と雅紀。
「ジャパニーズ・ヤンキー・カルチャー!! 学術的価値アリネ!!」とマイケル。
「こいつ、また妙なテンション入ってんな……」と細田。
駐車場の奥——改造車が数台、固まっていた。
シャコタンのシビック。
ド派手なエアロのランエボ。
窓を全開にしてユーロビートを流しているインプレッサ。
「……走り屋崩れか」と加賀。
「崩れじゃなくてちゃんとした走り屋かもしれないぞ」と準。
「ランエボにあのエアロ付けてる時点で崩れだ」
「断言すんの早ぇ!!」
後部座席で、狭霧が窓の外を見ていた。
無表情だった。
でも——目が、いつもより鋭かった。
「……俗世の魔境、とはこのことか」
「魔境は言い過ぎだろ」
「否」と狭霧。「我が封印される前、人間の夜はもっと暗かった。祭りの夜だけが明るかった。
今は——」
駐車場のLEDが、虹色に点滅した。
「——夜が光で埋まっておる。人間は、暗闇を恐れて光を撒き散らすようになったのか」
「哲学語ってる場合じゃ——」
「いや、それは合ってる気がする」と準。
「準は狭霧の言葉に全部共感するのをやめろ」
駐車場の奥から、声がした。
「おいオメェら、どっから来たァ!?」
改造シビックのドライバーが降りてきた。
族長と呼ぶしかない雰囲気の男だった。
「埼玉中央大学の自動車サークルです」と加賀。
「あン? 大学生?」
「そうです」
「……ふん」
族長が、加賀のセリカを見た。
視線がボディを上から下まで舐めた。
「ZZT231か。ノーマルじゃねぇな」
「BLITZのマフラーとECU」
「ほう」
族長がランエボの方を顎で示した。
「うちはランエボ7。あとシビックとインプだ」
「走りますか、峠」
「走る。お前らは?」
「走ります」
少し間があった。
族長が、加賀を改めて見た。
(こいつ——普通に走り屋だ。)
「……まぁ、邪魔しねぇから好きにしろ」
「ありがとうございます」
族長が戻っていった。
「え、案外普通に終わった」と雅紀。
「走り屋同士だから話が通じた」と加賀。
「マイケルが"アメリカ!"って言ったら絶対ひっくり返ってたな」
「ナンデ私を基準にするネ!!」
そのとき。
パールホワイトのフーガが駐車場に入ってきた。
安藤凪斗。
夜のドンキに、スーツで来た。
「お、おぉ……あのネオン、カッケェな……」
安藤の目が、駐車場の光に向いた。
LEDアンダーライト。
虹色に点滅するホイールキャップ。
安藤の足が、ドンキの入口に向かっていた。
「安藤、どこ行く!!」
「ちょっと見るだけだ」
「「「「「絶対買うやつだ!!!!」」」」」
10分後。
安藤が出てきた。
手に、光るホイールキャップのパッケージを持っていた。
全員が止まった。
凛が、そのパッケージを一瞥した。
「……ださ」
安藤が、その場で止まった。
「え」
「……ださ」
凛が繰り返した。
表情は変わっていなかった。
怒っているのでもなく、あきれているのでもなく——
ただ、事実を言った。
それだけだった。
安藤の手から、パッケージが落ちた。
「(即死)」
「Nooooooo!! モテ度が地に落ちたネ!!」とマイケル。
「元々ないだろ!!」
安藤が膝をついた。
「……凛ちゃんに"ださ"って言われた……」
「返品してこい」と朱音。
「……返品する。今すぐ」
「よし」
安藤がよろよろとドンキに戻っていった。
凛がその背中を見て、一言だけ言った。
「……でも」
全員が振り向いた。
「……フーガは、かっこいい」
安藤の背中が止まった。
振り返らなかった。
でも——耳が少し赤かった。
「……ありがとう、凛ちゃん」
「光らせるな」
「光らせない」
時間が経つにつれて、狭霧の表情が変わっていった。
最初は「観察」。
次に「困惑」。
そして——
「……なぁ狭霧、大丈夫か」と準。
「大丈夫ではない」
「何が」
狭霧が駐車場を見渡した。
「我が封印される前の夜は——静かだった。虫の声と、風の音と、遠くの川の音があった。人は夜になれば家に帰り、火を落とし、眠った」
「今は?」
「今は——」
ドゥン……ドゥン……ドゥン……
サブウーファーの低音が、また腹に響いた。
「——夜がうるさい」
「まぁ、そうだな」と加賀。
「人間は、夜を征服しようとしているのか。暗闇を、静寂を、全部光と音で埋めようとしている」
「それ、さっきも言ってた」
「何度でも言う。——我は、静かな夜が好きだった」
準が、狭霧の隣に立った。
「……俺たちが走る夜は、静かだぞ」
狭霧が準を見た。
「……そうか」
「エンジン音だけが聞こえる夜。街灯が流れていく。それだけだ」
狭霧が少し間を置いた。
「……いつか」
「え?」
「……いつか、その夜を走らせろ」
「乗せてやる!!! 絶対!!!!」
「騒がしい」
でも——狭霧の目が、少しだけ柔らかくなっていた。
ドゥン……ドゥン……
サブウーファーがまた鳴った。
狭霧の目が、音の方向に向いた。
「……あの"音の箱"、我が成敗してくれようか」
「やめろ!!!!」
駐車場の奥から、族バイクが空ぶかしを始めた。
ブォォォン!! ブォォォン!!
マフラーを改造した、耳障りな音だった。
加賀が音の方向を見た。
バイクが2台——スクーターベースの改造車。
走り屋ではなかった。
族だった。
「おい、お前らなんか気取ってんじゃねぇか? 大学生? ふーん」
加賀が答えなかった。
「おい、無視すんなよ。セリカとか古い車乗って気取ってんじゃねぇよ」
加賀が静かに言った。
「古くない。整備されてる」
「何?」
「古い車と、整備された車の区別がつかないなら、走り屋を名乗るな」
沈黙。
族の一人が、前に出てきた。
「あンだとコラ」
加賀が一歩も動かなかった。
その目が、相手をまっすぐ見ていた。
怒っているのでも、怯えているのでもなかった。
ただ——見ていた。
先に目を逸らしたのは、相手だった。
「……チッ」
族バイクが空ぶかしをして、駐車場の奥に戻っていった。
雅紀が小声で言った。
「……かっこよかったぞ今の」
「別に何もしてない」
「それがかっこいいんだよ」
マイケルが親指を立てた。
「加賀、走り屋の目してたネ」
「走り屋の目って何だ」
「追い越されても追い越しても、前を見てる目ヨ」
加賀が何も言わなかった。
セリカのキーを、ポケットの中で握った。
パトカーが駐車場に入ってきた。
「解散!!」
全員が動いた。
「マイケル!! どこ行く!!」
「逃げるヨ!!」
「逃げるな!!職質案件だぞ!!!」
「"逃げる"と"帰る"は違うヨ!!」
「同じだ!!!」
狭霧が霧を出した。
白い霧が、駐車場を包んだ。
全員がその霧の中に消えた。
阿部が配信しながら叫んだ。
「今日のタイトル"陰キャ、ドンキで職質されかける"にするね!!!」
「お願いだからやめてぇぇぇ!!!」
「結論」と細田。「夜のドンキは行くもんじゃない」
「陰キャは光るグッズに近づくな」と雅紀。
「LED、返品完了した……」と安藤。
「社会的に死んだな」と朱音。
「凛ちゃんが"フーガはかっこいい"って言ってくれたから生きていける」
「「「「それだけで生きていけるのか!!!!」」」」
凛が窓の外を見ながら言った。
「……社会的に、きえろ」
「今回の"きえろ"は愛がある!!!」
「「「「どこに!!!!」」」」
加賀が缶コーヒーを飲みながら言った。
「……でも、一個だけ収穫あったな」
「何が」と準。
「あのランエボの奴——呉さんの知り合いだった。今度、筑波で走行会があるらしい」
全員が振り向いた。
「……それ、行くのか?」と雅紀。
「行く」
「族バイクもいるかもしれないぞ」
「族は来ない。走り屋の走行会だ」
加賀がキーを取り出した。
「俺たちは——走りに行く。それだけだ」
狭霧が後ろから言った。
「……いつか、我も連れていけ」
「走行会に霊体は参加できない」
「霊体に規定はない」
「ある!! たぶん!!」
準が勢いよく手を上げた。
「狭霧、タンデムなら俺のノートで——!!」
「……騒がしい」
「なんで毎回騒がしいって言われるんだ!!!!」
朱音がメモ帳に書いた。
「夜のドンキ:社会的敗北。収穫:筑波走行会の情報。安藤:凛の一言で蘇生。狭霧:静かな夜を欲している。準:それを知っている」




