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狭霧、文明にブチギレる。

朝。

 部室のドアを開けた加賀が、鼻をひくつかせた。


「……おい。なんか異臭しねぇか」

「線香と柔軟剤と動物臭が混ざってる」と雅紀。

「……準のせいだな」と細田。


部室の机の下から、銀色の尾がはみ出していた。それが、意思を持っているかのようにぴくぴくと動いている。

「狭霧さまぁ〜……今日も尻尾モフらせてぇ〜……」

 準が机の下に頭を突っ込んで、半泣きになりながら、何かに向かって必死にすり寄っていた。


「……やめぬか、俗人」

 机の下から、狭霧の声が響いた。低く、静かで、それでも隠しきれない呆れが混じっている。

 朱音が棒付き飴を口から外した。

「……こりゃダメだ。末期だわ」

「"狐中毒こちゅうどく"の重篤な症状ね」と舞花。

「病名つけるな」と加賀が突っ込む。

「ちゃんと学名あるわよ。"鈴木準症候群"」

「俺の名前を病に使うな!!」


昼。カフェテリアのテーブルに、狭霧と準が向かい合って座っていた。

 準が、自身のスマホを恭しく差し出した。

「これ、Twitterっていうんだ。自分の呟きを世界中に投稿できるんだよ」

 狭霧が物珍しそうに画面を覗き込む。

「つい……何だ。鳥の鳴き真似か?」

「短い文章を世界中に飛ばせるんだよ。狭霧の詩なら、絶対バズると思う」

「バズ……?」

「めちゃくちゃ広まるってことだよ」


狭霧が少し考え込み、そして頷いた。

「……では、詠んでみよう」

 準が即座にアカウントを作った。ユーザー名:霧ヶ崎狭霧。

 記念すべき最初の投稿内容はこうだった。


『朝ぼらけ 通信切れて 怒りかな』


「才能の無駄遣いだ……」と朱音。

「いや待って」

 舞花が自身のスマホを見て眉を上げた。「これ、もうトレンド入りしてるんだけど」

「#狐短歌 #WiFiの怨霊 ――お前ら大学生、暇すぎだろ」


準が画面を見て涙目になった。「狭霧……お前、天才だ」

「当然だ。我は数百年、詩と共に生きておる。当然の帰結よ」

「自撮りもしよう!!」

 準が勢いよくカメラを向けた。狭霧の鋭い銀の瞳が、レンズを見つめる。

「……我が姿を封じる術か。穏やかではないな」

「違う違う! ただの写真だよ――」


ガリッ。

 スマホの画面に、鋭い狐の爪の跡が刻まれた。

「俺のiPhone!!!」

「呪具に我が姿を収めるなど、許さぬ。身の程を知れ」

「15万のiPhoneに爪跡入れんな!!!!」


夕方。大学のWi-Fiが、なぜか狭霧の周囲だけ全く繋がらなくなった。

「またか」と準が頭を抱える。「狭霧の妖気が、ルーターの電波に干渉してるんだよ」

「我の詠をネットに載せようとしたが、またも繋がらぬ。不便極まりない」

「ルーター再起動すればマシになるかも――」と朱音。

「その"再起動"なる儀式、先週も先々週も行ったが一向に改善せぬ。無能な呪具め」

「機械に呪いかけてんの、お前の方だから」と舞花。


「心外だ。我はただ――」

 バチィィン。

 部室の蛍光灯が、一瞬だけ激しく明滅して消えた。全員の動きが止まる。

 狭霧の瞳が怪しく光り、天井のWi-Fiルーターを見上げた。

「……我が手で成敗してくれようか。この不届きな箱を」

「待て待て待て!! 壊すな!!」


バチィィィィン!!

 無情にも、ルーターから細い煙が立ち上った。


直後、構内放送が流れた。

『全学的ネット障害が発生しております。現在、原因を調査中……』

「犯人、あの狐だろ」と加賀。

「確実に、な」と雅紀。


大学中の学生たちが一斉にスマホを振り、虚空を仰いだ。教室では教授が「授業資料をクラウドから落とせない」と呻き、図書館では「データベースに繋がらない」という悲鳴がこだまする。

「マイケルの次に破壊神が多いのマジで勘弁して」と舞花。


狭霧はどこ吹く風で、平然と言い放った。

「"光る板"に頼り切った文明の脆さよ。呪具が止まれば、皆が迷い子の如く途方に暮れる。滑稽なり」

「哲学語ってる場合じゃねぇ!! 全学生を敵に回すぞ!!」


そこへ、呉からLINEが届いた。

『お前んとこのサークル、また何かやったろ。呉自動車の在庫管理システムも落ちてんだぞ』

 加賀は画面を見て、深く、深くため息をついた。

(今夜のオイル交換の記録は、手書きのメモ帳ですることになった。)


夜。呉自動車のガレージ。

 加賀のセリカが、リフトの上でその鋭いボディを光らせていた。

 定期オイル交換。呉が熟練の手つきで工具を操り、その隣で準が所在なげにウエスを畳んでいた。


外は静かだった。街灯の光が、濡れたようなアスファルトをぼんやりと照らしている。

「……お前、最近変だな」と、作業を続けながら呉が言った。

「変ですか」

「変だ。前は狐だモフだとうるさかったのに、最近は妙に静かすぎる」


準が手を止めた。

「……呉さん、狭霧のこと、どう思いますか」

「俺が?」

「はい」

 呉がダブルブリッジのメガネを指で直した。

「知らん。お前がどう思うかが全てだろ」


準は少しの間、沈黙した。工場の奥で、セリカの2ZZ-GEエンジンが低く唸っている。アイドリングの鼓動が、冷たい夜の空気に溶けていく。

「……俺、あいつの詩を読んでると、胸のあたりが、こう……苦しくなるんですよ」

「恋だな」

「でも、あいつは霊で、俺は人間で――」

「関係ねぇだろ、そんなことは」

 呉がカチャリと工具を置いた。

「お前がどう感じるかと、相手の存在形態は別の話だ。苦しいなら、苦しいと認めろ。それが走り屋だろ」


準は何も言わなかった。セリカの穏やかなアイドリングだけが、夜の中で響き続けていた。


夜の部室。準が戻ってきたとき、狭霧は一人で窓の外の月を眺めていた。

「……狭霧」

「なんだ、人の子よ。夜更かしが過ぎるぞ」

「今日も、ここに来てくれるんだな」

「用があるから来るのだ。それ以外の理由はなかろう」

「用がなくても、来てくれよ」


狭霧がゆっくりと振り返った。その顔は相変わらず無表情だった。

 でも――その耳が、わずかに後ろを向いていた。

「……今日も、我が尾に安らぎを求めるか」

「モフも――」

 準が一歩、踏み出した。

「――それだけじゃ、ないんだ」


狭霧がわずかに身を引こうとした。だが、準の手がその銀色の尾に触れた。

 握りしめるのではなく、ただ、そっと触れるだけの接触。

 狭霧の身体が、石のように固まった。尾の付け根の、霊体であっても感覚が最も鋭敏な場所に触れていた。


「……」

 狭霧の声が出なかった。

 呼吸が乱れた。かすかに、でも確かに。銀色の長い尾が、わずかに震えている。


「……離せ」

 声がいつもより低い。命令というより、何かを必死に抑え込もうとするような響き。

 それでも準は、手を離さなかった。離せないのではなく――狭霧が、弾き飛ばさなかったからだ。

 本当に嫌ならば、その強大な妖力で一瞬にして弾けるはずだった。


それなのに。二人の間に、密度の濃い、静止した空気が流れる。

 コンテナの小窓から差し込む月明かりが、銀色の毛を幻想的に照らし出していた。

 準の指先から、確かな体温が伝わっていく。人間の熱が、狐の霊体に、その深い内側にまで届いていた。

 狭霧の耳が、ほんの少しだけ――赤く染まっていた。


5秒。10秒。そして20秒。

「――ストーーーーーップ!!!!」


ドアが轟音を立てて吹き飛んだ。舞花が勢いよく突入してくる。

「モフ規制違反、現行犯逮捕だぞ、バカ準!!」

 朱音が冷徹な顔で後に続く。

「埼玉県公安・大学サークル治安維持部よ。動かないで」


準が慌てて手を離した。狭霧が素早く振り向く。

 その耳は、既に元の位置に戻っており、表情は完全な「無」に戻っていた。

「違うんだ! これは不可抗力、いや、愛なんだ!!」

「アウト!!」

「今のセリフが一番救いようのないアウトだ!!」


準が床に組み伏せられた。狭霧が窓の外を見たまま、ぼそりと呟いた。

「……人の情けとは、なぜこうも歪み、暴走するのか」

 舞花がジロリと彼女を振り返った。

「お前も若干、ノリノリで受け入れてただろ」

「……完全な否定は、せぬ」


朱音が手際よくメモ帳に書き込んだ。

(狭霧:耳が赤くなっていた。要継続観察。準:今夜は本気だった。危険につき要拘束)


翌朝。構内を歩いていると、バイクサークルの近藤に呼び止められた。

「おい走り屋共。昨日のネット障害、お前らのところの狐が原因だって学内で持ち切りだぞ」

「根拠のねぇことを言うな」と加賀。

「根拠ならある。俺のバイク管理アプリのデータが全部飛んだんだよ。責任取れ」

「知らん。うちは四輪だ。管轄外だ」

「そういう次元の話じゃねぇだろ!」


近藤が鼻で笑った。

「走り屋が聞いて呆れるぜ。狐と猫を連れて、どこぞのサーカスでも開演したらどうだ?」

 加賀の目が、鋭く細められた。

「バイク乗りが偉そうに言うな。四輪にエアコンの快適さで負けた時点で、文明的な勝負はついてるだろ」

「四輪が安全な箱の中で、のこのこ抜かすな。俺たちは常に命を張って走ってんだよ」

「命を張るのと、ただの無謀を混同するな。美学がねぇんだよ」


二人が激しく睨み合う。数秒の後、どちらからともなく鼻を鳴らして、別の方向へと歩き出した。

 舞花がその背中を遠くから見送る。

「……本当、仲良くなる気配が微塵もねぇな」

「そのくらいでちょうどいいのよ」と朱音。

「なんでさ」

「仲良くなったら、観察記録が退屈になるでしょ」

 朱音が棒付き飴を口に戻し、メモ帳に一行付け加えた。

(S・H・Bと二輪会:現状維持。互いに見下し合うこの関係こそ、この大学の正常な生態系である)


夕方。霧ヶ崎神社。

 狭霧が石段に腰を下ろし、暮れゆく空を見上げていた。準が、少しだけ距離を置いて隣に座った。


「……文明とは、呪いと祝福の狭間にあるな」と狭霧が言った。

「そうだな。繋がれるけど、縛られる。広がるけど、どこか浅くなる」

「だが――」

 準が言葉を継いだ。

「お前が俺の連絡先を知ってくれたから、俺はいつでもお前を呼べる。それは、いいことだと思うんだ」


狭霧が少しの間、沈黙した。

「……無闇に使うな」

「使うよ。絶対」

「……困る」

「困ってくれていいよ」


狭霧の銀色の尾が、石段の上でゆっくりと、優雅に揺れた。

「……人の子よ、己の理性を忘れるな。モフるにも節度が肝要じゃ」

「はい」

「よろしい。ならば――今夜は、10分だけ許そう」

 準の顔がパッと輝いた。


「――ただし」

 狭霧がこちらを向いた。月明かりの中、銀色の瞳が準を射抜く。

「今夜、汝が触れたところ――」

 ふわりと、風が吹いた。

「……覚えておくがよい」


銀色の毛が、夜の空気に流れる。

 準は何も言えなかった。ただ、胸の鼓動が、昼間よりも少しだけ、騒がしくなっていた。


【舞花語録――今話の記録(朱音メモより)】

・「うちの大学、そろそろ現代の封印も物理的に解けそう」

・「マイケルの事故で狐が出て、準の暴走で倫理が死んだ」

・「そろそろ近隣自治体に本気で怒られる気がする」

・「……あと、準の"20秒"については詳細に記録しておく。あれは、本気マジで危なかった」

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